インタビュー&レポート

ホーム > インタビュー&レポート > 「本土で報道されない沖縄の真実」を目撃せよ! 地元テレビ局発、渾身のドキュメンタリー 『標的の村』三上智恵監督インタビュー

「本土で報道されない沖縄の真実」を目撃せよ!
地元テレビ局発、渾身のドキュメンタリー
『標的の村』三上智恵監督インタビュー

 米軍ヘリコプター墜落事故後も原因追究が終わらぬままオスプレイ追加配備が続行され、その脅威にさらされている沖縄から、「本土で報道されない沖縄の真実」をあぶりだす衝撃のドキュメンタリーが届いた。オスプレイ反対運動を続ける高江区民をはじめとした沖縄の人々の非暴力実力行使による闘いや、国による阻止。更には1960年代、ベトナム戦争に向けて米軍が高江に「ベトナム村」を造り、住民を標的として訓練をしていた事実までも浮き彫りにする。一方、高江でカフェを営む安次嶺現達さん(通称ゲンさん)一家の暮らしにも密着、沖縄の豊かな自然にはぐくまれ育つ子どもたちを温かく映し出す一方、反対運動のある日常を過ごさざるをえないゲンさんたちの苦悩ぶりに寄り添うのだ。

 地元テレビ局(琉球朝日放送)ならではの豊富な取材映像を武器に、現地の人も話したがらないベトナム村の事実を掘り下げ、基地問題を背負わされてきた沖縄の歴史と今を痛切に訴える本作を作り上げた三上智恵監督。映画化への経緯や、映画だからこそ伝えられる沖縄の抵抗運動の実態、本作に込めたねらいについて話を伺った。

「ここまでの沖縄の怒りさえも伝わらなかったのか」誰も報道しないことにがく然
転機はYoutubeの爆発的アクセス
 
──『標的の村』を映画化した経緯は?
「琉球朝日放送で私たちはずっとドキュメンタリーを作ってきました。沖縄の問題が特集となって全国ネットに流れることは難しいです。何か特別ひどい事件や事故があったときに、1分ぐらいのニュースになることはありますが、ずっと基地という問題に関わらされている県民ひとりひとりの肌感覚みたいなものまでは、なかなか全国に伝えられないですよね。ただ30分のドキュメンタリーは深夜全国ネットに流れる道筋があるのです。地方局として、その30分に一生懸命伝えたいことを盛り込んで、全国に流すということをやっていました。昨年9月は、ドキュメンタリーの作り手の私たちとしても本当にオスプレイ配備を止めたいが一心でした。こんな風にひとつの地域に押し込めて、無理矢理オスプレイが配備されるということを、日本中の人たちが本当に知っているのか。知っているなら、「国策の荷担者として自分が押し込める側になりたくない」と思う人が日本人の中にたくさんいるのではないかと信じて、昨年9月初旬に全国ネットで30分版を放送したのですが、結局この報道だけではオスプレイ配備を一日も遅らせることはできませんでした」
 
──その後1時間版が作られ、放送されましたね。
「オスプレイが配備されてしまい、普天間閉鎖という1970年のゴザ暴動以来のことが起きたにもかかわらず、数日後よくみると誰も報道していなかったのです。ここまでの沖縄の怒りさえも伝わらなかったのかということに、またがく然としました(ANN系列だけ報道)。「オスプレイがやってきた」というところで終わる『標的の村』1時間バージョンは絶対作りたくないという気持ちでした。素材を見るのも辛かったし、高江の人たちの目にオスプレイを映すのもイヤでした。結局オスプレイが来てしまい泣き崩れる人というラストシーンで終わるのは、作る方も見る方も耐えられません。でも誰もそれを全国ネットでオンエアしてくれないのなら、自分が作るしかないと泣きながら1時間番組を作り、12月1日に沖縄だけでオンエアしました」
 
──この1時間版がかなりの反響を呼ぶことになります。
「ローカル局でしか放送できず、全国の人には見てもらえないと思っていたのですが、Youtubeに上がっていて、そのアクセス数が激増したのです。賞をいただいたドキュメンタリーでも1000~2000アクセスぐらいで多いと驚いていたのに、今回は1ヶ月もしないうちに3万アクセスもありました。こんな地味なドキュメンタリーでも、それだけ見たい人がいるのだと思い直して、どうやったら全国に放送できるか相談しましたが、やはり1時間も枠をとれない。そこで映画という手法で、劇場を借りて、お金を払って見に来ていただくことにしたのです」
 
