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冴え冴えとした美貌のなかに、
常盤貴子の新しい一面を浮かび上がらせる――
『だれかの木琴』名匠・東陽一監督インタビュー

『絵の中のぼくの村』(96年)でベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞、かつて『もう頬づえはつかない』(79年)、『四季・奈津子』(80年)など、多くの女性映画の名作を生んだ東陽一監督が常盤貴子主演で描く新作『だれかの木琴』が9月10日(土)より大阪ステーションシティシネマほか全国にて公開される。原作は井上荒野の同名小説。現代女性が抱える理性と欲望の複雑な情念を描いた野心作だ。そこで、東監督に話を訊いた。

この原作は僕が映画化しないと、
また僕の嫌いな、観たくもない映画ができてしまう

――原作は井上荒野さんの同名小説ですが、監督は原作のどこに惹かれたのでしょうか?
山上プロデューサーとこれまで多くの映画を作ってきたのですが、男女の問題をテーマにした作品がなかったんです。それで僕も久しぶりに、かつて東映で撮ったような作品(『四季・奈津子』(80年)、『ザ・レイプ』(82年)、『セカンド・ラブ』(83年)、『化身』(86年))を撮りたいなと思ってね。まあ、この原作に勘が働いたんです。あとは、構造が一見、単純に構成されていたことかな。主要な登場人物は4人なので、多少アダプト(脚色)を加えても大丈夫だろうから、なにか映画的な面白い細工を加えたいなと。それに、これはちょっと傲慢なのかもしれないけれど、この原作は僕が映画化しないと、また僕の嫌いな、観たくもない映画ができてしまうと思ったんです。
 
――それはどういうことでしょうか?
今回描いたヒロインは、主婦なんだけど、若い美容師にふと心が揺らいでしまう。ただ、それ以上のことにはならないのに、いまの多くの映画やドラマでは、これをすぐにドロドロとした不倫ものとして描いてしまう。なぜなら、それがわかりやすいからですね。そういう単純で安易な描き方から、このヒロインを救いたいという気持ちがありました。この女性の心理はもっともっと繊細だし、おそらく現実の女性たちもそんなに単純ではないと思うので。
 
――わかります。ほんとうにいまの日本の映画やドラマは、物事や人間を単純に描きすぎです。
一つには教育の問題があると思います。いまの多くの若者は、わからないものを楽しむという感覚がなくて、わからないとなるとその時点で拒否してしまう。教育がそうなっているからでしょうね。でも、これは怖いことです。だって、人生なんて実はわからないことだらけじゃないですか。大人になってわからないことにぶつかったとき、多くのことは拒否なんてできないのに、じゃあどうするのって心配になりますよ。
 
――確かに。わからないことを楽しむというのは大切なことですよね。この映画も、わかりやすいかどうかで言えば、わかりやすくはない。でも、とても面白いです。わかりにくいというのがつまらないというのでは決してなく、わかりにくくて面白いんですよね(笑)。
そう言ってもらえるとうれしいです。わざと難しくしているわけではないんですよ、面白く観てもらえるようにいろいろと考えていますからね(笑)。主演の常盤貴子さんもわからないということをとても楽しんでくれて、実に魅力的なヒロインを造りあげてくれました。

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この映画に入る1年ぐらい前に
池松から監督の元へ連絡がきて…

――常盤さんの相手役の美容師を演じているのが池松壮亮さん。お二人の主演は早い段階で決まっていたのですか?
そうですね。池松くんはね、この映画に入る1年ぐらい前に会っているんですよ。彼の方から連絡をもらって。なんでも、学生時代に僕の『絵の中のぼくの村』(96年)を授業で観て感銘を受けたとか言って。すぐに『サード』(78年)も観てくれたらしい。でも、二十歳そこそこの若者がですよ、変わってるなとは思いましたけどね(笑)。それで、彼の存在はずっと頭の中に在りました。でも、だからこの原作の映画化を考えたというわけではないです。映画化が決まってから、そういえば彼ならこの美容師を、いまどきの若者らしくない若者としてうまく演じてくれるんじゃないかと思ったんです。常盤さんは、脚本を書き終わったころかな。彼女なら、このヒロインにぴったりだと思いました。でも、忙しいから無理かな、とおそるおそる打診したら、すぐに「やります」と返事をもらって。うれしかったですね。
 
