2年間のコロナ渦の経験を経て生まれた、
伊藤健太郎×阪本順治監督でなければ生まれなかった
オリジナル脚本による人間ドラマ
映画『冬薔薇(ふゆそうび)』阪本順治監督インタビュー
阪本順治監督のオリジナル脚本による人間ドラマ『冬薔薇(ふゆそうび)』が、6月3日(金)より、大阪ステーションシティシネマほか全国にて公開される。とある港町を舞台に、家族や友人、自分とも向き合わず自堕落に生きる青年・淳を中心に、とある事件とその驚きの真相、そして彼を取り巻く人々の姿を優しく手を差し伸べるでもなく、突き放すでもなく、確かな愛情を伴って描く。
主人公の淳を演じるのは伊藤健太郎。彼との面談を経て阪本監督がオリジナル脚本をあて書きした。伊藤を取り巻く周囲の人物を、小林薫、余貴美子、眞木蔵人、伊武雅刀、そして石橋蓮司らベテラン俳優に加え、永山絢斗、毎熊克哉、坂東龍汰、河合優実ら若手俳優らが取り囲む豪華な布陣にも注目だ。そんな本作の公開を前に、阪本順治監督が作品について語った。
──映画会社から伊藤健太郎さん主演作の監督オファーを受けたとお聞きしましたが、伊藤さんのことはどのように認識してらっしゃいましたか?
彼が出演していた映画『十二単衣を着た悪魔』にコメントを出したので、その際、劇中の健太郎は見ました。その時は何の縁もないと思っていましたし、40歳以上年の離れた20代前半の俳優を僕の映画の主演に迎えるなんてあり得ないと思っていたので、僕の視野には入っていませんでした。
──監督を引き受けることはすぐに決められたのでしょうか?
コロナ渦に映画を撮るチャンスが来たので、僕は前向きに考えていました。脚本はオリジナルでと言われていて、伊藤健太郎がどういう人物なのか知らないと書けないので、面談の機会を作ってもらいました。それには、僕は40歳も年下の若い子を理解して脚本を書くことができるのかという不安もあったからです。
──面談ではどのような話をされたのでしょうか?
健太郎にはプライベートから答えにくいことまで2時間たっぷり聞きました。彼は、初対面の40歳上のおじさん相手になにも誤魔化さず全部話してくれました。誤魔化す人は、私にはバレるんです。33年間、人を演出してきましたから。
──具体的には?
SNS上の噂が本当なのかも聞きましたし、ありとあらゆる彼の噂を全部調べてから行きました。例えばネット上には「現場で態度が悪くて、先輩俳優に挨拶もしない」と書いてありました。僕は健太郎と現場で一緒になったスタッフをたくさん知っているので聞いてみると「全くそんなことはない」と。そういう姿勢は本人を見ればわかります。実際、現場に行けばスタッフの手伝いもするし、石橋蓮司さんのヘルメットを持って後ろをついて歩いていましたから(笑)。きっと、誰かひとりが言ったことが拡散されているだけだと思います。
──面談の際に嘘をつかなかった、演技をしなかったことが監督にとっては大事だったんでしょうか?
そうですね。健太郎がインタビューで言っていましたが、自分の恥や弱点、コンプレックスを全て洗いざらい正直に話してしまったので、この映画がおじゃんになったかもしれないと思っていたらしいです。それぐらい彼は、自分を良く見せたり、言い訳をしたり、取り繕うこともなかった。彼は初対面の僕を信じてくれたんです。ここで話すことは彼と僕だけの秘密で、絶対に漏らさないという暗黙の了解で。
──伊藤さんから監督にはどのようなお話があったのでしょうか?
最後に僕が「何か聞きたいことはある?」と聞くと、健太郎が「今の僕と仕事をすることはリスクがあると思いますが、なぜ話を聞こうとしてくださったんですか?」と言われたので、「僕は火中の栗を拾う主義だから」と返しました。
──その後、どのように脚本を作られたのでしょうか?
