「考え続けていれば間違わない。
それがこの映画の核で、僕が一番好きなところです」
映画『星の子』大森立嗣監督インタビュー
「むらさきのスカートの女」で芥川賞作家となった今村夏子による、野間文芸新人賞を受賞の同名小説を、『MOTHER マザー』が7月に公開されたばかりの大森立嗣監督が実写映画化した『星の子』が、10月9日(金)より、TOHOシネマズ梅田、テアトル梅田ほか全国で公開される。幼い頃病弱だった主人公・ちひろを治した“あやしい宗教”を深く信じている両親の元で、愛情たっぷりに育てられた少女ちひろが中学3年生になり、自身を取り巻く環境や自身の将来について葛藤し、揺らぐ姿を繊細に描き出している。幅広いフィールドで活躍する芦田愛菜が、『円卓 こっこ、ひと夏のイマジン』以来6年ぶりに実写映画で主演を務め、15歳の少女が、自分が信じるものは何なのか考え続ける姿を唯一無二の存在感で演じきった話題作だ。“あやしい宗教”を信じるちひろの両親を永瀬正敏と原田知世が、ちひろが恋をするイケメンの数学教師を岡田将生が演じている。そんな本作の公開を前に、大森立嗣監督が作品について語った。
――まず、原作を読んだ時の印象や脚本作りについてお聞かせください。
『日日是好日』のプロデューサーに「読んでほしい」と言われて読んだんですが、面白いと言うか、ちひろという少女の心の中を描いている物語だという印象を受けました。というのも、僕は男系家庭で育っていますし、子どももいないので、ちひろの存在は自分からすごくかけ離れているんですが、すごく興味深いと思ったんです。ちひろという少女の繊細な気持ちを描いていることに一番感動しました。脚本を書くときもそれを一番大事にしました。原作は一人称の小説なので、脚本作りはなかなか難しかったんですが、今回はモノローグやナレーションを入れたくないと思ったんです。
――監督がおっしゃるように、この映画では、具体的にちひろが心情を語るシーンはありません。そのことによって、観る者が“ちひろは何を考えているんだろう?”と考えさせられる作りになっています。なぜ、ちひろに心情を言葉で表現させなかったんでしょうか?
僕からすると、ちひろはすごく遠い存在の女の子なんですが、そのことを僕自身もわかったふりみたいなことはできないんですよね。でも、映画にするということは何かをちゃんと拾い上げて表現しなければいけないんですが、拾い上げ方として、ちひろのすごく繊細に揺れている心を決めつけてお客さんに説明してしまうのは、この映画にとって少し違うんじゃないかと思ったんです。両親があやしい宗教に入っていて、普通だったらそこに反発するとか逃げ出すとか、両親と喧嘩して離れてそれで成長していくという流れになるんですが、ちひろは、両親の事を受け入れつつ、自分は友達や先生から否定的なことを言われても、ずっと考え続けていますよね。そういうことを描こうとすると、わかったふりは一切できないと思いましたし、こういう作り方が合っているんじゃないかと考えました。
――それは、脚本作りの時に考えてらっしゃったんでしょうか?
考えたというよりは体が勝手に感覚で動くという感じですね。色々考えても頭でっかちになって、後からとってつけたみたいになってしまうので、自然と自分に根付いているものと作品がシンクロしていく感覚です。僕の家も父親が舞踏をやっているんですが、前衛舞踏なので、はっきり言って訳がわからないんですよ(笑)。小さい時は父親が何をやっているのか全然わからなかったですし、職業だとも全く思っていなかったので、普通じゃないという感覚を持っていました。それを受け入れていくのに僕も結構時間がかかったので、そういう部分ではちひろに似ているところがあるんですよね。それは、最近こうやってインタビューを受けている中で考えたことなんですが(笑)、それだけ違和感なくちひろのことを受け入れられたのは、そういうことだったんじゃないかと思います。
――監督がおっしゃった、その“揺らぎ”を芦田愛菜さんは見事に体現してらっしゃいました。
彼女を選んだと言うよりも、彼女しかいなかったような気がしています、結果的には。最初はオーディションをやろうと思っていたんですが、愛菜ちゃんのことを思いついて、しばらく女優の仕事をしてなかったのでやってくれるかどうかわからなかったですし、僕自身も彼女の演技を見たのは小さい頃のことで、彼女も忙しそうだし、こういう規模の映画に出てくれるかどうかと思ったんですが、本人がやりたいと言ってくれたので、最高のキャスティングだなと思いました。彼女は頭がすごく良くて、純粋に物事に向き合える人なんですよね。普通に考えると、この年でこんなにまっすぐな子はなかなかいないですよね。子役から出てきている子なので、考えて演技をしてしまうんじゃないかと、少し心配はしていました。だから、あまり考えないで現場に来てほしいと伝えた上で、その場で起きたことや相手の俳優さんがどういう風に演じているかによって芝居は変わるんだということをずっと言っていました。子役というのは本人も周りもちゃんとやらなくちゃいけないという目で見られがちなんですよね。そうではなくて、その場で芝居も変わっていいし、変わらなきゃいけないんだよと伝えていました。とにかく決めこまずに、段取りも無視していいから、自分が動きたい時に動いていいんだよと言っていました。
――芦田愛菜さん演じるちひろが憧れる数学教師役を岡田将生さんが演じてらっしゃいました。原作のイメージにぴったりでしたね。
僕も、原作を読んで、岡田くんがやってくれないと困るなと思いましたね(笑)。岡田くんは、数学教師役だったので、黒板に数式を書くことや数学的な台詞が多くて、かわいそうだったんです。そういうことをちゃんとやってくれたので、無事に撮りきれました。教室に30人ぐらい生徒がいると、カメラのポジションを変えたりするので、撮影が大変なんですよ。今回は、岡田くんの見所が少なくなってしまったので、悪かったなと思っています(笑)。
