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『精霊流し』から10年
再び、さだまさし作品映画化でメガホンをとった
田中光敏監督がさだまさしとの思い出を語る
『サクラサク』田中光敏監督インタビュー

 世代を超えて多くの人々に愛される国民的アーティスト・さだまさしの珠玉の短編小説を映画化した『サクラサク』が4月5日(土)より梅田ブルク7ほかにて公開。さだの小説が原作の映画はこれまでに『解夏』『眉山』『精霊流し』『アントキノイノチ』などあるが、この『サクラサク』は、自身の父親との思い出を下敷きに綴った作品。そういったことから思い入れも強いらしく、今回初めて自作小説の映画主題歌をさだ自らが書き下ろしたことでも話題となっている。そこで『精霊流し』に続き、今回さだ作品2度目の映画化にあたった田中光敏監督に、さだとの思い出を訊いた。

――まず、さださんとの出会いはいつごろなんですか?
北海道の片田舎で暮らしていた学生時代の僕にとって、さださんはスーパースターでアイドルでした。姉貴もさださんの大ファンでしたからレコードをよく一緒に聞いていたことを思い出します。北国のちいさな町で「精霊流し」を聞きながら、長崎で行われていた『精霊流し』というものは、いったいどういうものなのだろうかと思いを馳せて。そんな大好きだった曲がやがて小説となり、自分がその物語を映画化することになるとは、当時は夢にも思っていなかったですね。
 
――言わば憧れだった「精霊流し」。映画化の話はどういう経緯で?
監督デビュー作『化粧師/kewaishi』が上映されていた時だったと思います。プロデューサーから、さださんの「精霊流し」をやってみないかと話があったんです。そのときはあまりの驚きで、反射的にさださんの音楽と出会った時間や、その後の人生を振り返りました。それに、「精霊流し」という曲が、さださんにとって大切な曲だということもよく理解していましたから、本当に僕が映画化していいのだろうかとか。分かりやすくいうと、ワクワクドキドキする気持ちが止まりませんでしたね。
 
――その映画化の際、さださんとはお話されたんですか?
映画の世界では、文字で表現されていることを映像にする過程で原作とまったく違うものになる場合もあります。色々と伝えたいことはあったはずですが、それをぐっと飲み込んで「よろしく頼むね、田中ちゃん」と。さださんから僕への言葉はそれだけでした。それが逆に大きなプレッシャーにもなりましたが、何も言わないからこそ、期待に応えられるようないい作品を作りたい。そんな気持ちに駆られました。
 
――では、今回の『サクラサク』はどういう経緯だったんですか?
丁度、映画『精霊流し』の撮影をしている頃に、短編小説集「解夏(げげ)」が出版されて。当時、福井新聞社に勤めるふたりの女性記者にインタビューを受けたんです。彼女たちは、さださんの小説をこよなく愛していて、取材中に「実は、解夏の中に福井県の美浜町が舞台になっている作品があるんです。これを、いつか監督に映画にしてほしい」と言われました。それが「サクラサク」映画化のはじまりですね。
 
――そんな以前から話があったんですか。
そう。その後は、僕が『火天の城』を撮っている間に、彼女たちの呼びかけで福井県を中心に「サクラサク」の朗読劇が盛んに行われるようになって。最初は1年に5回行われていたものが、翌年に10回、その次の年には20回、今年はたぶん50回以上は行われているのではないでしょうか。かなり地元も盛り上がってきて、ロケ地として使ってくださいという熱いメッセージも届き始めた。実際には、何も決まってないのに地元がどんどん盛り上がっている状態です。そんなこんなで、もうそろそろ映画化でしょうというようなムードが3年ほど前に出てきたんです。
 
――映画化に向けて、どういう動きをされたんですか?
まずは早速、さださんの事務所に映画化の権利を確認しました。だけど、東京のテレビ局に既に押さえられていることが分かって。それで残念だなあと落ち込んでいたら、2時間後にさださん本人から携帯に電話がかかってきて「田中ちゃん、なんか映画化してくれるんだって」って(笑)。でも既に権利関係が押さえられていたという話をして、「あったかい言葉がいっぱいあって大好きだし、映画化したかったんですが残念です」と答えました。だけど次の日にまた、さださんから電話があって、今度は「田中ちゃん、権利引き上げたから大丈夫だよ」と(笑)。ありがたいやら驚いたやら。まだ、配給会社も何も決まっていない状況だけど、そこで映画はやらざるを得なくなりました(笑)。その後は、さださんが出版社の方を紹介して下さったり、「自分も動いてみるからよろしく頼むね」と。そこまでしてくれる原作者いませんよ。
 
