インタビュー&レポート

ホーム > インタビュー&レポート > ご近所トラブルを題材に、現代で起こる“争い”についての 普遍的真理を浮かび上がらせる 映画『ミセス・ノイズィ』天野千尋監督インタビュー

ご近所トラブルを題材に、現代で起こる“争い”についての
普遍的真理を浮かび上がらせる
映画『ミセス・ノイズィ』天野千尋監督インタビュー

近年、日本のメディアでも報じられることが多くなった“ご近所トラブル”を主題にした、社会派人間ドラマ『ミセス・ノイズィ』が、大阪ステーションシティシネマほか全国で上映中だ。始まりはほんの些細なことがきっかけだった隣人トラブルが、マスコミやSNSをも巻き込んだ大きな事件へと発展してしまう様を、SNSの炎上やメディアによるリンチなど現代の社会事情を反映させながら、シニカルでありつつもユーモラスに描き出している。『共喰い』や『楽園』などの篠原ゆき子が主演を務め、スランプで筆が思うように進まず、苦悩する日々の中で隣人の騒音トラブルに直面してしまう、育児と家事に追われる36歳の小説家・真紀に扮している。そんな本作の公開を前に、ぴあフィルムフェスティバルをはじめ国内外で多数の賞を受賞するなど、長編映画の公開が待たれていた新鋭・天野千尋監督が作品について語った。

――実際にあった奈良県での騒音トラブルの事件は意識されたんでしょうか?
 
喧嘩を題材にした映画が撮りたいと思った時に、身近な喧嘩というところからご近所トラブルのネタを探し始めました。奈良の事件だけではなくて、いろんなご近所トラブルや自分自身の夫婦喧嘩からアイデアは生まれています。その中で、特に奈良の事件に興味を持ったのは、ひとつ理由があります。当時、テレビなどで「エキセントリックなおばちゃんがいる」という感じで、面白いネタとして扱われていましたが、その後、ネットの世界では彼女を悲劇のヒロイン扱いするような噂が広がっていたんです。報道では加害者だとされていたおばちゃんは実は被害者で、おばちゃんが苦労人で家族を守るためにあえて戦っていたなど、真偽は分からない噂が飛び交い、「彼女はマスコミに弄ばれて、マスゴミにいじめられた」という批判と相まって盛り上がっていた。ご近所トラブルの当人たちはお互い自分が正しいと思っていて、どちらが正しいかは立場によって変わってくる。それなのに、周囲が勝手に白黒つけようとしたり、自分とは違うという線引きをしたりするようなことが、興味深いと言うか、ある意味人間的だなと感じたんです。どんな喧嘩もこういう構造から生まれるんじゃないかと思って、映画のテーマにしようと考えました。
 
――何が正しいのかなんて、本人たちにもわからない、そういうテーマを客観的描くことに注力されたということでしょうか?
 
喧嘩をテーマにして描こうと思った時に、黒澤明監督の『羅生門』のように、見る人によって全然物事が違って見えるという演出を取り入れたいと思っていました。日常生活で同じ出来事を目の当たりにしても、人と全然違う印象を抱いている事ってありますよね。私には怒っているように見えていても、違う人から見れば困っているように見えたりするような、そういうことは実際にたくさんあるので、それを映画のシーンに取り入れたいと考えたのが、この映画の始まりでした。
 
――本作の構想には約3年かかっているそうですが、脚本を作り上げていく上で苦労はありましたか?
 
3年かけて構想しようと思っていたわけではなく、映画を撮るチャンスが巡ってこなかっただけなので(笑)。もっと早く撮る機会があれば、脚本ももっと早く仕上げていたと思います。でも、書いていくうちにどんどん本が面白くなっているのが自分でも分かりました。なかなか映画が撮れなくて、悶々としながら脚本を書いていたんですが、主人公の真紀がスランプ中の作家という設定だったので、そこと重なりましたし、私自身も小さい子どもがいて、家事育児と自分の仕事が今後どうなるのか不安だった状況が重なって、リアリティが出たと思います(笑)。苦しかったですが、この映画にとってはその期間が必要だったんじゃないかと思っています。
 
――本作で中心的に描かれているのは主人公と隣人のトラブルですが、実は主人公夫婦の間でも会話が噛み合っていなかったり、ディスコミニケーションが見受けられるように感じました。
 
おっしゃる通り、夫婦の間でも価値観が違ったり、立場によって見え方が違うことはあると思うので、その描写はいれたいと思っていましたし、主人公の立場から見ると夫に対しては「おいっ」と言いたくなりますが、夫は正論を言っていたりもするんですよね。夫も間違っているわけではないように、映画の中に完全な善人や悪人は存在させたくなかったんです。後半、SNSでこのトラブルを拡散させる人や主人公たちを追い詰めるマスコミも登場しますが、それも悪人ではなくて、それぞれの立場で正しいと思っていることをやっているという様にしたいと思って脚本を書いていました。
 
――隣人トラブルを題材に選んだのは、どうしてだったんでしょうか?
 
