「決して100年前の古い話ではなく、天心が
今の日本人に訴えるメッセージなのかなと思います」(松村監督)
『天心』松村克弥監督、木下ほうかインタビュー
日本の美術史に大きな功績を残した明治期の思想家、岡倉天心の一生を実話に基づいて描く伝記ドラマ『天心』が梅田ガーデンシネマにて上映中。怒涛のように押し寄せてきた西洋文化の大波から日本古来の美を守ろうとする天心が歩んだ、波乱の道のりをたどる。竹中直人が主演を務め、カリスマ的な存在感とともに妙演を披露。天心の活動拠点だった茨城でのロケで収められた映像美にも注目したい1作だ。そこで、松村克弥監督(写真:左)と下村観山を演じた俳優、木下ほうか(写真:右)にインタビューを行った。
――岡倉天心という名前は聞いたことがあっても、何をした方かなどは詳しく知らない人も多いと思います。「日本近代美術の父」岡倉天心の生誕150周年、没後100周年記念の年とのことですが、本作はアニバーサリーに向けて企画された映画なんでしょうか? 監督と岡倉天心の出会いから教えていただけますか?
監督:5、6年前のことなんですが、銀座の画廊の二代目をやってる大学の後輩がいまして、「天心を描いた映画観たいんだけど観たことないな」と話し出したんです。天心を描いた映画って、戦時中にはあったようなんですが今はなくて。スペシャルドラマとかにはなったことがあるんですが、確かに天心の映画ってないし、愛弟子の横山大観の映画もない。逆にふたりとも映画化されてないのが不思議なくらいですよね。そこで、これだけの偉人を映画化するのはやりがいがあるなと。天心って、僕もよく知らなかったんですが調べてみると、もちろん偉人ではあるんですが今回の映画で描いたような人間味あふれる人で、映画的な人だなと感じてこれは面白いなと思いましたね。
――では、アニバーサリーは偶然だったんですか?
監督:最初はもっと早く撮ろうとしていたんですよ。でも、製作費の面とかで難しくなって。とは言え、色々調べてシナリオを書いていたのでプロデューサーがもう少し頑張ろうと言ってくれて、その流れからこのアニバーサリーの年を目指して作っていったという経緯があります。
――天心の人生を描くにあたって、切り取る部分でこだわったところはありますか?
監督:50年で幕を閉じた短い人生ではありますが、そこにも大河ドラマに出来るようないろいろな物語があります。僕の母親が茨城県生まれで思い入れがあるということも無くも無いんですが、調べていて北茨城の時代の弟子たちとの絆の物語が面白いなと思ったんです。
――脚本執筆のために調べていく中で驚いたこと印象に残っていることを教えてください。
監督:僕ももともと深い知識があったわけではないので、驚きだったのは大観や(菱田)春草たちがあの時代は無名に近かったこと。そこからとくに春草は後世に残る名作を作り出していったという話が面白い、それもすごく映画的だなと。そこにスポットを当てたということですね。今、日本画の世界の巨匠である大観や春草って、芸大出てエリートコースで若いときから才能を認められて順風満帆だったのかと思いきや事実は違った。40歳近くまで苦労していたということが新鮮に驚きでした。
――天心を知らない人への配慮も考えられた作品ですね。
監督:僕自身が詳しくない人間なので、誰にでも分かるように作りました。天心を知らなくても大観を知っている人は多いし、大観から見た天心という目線であれば、分かりやすいかなと。聖人君子を教育映画として紹介するような映画にするつもりはないですし、小難しいアート映画にするつもりもなかった。天心も両面を持っている映画的に面白い方なのでそこを描けば十分に面白いですから。天心って損していますよね。教育者としてしか知られていなくて、人間像が伝わっていない。この映画でこういう人だったんだって新発見していただければいいですね。完璧な教育者かと思いきや、弱い部分を知ることで共感出来たりするじゃないですか。
監督:基本的には容姿が似ている人にお願いしました。竹中さんはすごく似てるかというとそうでもないんですが、似てくるんですよね。竹中さん本人も天心が降りてきたような感覚があったとおっしゃってましたが。すごいもんですよね。大観は、この中で一番有名な方だと思います。野性味とか男くささ、野武士的な風貌もありながら知性と教養を持ち合わせた人って誰かなと考えて、中村獅童さんがいいなと思ったんです。『レオニー』という映画でもそういった役を演じておられて「いいな」と思っていて。(木下)ほうかさんは個性派でもともと大好きなんですが、どんなに強烈な役でも、どこかに知性や品の良さを感じる。たぶん観山って穏やかで人と争わない。飄々としたイメージがあったんですが、こういった役、今までやられてないですし逆に面白いかなと。あと、観山は和歌山出身でほうかさんも関西ご出身ですしね。でも、ほうかさんから「今回は関西弁とかそういうことは忘れましょう」と言われて、それがこの映画に効果的ではないということをほうかさんが分かってくれた。天心や大観の研究をされてる大学の先生が(本作を観て)観山のイメージがピッタリで良かったと言ってくれたんですが、それは本当に嬉しかったですね。
――では、キャスティングを聞いたとき、ほうかさんはどのように思いました?
