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水谷豊監督&脚本作『轢き逃げ -最高の最悪な日-』で
主演を務めた中山麻聖&石田法嗣インタビュー

俳優・水谷豊の監督第2作で、ある轢き逃げ事件をきっかけに、7人の登場人物の心の軌跡をあぶり出すサスペンス『轢き逃げ -最高の最悪な日-』が、梅田ブルク7ほかにて上映中だ。「人間の奥底には自分でもわからない感情が潜んでいる」というアイデアをもとに、水谷自身が脚本も執筆した本作。地方都市で轢き逃げ事件が発生し、ひとりの女性が命を落とす。運転していた秀一(中山麻聖)と親友の輝(石田法嗣)、秀一の婚約者の早苗(小林涼子)、被害者の両親、そして事件を担当することになったベテラン刑事と新米刑事それぞれの人生が複雑に交錯していく様をサスペンスフルに描いている。水谷は轢き逃げ事件の被害者の父親役で出演も兼ね、妻役を檀ふみ、事件を追うベテラン刑事を『相棒』でも長らく共演した盟友・岸部一徳が演じるなど、若手俳優とベテラン俳優の競演も見どころとなっている。そんな本作の公開を前に、400人を超えるオーディションを経て主演を勝ち取った中山麻聖と石田法嗣が作品について語った。

――おふたりは、400人を超えるオーディションを勝ち抜いたということですが、オーディションの様子についてお聞かせください。
中山麻聖(以下、中山):映画のオーディションがあると聞きまして、事務所から劇中で使われていた秀一と輝のシーンの台本が送られてきたんです。どちらかをやっていただくか、もしくは両方ともやっていただくことになるのでセリフを覚えてくださいということでした。オーディションの時は、水谷さんはいらっしゃらなくて、ビデオカメラと撮影監督の会田さんがいらっしゃいました。もしかしたら、事務所には(水谷さんの監督作品だと)連絡が入っていたかもしれませんが、事務所の配慮であんまり知っているとプレッシャーがかかるだろうということで知らされてなかったのかもしれません。もし、先に知っていたら変な力が入っていた可能性があったので、知らなくて良かったと思います。

――では、オーディションに受かって初めて水谷さんが監督だということを知ったんでしょうか?
中山:オーディションに受かった後で準備稿の台本を頂いて、表紙をめくったら監督が水谷豊さんだと書いてあって、「うわっ!」と思って、そして秀一の名前が最初に出てきて…。また「うわっ!」って。

――最初からそれぞれの役柄を演じられたんでしょうか?
中山:僕はオーディションに行った時に秀一をお願いしますと言われました。
石田法嗣(以下、石田):僕は秀一と輝の二役をやらせてもらいました。僕としては性格的には秀一の方が合うと思っていたんですが、オーディションの時の台本を読んでいても、みんなに憧れられる存在である秀一の持つ華やかさが、僕にはないなと正直思っていたので、そうなると輝なのかなとは思いました。でも、オーディションの時の台本も、けっこうシリアスなシーンで、すごく繊細に描かれていたので、すごく難しい役だなと僕は思いました。
中山:秀一と輝の情報が、そのシーンの台本しかなかったので、どういう人物なのか、ふたりの関係性も背景も全然分からなくて、セリフとト書きから情報を得て自分なりに解釈して演じるしかなかったんです。

――主役に決まって
中山:一番は嬉しかったですね。僕に決めていただいて嬉しかったんですが、それが主演で、その後に水谷監督の作品だということを考えて、徐々に徐々にプレッシャーを実感していきました。それが正直なところですね。
石田:僕は昨日の舞台挨拶でも言ったんですが、本当に飛び跳ねそうになるぐらい嬉しかったです。その後に台本を読ませていただいてから、プレッシャーが襲いかかってきました。でも、これに負けたらダメだと思いましたし、麻聖くんや涼子さん、毎熊さんにも、もちろん監督にも助けられて、スタッフの皆さんに支えられながら乗り越えられたと終わった後に思いました。