――実際に、お二人と仕事されてみていかがでした?
結果として、今回の主人公はこの二人以外にはなかったと思いましたね。たとえば池松くんの台詞とか、いまの若者が使う言葉とは違うんですよ。難しい言葉ではないんだけど、重みがあって、いまでは少し使いにくいものなんですよね。これどうかな、池松くんは嫌がるかなとも思ったのですが、やってみるとそんなことはまったくなくて、見事にこなしてくれました。常盤さんは想像以上でしたね。僕はよく俳優さんに「芝居しないでくれ」って言うんです。それは演技の巧い人ほど上手に芝居をまとめちゃうことがあるので。でも、そう言っても理解してもらえない人も中にはいるのだけど、常盤さんはすぐにわかってくれて、抑えた芝居になるとほんとに微妙なところを出してくるんですよ。それは一つ一つだと見えにくいんだけれど、全体としてみると女の感受性の肉の厚さみたいなものが見えてくるんですね。これは感心しました。現場では二人ともすごく(気分が)乗って演技をしてくれて、演出していて楽しかったです(笑)。
 
――観ていて驚いたのは、劇中の常盤さんの変化でした。池松さんと出会ってからどんどん美しくなっていくじゃないですか。あれはどう指示されていたのですか?
僕はなにも注文していないです。彼女の計算でしょうね。順撮り(シーン・ナンバー通り順番に撮影していくこと)なんてしてないですから。編集のときに見えてきたことなんですが、彼女は一瞬と言っていいような短い間に、実に細かい表情をつくっているんですよ。それがものの見事にツボを押さえている。だから、後半にいくほど美しくなっていくんです。いわば本能的な女優でしょうね。
 
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――凄いですね。その常盤さんと池松さんをめぐってしのぎを削る若い女性を演じた佐津川愛美さんはどうでした?
彼女はよくやってくれました、僕は絶賛しているんですよ。登場人物のなかで彼女が演じた女の子がいちばん普通なんですよね。それを彼女は怒鳴り込んでいくところなんかエンジン全開でやってくれてね。池松くんとのコンビネーションもよかったし。今回、ほんとにキャスティングはうまくいったと思います。
 
――常盤さんの夫役の勝村政信さんもよかったですね。
あの役は難しいんですよ。観方によってはあの夫はなにも感じていないんじゃないか、なんて言われたりしてね。そんなことはないんですよ。彼は状況もちゃんと見えているし、読んでいるんです。例えば、あの若い女が怒鳴り込んできたとき、あれ以外の対処はないんです。妻のやったことを認めて謝ってどうするんですか。妻を守るためにはああして無視するほかないんです。それがなにもわかっていないようにも見える。観た人のそういう声を聞いて、いろいろな観方をする人がいるなあと面白かったですね。勝村くんが幅を持って演じてくれたおかげです。
 
――あの騒動の後、夫婦が向い合わせではなく横並びに座って、口で話すのではなくメールでやりとりする。あれも面白いなと思いました。
あのシーンも、おそらくあの夫婦にとってはあれが最善なんですよ。向かい合うと痴話げんかみたいなことになりかねないし、メールでのやりとりの方がかえって素直になれることもある。あの撮影のあとスタッフの一人が、知り合いに2年間会話せずにメールだけで意思の疎通を図っている、でもずっと一緒に住んでいる夫婦がいるって教えてくれたんです。それで、ある意味リアリティあったんだなと自分でも思いました。
 
――あと、脇を固める俳優さんでは、主人公の夫と行きずりの関係を持つ女性を演じていた河井青葉さんと、池松さんの行きつけのお店のマスターを演じた小市慢太郎さんが印象的でした。
河井さんが演じた女性は原作ではプロの女性なんですね。でも、特別な人かと言えばそんなことはない。普通の生活からひょいと滑ってきた人なんですね。こういう人も多いと思うんです。普通の暮らしをしている人も、ちょっと性的な逸脱を計るとこうなるという。映画では彼女の背景は曖昧にしてあります。彼女は多分、また時が来たらケロリとして普通の暮らしに戻る、そんな人なんじゃないかと思います。
 