沖縄の人がずっとやってきた非暴力実力行使を映画では見せたかった
 
――1時間版から映画化するにあたって、どのような要素を付け加えたのですか? 
「1時間版から映画版になって付け加わったのは、大きく3つあります。1つ目は大きなスクリーンでゆっくり見てもらうため、カットが早いテレビよりもゆったりと高江の空気を感じられるような編集のしなおしを行いました。2つ目は、辺野古と高江とオスプレイがどう結びつくのか。「辺野古ってあったよね」というぐらいの認識しかもっていない全国の人に、辺野古と高江とオスプレイがすべて縦糸で繋がっていることを説明する箇所を挿入しました。3つ目は、阻止行動の挿入です。ヘリパットを高江で建設しようとしている時と、オスプレイが配備された時ですね。沖縄の人がずっとやってきた非暴力実力行使というのは、徹底的な非暴力で、座り込みやハンガーストライキを行うのです。テレビで放送するときは、たまたまニュースで映ったがために罪を問われることになってはいけないので、非暴力実力行使の部分は放送しないようにしてしまいます。でも毎日メガホンでどなっているだけで、ヘリパッド建設工事を止められているわけではないのです」
 
――映画では工事車両のクレーンにしがみついてまで、住民が工事を止めようとしている場面もありました。
「土嚢を入れたら、もう一度その土嚢を投げ返すとか、運び入れようとしているクレーンにしがみついたりするのです。工事が始まるのは時間の問題ですが、1時間でも遅らせるということを現場ではやっているんですよ。映画の中で市民が工事車両のクレーンにしがみついているシーンがあり、公務執行妨害ととられがちなところですが、危なくてもしがみついているわけです。お金を払い、時間をとって映画を見に来てくれる人は、基本的にこの問題を理解したいと思って見に来てくれるのです。だからテレビでは見せられないけれど、本当は見てほしい部分を映画には入れたいという気持ちがありました。それが実力行使の部分ですね。具体的に知るということは、具体的に次のことを考えられるということなので、実力行使という部分をできる限り見せようと思いました」
 
――監視や座り込みといった非暴力実力行使行為が、高江の人たちの日常とならざるを得ない現状に驚きました。
「今日なにもしなければヘリポートなんて1週間で作られてしまう。それを5年も引き延ばしてきたから、ようやく映画にもなり、新聞に書いてもらえるようになったのです。あの抵抗運動は無駄ではなかったけれど、歯がゆいのです。だから合間に歌を歌ったり、踊ったりしながら、これを楽しもうという努力を表面だけでもしながら、やっているんですよね」
 
誰でもゲンさんや伊佐さんのように国に訴えられる立場になる可能性はある
これは「日本の国民は今そういう運命にある」という話
 
――一方、ゲンさん一家を通して、抵抗し続ける高江の人たちの家族に与える影響が抵抗運動の変遷と共に折り込まれていきます。ゲンさん一家と出会った経緯は?
「2006年から高江へ取材に行くようになりました。「ここにヘリパッドができるのか」と思いながら最初に行ったのが、ゲンさんが営んでいるカフェでした。桃源郷のような沖縄の山村の暮らしに初めて出会い「いいな」と思っていると、時々観光バス一台分ぐらいの大きなヘリコプターが低空飛行してくるんですよ。ゲンさんも高江で木工職人をしている伊佐さんも「(社会的な)運動」という言葉が大嫌いで、反対派と言われるのも死ぬほどイヤだし、反対運動をしているのではなかったのです。自分の家の目の前にヘリパッドを作られると言われたら、どこの父親でも体を張って阻止しますよね。どうしたらいいか分からず、工事が来てしまったらもう座り込むしかないじゃないですか。「俺をのかせてでもやれ」と。そうしたら通行妨害になってしまったわけです」
 
――精一杯の抵抗手段が国に奪い取られたわけですね。
「自分にとって、とても変なことを国が決めて、それに抵抗したら、国策を阻止したと訴えられる。つまり、誰でもゲンさんになる可能性はあるし、伊佐さんとして法廷に立たされる可能性はあるということで、これは日本の国民は今そういう運命にあるという話なのです。本当に怖い社会になっていますが、「こんなことあっていいの?」ということがニュースになっていないですよね。琉球朝日放送はニュースにしているのですが、みんなには届かないのです」
 
