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「この映画が人間の面白さに気付くきっかけになれば嬉しいです」
1匹の猫の失踪をきっかけに人と人との繋がりが生まれる
ヒューマンドラマ『先生と迷い猫』深川栄洋監督インタビュー

 『神様のカルテ』の深川栄洋監督が、1匹の失踪猫の行方と地域の人々の姿を描いたノンフィクションに、オリジナルストーリーを加えて映画化した『先生と迷い猫』が、10月10日(土)より梅田ブルク7ほかにて公開される。亡き妻が可愛がっていた猫を毛嫌いしていたはずの主人公が、ある日突然猫の姿が見えなくなったことで、地域の人々と共に猫を探すようになっていく姿を温かな目線で綴っている。イッセー尾形が『太陽』以来9年ぶりに映画主演を務め、妻に先立たれてひとりで暮らす主人公の元校長先生を演じ、染谷将太、ピエール瀧、もたいまさこら個性派俳優が脇を固めている。本作の公開にあたり、深川栄洋監督が来阪した。

――まずは、映画化のきっかけについて教えてください。

『60歳のラブレター』のプロデューサーと、3、4年前ぐらいからイッセーさんと映画を作ろうという話をしている中で、2年前にこの映画の原案に出会って、話が進んでいきました。『60歳のラブレター』の時は、僕が初めてのメジャー映画だったこともあって、きっちり構成してしまっていて、その中でイッセーさんに演じてもらわないといけなかったので、彼のことをコントロールしすぎてしまっていたんです。でも本当は、イッセーさんの一人芝居に代表されるような、彼の自由な感じをうまく活かせるような作品をやりたいと思っていたんです。僕は、イッセーさんが昔テレビでやっていたいじわる婆さんが大好きで、子ども心に、「この人本当に面白いなぁ」と思いながら見ていたので、この映画では、イッセーさんならではの何をするのかわからない感じを引き出したかったので、もちろん脚本はありますが、基本的にはイッセーさんが行きたいところにカメラを向けるような映画作りをしたいと思ったんです。

 

――具体的にはどのように作っていかれたのですか?

今回は、10年ぐらい映画を撮り続けてきた中で覚えたことを忘れて、もう1度自主映画のように、寄り道をしながら撮っていこうと思って撮ったんです。この映画は、余白の部分で役者さんたちのアドリブが多く見られたので、脚本に囚われずに現場で壊していこうと思っていて、途中からは僕もそれを楽しみにしていた部分もありました(笑)。だから、撮影がすごく楽しかったです。イッセーさんと染谷くんのシーンでも、それぞれにだけこそっと耳打ちして、脚本とは違うことを言ってもらって、それぞれが驚きながら、どう言葉を返すのか見ていたりしました(笑)。それでも、ちゃんと受け止めて応えられる方たちなので、会話のキャッチボールが成立するのを見ているのが、すごく面白かったですね(笑)。

 

――それは、監督が何本か映画を撮っていく中で変わってきたからでしょうか?

僕に余裕が出てきたのかもしれませんね(笑)。最初の頃の僕にとっては、イッセーさんや染谷くんは困る役者さんだったんです。「なんで僕が言ったとおりにやってくれないんだろう?」と思っていました。でも、数年経って、彼らは、ルーティン的な芝居をするのが嫌な人たちなんだということに気付いたんです。僕がミットを構えたところにボールを投げるのが嫌な人たちに対して、僕が構えずにボールを投げさせるにはどうしたらいいのか考え続けて、それぞれに対して変化球で対応するようにしたんです。そう考えると、この映画に集まってくださった方は、皆さん面白い役者さんだと思えるようになりました(笑)。

 

――この映画は、脇を固めるユニークなキャストたちも見どころのひとつだと思います。特に、登場シーンは少ないものの、本作のキーパーソンとなっている、イッセーさん演じる主人公の亡き妻を演じたもたいさんと、イッセーさんが語り合うシーンは、毎日を共にしている人との何気ない日常の大切さや死生観が描かれていたように感じました。