――女性はしたたかでしなやかですよね。小市さんはいかがでした?
彼は人気ありますね、CMもたくさん出ているし。この映画でもよかったですよ。近くのお店によく話を聞いてくれる、ああいうマスターがいたらいいですよね(笑)。小市さんは役柄に深みを与えてくれました。もし時間があったら、あのマスターの人間性や過去をもっと掘り下げてみたいくらいでした。いま、あの年代でああいう雰囲気を持った俳優さんがあまりいないので、彼は貴重な人ですね。
 

いま辻智彦さんを超えるカメラマンはいない
それはライティングをみればすぐに分かります

――もう一つ、訊かなければならないのが、撮影の辻智彦さんの起用です。辻さんと言えば『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(07年)や『キャタピラー』(10年)など、故・若松孝二監督との仕事で知られるカメラマンですが、今回辻さんにお願いされたのは?
客観的に見て、いま辻さんを越えるカメラマンはいないからですよ。辻さんはドキュメンタリーの仕事もやっておられて、自分で編集して納品までしちゃう人で、カメラマンとしての技術とセンスがすごいんです。それはもうライティングをみればすぐにわかります。若松が亡くなったあと、もう劇映画は撮らないと言っていたのを、今回脚本を読んでもらって、これならということで参加してもらったんです。
 
――ファーストシーンの池松さんが朝、自転車で出かけるまでの長いワンカットも素晴らしいですね。
脚本であのシーンがなかなか書けなくてね。あそこで池松くんをきちんと出しておかないと、下手をすると常盤さん演じるヒロインの一人称映画みたいになっちゃうから。でも、池松くんも辻さんもいい仕事をしてくれて、いいシーンになりました。
 
――最後に、このヒロインの女性はどのような人物だとお考えですか?
ああいう人はいまの日本にいっぱいいると思いますよ。ただ、これまで映画では描かれてこなかっただけで。なぜ、描かれてこなかったかといえば、先にも言ったようにわかりにくいからです。ドロドロの不倫ものにしてしまえばわかりやすいのだけれど。でも人間はそんなに簡単なものじゃない。いろいろな思いが渦巻いて自分でもわからないこともたくさんある。一筋縄じゃいかないんです。ただ、今回は常盤さんの表現力に負うところが大きかったように思います。映画はどのように解釈してもらってもいいのですが、僕自身は、これはやはり恋愛映画だなと思っているんです。池松くん扮する若い美容師に最後に髪を短く切ってもらうところ、あそこでヒロインのなかではある種の決着がついたように思うんです。あの後、一人でワインを飲んでいる常盤さんの顔がいい。覚悟の決まった女の顔なんですよ。
 
 
取材・文/春岡勇二



(2016年9月 9日更新)


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Movie Data

©2016年『だれかの木琴』製作委員会

『だれかの木琴』

▼9月10日(土)より、
 大阪ステーションシティシネマ、
 シネマート心斎橋、
 京都シネマ、
 ほか全国にて公開

監督・脚本・編集:東 陽一
出演:常盤貴子 池松壮亮
   佐津川愛美/勝村政信
原作:井上荒野「だれかの木琴」
   (幻冬舎文庫)

【公式サイト】
http://darekanomokkin.com/

【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/169869/


Profile

東陽一

ひがし・よういち●1934年生まれ。長篇第1作は『沖縄列島』(69)。つづく『やさしいにっぽん人』(71)で日本映画監督協会新人賞、『サード』(78)で芸術選奨文部大臣新人賞、キネマ旬報監督賞、ブルーリボン賞などを受賞し、不動の地位を確立する。その後、桃井かおり主演『もう頬づえはつかない』(79)、烏丸せつこ主演『四季・奈津子』(80)、黒木瞳主演『化身』(86)など“女性映画”の旗手として数多くの作品を生み出す。『橋のない川』(92)は毎日映画コンクール監督賞、報知映画監督賞、日刊スポーツ映画大賞監督賞を受賞。『絵の中のぼくの村』(96)ではベルリン国際映画祭銀熊賞、芸術選奨文部大臣賞ほか国内外を問わず数多くの賞を受賞。近年の作品に『ボクの、おじさん』(00)、『わたしのグランパ』(03)、『風音』(04)、『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』(10)などがある。