我々大人は、再び小学6年生の女の子に
「国と沖縄との60何年続いている不幸な関係」を背負わせてしまった
 
――現場にいなかったゲンさんの幼い娘さんまで訴えられる常識では考えられない事実も明らかにしていますが、この事実を伝えることも映画の目的ですか?
「「ヘリが来たら怖いから、おもちゃをもって逃げる」と言っていたかわいい海月ちゃんが訴えられたことを知り、愕然としました。こんなにわかりやすい嫌がらせをするなんてと思うし、でもその瞬間に7歳の子が訴えられたということで、メディアも高江のことは無関心だったのに取材に行ってしまうのです。高江の人たちは海月ちゃんをさらし者にしたくないので、取材はやめてほしいと言われました。私もインタビュー素材をもっていたのですが、そこからは映像も出さず、そういうインタビューも一切しないで3年ぐらい過ごしてきました。昨年この作品を『標的の村』として全国ネットに流す時も、全国ネットに流れた後に彼女が「基地に反対している象徴」みたいに祭り上げられるようなことがあったら、責任をとれるのかという思いがあって、ずっと躊躇していました。両親にインタビューのことを話すと「三上さんだったらいいよ」と言ってくれましたが、周りの人たちには反対されました。結局遠慮がちに撮ってきた記録が、作品に使われています」
 
――なるほど。だからこそ最後に海月ちゃん自らが語った言葉や、踊る姿から、基地問題と闘う親の背中を見て育った子どもの強さ、家族への想いを強く感じとれました。
「インタビューの朝はインタビューをする方もされる方も泣いている中で、私が海月ちゃんに無理矢理「言い残したことはないですか」と言ったら、「私が引き継いでいく」という言葉が出てきたんです。95年の米兵少女暴行事件で犠牲者になりながら、次の犠牲者を出さないために訴え出たのも小学6年生の女の子でした。沖縄のメディアで基地問題に携わるときに、その子のことを考えない人はいないと思うんですよ。でもまた同じ6年生の女の子に、国と沖縄との60何年続いている不幸な関係との闘いを「私が引き継いでいく」と言わせてしまった訳です。この間大人は一体何をやっていたのだろうと一番最後に頭をなぐられた気持ちでした」
 
次の不幸な出来事を止めるため、
古傷をえぐりだしてでもベトナム村のことを公にする
 
――ベトナム村のように、高江が再び「標的」になろうとしているのでしょうか?
「アメリカ軍は独立している国の国民であるはずの高江の人たちを、ベトナム人役にしました。空砲であっても、銃を向けられて気持ちいいわけがありません。そして今また集落は一つの目標物になっているということは、確かなのです。ただ「軍隊の練習の目標物になっている」と私が言っても、全国の人は大げさと思うに決まっています。私もかつては「そんなわけはない」と思っていましたから。ベトナム村の話を出すことで「アメリカ軍はそんなことまでするのか」と、理解はしやすくなるのではないでしょうか。そのために古傷をえぐりだしてでも、ベトナム村があったということを公にしないとダメだと思いました」
 
――相当な覚悟で、ベトナム村の事実やインタビュー映像を挿入したのですね。
「次のもっと不幸な出来事を止めると信じ、そういう表現になればいいなと思って作っています。ベトナム村のことをインタビューするときも、高江の人たちは、本音をいえばそんなことを聞いてほしくないのです。たくさんの人に断られた中で、ほんの少しの喋った人だけが映っているわけですよ。だからこそ、高江の人たちを傷つけた以上の表現をする責任があるのです。でも「伝わるものを作る力量がないのなら、人を傷つけてまでそんなことをするな」と自分には言い聞かせています」
 
――最後にこの作品ごらんになる皆さんに、どういう風に観ていただきたいですか?
「どうしてこの人たちは苦しまなければいけないのかを、たぶん観ている人が考えると思います。だから、高江の子たちを苦しめているものの正体をちゃんと考えたいという気持ちになっていただければ、それぞれが動き出してくれる可能性があるのではないかと。それに期待したいですね」
 
 
(取材・文:江口由美)
 



(2013年8月21日更新)


Check
三上智恵監督 プロフィール(公式より)
みかみちえ●1964年東京生まれ。父の仕事の関係で12歳から沖縄に通い、成城大学で沖縄民俗を専攻。卒業論文『宮古島の民間巫者に見る霊魂観~タマスウカビを中心に~』。アナウンサー職で大阪毎日放送(株)入社。8年後の1995年、琉球朝日放送の開局とともに両親の住む沖縄へ移住、第一声を担当。以来夕方ローカルワイドニュース「ステーションQ」のメインキャスターを務めながら(17年目)、取材、番組制作に奔走。沖縄民俗学の研究も継続し、放送業と並行して大学院に戻り、2003

Movie Data





(C) 琉球朝日放送

『標的の村』

●8月31日(土)より、第七藝術劇場
 9月7日(土)より、京都シネマ
 神戸アートビレッジセンターにて公開

【公式サイト】
http://www.hyoteki.com/

【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/162646/

Event Data

舞台挨拶決定!

【日時】8/31(土)10:00回、14:20回
【会場】第七藝術劇場
【料金】通常料金
【登壇者(予定)】三上智恵監督