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真心が繋いだ奇跡の実話を映画化
日本・トルコ合作『海難1890』
田中光敏監督×内野聖陽×忽那汐里インタビュー

1890年、和歌山県樫野崎(現:串本町)沖で沈没したオスマン帝国のエルトゥールル号の乗組員を、命懸けで助けた日本人たち。それから95年後の1985年、イラン・イラク戦争時下、テヘランへの無差別攻撃開始が迫るなか、救援機を飛ばし、日本人を優先的に救出してくれたトルコ人たち。それぞれの国の真心が繋いだ奇跡の実話を基にした物語を、壮大なスケールで映画化した『海難1890』。本作に企画から携わり、初の日本・トルコの合作を成し遂げた田中光敏監督、多くの人の想いを背負い、渾身の演技をみせた内野聖陽、忽那汐里が裏話を語ってくれた。

――日本とトルコの史実を合作で映画化するというのは、大きな挑戦だったのでは?
 
田中監督「トルコと日本の映画史において、一緒に映画を作るのは初めて。お互いが切磋琢磨して映画を作るのは大変でもあり、楽しかったです」
 
――特に難しかったことは?
 
田中監督「トルコ映画は100年の歴史がありますが、船の映画を作るのは初めて。だから大波を立てる機械などは、トルコの特撮チームに何ヶ月も前に日本に来て勉強してもらい、作るところから始めました。東映は『男たちの大和/YAMATO』という大作を作っていますけど、ノウハウを持っている日本映画が、切磋琢磨してトルコと一緒に特撮の道具から作ることは、僕にとって初めての経験でした。4tの水をコンピュータでドンッと落とす、水落としの機械を日本の撮影で使ったんですが、トルコの人たちがそれを見て自分たちも作ると。上下で8tのマシンを4機作って32tの水を船上へ落とそうとして。完成した巨大な水落としのマシンを見て、これはイケる!と思ったら大きすぎてスタジオに入らず、一度、解体したという(笑)。でもいいものを作るため、とんでもないスケールを見せてやろうというトルコの映画人の気構え、想いの象徴ですよね。それを実現させるために、船のセットは木ではなく、32トンの水の重みに耐えられるよう、鉄骨で組んで、溶接をして、半年近い年月をかけて作ったんです」
 
――トルコの人が熱心に取り組んだのは、エルトゥールル号海難事故の物語だったから?
 
田中監督「日本・トルコの合作が実現するのに10年かかりました。最初、助成金は20万ドルで、合作の場合はトルコの監督が撮るのが、トルコの法律で定められた文化観光省のルールでした。僕らが企画書を持って行った時に、お前が撮るためには国のルールを変えなくてはいけないと言われて。でもエルトゥールル号への想いも含めて、日本の協力なくしてこの映画は作れないだろうと、寛容に受け入れてくれたんです。国のルールを変え、なおかつ750万ドルを拠出していただいて、合作へ挑んでくれました。本当にありがたいです。その分プレッシャーもひとしおですけど(笑)。この話だからこそだというのは、映画を撮影している時にも随所に感じました」
 
――例えばどんなところで?
 
田中監督「例えば空港のシーン。日本人も合わせて1000人のエキストラの前で説明をした時に、トルコのエキストラの方々が涙ぐんで話を聞いてくれるんです。小さい頃にこの話を学んだ人たちがいて“いつかきっと誰かが映画を作ることになると思っていた。今日、ここに参加できたことがすごく嬉しい”って話してくれて。帰る際には、お金がないからと、ティッシュペーパーで作った国花のチューリップを、僕らのモニターの前に積んでいってくれるんですよ。メッセージ書いて。そういう想いを抱いている人たちが、カメラの前にいることをヒシヒシと感じました。よそ見する人なんか全然いないし、画面からもその想いが伝わってくる。そういう意味で僕らも手応えを感じた1シーンでした」
 
――キャストのおふたりはこの史実を知って、どう感じましたか?
 
内野「僕はたまたまNHKの番組で見ていて、こんなことがあったんだ!と驚いて。そして1年も経たないうちに日本・トルコ合作で映画を撮ると聞いて、エーッ!?この話をやっちゃうんだ!?とまた驚きました。日本人がもっと知っていてもいいはずだと思っていた話を、映画として残せる。そしてこれほど大きなプロジェクトに参加させていただけるなんて光栄だし、やらない手はないなと。ぜひやらせてくださいと監督に言いました」
 
忽那「私は全く何も知らず、真っさらな状態で台本を読みました。最初にエルトゥールル号が座礁した事件があり、その95年後にテヘランの日本人が救出される話がありますよね。長い年月が経っているのにトルコの方がエルトゥールル号のことを覚えていてくださって、ああいうカタチで人の想いが繋がっていったことに本当に驚きました」
 
――実際の事故現場である串本町での撮影はいかがでしたか?
 
