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「試合を“作品”って言うボクサーは彼以外ほかにいない」
『ジョーのあした-辰吉丈一郎との20年-』
阪本順治監督&辰吉丈一郎インタビュー

映画『どいつたるねん』(1989年公開)で監督デビューし、『BOXER JOE』(1995年公開)を手掛けた阪本順治監督が20年もの間、1人の天才ボクサー・辰吉丈一郎を追い続けた初のドキュメンタリー映画『ジョーのあした-辰吉丈一郎との20年-』が、2月20日(土)より関西先行公開される。

本作は、取材を開始した1995年8月、辰吉選手が25歳の時から、次男・辰吉寿以輝選手がプロテストに合格した2014年11月、44歳の時までの20年間を記録。インタビューを中心に構成され、3度目の世界チャンピオン返り咲き、日本ボクシングコミッション(JBC) の年齢制限によるライセンス失効など様々な出来事の中で、彼の人間性、ボクシングに対する考え、父と子の絆、家族を愛することの大切さなど、親として、1人のボクサーとしての心境を収めている。

会見では、「彼が引退したら発表しようと思って、20年が経ちました」(阪本監督)、「こっちからすると勝手にするなよ、って。ワシはまだ辞めてないし現役やのに。だからずっと撮り続けんかい、という本音はありますよね」(辰吉選手)と語っていた2人にインタビューを行った。

――20年間も撮り続けられた作品ということで。
 
阪本:最初からそういうつもりではなかったんですけどね。たまたまそうなったし、まだまだ撮りたいっていう気持ちもあります。辰吉くんじゃなかったらこんなに長くは追いかけてないと思いますよ。
 
――そこまで惚れ込んだ魅力とは?
 
阪本:いっぱいあるっちゃ、いっぱいあるんですけどね。1989年にある雑誌の企画で初めて会った時、僕は監督デビューで、彼はプロデビューだったんですよ。そこからプライベートでご飯を食べたり、お茶を飲んだりしている中で、彼は自分の試合のことを作品という風に表現したんですよね。まったく業種は違うけど、僕も作品を作っているわけで。試合を作品って言うボクサーってほかにいないじゃないですか。そこからもうちょっとこの人の話を聞きたいって思い続けたんだと思います。
 
辰吉:ようは変質者ってことや。
 
阪本:初めて使ったな、その言葉(笑)。
 
辰吉:新しい言葉を使おうと思って(笑)。

 

20年間ほかの劇映画を撮りながら、(同時に)辰吉くんを撮影すると
何ものにも縛られていないから、清々しい気分になれた…

――『BOXER JOE』(1995年公開)を撮って、それでは満足できなかったということでしょうか?
 
阪本:満足できなかったからね。ドラマの部分はうまいこといったと思うんですよ。短編で。でも、やっぱり彼に話を聞くチャンスが少なかったし、僕も聞き手として慣れていなかったので、なんか悔しさもあって、コツコツやっていこうと。20年やるつもりではなかったですけど、見ていただいたら分かるように、20年やった価値はあるとは思っています。
 
――途中で終わりにする気持ちはなかったんですか?
 
阪本:ないですね。(この20年の間に)東京で劇映画をいろいろ撮っている中で、(撮影の)笠松則通さんとか映画と同じスタッフで大阪の守口に行って、辰吉くんの前にカメラをポンと置いて、近所の公園とかに行って1本撮ると本当に清々しい気分になる。何ものにも縛られていないから。まぁ言えば、僕の自由でもあるし、責務も大きいというか。変な話、限られたフィルム(1巻11分程度の16ミリフィルム)で今日いいものを撮って帰れるかっていう心配とかは、劇映画にはない緊張だったので、面白かった。
 
――辰吉選手もずっと撮影を受け続けたのは?
 
辰吉:監督は取材をするのに、カメラを構えるっていう感じでは来んかったんで。人柄も当然あると思うんですけど、こっちもコメントしようとか仕事感覚じゃなく自然にできたので。答えやすかったから。
 
――もうええわ、ってなることはなかったのですか?
 