――映画はもちろんですが、“サクラサク”というタイトルもいいですね。
桜という花に対して嫌なイメージを持っている人はいないし、日本人は桜=美しいというような共通の印象だけではない別のイメージを必ず持っている。両親と行った入学式や卒業式。通学路に咲いていた桜や、公園の桜、友人との花見など。自分の人生において、桜は必ず強く接点を持っている。咲いている期間が短いので、撮影するのは大変でしたが大好きな花ですね。
 
――そして、エンディング曲がまた素晴らしい!
僕や周りのスタッフを含めて、さださんの原作への思いから映画化したようなものです。主題歌は迷うことなくさださんにお願いしました。映画の仮編集をしていた時に「田中ちゃん、送ったから聞いといてくれる?」とさださんからの留守番電話が入っていました。翌日の朝、編集のスタッフとプロデューサーとで一緒に聞いたんですが、あまりにも素晴らしくて聴いた瞬間に全員言葉を失くしていました。さださんは自分の書いた小説を振り返って、「残春」という曲を書かれた。僕らはこの3ヶ月、映画を撮影して、その映像のシーンをひとつひとつ繋げてひとつの物語を完成させてきました。歌はわずか4分22秒にもかかわらず、1時間48分の映像がことごとく蘇ってくる。よくぞ、さださん、自分たちのつくった映像を、歌い上げてくれたなぁと本当に嬉しくて、みんなで泣きました。「残春」には、ある人生を過ごさないと絶対に出てこない言葉がある。それを温かく歌い上げている大人の詩ですよね。映画のエンディングで「残春」が流れた時には本当に鳥肌が立ちますよ。
 
――『精霊流し』『サクラサク』を経て、さださんの言葉とはどういうものですか?
とにかく素晴らしい。素直でまっすぐで人の心を打つ。とても単純で簡単で、日常的に使う言葉なんだけど、さださんの小説の世界に入った瞬間に、思いやりや優しさといった思いが溢れでてくる。そして、魔法のように読者を笑顔に変えていくところがある。それがさださんの世界。今回の作品も脚本の小松江里子さんと、原作には家族だけではない、人間同士のお互いを思いやる心があるという話をしました。だから、原作の中で出てくる言葉はできるだけ残したいという話をしたんです。
 
――『サクラサク』映画化についてさださんから何か言われたことはありますか?
さださんからは、「田中ちゃん、温かい映画をつくってほしいなあ」とだけ言われました。今、日本は辛くて苦しんでいる人がいっぱいいる。そんな時にはとにかく、見てよかったなぁと思える映画をつくってほしいと。今回は、スタッフ一同本当にいい作品をつくりたいと思って取り組みました。日常の話から生まれるいい作品という意味です。
 
――では、最後にメッセージをお願いします。
さだまさしファンであった僕が、映画『精霊流し』でご一緒させていただき、ひとつ夢が叶いました。それを最初の桜咲くと喩えるとしたなら、今回の『サクラサク』はまさに、2度目の桜が咲いた瞬間であることは間違いありません。実は今、僕の母が映画の主人公と同じような状況なんです。姉が母に付き添ってくれていて、泣いたり笑ったりしながら毎日と向き合っています。そういう意味でも、この映画はたくさんの人に観てほしいですね。巷では、僕の作品の中で『サクラサク』が一番良いと言われているそうです(笑)。どうぞよろしくお願いいたします。



(2014年3月26日更新)


Check
田中光敏 Profile
たなか・みつとし●1958年、北海道生まれ。CMプランナーとして数多 くのCMを手がけ、『化粧師/kewaishi』(2001年)で映画監督デビュー。その後、『精霊流し』(2003年)『火天の城』(2009年)と作品を発表。『利休にたずねよ』(2013年)では、モントリオール世界映画祭の最優秀芸術貢献賞を受賞した。

Movie Data





©2014映画「サクラサク」製作委員会

『サクラサク』

●4月5日(土)より、梅田ブルク7ほかにて公開

出演:緒形直人/南果歩/矢野聖人/
   美山加恋/藤竜也/ほか
原作:さだまさし「サクラサク」
   (「解夏」幻冬舎文庫収録)
主題歌:さだまさし「残春」(ユーキャン)
監督:田中光敏
脚本:小松江里子
音楽:大谷幸

【公式サイト】
http://sakurasaku-movie.jp/

【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/163937/

エピソード

瑞林寺とさだまさし

さだまさしの父・雅人さんが、両親と共に中国から引きあげ、幼い頃の疎開先として数年間を過ごしたのが瑞林寺の離れ。
雅人さんが生前に話されていた、桜の木の話を元に、この短編が生まれた。原稿作成のために今から11年前に、さだ親子は瑞林寺を訪れており、今でもその時に書いたサインが飾られている。