内野「それはもう並々ならぬ歓待で。おばちゃんたちが、朝獲れた魚を昼食に出してくださったりして。何より地元で撮影できたことは、僕らにとってすごく大きかったです。エルトゥールル号の話は、歴史上のファンタジーのように感じるところもあったんですが、崖の上に立って実際の座礁現場を見下ろすと、ここで亡くなったトルコの若い人たちがいて、その上にお墓があって眠っていらっしゃる。映画の物語はフィクションながら、現実にあったことだと実感できて。本当に身が引き締まるし、命を落とした若者たちも見ていると感じて、恥ずかしいものは作らない、見ていてくださいという気持ちで、役に取り組めました」
 
――内野さんは最初のエピソードとなる「1890年エルトゥールル号海難事故編」を牽引する役柄でした。役作りでポイントにしたことは?
 
内野「僕が演じた田村医師は全くのフィクション。実在する男ではなかったので、ある程度、自由な発想が効きました。でも自分の芯になったのは、治療を施した後、時の政府から治療代や薬代を請求しろと言われても、目の前で苦しんでいる人を助けたいだけでやったことだから、お金はいらない。そのお金はトルコの遺族のために使ってくれと拒絶した、当時の大島にいた3人のお医者様。そして自分たちの食料まで差し出して、トルコの人たちを故郷の家族の元に帰してあげたいという想いだけで動いた漁民の方々。串本に残された資料で知った、人々の想いでした。大島の人たちの魂、心意気、生き様が、僕の中で田村を立たせてくれたんです。風貌は監督からの提案で、幕末の侍の匂いを引きずっているとか、色々な面白い設定がありまして。革の医療着を着ているとか、わけのわからない提案もあったり(笑)。そして雨が縦に降らないで横に降ると言われるぐらい風の強い串本町で、岸壁に立った時に、遠くから見ても田村先生だとわかる、はためくような何かを着ていて欲しいと言われて生まれたのが、あの羽織り。普通あんなマントみたいな羽織りはあり得ないですよ。不良じゃあるまいし(笑)」
 
田中監督「不服なの?(笑)」
 
内野「いやいや。本当に風にはためいて、これが狙いだったのかと納得しました(笑)。そしてちょっとバンカラなイメージで下駄やズボンを履かせてみようと。参考にしたのは、監督が持ってきた勝海舟さんの写真。勝海舟さんは新味な物に探究心のある方だったようで、上は着物なのに下はデニムのようなズボンを履いていて。これは面白いですねと。それから侍としての行動規範。生活を律して日々、鍛錬を怠らない。台本ののっけからト書き一行で“鍛え上げられた肉体”と書かれていて、これは鍛えないとどうしようもないと(笑)。監督は海を超える作品として作っているので、日本代表の1人として、日本男児をキッチリ見せなくてはいかんと思い、そういう部分を大事にはしました」
 
――日本男児のカッコよさをどう捉えて、演じようと?
 
内野「日本男児をカッコよく見せようというつもりはあまりなかったです。もちろん、合作映画の中で、日本男児としてドシッと立っていて欲しいという監督の要望はヒシヒシと感じていたし、応えたいという気持ちはありました。ただこの作品でいちばん尊いのは、名もなき日本人が、言葉もわからない異国の人たちを思いやり、その家族をも思いやり、なおかつ物資も少ない中で行動に出たという、シンプルだけど、すごく難しいことなんです。いちばん大切なのはそこで、だからこそトルコの人はいつまでも忘れずに覚えていてくれた。見返りを求めず手を差しのべた彼らの勇気や心意気は、純粋にカッコいいと思います」
 
――忽那さんは「1890年エルトゥールル号海難事故編」「1985年テヘラン邦人救出劇編」の2つのエピソードで、全く異なる2役を演じられましたね。
 
忽那「血のつながりもなく、別の時代に生きた2つの役を経験させてもらったのは初めてでした。前半のハルは失語症を患っているという難しい役でしたが、内野さんはじめ大勢の方に囲まれて、みなさんに引っ張ってもらいました。でもトルコでの撮影は、日本のスタッフは最小人数で、環境がまったく違っていて。演じた春海は自分よりも年齢が上でしたし、救出に向けて先頭に立って突っ走って行く、あまり経験したことのないシーンも多くて、私にとって挑戦になりました」
 
――トルコの人たちが仲間を悼むシーンでは、涙が止まらなくなったとか?
 
忽那「ハルは実在の人物ではないですが、現場に足を踏み入れて、慰霊碑に行ったり、住んでいる方たちとお会いしていくなかで、たくさんの人の想いを背負おうとしていた気がします。亡くなった方に向けてお祈りをしているシーンは、大切だからこそ、どう向き合えばいいのかわからず、撮影の朝まで迷っていたんです。でも現場に入ると、みなさんが先にスタンバイして雰囲気を作っていてくださって。寒い中でジッと集中しているのを見て、自然にハルの気持ちになれました。今回は周りの方に助けていただいたことが本当に多かったです」

取材・文:尾鍋栄里子
撮影:新井亮



(2015年12月14日更新)


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内野聖陽、忽那汐里
写真左から、田中光敏監督、内野聖陽、忽那汐里

Movie Data

©2015 Ertugrul Film Partners

『海難1890』

●梅田ブルク7ほかにて公開中

【公式サイト】
http://www.ertugrul-movie.com/

【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/164562/


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