ホーム > インタビュー&レポート > 「本当に困っている人たちがいたら助ける。恩を受けたから 恩を返すわけではなく、もっと大きな意味を持っている」 二つの史実をもとに描く『海難1890』田中光敏監督インタビュー
――本作は実話が元になっていて、映画化のきっかけが10年前の串本町長からの手紙だとお聞きました。このお話を知ったとき「これは映画になる!」という運命みたいなものを感じたんでしょうか?
この話に出会ったとき、ぼくは3作目の監督作を手がけようとしているときで、映画の難しさもある程度分かってきていたし、町長に「映画化するのは難しいと思う」と、最初は言いました。「映画化の可能性は、もちろんゼロではない。でも1パーセントかな」と…。実際に、企画書を持って行った全てのところで断られました。実は、そんなところからのスタートだったんです。
――結果、10年の準備期間があったからこそ、念入りな取材を重ねることが出来たとも言えるかもしれないですよね。内野聖陽さんが演じる、主人公の医師・田村はモデルになった方がおられるのですか?
エルトゥールル号の海難事故で負傷したトルコの乗組員たちのカルテが約50名分ほど今も串本に残っていて、そのカルテの上に治療を行った当時の医者たち3人からの手紙があったんです。それを町長に見せてもらうと、その手紙は「トルコ政府が治療費とか薬代を払うからどうぞ請求してください」という手紙に対する返事だったんですが、3人の医者から「わたしたちは目の前にいた困っている人たちを助けただけなので、お金はいりません。この事故で命を落とした方々の遺族に渡してあげてください」という内容の言葉が書いてありました。その言葉にとても感動して、そういった心を持った医師をこの映画の柱に描きたいと思い、田村という男を主人公にしたんです。
――素晴らしい話ですね。当時の資料が結構残っているようですが、そういうところから盛り込んだエピソードも映画の中にはたくさんあるのですか?
たくさんあります。例えば、忽那汐里さんが演じるハルという女性は、エルトゥールル号が海難事故に遭う前に、許婚を海の事故で亡くした女性です。その事故とは1886年にイギリスの船が沈没した「ノルマントン号事件」のことを指しています。そのときも近隣の人たちは命がけで乗組員たちを助けようとしたんですが、日本人は船底に閉じ込められていて亡くなった。とてもショッキングな出来事でした。許婚をそんな事故で亡くし、大きなショックを受けた女性ですから「もう外国の船を助けるものか!」と思ってしまうかもしれないですよね。でも、それから4年後に同じような海難事故が起きる。ひどく傷ついた過去を持ちながらも「やっぱり困っている人を助けたい」そういう思いが芽生えることで、ショックを乗り越えて行く女性なんです。
――串本にはたくさんの資料が残っているんですね。トルコにも史実を辿る取材に行かれたんですか?
トルコにも行きました。エルトゥールル号の乗組員たちがトルコに持ち帰るはずだった日本のお土産を泣く泣くボイラーにくべるというエピソードも、資料の日記に書いてあったんです。船の中の様子をできるだけリアルに描きたかったですし、そこはトルコの人たちにも伝えたかった部分なので資料から入れたエピソードもたくさんあります。ムスタファとベキールの関係も実話からきているんです。
――海軍機関大尉のムスタファと操機長のベキール。階級を超えた友情を芽生えさせていくふたりですね。
トルコの黒海の近くに、エルトゥールル号の乗組員がたくさん住んでいた村があって、遺族の方々にお会いしに行ったら、その村の村長がふたりの老人を紹介してくれたんです。ひとりは日本で命を救われた乗組員の子孫、もうひとりは日本で命を落とした乗組員の子孫でした。乗組員だったふたりはとても仲良しで、「どちらかに何かがあったときはお互いの家族を自分の家族として迎え入れよう」という約束をしてエルトゥールル号に乗ったんだそうです。そして、エルトゥールル号は事故に遭い、ひとりが亡くなって、ひとりがその村に帰ってきた。「それから120年(5年前の取材時)経った今でも、わたしたちはひとつの家族として同じ屋根の下で暮らしているんですよ」と話してくれたんです。この素晴らしい友情をムスタファとベキールに背負ってもらいました。
――ムスタファを演じたケナン・エジェさん、ハルを演じた忽那汐里さんは、「テヘラン救出編」でも登場し、二役を担っています。このふたりを二役にすることで描きたかったものとは何なんでしょう?