あの、もたいさんの台詞は実はアドリブなんです。もたいさんの撮影は半日ぐらいしかなかったので、イッセーさんと「はじめまして」って挨拶して、1時間もたってないぐらいですぐにあのシーンの撮影が始まったんですが、あんな感じで延々とお芝居されていたんです(笑)。どこまで続くんだろうと思って、カットをかけないでいたら、本当にずっと続けてらっしゃって(笑)。ずっとふたりでお芝居されてたんです。脚本には書いてないことを。撮影していた家の縁側に、もたいさんとイッセーさんと3人で座って、お芝居のことを話していたら、プロデューサーに「お祖母ちゃんの家に遊びにきた孫みたいだ」と言われて、そう言われるということは、もう(イッセーさんともたいさんの雰囲気や世界観は)出来上がっているんだと感じたんです。もたいさんもイッセーさんも初めてじゃないみたいだとおっしゃっていました(笑)。

 

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――もたいさんとイッセーさんの共演シーンはもちろん、猫が町内を練り歩く姿など、本作では映像が雄弁に物語を語っているように感じました。カメラマンの月永さんとは初めてのタッグでしたが、いかがでしたか?

月永さんは僕と同い歳ですし、月永さんも自主映画出身で、(『パビリオン山椒魚』などの)富永さんと一緒にやられていましたし、『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』や『東京公園』など、昔から彼の撮る画が好きだったので、いつか一緒に仕事をしたいと思っていたんです。彼と一緒に仕事をした人からは、物静かですごくやりやすい人だと聞いていたんですが、僕の現場では、僕の話を聞いて納得しないと、なかなかカメラを構えてくれない人でした(笑)。だから、みんなに頑張ってもらうために、役者さんはもちろん、月永さんも一緒に演出しているような感覚でした(笑)。

 

――関係者全員が“猫”のような現場だったんですね(笑)。

他の現場では、皆さんそんなことないような気がするんですが(笑)、今回は僕が誘導して動かされるまで動かない人が多かったですね(笑)。それを見ているのが面白かったです。

 

――前作の『トワイライト ささらさや』もそうでしたが、赤ちゃんや猫など、コントロールのきかない役者を演出することが続いていますが…。

たしかに最近、そういう難しい役者さんとの仕事が多いような気がしますね(笑)。でも、猫も赤ちゃんも見ているだけで可愛くて、癒される存在ですから、現場が嫌な空気にならないので、やってみると楽しくて、好きになりました。猫ではなく、犬だと人間の思っているようにやろうとする習性がありますし、ご褒美につられて動いてくれるんですが、撮影に入ってから、テストではできるのに本番ではやってくれないことが続いて、猫は一度やったことは二度とやりたくなくなってしまう動物だということがわかったので、テストはしないことにしました(笑)。2、3日してそういう習性がつかめてきたので、どういう動きをするかわからないけど、とにかくカメラを回すことにしたんです。猫は、すごくストレスに弱い動物なので、猫に極力ストレスを与えないように、猫に優しい現場になるように、現場でもイライラせず、大きな声も出さない穏やかな現場になりました。

 

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――本作でミイを演じた三毛猫は、「あまちゃん」に出演していたドロップなんですよね。

猫を扱っている動物プロダクションがすごく少ないので、たまたま見に行ったら三毛猫がいて、そこで一目ぼれでした。動物アドバイザーの佐々木さんから、猫は言うことを聞かないと言われていたので、無理なことは求めないように、言うことを聞かなくてもイライラしないようにしていました(笑)。だから、どこまでも待ちました。奇跡的にできるまで(笑)。彼女のいいところはぼーっとしてるところなんです。野良猫だったら大丈夫じゃないと思うんですが、食欲も薄いですし、良い意味で野生味がなくて、欲求がすごく薄い猫で。一番好きなものが籠なんですが、遊びたい時以外は、籠が見えるとそっちの方に行ってくれるので、籠を一生懸命見せていました(笑)。彼女は午前中は集中してくれるんですが、午後は寝てしまうので、寝ているシーンは午後にしたりして、猫に合わせて撮影スケジュールを組んでいました(笑)。

 