元々、社会で起こっている出来事に対して興味があったので、実話モノにできるような題材を探してはいました。でも、社会派と言われている映画では、弱者を救済したり、悪を倒すというようなメッセージ性が強いものが多いと思うんです。ただ、私自身は、ある意味客観的と言うか、どんな物事に対してもどっちもどっちなのではないかと思ってしまうんです。物事を双方の視点で見てしまうので、双方の事情について自分の中で納得してしまって、なかなか訴えたいことが見つからなかったんです。それでも、社会で起こっていることを描きたいと思っていたので、ネタを探していた時に、たまたまご近所トラブルのことを思い付いて、それだったら両方の視点を描くことができるし、いいんじゃないかと思いました。身近な範囲で起こる喧嘩から、大きい紛争のようなことまで、喧嘩は全部が同じような構造だと感じましたし、自分ならではの視点で切り取れるんじゃないかと思いました。それに、ご近所トラブルって、実際には切実なことなんですが、切実だからこそ、切実だからこそ面白い。コメディにしようとか笑わせようという意図はないですが、切実な人を客観的に見て面白いと感じてもらえるようなユーモラスなシーンが撮れたら理想だなと思いながら作っていました。
 
――本作は、ユーモラスな映画でもありながら、相手の意見を聞こうとしない人間への戒めみたいなものを感じる作品でした。
 
そんな風に、身近なこととして感じてもらえるのはすごく嬉しいです。明日は我が身ではないですが、自分も主人公になり得ますから。
 
――ここ数年でSNSの炎上やネットリンチというものが社会問題にもなってきました。SNSの描写は最初から入れようと思ってらっしゃったんでしょうか?
 
私はSNSに対して批判的な考えはないんですが、この映画の構想を始めた5年ぐらい前から、怖いなとは思っていたんです。文字数が少なくて、伝える情報が短いので、自分が発信したことがどこかの誰かにどう伝わるかわからない怖さを感じていましたし、自分の意図したこととは全く違う風に伝わってしまうかもしれない、そういう危険性を感じていました。また、時にSNSが凶器になるような面があると思っていました。それを批判的にというよりは、その怖さや事実を淡々と描きたいと思っていました。元々、この映画の脚本を書き始める前に、別の作品としてSNS のネタを映画にしたいと思っていたんです。元は別物だったんですが、この作品にSNSを取り入れてみたら面白いんじゃないかと思い付きました。喧嘩の二項対立だけではなくて、第三者の存在が物語を深めてくれるんじゃないかと思ってミックスさせました。なかなか映画が撮れなくて苦しかったですが、撮れない期間があったことが逆に良かったんじゃないかと思っています(笑)。
 
 
――コロナウィルスの影響で本作も公開が延期になりましたが、コロナ禍によって社会はさらに分断が進んだように感じます。監督は、本作のことや映画界のことなど、コロナ禍の中でどのように感じてらっしゃいますか?
 
私も、すごく分断が進んだと感じています。実際にSNSの炎上事件も自粛期間中に起きましたし。対面で接するのではなく、リモートやWebを通してのコミュニケーションになると、情報が単純化されていくと思うんです。接してみると、多面的なことが自然と見えてくるんですが、媒体を介することによって単純化された情報が伝わって、勘違いやずれを引き起こしやすくなると思うんです。ひとつのシンプルな情報で区別したり、ラベリングしてしまって、自分とは違う、これは間違っていると判断する傾向が強まっているように感じています。そう考えると、この映画はすごくタイムリーなんじゃないかと思います。また、コロナウィルスの感染拡大や自粛などによって、映画館に足を運ばなくても、家で映画を見られると思った方も多いでしょう。でも、家で見ると映画が選択肢のひとつになってしまいますよね。いつでも止められますし、途中で食事もできる。そうすると、いろんな選択肢の中から映画を観る行為を選んでもらうことが重要になってくる。SNSや YouTubeと同じで、見られてナンボみたいな傾向が強まり、キャッチーで刺激的であることが必要になる。でも、映画館では他の選択肢はありませんし、映画館に入ったら2時間そこで座っていなければならない。それって、すごく贅沢な時間だと思うんです。選択肢がたくさんあるのとは違い、映画だけに集中できる状況で楽しんでいただけるので。私は映画館で育ってきたので、その文化がなくならないために魅力的なコンテンツを作ろうと思っています。現代は、とにかく選択肢が多いですが、最近思うのは、人間は実は選択肢が多ければ多いほど不幸になっているんじゃないかということです。選択肢が少ないとそれしか選べないから、迷わなくていいし、それで満足するしかないからその方が幸せだったり、豊かなんじゃないかと。それは映画だけに限らず、思っています。今は情報が多いので選択肢が増えすぎていて、それがすごくストレスになっているんじゃないかと感じています。
 
取材・文/華崎陽子



(2020年12月 8日更新)


Check

Movie Data



(C)「ミセス・ノイズィ」製作委員会

『ミセス・ノイズィ』

▼大阪ステーションシティシネマほか全国にて上映中
出演:篠原ゆき子、大高洋子、長尾卓磨
新津ちせ、宮崎太一、米本来輝
洞口依子、和田雅成、縄田かのん
田中要次、風祭ゆき
監督・脚本:天野千尋

【公式サイト】
http://mrsnoisy-movie.com/

【ぴあ映画生活サイト】
https://cinema.pia.co.jp/title/183177/


Profile

天野千尋

あまの・ちひろ●1982年生。約5年の会社勤めを経て、映画を撮り始める。ぴあフィルムフェスティバルをはじめ、国内外で多数の映画祭に入選・入賞を果たす。主な監督作に『フィガロの告白』(2012)、『どうしても触れたくない』(2014)、『うるう年の少女』(2014)など。