ヒントになったのは、彼とお父様の関係ですね。劇中、小林薫さん演じる父親に向かって、淳が「何でもいいから言ってくんねぇかな」と言うシーンがあります。決してそのものではありませんが、そのようなニュアンスのことを彼が言ったので、父子の話が物語のひとつの柱にはなると思いました。
──伊藤さん演じる淳の人物像についてはどのように構築されたのでしょうか?
彼にとって嫌悪感のある人物だったと思います。適当に生きているし、謝れない。考えることもしないし、人のせいにする。堕ちていくだけの若者ですから。当然、今までそんな役をやったこともないだろうし、きついことかもしれないけれど、これからの起爆になるような試練を求める脚本にしようと考えました。
──確かに、伊藤さん演じる淳はなかなか映画の主人公になることのない人物像でした。
それは彼にだけでなく、僕自身への問いかけでもあるんです。自分の中にも、娯楽作品と言われるものでこの主人公でいいのかという迷いはありました。万人の観客のことを考えれば違う手があったかもしれない。でも、僕はコロナ渦の2年間で自分がこんなにも弱い人間だったのかと思い知らされたんです。
──どのような体験からそのように感じられたのでしょうか?
僕は独り者なので、ひとりでじっと家にいて、滅多にテレビは見ませんし、ラジオは壊れたままでした。朝起きる必要もないと思うようになって、どんどん自堕落になって体重が増えていくばかりで。そういう2年間を経て、さあ映画を作るとなった時に僕の意識は希望へとは向かわなかった。それは僕だけではなく、日本中、世界中の人が同様の沼に落ちてしまったんじゃないかと。関係性が途絶えたり、孤立したり、食べられなくなった人もいるかもしれない。そういう2年を通り過ぎたんだから、その延長線上にこの映画の世界観はあっていいと思いました。うまくいっている人は誰もいないし、誰もが陥る話なのだと。
──それでも、淳だけではなく彼の周囲の人にも何らかの欠点があるように描かれていたのが、救いのように感じました。
オリジナルの脚本を書くということは、当然主人公には、僕がもし同じ環境になったらということを投影しています。他の登場人物も男女問わず同じで、結局は僕の欠点や恥を点在させている。今、コミュニケーションを取れない若い人が増えてきたと言われていますが、僕は、人は人と繋がっていてもいいし、繋がらなくてもいいと思っています。最低限の道徳や倫理は必要ですが、他人がとやかく言うことではないし、学校教育で友達を作りなさいと言うのも余計な話だと思っています。
──それも監督が経験されたことなのでしょうか?
劇中で淳が「あなた背筋がぞっとしたことないでしょ」と言われるシーンがありますが、僕は問題児だった頃に背筋がぞっとした瞬間があって。それを経て、僕は映画という世界を見つけられたから、今がある。自分で自分を問いつめる瞬間は必要で、僕は自分で駄目だと思ったから、何か見つけようと思って見つけたのが映画だった。何もかもを親の責任、学校の責任にして、部屋に閉じこもっていたのでずっと何かを考えていたんです。そうやってずっと考えていたら突然、お前このままいくのか?と自分で自分に尋ねる瞬間があるはずなんです。
──その監督の経験がこの映画に反映されているんですね。
この映画は、それがなかった男の話ですから。
──伊藤さんは主演ではあるものの、彼と彼の周囲で起こる出来事を描いた群像劇という印象でした。
そうですね。でも、映画の残り3分の1は、彼は出ずっぱりなんです。きっと観た人にはいろんな人のクローズアップを記憶してもらえると思いますが、結果、主演たる伊藤健太郎の何も語らない戸惑いと困惑と考えを止めたような顔を印象に残して帰ってもらえるのではないかと思っています。特に、ポスターなどのビジュアルに使った写真や劇中のラストカットの表情は、彼にできるだけ遠くを見てもらい、どこにも焦点が合っていないという演出をしました。結果的にいろんな解釈ができるカットになったと思っています。
──実際に伊藤さんを演出して、監督はどのように感じられましたか?
