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フクシマで生きる子どもたち、その母親が伝えたいことは・・・
『A2-B-C』イアン・トーマス・アッシュ監督インタビュー

 昨年の《ぴあフィルムフェスティバル》や《山形国際ドキュメンタリー映画祭》で上映され、大きな話題を呼んだ福島の母子の声をまっすぐに届けるドキュメンタリー『A2-B-C』が7月5日(土)より第七藝術劇場、京都シネマ、7月26日(土)より神戸アートビレッジセンターにて公開される。前作『グレーゾーンの中』(2012)に引き続き、避難区域周辺の伊達市に住む子どもたちや母親の声を丁寧に追い、福島発のドキュメンタリーを2年続けて発表したのは、日本在住のアメリカ人、イアン・トーマス・アッシュ監督。タイトルとなっている『A2-B-C』とは、甲状腺に発生した嚢胞(のうほう)や結節(しこり)の大きさによる判定レベル【A2】、【B】、【C】を意味しており、作品中でも子どもたちの健康について語るときに欠かせない指標となっている。

 福島県伊達市は、30キロ圏外のため避難区域に該当せず、原発事故後も除染しながら日常生活を続けている地域だ。除染に対する不安の声だけでなく、風の吹く日に外で体育の授業をさせることに納得がいかない母親の孤独な闘いや、子どもが驚くぐらい大量の鼻血を出した時に風邪と診断されながら血液検査をさせられたという母親の証言など、日頃報道されることのない現場での肉声が綴られる。またある高校生は「線量が高いことに慣れてしまい、放射線に対する危機感が薄れている」と被災者間でも意識の隔たりがあることを指摘しているのだ。

 カメラを片手に福島の子どもたちや母親に寄り添い、そして時には彼女たちの怒りを、時には祈りを撮りあげたイアン・トーマス・アッシュ監督に、取材を通じて感じた福島の子どもや母親たちの置かれた現状、世界はフクシマをどう見ているか、そして本作を作った狙いについてお話を伺った。

――日本に興味を持ったきっかけは何だったんでしょう?

アメリカニューヨーク州出身ですが、大学を卒業して、国外のどこかに行きたいと思っていました。JET(Japan Exchange Teaching)プログラムに応募しました。在学中には日本から留学してきた生徒の世話をしていたこともあり、卒業目前に日本派遣が決まりました。

 

――では、映画を撮り始めたきっかけは?

たまたま福島県の真南にある栃木県那須郡に赴任し、3年間そこで働きました。社会人として初めての仕事を日本でしたわけで、初任給でカメラを買い、短い映画を作ったのが映画を撮り始めたきっかけです。その後映画を勉強するため、2003年秋にイギリスへ留学し、日本に帰ってきました。理由は分からないですが、初めて日本に来た時から日本語もしゃべれないのに「ただいま」という気持ちでいましたね。

 

――東日本大震災や福島原発事故が起きた時、帰国を考えなかったのですか?

アメリカの親が「帰ってこい」と言うのは簡単ですが、僕にしてみれば、自分の生活の全てを捨てるわけにはいかないし、お世話になっている日本を捨てて簡単に帰ることはできません。それは友達じゃないでしょう。大変だからこそ、僕はいなければならないと思うのです。

 

――監督ご自身の被災時の状況は?

実際、地震後2日間ほどは水も電気もなくて、どうしようかと思っていました。でも兄から電話で「おまえはドキュメンタリー監督だから、撮りに行けば?」と言われてハッとしたのです。そのときから自分の周りを撮り始めました。そのうちに知り合いが石巻に物資を届けるという話を聞き、頼んで同乗させてもらいました。それが震災から10日後のことです。石巻での映像も含めて全て僕のYoutubeチャンネルで公開しています。

 

――なるほど。まずは石巻に足を運ばれたとのことですが、福島に立ち寄ることになったきっかけは?

