インタビュー&レポート

ホーム > インタビュー&レポート > 「自分が好きな映画は結局、昭和のプログラム・ピクチャー。 だから、昭和のプログラム・ピクチャーを撮ることに ビビらずに挑戦したい、そんな思いでした」 『共喰い』青山真治監督インタビュー

「自分が好きな映画は結局、昭和のプログラム・ピクチャー。
だから、昭和のプログラム・ピクチャーを撮ることに
ビビらずに挑戦したい、そんな思いでした」
『共喰い』青山真治監督インタビュー

 田中慎弥の芥川賞受賞作「共喰い」が映画化された。それも脚本=荒井晴彦、監督=青山真治という布陣で。日本映画のファンならばこの顔合わせに期待しない者はいないだろう。さらに光石研、田中裕子という強力なキャスティングに、気鋭の若手俳優たちが挑んでいく。来阪した青山監督に話を訊いた。

――資料によると、監督に映画化の候補作として原作を示されたのが、脚本家の荒井晴彦さんだったと書かれているのですが、そうだったんですか?
「ええ、そうです。荒井さんから「『共喰い』はどう?」と書かれた短いメールをもらって、原作を読みましたから。荒井さんとは以前から一緒に仕事できるといいですねという話はしていて、いくつか具体的に考えた作品もあったのですが実現できずにいました。そこに『共喰い』が入ってきたということですね」
 
――荒井晴彦と言えば、神代辰巳監督のロマンポルノの傑作『赫い髪の女』(79年)や『嗚呼!おんなたち 猥歌』(81年)、一般映画では根岸吉太郎監督の『遠雷』(81年)、澤井信一郎監督の『Wの悲劇』(84年)などで知られる日本映画界を代表する脚本家ですが、でも青山監督はこれまで、ご自分の作品は脚本も自分で書かれていたのに、なぜ今回はそうされなかったのですが?
「ここ数年、脚本を書くのが面倒くさくなってしまって、というのは冗談ですが(笑)、ただ、脚本を書くよりも、役者と向き合うことに専念したいという思いがあったのは本当です。役者と仕事がしたい、役者が台詞を言い、演技をするのを撮っていればそれで幸せみたいな気持ちが強くなってきていたんです」
 
――そういうときに、荒井さんの方から『共喰い』はどうだという働きかけがあったというのは、“渡りに船”的な展開だったわけですね。
「そうですね。自分にとって“どストライク”な企画でしたから。それで、プロデューサーに連絡したら、実はつい先日、光石研さんからも『共喰い』をやりたいという連絡が来ていたというんです。光石さんには僕のデビュー作の『Helpless』(96年)からこれまでに10本出てもらってますし、それならということで、あとはトントン拍子に話が決まっていった感じですね」
 
――監督ご自身は、『共喰い』の原作を読まれたときにどう思われたのですか?
「いま自分が作りたいものに近いなと思いました。女性たちが綿密に描かれていて、彼女たちが織り成す劇的な空間が観られるということ、これが僕にとって必要不可欠な要素だったんです。『サッド ヴァケイション』(07年)、『東京公園』(11年)でも女性たちの空間を撮ってきたので、それをさらに追っていきたいということですね。この原作ならそれができると思い、飛びつきました」
 
――資料を読むと、荒井さんとは初めからロマンポルノの乗りでいこうと、話し合われていたようですが…。
「そうですね。荒井さんとロマンポルノ的作品が撮りたいという思いもあり、原作のサイズ的にも内容的にもそれがふさわしいとは感じました。でも、もっと正確に言うと、ロマンポルノもその範疇に入るのですが、撮りたかったのは実はプログラム・ピクチャーだったんです。映画を作るスピード感や、映画の持つ佇まいがプログラム・ピクチャー的になればいいなという思いでした」
 
――なるほど。プログラム・ピクチャーとは、映画館が2本立てや3本立てで興行を行っていたころ、番組(プログラム)を埋めるために量産された作品のことで、メイン作品に付ける添えもの作品だとか、安手のシリーズ作品やB級娯楽映画を指すようになったものですが、そういった作品たちへの憧れのような気持ちがあったということですか?
「それはありました。僕らのように平成になって映画を撮り始めた人間には、もう作れない映画だったわけですから。憧れと言うよりも、それをきちっとやっておかないと先人たちに対してどことなくバツが悪いぞという思いかな。実は、自分が好きな映画は結局、昭和のプログラム・ピクチャーで、監督になってからそれをずっと模倣してきたんだというのに最近になって気づいたんです。だから、昭和のプログラム・ピクチャーを撮ることにビビらずに挑戦したい、そんな思いでした」
 