辰吉:「自分(阪本監督)は終わるまで撮るんやろ?」って聞いたら、「撮る」って言うから。それなら別に全然。現役でやっている以上はね。
 
――よく、ボクサーは引き際が大事みたいな話もあると思いますが…。
 
辰吉:どんなものでも引き際は大事でしょ(笑)。でも、僕には僕の美学があるんですよ。僕はチャンピオンのまま引退したい。チャンピオンで引退するためにやっている。それだけのことです。チャンピオンになりました。ベルトもらいました。引退します!って、チャンピオンになった時に引退する。多分、誰もできないでしょ。
 
――それをこれからも追い続ける?
 
辰吉:それをするためにやっているんですよ。考え方が途方もないかも分からんけど、僕はそれをするためにやっているんです。僕は3回(世界)チャンピオンになっているんですよ。(そのうち)2度返り咲いているんですよね。輪島(功一)さんも同じ2度返り咲いていて、後輩の僕がそこで肩を並べるのはどうも失礼やなと思って。3度目の正直っていう言葉があるじゃないですか。3度目のベルトっていう形で先輩の輪島さんの記録を抜いて、(ボクシングを)辞めると。これが僕のやろうとしていることです。僕の美学です。夢でもなんでもない。自信があるからやっている。自信がなければしないですよ。で、気が付いたら45(歳)になっとったんですよ。あらら~、思うて(笑)。
 
――あらら~、ですか(笑)。他の競技になりますが、プロ野球の山本昌さんは昨年50歳で引退されましたけど、サッカーでは三浦知良選手(横浜FC)が49歳を迎える今年も現役でいます。
 
辰吉:それは努力をしているからですよ。努力なくしては絶対に無理なんで。カズさんはカズさんなりの努力をして、多分、いろんな人に言われていると思うけど、にも関わらず自分のしたいことをしているじゃないですか。これは普通にすごいなとしか言いようがない。
 
――刺激を受けたりは?
 
辰吉:刺激を受けるっていうのはないです。刺激を受けるから自分もしているっていう感覚は一切ないです。僕は自分のためにやっている。気持ちは分かるよっていうのはあっても、刺激を受けて「じゃあ俺も」っていうのはないです。僕には僕の道がある。
 
――世界チャンピオン返り咲きを目指す中で1つの目標でもあったであろうウィラポン選手が2010年に引退しましたが、その時も目標を見失うことはありませんでしたか?
 
辰吉:あらら、とは思ったけど別に見失うことはなく。僕はウィラポンとやることが目標ではないので。もう引退した、去っていく人間を追いかけるほど興味はないんで。ベルトには興味はありますけど、去っていく人間にはないですね。お疲れさまって。
 
――なるほど。阪本監督もまだ辰吉選手の撮影を終われないですね。挑戦の途中なので。
 
阪本:それは重々承知していて。今回は自分が見たかったっていうのはあります。とりあえず20年分のフィルムが膨大に倉庫にあるわけですよ。それを繋いで、自分が20年何をしてきたか自分がまず知りたいじゃないですか。そこに息子さんの、寿以輝くんのプロデビューがあったのでそれを吉祥として。今後は公開のあとの評判を聞いてまた考えますけど、フィルムではありえないので、また撮るとしてももっとパーソナルなのになるでしょうね。
 
――タイトルに「辰吉丈一郎 “との” 20年」とありますが、「辰吉丈一郎 “の” 20年」ではなく、“との”としたのは監督との間の20年という意味も込めているのですか?
 
阪本:最初、“と”は入れてなかったんです。いわゆるドキュメンタリーとしての定型、形があるとすれば、試合のシーンや他の対戦相手のインタビューとかを盛り込んで…ってなるけど、そんなのを取っ払おうと思った時に、これは仕事でやったわけではなくて、僕個人の想いでやってきたものだからって思って。それを人が観たときに、僕のものじゃなくなって、皆のものになってくれればいいなって思ったんですよ。
 
――そういう意味ではかなり絞り込まれました?
 
阪本:そうですね。1000分くらいありましたからね。まぁDVDの付録になんかは入れますけど。
 
辰吉:長っ(笑)。
 
――作品の長さ82分という尺には、フィルムで撮影を続けたようにこだわりがあったのでしょうか?
 
阪本:ないない(笑)。例えば、試合を入れていたら1時間半くらいになっていたと思うんですけどね。1回入れてみたんですよ。確かになんか強弱があるなとは思ったけど、俺は抜いたこっちのが面白かったんですよ。辰吉くんの顔の連続性が途切れない方が面白かった。本人は、「俺がコメントするだけで大丈夫なのか?この映画」ってすごい心配してくれて(笑)。
 
辰吉:そら心配するやろ。
 
――ボクシング映画といえば、ボクシングの試合のシーンがメインだったりするので意表を突かれた形になり、さらにインタビュー中心ということも異色だと思いました。このある意味、異色のドキュメンタリー映画は辰吉選手じゃないと成立しませんでした?
 
