ホーム > インタビュー&レポート > 「エンタテインメントに徹して大サービスしたつもりです(笑)」 『百日紅〈さるすべり〉~Miss HOKUSAI~』 原恵一監督インタビュー
――昔から原作者・杉浦日向子さんのファンだったそうですね。
ええ。杉浦さんの漫画を初めて読んだのは20代後半のことだったんですが、実は僕と杉浦さんは歳が一つしか違わなくて、同世代でこんなすごい表現をする人がいるのかって驚かされたんです。それ以来ずっと気になる人でした。
――では、今回の『百日紅』も監督からの企画だったんですか?
いや、違います。これにはちょっと説明が必要なんですが、『カラフル』(10年)を作ったあと仕事が空いた時期があって、これは営業をしなきゃいけないなとプロダクションIGの石川社長のところに杉浦さんの『合葬』の企画を持って行ったんです。そうしたら石川さんから、杉浦さん原作ならIGでも以前に『百日紅』を考えたことがあったと言われて。そのときはそれで終わったんですが、すぐに今度はIGの方から連絡があって、改めて『百日紅』をやらないかと声をかけてもらったんです。
――企画の経緯があったのはいつ頃のことですか?
3年ほど前になりますね。
――『百日紅』を提案されたときにはどう思われました?
なんの抵抗もなかったですね。『百日紅』も杉浦さんの代表作であり傑作ですから。以前にも企画されたことがあると聞いてむしろぜひやらなきゃと思いました。杉浦作品の映画化をもし誰かに先にやられてしまったら、ものすごく悔しかったでしょうから。
――なるほど。ただ、『カラフル』と本作の間に監督は、木下恵介監督の若き日の実話を題材にした実写映画『はじまりのみち』(13年)を撮られたわけですが。
そうなんです。『百日紅』の話が決まった頃にちょうど『はじまりのみち』の企画も動き出して。なので、『百日紅』はもう脚本まで上がっていたのですが、しばらく待ってもらって、『はじまりのみち』に取り掛かったんです。
――実写映画を経験された後、再びアニメづくりをされることになって、なにか感じられたこととかありますか?
実写の映画づくりのスピード感を知ってしまうと、時間の掛かるアニメーションは大変だなあと改めて思いましたね。正直、これから絵コンテを書かなきゃいけない白い紙が山積みしてあるのを見たときには絶望的な気分になりました(笑)。ただ、もちろんアニメーションにも実写にない良さがあって、時間はかかるけれどじっくり取り組めるのはそうですよね。直すときも実写だと多くのスタッフの手を借りなきゃいけませんが、アニメなら消しゴム一つあればすぐにできるわけですから。
――表現するということに関しては違いを感じられましたか?
いや、それはないですね。人を楽しませる、感動させるためにすることは実写もアニメーションも同じだと思います。
――『百日紅』をアニメ映画化するにあたって具体的に留意されたのはどういった点ですか?
原作至上主義でやろうということです。原作にある話を基にして、シーンやエピソードを加えた部分もありますが、原作を生かした部分は原作通りのコマ割りでカットを作り、原作通りの台詞を用いています。つまり、原作をそのまま移し替えるかたちを取ったんです。僕にとって杉浦作品には漫画、文学、映像といったあらゆる表現が含まれていて、そのすべてが完璧なんです。だから変える必要がない。描かれているドラマも深いし、キャラクターもくっきりしている。さきほども言ったように、初めて杉浦さんの本を読んだのは20代後半だったんですが、僕の以前の作品には、例えば『河童のクゥと夏休み』(07年)の龍の登場シーンのように、杉浦作品からの影響がずいぶんあります。
――すると、杉浦さんが05年に46歳で亡くなられたときには…
ええ、大変ショックでした。以前の僕には杉浦作品を映画化する自信がなかったのですが、それでももっと早く映画化の企画を立ち上げて、一緒に仕事がしたかったですね。
――アニメの技術面で重視されたことはありますか?
実はアニメ作品としては前作となる『カラフル』が、現代の中学生を主人公にして家族や周囲の人間との関係を描く内容だったので、あえてアニメ的表現は極力使わず、風景も写真のようにリアルに画きこんでいったのですが、『百日紅』では反対にアニメならではの表現満載でやっています。冒頭の両国橋から一気に俯瞰で江戸の全景を見せるショットや、主人公のお栄が乗った船が北斎画の波に乗るシーン、それにいろいろな物の怪が登場するシーンなど、僕としてはエンタテインメントに徹して大サービスしたつもりです(笑)。
――アニメーターは井上俊之さんですね。
そうです。彼はいまアニメ監督たちの間で争奪戦が繰り広げられている売れっ子アニメーターで、押井守さんに言わせると「アニメ映画なんて、井上俊之が5人いれば出来ちゃうんだから」というほどの人なんですが、今回その理由がよくわかりました。彼の絵や動きの素晴らしさもぜひ観てもらいたいですね。
――物語は葛飾北斎の娘で、北斎の代筆も行うほどの浮世絵師でもあったお栄を主人公に、彼女と目の不自由な妹のお猶(なお)との交流を縦軸にして展開されています。原作は短編連作のコミックで、お猶はそのうちの一編にしか登場しませんが、二人の交流を軸に設定されたのは何故ですか?