tomogui_1.jpg

――そう言われると、監督が師事された人たちの流れからいって、監督が荒井さんや光石さんと組んでプログラム・ピクチャーを作られることは正統な行為という気がします。
「そうなんです(笑)。荒井さんのデビュー作『新宿乱れ街 いくまで待って』(77年)の監督がロマンポルノの名匠の一人だった曽根中生監督で、偶然だけど光石さんのデビュー作『博多っ子純情』(78年)も曽根監督の作品。その曽根監督の下で助監督を務めていたのが相米慎二監督で、相米さんの助監督だったのが黒沢清監督で、僕は黒沢さんの助監督でしたから。さらに言えば、曽根監督は鈴木清順監督の助監督だったから、日活プログラム・ピクチャーの流れから言えば、僕は正当な流れを汲む5代目の監督なんです」
 
――もう王道ですね(笑)。これまでのお話からだと、主人公の父親役は光石研さんで初めから進められたわけですね。
「光石さんがやりたいと言ってきたのだから、これはもう責任を取ってもらわないと(笑)」
 
――この父親役は、言うまでもなく作品においてとても重要なポジションなわけですが、監督の方から光石さんにこういった感じでお願しますというようなお話は…。
「してないですね。これまでもずっとそうなんですが、光石さんにお願いするときは、おまかせしていますから。今度の作品では、原作の父親というのはちょっと怪物的な恐ろしさがあるのですが、光石さんが演じるとどうしても本人のチャーミングな面が出てしまうんです。でも、それはもうわかっていたことなので、それを消さずに生かそうと思いました。そのおかげで、下手をするとかなり暗く重い作品になってしまう題材なのにそうならないですんだ。暗く重い映画を撮る気はまったくなかったので、光石さんの父親像には助けられましたね」
 
――確かにそうですね。父親が息子に話しかけて無視され「いっちょん言うことば聴かんもんね」と言うところなど、光石さんがふてくされているみたいで可愛いですものね。
「そうそう(笑)。息子と友達のように接しているところがあって、ほんとに可愛がっているのがわかるんです。でも、だからこそ、父親の暴力的なところを憎みたい息子としては余計に身の置きどころがない。また、光石さんがニコッと笑いながら残酷なことを言うのも、違う意味の恐ろしさがあっていいなと思いました」
 

tomogui_2.jpg

――主人公である息子を演じた菅田将暉(すだ・まさき)さんはオーディションで選ばれたんですね。
「そうです。彼と彼のガールフレンド役の木下美咲はオーディションです。ふたりとも目で選びました。僕もオーディションが苦手で参加者となかなか目が合わせられないんですけど、どうやら彼らふたりもそのようで、僕と互いにもじもじしていたときにふっと視線が合う瞬間があって、そのときの少しキツイ感じの目が良かったんです。それにふたりともちょっと変わった顔をしていて、観ていて飽きないなとも思いました」
 
――確かにきれいなだけでなく、印象に残る顔ですよね。新鮮な感じもしたし、なによりふたりに清潔感があってよかったです。
「菅田はね、現場では緊張感を持った目でずっと居るんだけど、僕の姿を見ると急にヘニャヘニャとなって近づいてくるの。人見知りなんだけど甘え上手なんですよ、あいつは(笑)。そういうところもちょっと面白かったな」
 
――父親の愛人役の篠原友希子さんも存在感がありました。
「彼女は劇団ポツドールの芝居で観ていいなと思っていたら、別の場所で会う機会があって、僕の方から声をかけて出てもらったんです」
 
――3人ともこれから多くの作品で活躍されるように思います。監督の思惑通り、女優たちの存在が立っている映画に仕上がっていると思いますが、なかでもやはり、主人公の母親を演じた田中裕子さんは圧倒的です。田中さんの出演は、早くに決まったのですか?
「いや、田中さんは一番あとですね。ぜひやってもらいたいと思いながら、断られるのが怖くてなかなか話を持って行けなかったんです。もし断られたら、次の候補者が思い浮かばない状態でしたし。プロデューサーが「ともかく当たってみよう」と言うので「わかりました」っていう感じだったんですが、そうしたらすぐに「OK」の返事をもらって。あれはうれしかったですね」
 