――最初は猫を毛嫌いし、近所の誰とも会話もせず、我関せずで生きていたイッセーさん演じる元校長先生が、ミイが居なくなったことがきっかけで、徐々に変わっていきます。

台本はもちろんありますが、イッセーさんには自由に演じてもらいたかったので、僕が犬のリードを長く持っているような感じで、遠くから演出して、イッセーさんには自由に歩いている気分で演じてもらっていました。僕がこういう展開に持っていきたいと思っても、役者さんが自分で導き出してもらう方がいいので、そのために僕は現場でたくさん話をしました(笑)。でも、逆に今回の現場では、イッセーさんから教わることがすごく多かったんです。劇中で、イッセーさん演じる主人公が、男の子に手をはらわれるシーンがあって、その後イッセーさんがその手をじっと見たんです。そこに主人公の変化がすごく現れていたんですよね。ふんぞり返っていた主人公が手を見たら、(猫を探した後だから)すごく手が汚れていたんです。これが人間の変化なんじゃないかと、イッセーさんのお芝居に教えてもらいました。でも、イッセーさんに「なんで手を見たんですか?」って聞いたら、「えっ、手をはらわれたから」って(笑)。その後、主人公がシスターに頭を下げるんですが、この映画はこのシーンのためにあったのかもしれないと思いました。ふんぞり返っていた男が頭を下げて、礼をする、すごくいいシーンだと感じました。台本にはそんなこと書いてなかったんですが(笑)。

 

――人との交わりが生きていく上ですごく大事なことなんだという、まさに映画のテーマが現れたシーンでした。

僕たちが子どもの頃に普通にあった地域の繋がりが、都会は特に、今はほとんどないですよね。これからもっとなくなっていくと思うんです。僕は、なくなっていきそうなものを再発見することも、映画のひとつの役割だと思うんです。これを10年後に作ったとしたら、回顧主義になってしまうかもしれませんし、今、失いつつあるものを今の時代にちゃんと切り取っておくことはすごく大事なことだと思います。こうやって考えてみると、地域の繋がりや結びつきというものが今の僕にとってのテーマなのかもしれないですね。最初は、人と関わろうともせず、人間らしくなかった主人公が、猫がいなくなってから、どんどん人間らしさが出てくるんですよね。主人公は、元校長先生という肩書や職業にすがって生きていますが、そういう人って多いと思うんです。僕の父親も70歳を過ぎていますが、どんどん世界が狭くなってくるんですよね。だから、あんなに面白かったはずの父の話が、毎回同じ話で全然面白くないんですよね(笑)。イッセーさん演じる主人公が僕の父親に似ているように、きっと自分の周りにいる誰かに似ていると思うんです。この映画の主人公を見ることで、今まで見えてこなかったことが見えてきて、日常生活を少し面白く感じてもらえるんじゃないかと。僕は、人間ほど複雑で面倒くさくて面白い生き物はいないと思うんです。冒頭で、猫が人間を見ながら町を散策しているシーンがあるんですが、それは猫が、面倒くさくて変な生き物である人間を見ていると思うんです。前半、猫が人間を見ていた光景が、後半、猫がいなくなってからは、お客さんが猫の視点で人間を見てくださると面白いんじゃないかと思います。

 

――そんな面倒くさい登場人物たちが少しずつ変化していくことで、彼らの関わり方は大きく変わっていきます。

今はテレビやインターネットが普及していて、実際に会わなくても、顔を合わせていなくても誰かのことを知った気になるじゃないですか。それが便利になったということだと思うんですが、昔は不便だったから、会わなかったり、手紙を書いたりしないと近況がわからなかったけど、今のように便利になって、会わなくてもいいやと思ってしまうと、どんどん人と会わなくなってしまいますよね。そういう楽や便利を追求するのではなくて、この映画が“人間って面白い”と気づいてもらえるきっかけになれば、と思います。

 

取材・文:華崎陽子




(2015年10月 7日更新)


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Movie Data





©2015「先生と迷い猫」製作委員会

『先生と迷い猫』

●10月10日(土)より、
 梅田ブルク7ほかにて公開

監督:深川栄洋
出演:イッセー尾形、染谷将太、
   北乃きい、ピエール瀧、
   もたいまさこ、岸本加世子

【公式サイト】
http://www.sensei-neko.com/

【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/166548/