木下ほうか(以下、木下):最初はミスキャストやと思いましたよ。何かの間違いかなと(笑)。普段こういう役ありませんし、絵心もないですし、ヤバイぞと。絵を書くレッスンが1日で演技のリハーサルもなかった。まったく知らないところから、筆の持ち方とかを教えてもらって。ひたすら線と丸を書くだけなんですけど、出来ないもんなんですよね。ただ線を引くだけで結構な時間かけましたね。あと、正座も嫌でしたしね(笑)。
監督:あのシーン、吹替じゃないんですよ。大観よりも正確に速やかに書いて大観が焦るというシーン。
――すごいですね。迷いなく筆を滑らせていましたよね。そういった練習から役柄の気持ちも理解していったんでしょうか?
木下:資料も少ないですし、映画でこの役をかつて演じた人もいない。だから自由なわけです。要はほかの人とのバランスが大事で。最初の撮影は(中村)獅童とのシーンだったから、彼がどんな芝居をしてくるかなと。だからこれでいくぞ! みたいなことはしてないんです(笑)。
――ほうかさんと言えば『殺し屋1』など、強烈な役のイメージがありますが、穏やかな役はやはり難しいですか?
木下:“殺す”か“殺される”か“疑われる”か。9割がそんなんですから、当然穏やかな役の方が難しいんです。つい、この間も善良な父親の役を演じたんですが苦労しましたね。普通でいいの普通って何やって(笑)。これを機にイメージチェンジしましょうかね(笑)。今回の役も例えばですけど曲者にしてもいいわけです。でもこの作品にとってそれはいいことではないと思ったから極力何もしてません。
監督:春草の妻、千代に「お達者で」と声を掛けるシーンは、ほうかさんが現場でアイデアを出してくださったんです。僕は天心の弟子との師弟関係の話に入りこんで気付いてなかったんですけど、ありがたい意見でした。
木下:誰も声かけないのは不自然だなと思って。台本どおりではなく、ひと言声を掛けて子どもに目線を送るだけで伝わるものがあるからね。
監督:台本はもちろん、現場での流れも把握しているからこその言葉なんですよね。観ている側の心情もくみ取っていただいて。さすがにベテランだと思いましたね。観山の気持ちというのもあるけど、作品全体のことを考えてくださってる。
木下:あ、でもね、台本読んで、いい芝居が出来たと現場で思っても映画を観るとダメなときがあるんですよ。その原因は編集。だんだんと上げていく演技なのに、その始まりが違うだけでずれる。難しいんですよね。
監督:今回はその点も大ベテラン川島(章正)さんに編集をお願いできて良かったですね。ほうかさんの言われるように編集って0.1秒で変わるんです。
――なるほど。撮影された茨城は今でも余震が続いていますが、撮影中は大丈夫でしたか?
木下:撮影中も地震は頻繁にあって、撮影している場所を少し行くと崖が崩れていたり、立ち入り禁止になっていたりして。さすがに撮影中断するかと思ったこともあったね。
監督:撮影が3分の1くらい終わって明日から「五浦(いずら)」でロケしようと言ってる前日の夕方に津波警報も出たんですよ。僕と竹中さんが市役所に呼ばれてるときに地震があって。市役所は高台にあったのでたくさんの方が避難してきて、あのときは「これは中断かな」と頭をよぎりましたね。でも次の日、海での撮影で。あのときは本当に竹中さんよくやってくれたなぁと思いますね。
木下:テレビでは東北の方をよく被災地と言ってますけど茨城も紛れもない被災地ですよね。
監督:倒壊家屋は茨城が一番多いらしいですよ。北茨城って小一時間行けば福島ですからね。
――震災を経て、自分の仕事について考える方が多いと聞きますが。
木下:震災だからとか関係ないですけど、いつ死ぬか分からんから、いつ死んでも「まぁいっか」と思えるように生きようとは思いましたね。年下の子でも急に亡くなるようなのもあるじゃないですか、病死とか。こう見えて完璧主義みたいなところがあって、撮影中にだけは死にたくないですね。死ぬなら何もないときか、撮影前か。
監督:やり残して死ねないんだよね。
木下:今やったら死んでもいい。大阪の田舎の不良がね、こんなん出してもらって十分ですよ、と思ってます(笑)。
監督:僕は折れやすい性格なので、震災で主要な舞台である六角堂が流されたときはもう無理かなと思いましたよ。「やめなさい」という意味なのかなとも思いました。でも、映画があったことがひとつの要因となって六角堂の再建を早めてくださって。ある種の復興のシンボルになって、映画も応援しようと言う流れが出来た。1000年に1度の大波が僕らが映画を作るタイミングと重なって。半分は僕の妄想ですけど、天心や大観らは六角堂が流されることを分かっていて、再建して映画を作ってと言っていたんではないかと。
――いまアジアの情勢は決して良い状況とは言えない。この映画はそんな今にフィットしている気がします。そういう意味でも、今の時代に作る意味を感じていたということですか?
監督:そうですね。偶然というか時代の流れが合ってきたのが不思議ですよね。企画自体は震災前なんです。五浦の時代というのは彼らにとっても厳しい時代。天心のスキャンダルとか大観や春草の絵が今じゃ王道のようになっていますが、あの時代は異端児扱いされていた。それで、酷評を受けて五浦に流れてきた。そして、どん底から這い上がって栄光をつかむ。ある意味、今の日本の状況と合ったんですよね。決して100年前の古い話ではなく天心が今の日本人に訴えるメッセージなのかなと思いますね。映画ではあまり描かなかったんですが日露戦争の時代なんです。日本が国際関係で危機的状況で今の日本もそういうところありますよね。不安な中で日本の美に自信を持とうという天心のメッセージは今の日本人にも伝わると思いますね。だから今だからこそ観てもらいたい映画なんです。
(2013年12月17日更新)
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