石巻に行く途中で福島を通るわけですが、今度ここに来るのだという予感がしていました。石巻から戻り、撮った映像を編集しているとき、父には「おまえは福島には行かないよな」と念を押されていたのです。そのとき新聞で、南相馬の20~30キロ圏内で屋内待避になっている子どもたちがたくさんいる中、30キロ圏外(32キロ)の学校を再開し、屋内待避になっている子どもたちをバスで通学させていることが書かれており、なぜと思う以上に、全く意味が分からなかったのです。それで、原発事故の1ヶ月後に初めて福島に行きました。そこから何週間か現地に泊まり、ドキュメンタリー映画『グレーゾーンの中』を作らせていただきました。

 

――前作の『グレーゾーンの中』以降も、福島で撮影を続けていたのですか?

僕は今でも毎月福島に行って、撮影しています。撮影してからYoutube用にするのか、まとめて新しい映画にするのかを決めています。そのように撮影に行っている方は他にもいらっしゃると思いますが、同じ映画祭に2年続けて同じテーマの新作が上映されるのは、珍しいですね。

 

――今回は伊達市の人々を主に追っていますが、前作の南相馬の人たちとはおかれている状況他どんな違いがありますか?

放射能のレベルが違いますね。南相馬は原発の真北にあります。南相馬の方が原発には近いですが、風向きの関係で、実は伊達市の方が数値は高いのです。ただ30キロ圏外にあるので、避難されていません。それが一番大きな問題です。数値が高くても30キロ圏内とは補償レベルも違います。

 

――今回取材したお母さんたちとは、どうやって出会ったのですか?

自宅の除染の模様を密着させていただいたお母さんがいたと思いますが、今回の取材では彼女が一番最初に出会った人でした。お話を聞いた後、お昼になったので車に戻って食べようかと思っていたら、彼女のお父さんに一緒にと勧めてもらって、お昼を食べたんです。それがきっかけですね。取材は撮影するだけではなく、一緒に食べたり、飲んだり、歩いたりということがとても大事です。

 

――取材では、撮られるお母さんたちが家の中まで見せるなど、監督を信頼している様子が伝わってきました。

撮らせていただいた方のおうちに泊まっていましたから。一番大事なのは、一人で撮ることです。クルーで行くと、団体行動になりますし、昼になれば車に籠もって皆で昼食をとってしまいますが、一人ですから、「泊まれば?」とか、「一緒にお昼食べましょう」と声をかけてもらえます。

 

――校庭で学校の先生と、監督がいい争いになっているシーンがあえて映画に挿入されていますが、その意図は?

喧嘩になって撮影したとしても、使うか使わないかという議論があると思います。自分も、いけないことをやったと思います。フィルムメーカーとして間違っていたと思います。ですから、相手のいけないところを見せるのであれば、自分のいけないところも見せなければフェアではありません。この教頭先生を悪者にしたいとは思っていません。そう考えるのは極端すぎます。そういうシステムが悪いのであって、あの立場だと教育委員会のロボットであり、それを分かってほしかったのです。

 

――監督ご自身も、突然感情が露出した感じですね。

僕もどうしてあそこまで怒りだしたのか不思議です。それまではできるだけ敬語で話をさせていただいていたのに。あれは自分の怒りというよりは、お話を聞いていたお母さんたちの怒りが自分に降りてきたような感じでした。

 

――お母さんたちは放射能に対してだけでなく、同じ状況を受け入れてしまっている周りとの闘いも強いられている苦悩が映し出されていました。

学校とも闘いますし、自分自身の父母でもサポートしてもらえる方とそうでない方がいます。自分のご主人ですらサポートしてもらえる人もいれば、そうでない人もいます。同じ屋根の下でも闘わなければならないお母さんもたくさんいるのが実状です。

 

――漫画『美味しんぼ』で鼻血に関する描写があり、日本中で大きな議論となったのは記憶に新しいところですが、本作でも母親が息子の鼻血について言及するシーンがあります。監督ご自身は『美味しんぼ』への反応も含めて、どう思われますか?