お猶が登場するのは「野分(のわき)」という話で、いま書店に多く置かれている上下二巻の(ちくま)文庫版では「野分」の後にもう二編収録されているのですが、前に出ていた全三巻の実業之日本社版の単行本では、この話が一番最後に収録されているんです。そのことがとても強く印象に残っていて、『百日紅』全体のクライマックスにこの話を持っていきたいというのは企画が立ち上がってすぐに思いついたことだったんです。
――お猶という少女は実在していたのでしょうか?
北斎の娘に幼くして亡くなった人がいたことは記録が残っています。でも、目が不自由だったというのは、おそらく杉浦さんの創作だと思います。劇中の台詞でも言わせていますが、お猶の目が不自由だったのは、北斎の画家としての業(ごう)のためではないかという解釈。このあたりが杉浦作品の凄みですよね。
――絵柄での工夫は?
キャラクターデザインは、今敏監督の『パプリカ』(06年)や宮崎駿監督の『風立ちぬ』(13年)などで原画を担当された板津匡覧さんなんですが、彼にお願いしたのは、主人公なのでお栄を少し美形にしてくださいということでした。でも、ただ美形にしただけだと面白くないので眉を極端に太くしてもらったんです。
――あの眉は、お栄の意志の強さが感じられていいですね。
彼女は劇中で23歳という設定なんですが、江戸時代に23歳で独身というと完全に婚期を逸した女性ということになるんですが、彼女は浮世絵師という仕事に誇りと愛情を持っていて、父親の北斎やその弟子たち、それに周囲の同業者たちとの交流や、身の回りで起こる不可思議な出来事なども含めて江戸という街を愛し、人生を謳歌している。こういう生き方は、同じように仕事に誇りをもって生きている現代の女性に共感してもらえるのではないかと思います。
――声は杏さんがあてています。彼女の起用はどういったところから考えられたのですか?
以前テレビで山田太一脚本の『キルトの家』というドラマで彼女を見ていて、ああいいなと思っていたんです。絵コンテを書き始めてすぐに彼女の顔が思い浮かびました。一緒に仕事をしてみても、知的でとても素敵な女優さんでしたね。
――北斎役の松重豊さんは?
これも山田太一脚本のドラマなんですが、『ありふれた奇跡』という連続ものをテレビで見ていて印象に残っていたんです。あとは『孤独のグルメ』の語りですね(笑)。あの声、北斎にぴったりじゃないですか。ただ、松重さんにオファーしてみたら、「今度ドラマで杏さんと父子役やるんですが大丈夫ですか?」と言われてあわてましたけどね(笑)。『デート』というドラマでした。でもまあ今回のことはほんとに偶然だしいいかなとお願いしたんです。
――北斎の弟子で、二人の家に居候している男、後の渓斎英泉ですが、この役に濱田岳さんを選ばれたのは『はじまりのみち』に出演されていたからですか?
そうです。『はじまりのみち』での演技があまりに良かったので、彼のマネージャーさんに「濱田さんは、アニメ出演はアリですか?」って訊いたんです。そしたら「これまでやったことはないですが、もちろんアリですよ」と言われて、これはもうお願いしなければと思ったわけです。
――他に高良健吾さん、筒井道隆さん、麻生久美子さん、美保純さん、立川談春さんと豪華な声優陣です。
ええ。今回はほんとに出てもらいたいと思っていた方に全員快く出ていただいてうれしかったですね。
――最後に、この作品にこめられた監督の思いを明かしてもらえますか。
僕にとってこの『百日紅』が、原作者の杉浦日向子さんへの敬意の表明だと思っています。
現代において、主人公のお栄と同じように仕事に誇りをもって生きている女性の方に観ていただきたいのはもちろんですが、そういった方たちを含めて、これまであまり杉浦作品に触れたことがなかった人たちにぜひ観てもらいたいです。杉浦さんにも喜んでもらえる作品に仕上がったという手応えは感じています。
(取材・文:春岡 勇二)
(2015年5月 8日更新)
●5月9日(土)より、
大阪ステーションシティシネマ
ほかにて公開
監督:原 恵一
原作:杉浦日向子「百日紅」
主題歌:椎名林檎
声の出演:杏 松重豊 濱田岳 高良健吾
美保純 清水詩音 筒井道隆
麻生久美子 立川談春
入野自由 矢島晶子 藤原啓治
【公式サイト】
http://sarusuberi-movie.com/
【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/167061/