――おふたりは初対面だったんでしょうか?
中山:初対面です。初めて法嗣君に会ったのが、クランクインの1ヶ月ちょっと前の顔合わせの時なんですが、僕がエレベーターを降りた時に、目の前に法嗣君がいたんです。その時に直感で「あっ輝だ」と思いました。法嗣君の容姿というよりも、内面に持っているプレッシャーや責任感が、自分と同じだと感じたんです。と同時に安心感を覚えました。これはもう是非仲良くなりたいと思って、グイグイ僕の方から一方的に連絡先を教えました(笑)。

――撮影中、神戸ではどのように過ごしていらっしゃいましたか?
中山:正直、撮影でいっぱいいっぱいだったところがあるので、休みの日もなるべく外に出ないようにしていました。外に出るとその環境に影響されてしまいますし、ホテルの部屋でもテレビは3週間一回もつけなかったですし、情報をほぼ遮断していました。携帯も、見てしまうと今のご時世何でもできてしまうので、携帯に触ったら終わりだと思って極力触れないようにして、ほぼずっと台本とにらめっこしていました。ただ、今考えると助けを求めていたんだと思いますが、次の日のシーンが、そんなに追い詰められていない場面だと、法嗣君に連絡を取って、ご飯を食べに行こうと誘っていました。そうすることで外の環境には触れるけれども、隣には法嗣君が輝として存在してくれる状況を作り出していたんだと、撮影が終わってから気づきました。
石田:僕は自由に歩き回っていましたね。麻聖君が撮影でいない間はひとりなので、有馬や姫路の方にぷらっと行って、街歩きをしていたんですが、それでもやっぱり台本の事が頭の中にあるので、歩きながら台詞言っているんですよ(笑)。これは結構病んでいるなと自分でも思いましたね。電車に乗っていても、明日のことを頭の中でシュミレーションしてぶつぶつ台詞言っているんです。周りの人からしたら、この人大丈夫かなと思われていたと思います(笑)。結局、姫路に行っても台詞を言いながらただ歩いていただけで、全然楽しめなかったですし、気分転換にはならなかったですね。結局、台本が頭から離れないので。今思うと、やっぱり相当追い込まれていたんだと思います。
中山:一度現実世界に逃げてしまうと、そっちの方が絶対に居心地はいいので、自分で追い込んでいた部分もありました。怒るシーンでも、怒る加減みたいなものをすごく繊細に監督が演技を付けて下さっていたので、そこのさじ加減が本当に難しかったです。あとは気持ちを維持することが本当に大変でした。順撮りではなかったですし、冒頭の運転のシーンも実は神戸と東京で撮っているんです。続きを撮るのが1ヶ月後だったこともあったので、神戸で撮影していた時の感情を密閉していましたし、感情を出し入れすることが本当に難しかったです。

――秀一と輝のキャラクターはどのように作りあげられたんでしょうか?
中山:秀一の場合は最後まで計算した演技はしなかったんです。というのも、色々真実が分かった上で振り返ってみたら、そうだったのかもしれないと気づいてもらえるぐらいのほうがいいと思っていたので。自分なりに秀一という人物を作って、色々と準備していたところもあったんですが、顔合わせの時に監督から自分の価値観に固執しないでフラットな状態でいてほしいと言われたので、自分が考えていたものを全て壊して、撮影の前にリハーサルや本読みなどお時間を作っていただけたので、いちから作り上げた感じです。それがなかったら自分の中で勝手に作り上げたものを持って現場に入っていたと思うので、監督の考えている秀一像に近づくまでに時間がかかったと思います。監督が本当に細かいところまで演出をつけてくださったので、フラットな状態でいられたことで、その場で監督がつけてくださった演技が自然に出たんじゃないかと思います。
石田:今までの役者人生の中で、一番台本を読み込みました。僕は輝という人物を作り上げてしまっていたので、本読みの時にあまりにも固すぎて監督から指摘をされても全然対応できなかったんです。あまりにも僕の中で輝のイメージが出来上がってしまっていて。監督から、一度作り上げたものを全て壊してすぐに反応できるようにしてほしいと言われたんですが、それって結局価値観のことをおっしゃったんだと思うんです。自分の価値観で物事を決めてしまうと周りが見えなくなってしまいますよね。それはお芝居でも言えることで、視野を広げてみないといろんなことが見えてこないし、受け入れられなくなるし、いい芝居ができないとおっしゃったんじゃないかと思っています。本当に一生懸命やっていたので、その後の展開を全く意識せずに、置いて行かれないように一生懸命だったので、だからこそああいう風に追い込まれて切羽詰まっている輝を表現できたんだと思います。変なところでわかって芝居をしてしまうと、仕草や目線でわかってしまったと思うんです。僕のその一生懸命さが全面に出たからこそ、輝という役を作り上げられたのかなと思っています。それでも現場に行ったら、どうなるのかわからないですし、シミュレーションをして、前日にリハーサルをしていても、僕が予想もつかなかったものになりました。監督が僕の持ってないものを出させてくれたんです。