――また、ちひろを慈しんで育てている両親役の永瀬正敏さんと原田知世さんも素晴らしかったです。
キャスティングには迷いませんでした。永瀬さんは何度か一緒に仕事をしているので、どういう方なのかもなんとなくわかりますし、永瀬さんがいることで僕はすごく安心していました。演技の振り幅もあるし、映画を愛してらっしゃいますし。原田さんは今回初めてご一緒したんですが、ちょっと天然な感じがあって、それが永瀬さんといいコンビになっていたと思います。原田さんはちょっとほんわかしているので、人に隙間を与えてくれるんですよね。それがちひろに接する母親としても、あやしい宗教を信じている人なんですが、ある種のステレオタイプ的に演じないので、宗教とお母さんの間に隙間があるんですよね。それはさすがだなと思いました。宗教にはまっている人だからこういう感じでしょという演じ方を全くしていないので。そういう風にすると大体失敗するんですよね(笑)。色んな人がいますから。
――その“あやしい宗教”の描き方も、水を大切にしているというぐらいで具体的な描写はほとんどありませんでした。
カルト的な宗教を映画やドラマで描いているのを見ると、少しデフォルメが強すぎるような印象があったので、それはみっともないなと思いながらも、ある程度は存在感として描かなければならないので、そのバランスには気を配りました。今回は水がモチーフになっていたので、誰かに宗教のことを否定された後でも、ちひろがその水を飲んでいるシーンを入れるなど、ちひろの心情を表すものとして使っていました。
――その“水”や“あやしい宗教”に対しても、ちひろの親友なべちゃんは容赦なく「あなたはどう思うの?」と問いかけます。その度に、逡巡しながら考えを巡らせているちひろの姿が印象的でした。
ああいう友達と仲がいいということが、ちひろにとってすごく大事な事なんですよね。特になべちゃんという友だちは「あなたはどう思うの?」とちひろに聞くんですよね。決して、「そんな宗教やめたほうがいいよ」ではないんですよね。そこがこの映画の一番大事なところで、「あなたはどう思うの?」と聞かれたら、またちひろは考えなきゃいけなくなるんです。この映画は、ずっとちひろがどう思っているかをはっきり言わないので、それを考えながら観なきゃいけないんです。でも、わかったって言うと消えて飛んで行ってしまいそうな少女の心を描きたいと思っていたので、こうするしかなかったんですよね。というのも、最近は大きい声で正しいことばかりを言う人が多くて、僕はそれにも嫌気がさしているので(笑)、もう少し小さな声を拾いたいと思いますし、ちひろは、宗教と思春期になった自分、宗教を信じている両親について、なかなか明確な答えは出ないけれども、考え続けるんですよね。考え続けるということは、わかりやすい答えを選ばないし、考え続けていれば間違わないと思うんです。何かが起こったとしても、受け止めて考える力があることが一番大事なことだと思います。一般的に、正しいこととされるのは、両親をあの宗教からやめさせることになるかもしれませんが、ちひろは正しいことよりも、両親が自分を愛してくれたから宗教を始めたのを知っているので、それを否定できない優しい子なんですよね。そういう優しさがいいですよね。この世の中には、分かろうとしたって分からないことはいっぱいあると思うんですよね。ちひろはそれをずっと考え続けているので、それがこの映画の核になっていますし、僕が一番好きなところです。
――“信じる”ということが本作のテーマにもなっています。本作を作ることで、監督も“信じる”ことについて考えることはありましたか?
僕にとっては信じると言うか、役者に演出をつけている時もそうで、最近はワークショップで若い子に演技を教えているんですが、お芝居というのはまず相手をちゃんと信じないと始まらないんですよね。自分のことをさらけ出すときに相手を信じていないと、心も開いていかないし、言葉を投げかけられないんです。閉じていると表現者としては何もうまくいかないので、僕は“愛する”という表現を使うんですが、とにかく先に愛さなきゃいけないのに、みんな愛されたがりなんですよね。何か言われるのを待っているし、何か言われたい人ばっかりなんです。自分からちゃんと好きにならないと、相手の好きも返ってこないよということをずっと伝えています。先にこっちが強くメッセージを伝えると、次は返してくれないといけないし、それは相手とのキャッチボールですよね。こういうことを芦田さんは素直にできるんですよ。だから、相手が言うことを受け止めて自分が何を思うかということを表現するのが会話だと思うし、それを僕はやりたいんですよね。
――原作にもある、教団施設での研修旅行でちひろと両親がすれ違い続けるシーンは特に深く色々なことを考えさせられました。
最後の研修旅行のシーンに行く前に、ちひろと両親が喧嘩をしてしまったこともあって、ちょっと両親とも距離がうまれているんですよね。ラストシーンに向かって、ちひろの中で両親の不在感が、時間を追うごとに確かなものになっていくんですが、同時に宗教の闇の部分も見えてくるんですね。でも、それを見せすぎないようにしたかったんです。宗教への疑問や微妙な怖さを感じながらも両親にも会いたくなる、ちひろの微妙な心情をきちんと表したかったので、そこにはすごく気を使いました。
取材・文/華崎陽子
(2020年10月 8日更新)
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