阪本:それはできないでしょう。カメラを向けたら美辞麗句で、自分の言葉を飾ってしまうような、要は本音を語ってない、本心じゃないなって思ったら見れないでしょ。この人は質問したら必ず答えようとしてくれるので。きっついのもね。
 
――質問といえば、酒鬼薔薇事件について聞いているのが入っていたのは意外でした。
 
阪本:あれは異物なんですけどね。あれ1回だけなんですよ、社会問題を聞いたのは。この人だったら何て言うかなぁって。あれが事件だけの話になっていたらカットしていたと思う。でも結局、父ちゃんと子、子育ての話になっているんで使っています。


ここまで盛大に迷惑かけてきたんやから、
とことん誰にもできんことをせな。それが辰吉でしょ。

――この作品を通して、なんとなくですが辰吉選手がボクシングを続ける理由、お父さんとの絆を見ることができたような気がするのですが。
 
辰吉:そういうのでボクシングをやっているわけではないんですけどね。僕には僕なりの想いがあって、誰もできないことをしようと思う。今のまま引退してしまうと普通のボクサーになってしまう。それは面白くない。ここまで盛大に迷惑かけてきたんやから、とことん誰にもできんことをせな。それが辰吉でしょ。誰もしようと思わないことをせんと。
 
――確かに。あと映画を通して垣間見れる、阪本監督と辰吉選手の関係も興味深いです。親友とかとは違いますよね。もっと深いような……。
 
辰吉:説明が難しいよね。親戚でもないし。なんやろ。
 
阪本:常連?
 
辰吉:常連でもないなぁ。連れでもないし、相方でもないしね。
 
――お互いのことを“さかぴー”、“たっちゃん”と映画の中でも呼んでいますが、その関係性は撮り始める前からのものですか?
 
阪本:出会った時からだよね、“さかぴー”は。“ぴー”の意味が未だにちょっと分からない(笑)。
 
辰吉:“阪本監督”って(言葉が)長いでしょ。だから、あだ名で“さかぴー”って言うたら省略できるでしょ。最近じゃあ、“さか”を飛ばして“ぴー”になった。
 
――阪本監督と初めて会った時の印象ってどうでした?
 
辰吉:初対面の印象はうっすら覚えているっちゃいますけど、へんてこなおっさんでしたよ。そういう印象かな。『どついたるねん』の映画監督っていうのは聞いていたけど、映画監督っていう感覚ではものを言うてない感じがしたね。
 
――個人的には見ていてすごくうらやましい関係です。
 
辰吉:僕が、「監督、監督」っていう風になったらまた立場が変わってくるんでしょうね。でも僕が“さかぴー”言うたり、“さか”を飛ばして“ぴー”言うたりする間柄でおるから、こういう関係性でおられるんじゃないかなとは思うけどね。
 
――そうなのですね。そんなお二人による続編、期待しています!
 
 

取材・文/金子裕希



(2016年2月17日更新)


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Movie Data



©日本映画投資合同会社

『ジョーのあした
-辰吉丈一郎との20年-』

●2月20日(土)より、
 シネ・リーブル梅田、塚口サンサン劇場、
 2月27日(土)より、
 シネマート心斎橋ほか全国にて順次公開

【公式サイト】
http://www.joe-tomorrow.com/

【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/168662/

Event Data

辰吉&阪本監督による
初日舞台挨拶決定!

登壇者(予定):辰吉丈一郎/阪本順治監督

日程:2月20日(土)

会場:大阪 シネ・リーブル梅田
時間:①11:45の回上映後
   ②13:50の回上映前

会場:兵庫 塚口サンサン劇場
時間:15:50の回上映前

※チケットぴあでの取り扱いなし。
※チケットに関するお問合せは各劇場まで。

関連ページ

★『ジョーのあした-辰吉丈一郎との20年-』大阪会見レポート
https://kansai.pia.co.jp/news/cinema/2016-02/joe-ashita.html

辰吉丈一郎の表記について

「吉」の正確な表記は(「土」の下に「口」)
「丈」の正確な表記は右上に点