――監督としての水谷豊さんについてお聞かせください。
中山:ほかの現場では、監督自ら演技をしてくださることはまずないので、それは表現される方だからこそ出来る事だったと思います。水谷さんが脚本も書いてらっしゃるので登場人物全員を演じられると思いますし、脚本を書きながら、映像を一度自分の中で撮っていたじゃないかと思うぐらい、細かいところまで表現されるので、監督の中にはイメージがはっきりと見えていたと思います。ただ、監督が演じてくれるからこそのプレッシャーはありました。言葉で表現していて伝わらないのではなくて、一挙手一投足、呼吸から指の動き、目線の動きまで全部見せてくださるので、だからこそ監督はおっしゃらないですが、「できるよね」と言われているようなプレッシャーは感じていました。もし、監督が水谷さんじゃなかったら、ふたりとももっと理解するのに時間がかかっていたと思います。監督に頂いた言葉は今でも心に残っていますし、役者として一段高いところに連れて行ってくださったと思っています。この映画は今後、役者を続けていく上でのターニングポイントになる作品だと思っています。
石田:僕もプレッシャーは感じていましたが、僕はむしろ監督が演じてくださらなかったら、もっと出来なかったと思います。僕たち役者にとっては、何が正解なのか脚本だけではわからないので、結局は監督がどう思っているのか、どういう風に撮りたいかを役者は汲み取らないといけないんですが、僕は汲み取る器用さがあまりない方なので、今回は監督が自ら演じてくださることで、僕の中のもやもやしたものを監督が取り払い、僕を導いてくださったと思っています。

――俳優としての水谷さんはもちろん、岸部一徳さんや檀ふみさん、ベテラン俳優さんとの共演についてお聞かせください。
中山:僕はあんまり共演するシーンがなかったので、岸部さんも檀さんにも水谷さんも、次は面と向かってお芝居がしたいと強く思いました。
石田:水谷さんは、監督と役者が瞬間的に切り替わるんです。本当に切り替えが早くて驚きました。水谷さんがアグレッシブに楽しそうに作品づくりをしている姿を、本当に至近距離で見ていたので、余計に自分がこれじゃダメだ、もっと頑張らなきゃいけないと感じていました。

 

取材・文/華崎陽子




(2019年5月14日更新)


Check

Movie Data

(C)2019映画「轢き逃げ」製作委員会

『轢き逃げ -最高の最悪な日-』

▼梅田ブルク7ほか全国で上映中
出演:中山麻聖、石田法嗣
  小林涼子、毎熊克哉
  水谷豊、檀ふみ
  岸部一徳
監督・脚本:水谷豊
テーマソング:手嶌葵「こころをこめて」

【公式サイト】
http://www.hikinige-movie.com/

【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/175695/


Profile

中山麻聖

なかやま・ませい●1988年12月25日、東京都生まれ。2004年『機関車先生』でデビュー。その後、2012年には主演映画『アノソラノアオ』が公開され、2014年にはTVドラマ「-魔戒ノ花-」でも主演を務めている。その後も様々な映画、ドラマで活躍。2019年は、本作以外に主演映画『牙狼 GARO 月虹ノ旅人』が公開予定。


石田法嗣

いしだ・ほうし●1990年4月2日、東京都生まれ。2002年『リターナー』で子役としてデビュー。2005年に主演映画『カナリア』で毎日映画コンクール・スポニチグランプリ新人賞受賞。同年のSPドラマ「火垂るの墓-ほたるのはか-」で主演を務めるなど、活躍の場を広げる。その後も様々な映画、ドラマで活躍。2019年は、本作以外に『空母いぶき』(5月24日公開)や『スウィート・ビター・キャンディ』などが待機中。