――出演の理由とか、田中さんとお話しされましたか?
「いや、してないです。僕は今回、現場では光石さんとも話ししなかったですが、田中さんとはさらに話さなかったですから(笑)。現場での田中さんには独特の緊張感があって、現場のことが全部見えてるんじゃないかって思ってました。だから、こちらも気になってずっと田中さんのことを見るんです。そうすると、芝居をしていないときでも動きの意味が解るんです。モニター越しに会話しているような感覚というのかな。だから、その日の現場で伝えるべきこと以外は一切話さないし、話す必要もないという感じでした」
 
――わかるような気がします。映画を観る前は、母親役には誰がふさわしいかなんて考えたりしますが、観た後ではもう田中裕子しか考えられなくなります。
「そう。これしかないな、と思わせる女優さんですよね。例えば、田中さんが朝、神社の境内ですわっているところへ、岸部一徳さん演じる刑事がやって来る。そのシーンを考えている時から、ここに現れる刑事は岸部一徳じゃなきゃだめだ、岸部一徳が観たいって、僕自身が強く思いましたからね(笑)」
 
――もう日本映画の約束、ですよね。ところで、原作に書かれた物語が展開された後、映画には付け加えられたシーンがあります。ネタバレになるので内容は書きませんが、あのシーンでの田中さんの台詞に、こうくるのかと少し驚きました。
「荒井さんと映画化の打ち合わせをしているとき、荒井さんがぼそっと一言だけ、田中さんのあの台詞に込めた内容のことを口にされたんです。それを聞いて、僕も「そうか」と思い、あのシーンが出来ました。ただ、言っておきたいのは、あの台詞に込められた荒井さんの思いは決して突飛なものではないということです。荒井さんも僕も戦後生まれですが、僕らの上の世代、戦争を体験し、戦後の日本を生きた人間なら、かつては普通に持っていた感覚だと思います」
 
――あのシーンに続いて、篠原さん演じる父親の愛人と、木下さん演じる主人公のガールフレンドが強さを見せるシーンも加えられていて、実は女性讃歌だった往年のロマンポルノを思わせるシーンになっています。
「あの2シーンは、主人公を軸にして、ふたりの女が自分たちの生き方を見せるシーンになっています。つまり、主人公の青年にふたりの女がどう接したかですが、逆に言うと、主人公の人生が女性たちにからめ捕られていく。そういうイメージで撮りました。あの後、主人公がどう自分の人生を切り開いていくかは、また別の話ということです」
 

tomogui_3.jpg

――なるほど。最後に、初めて他の人が書いた脚本を演出したということもあり、監督ご自身は、『共喰い』を撮って、監督としてどこか変わったといった感じはありますか?
「どうなんでしょう。新しい作品を撮るときにはいつも前とは違ったもの、少しでも進化したものを作りたいという気持ちでやっていますから。特に今回、その思いが強かったということはないですね。ただ、今回の『共喰い』の製作に関しては、すべてのことが運命的にうまくいったという思いはあります。良い原作があり、荒井さんの脚本があり、光石さん、田中さんに出てもらえて、若手の俳優たちも清新な演技で挑んでくれた。また、なにより製作にスピード感があり、そのスピード感が自分にすごく合っていた気がしています。グジグジ考えるよりパッパッといこうというのが合っているので(笑)。だから、しっかりとした手応えのある作品に仕上がったとは思っています。次の作品を撮るときには、これよりも少しでもいいから先に進んだものを撮りたい。前進あるのみ。そんな思いでこれまでもやってきたし、これからも変わらないですね」
 
(取材・文:春岡勇二)



(2013年9月 3日更新)


Check
青山真治監督 プロフィール(公式より)
あおやま・しんじ●1964年7月13日生まれ、福岡県出身。生まれ故郷の北九州市を舞台にした『Helpless』(96)で長編映画デビュー。 『チンピラ』(96)、『冷たい血』(97)、『シェイディー・グローヴ』(97)などを経て、2000年の『EUREKA ユリイカ』で第53回カンヌ国際映画祭にて国際批評家連盟賞とエキュメニック賞をダブル受賞。この作品はデビュー作の『Helpless』に続いて再び北九州市が舞台となっており、07年の『サッド ヴァケイション』と

Movie Data


(C)田中慎弥/集英社・2013『共喰い』製作委員会

『共喰い』

●9月7日(土)より、
大阪ステーションシティシネマ、
なんばパークスシネマ、MOVIX京都、
神戸国際松竹ほかにて公開

[2013年/日本/ビターズ・エンド]
監督:青山真治
原作:田中慎弥
脚本:荒井晴彦
出演:菅田将暉/木下美咲/篠原友希子
光石研/田中裕子/岸部一徳 ほか

【公式 HP】
http://www.tomogui-movie.jp/

【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/161196/