時代は過ぎても精神はひとつに繋がっている。二役でありながら、ぼくの中ではひとりのように捉えているところがあります。ケナンには「(テヘラン救出劇編の)ムラトの最後の台詞は(エルトゥールル号海難事故編の)ムスタファの気持ちで喋ってくれ」と言いました。テヘラン救出劇編の出来事を単なる恩返しにはしたくなかったんです。目の前に本当に困っている人たちがいたら助ける。両国の名も無き民たちがお互いに命がけでやったことで、その後125年もの間、お互いを思いやる気持ちによって友情が育まれている。恩を受けたから恩を返すわけではなく、もっと大きな意味を持っている出来事として観る人に届けたかったんです。
――そこで内野さんを二役にしなかったのには意味があるんでしょうか?
この映画は6対4で前半の和歌山県樫野での話が軸になっています。あそこで起きたことがその後125年もの間トルコとの間の友情の礎になっている。そのとき、何を芯に捉えるかというと(内野さんが演じる)田村なんですよね。田村の揺ぎ無い“目の前の困っている人を助ける”という精神。そこに彼の存在感があるから物語は進んでいく。出来れば後半でも彼を思い出してほしいんです。出来るだけその存在感を前半で焼き付けて、後半でも彼の存在が浮かび上がるようなものにしたかったという思いがあります。
――なるほど! ふたつの史実をひとつの映画として描こうと思ったのは当初からだったんですか?
今から5年前、エルトゥールル号海難事故から120年のときに、串本町でパネルディスカッションを行ったんですが、そのときに1985年のテヘランで実際にトルコに救出された方が串本町の方々に泣きながらお礼を言っていて、ぼくはそれを見て最初は何が起きているのか分からなかったんですが、「あなた方の先人が命がけでトルコの方々を救った。その思いがあってこそ、わたしたちの命は今ここにある」と話されていたんです。それを見て、こうやって歴史は繋がるんだな。すでに亡くなった方々に向けてこうやって頭を下げる人がいるのかと感動して、これは1本の映画にして伝えなければいけないなと思いました。それは単なる恩返しではない。そういう思いで伝えなければいけないと思ったんです。
――トルコでの撮影時、反応はいかがでしたか?
空港シーンの撮影では、650人ものトルコ人エキストラが集まってくれました。中には「これは他人事ではない」と言って、リハーサルのために会社を休んでまで参加してくれているような人もいました。ぼくに「大好きな日本人が日本とトルコの映画を作ってくれて本当に嬉しい」「エルトゥールル号の話は教科書で勉強したよ」なんていうおばさんたちや、涙ながらに「いい話だ」「日本人が大好きだし、この映画を成功させよう」と言ってくれる人もいました。こんなに歓迎されて、みんなが「良いものを作ろう」「この思いを伝えよう」と団結する映画って実はそんなにないのではないでしょうか。すごく幸せな経験が出来たなと思います。
――ケナン・エジェさんはトルコでとても人気のある俳優さんだと聞きましたが、トルコの方々のキャスティングはどのようにされたんですか?
オーディションを行いました。ケナンはイケメンで若い女性を中心に人気があり、アリジャン(ベキール役)は演技に定評があって、トルコでとても有名な俳優です。でも、人気があるからキャスティングしたわけではなく、オーディションでトルコのスタッフらと話し合いながら決めていきました。
――本作は平和を望むメッセージが込められている作品だと思うのですが、当初から海外を視野に入れて制作されたのですか?
はい。日本のスタッフだけではなくトルコのスタッフも海外を意識して撮りました。最初にトルコに企画書を持って行ってプレゼンテーションを行ったときも、日本とトルコの合作で世界に向けた平和のメッセージですと書きました。名前も分からない言葉も通じないアジアの東の端と西の端の国民がひとつの善意で結ばれて、友情を125年もの間、紡いでいる。この気持ちが少しでも伝われば世界で起きている争いごとがなくなるんではないでしょうか。そこにはトルコの方々も同意してくれました。日本とトルコだけでなく出来ればそれ以外の国々の方々にも観ていただきたいと思って作りました。
――では、最後に。
積み上げる力は奇跡を起こす。たくさんの人たちの力を借りて10年間頑張ってきて、こういう作品を完成させました。伝えたい、残したいという一心で進んできて、やっとそのバトンが出来上がりました。映画を観てくださった方々が、次の世代の人たちにバトンをつなげて、この話が広がっていくところを見届けたいです。なので、ゴールはまだまだ何年も先ですね(笑)。高校生とか若い人たちにもぜひ観てほしいです。
(2015年12月 7日更新)
●12月5日(土)より梅田ブルク7ほかにて公開
【公式サイト】
http://www.ertugrul-movie.com/
【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/164562/