この映画を友達に観てもらったとき、「不安をあおるかもしれないね」と言われました。実際に鼻血や発疹が放射能と関係あるかは、わかりませんし、まだ明確な証拠もありません。でも証拠がないということと、話してはいけないというのは、また違います。放射能と関連があるかどうかが明らかになるまで、あと何年かかりますか?やはり子供たちを守りながら、この証拠を探さなければなりません。完全に危ないとわかってからでは手遅れです。

 

――黙するのではなく、議論しながら向き合い続けることが大事ですね。

チェルノブイリも事故から28年経ちますが、全てわかっているかといえば、わかっていません。ですから、守りすぎぐらいでちょうどいいのではないかと思います。要は10年後、子供たちを守るために努力しすぎたという後悔の方が、もっとやればよかったという後悔よりいいと思います。わからないからこそ、この映画を作らなければならないし、わからないからこそ、『美味しんぼ』を書かなければいけない。「これは大丈夫?」と聞くだけでもいけないのかと思いますね。鼻血がストレスからくるものだとしても、原発に関係ありますね。

 

――監督ご自身がアメリカ人の作家だったからこそ語ってくれたと思いますか?

よく聞かれますが、「いや、僕だから作ったんです」と答えます。外国人だから日本人より楽に撮れるのかと聞かれますが、両面あります。外国人だから作ったのではなく、僕だから作ったのです。

 

――世界は福島のなりゆきを、どういう思いで見ているのでしょうか?

この映画を観て、まずはびっくりしていると言われますね。(日本や福島は)復興して大丈夫だと思っている人が多いですから。「何をしたらいいですか?」と聞かれることも多いです。何かしたいと思ってもらったことから、まずスタートですね。原発問題のことが描かれているとわかって、この映画を選び、観に来る人たちが多いので、原発問題のことを日頃意識しないような人にこそ、観ていただきたいです。

 

――納得いかないことだらけの中、子どもたちを守っていかなければいけないお母さんたちの「今怒らなくて、いつ怒る!」という決意が伝わりました。

怒りはあっても、口に出して言えるような人は少数派です。取材したお母さんの中には、実際に映画にインタビューを使わなかった人もいます。編集しながら映像を見ていると、使うことによってさらに被害に遭うと感じたのです。みなさんのためになればと思って作っているので、二重被害者にさせてしまってはいけない。そこまで計算しています。だから強く主張しているお母さんたちが映画には登場しています。普通はここまで話せないと思います。彼女たちは自分たちの子どものためになると思ってやっているのです。

 

――最後に、監督からメッセージをお願いします。

僕は音楽やナレーションを使わず、お母さんたちの声だけにしたいと思い、この映画を作りました、この映画は原発反対の立場から作っていません。これはお母さんと子どもたちの話なので、これから何をすべきか僕も分かりません。この映画を見ていただいて、お母さんたちの話を心にとどめて、観る方自身がこういう問題についてどう思うか、これから日本は何をすればいいか考えてください。

 

 

(取材・文:江口由美)




(2014年7月 3日更新)


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イアン・トーマス・アッシュ Profile
1975年生まれ。アメリカ出身。最初の長編ドキュメンタリー『the ballad of vicki and jake』(06年)が、スイスドキュメンタリー映画祭でグランプリを受賞。滞日歴は10年におよび、原発事故後の福島でも本作をはじめ、『グレーゾーンの中』(12年)などの作品を製作している。本作『A2-B-C』はニッポンコネクション(ドイツ)で「ニッポン・ビジョン賞」を、グアム国際映画祭で「BEST OF FESTIVAL」を受賞している。

Movie Data



©Ian Thomas Ash 2013

『A2-B-C』

●7月5日(土)より
 第七藝術劇場、京都シネマ、
 7月26日(土)より
 神戸アートビレッジセンターにて公開

監督&撮影:イアン・トーマス・アッシュ
プロデューサー:コリン・オニール

【公式サイト】
http://www.a2-b-c.com/

【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/163240/

Event Data

舞台挨拶決定!

【日時・会場】
第七藝術劇場
・7月6日(日) 10:00の回、14:30の回
・7月7日(月) 10:00の回
京都シネマ
・7月6日(日) 19:40の回、上映後
【料金】通常料金
【登壇者(予定)】
イアン・トーマス・アッシュ監督