今の20代前半は物欲もなく、何を考えているのかわからないと言われる一方で、NPOを立ち上げて社会貢献しようとしている人たちもいる。そういう健太郎の世代のすべてを僕は理解できなかったかもしれないけど、健太郎本人は理解できたと思います。以前は僕には縁のない世代の役者だと思って目も向けなかったので、僕にとっても新鮮でした。この映画は彼とやることで生まれた物語ですし、彼とやらなければこの脚本は書いてないかもしれない。
──その伊藤さん演じる淳の周囲の人物を演じた小林薫さんをはじめ、伊藤さんとベテラン俳優さんの対峙は初めて見たような気がしました。
今まで彼は同世代と共演することが多かったと聞いていたので、中高年のベテラン俳優さんで彼を囲ってしまいたい、と。そして、それぞれのベテラン俳優と1対1で芝居を交わすところを作ろうと。そうやって、今まで彼が経験してこなかった、一世代どころか二世代、三世代上の俳優さんと芝居を交わすことで学ぶこともあるだろうと思いました。
──そんな中、眞木蔵人さんは異色の存在でした。
17年前に『亡国のイージス』で台詞もない役をやってもらって以来ですね。その間もたまに会って「またいつか」と言っていましたが、彼でないといけないという役のある映画がなかったんです。僕はまさか17年も経っていると思っていなくて、7、8年の感覚でした。今回のキャスティングをしている時に眞木のことを思い出したんです。
──監督は眞木さんのどんな部分に魅力を感じてらっしゃいますか?
彼は不思議な男で、サーフィンとスノーボードを真剣にやっていて、山奥でキャンプをはっていることもあって、家でも寝袋で寝ている。そういう野性味のある生活をしているから、当然、彼の物言いや仕草にそういうものが匂い立つんです。何よりも、彼は小細工をしないし、スクリーン映えするんです。
──伊藤さんも眞木さんと対峙して問い詰められるシーンでは、劇中での関係性もありますが、ひるんだような感じを受けました。
小林薫さんも眞木の芝居については褒めてらっしゃいました。健太郎もサーフィンをするので、彼にとって眞木は大スターで雲の上の人。その人に「殺す」なんて言われたら引きますよ。憧れ中の憧れの人ですから。彼は脚本に眞木蔵人の名前があってびっくりしたと思いますよ。
──本作のもうひとりの主役とも言えるガット船の存在が、登場人物誰しもの心情を表しているように感じました。
船というのは、波も向かってくるし、風も受け、不安定な存在です。ガット船のシルエットは非常に無骨で、擬人化できる感じがしました。ガット船は『人類資金』で撮影したことがあったので、そこでその仕事のことを知り、興味が続き、いつかまたガット船を撮ってみたいと思っていました。脚本を書きながらこの映画がそのチャンスだと思いました。
──監督はガット船のどういう部分に惹かれたのでしょうか。
僕は、皆が知っているようで知らない仕事を映画で取り上げるようにしていて。『団地』の漢方薬を作る仕事や『半世界』の備長炭を焼く仕事もそうです。ガット船は、この方たちが砂を運んでくれるおかげで湾岸が埋め立てられ、タワーマンションが建っているのに、皆その仕事を知らない。そういう知っている人が少ない仕事を見ることができるのも映画のひとつの見どころだと思っています。
──最後に、監督のデビュー作である『どついたるねん』の赤井英和さん演じる主人公と本作の淳にはどこか共通するものを感じました。
自分の作品を遡って考えることはないので、今言われて初めて『どついたるねん』も再起する男を描いた作品だったと思い出しました。意識はしていませんが、僕の根幹は33年変わってないのかもしれませんし、確かに僕が興味を持つものは変わっていないと思います。
取材・文/華崎陽子
(2022年6月 2日更新)
Check