インタビュー&レポート

ホーム > インタビュー&レポート > ドキュメンタリーでもなければ再現ドラマでもない。 役者がどう感じたのかがそのまま映し出され、 演技を超えた表現となって観る者の胸を締め付ける。 『遺体~明日への十日間~』君塚良一監督インタビュー

ドキュメンタリーでもなければ再現ドラマでもない。
役者がどう感じたのかがそのまま映し出され、
演技を超えた表現となって観る者の胸を締め付ける。
『遺体~明日への十日間~』君塚良一監督インタビュー

“一切報道されなかった被災地の記録”と大きな反響を呼んだ石井光太のノンフィクションを基にしたヒューマン・ドラマ『遺体~明日への十日間~』が梅田ブルク7ほかにて上映中。西田敏行演じる主人公を軸に、東日本大震災の知られざる惨状を描く。未曾有の大災害に直面した人々は死とどう向き合ったのか? いま明かされる真実が深い感動を呼ぶ。そこで、監督を務めた君塚良一(『踊る大捜査線』シリーズの脚本家)に話を訊いた。

 

――本作を撮ることになったきっかけを教えていただけますか?
 
「実は18年前、阪神淡路大震災のドキュメンタリー番組に構成で入っていたんです。そこで見た素材の中には路上にあるご遺体が映った映像もありました。しかし、テレビでドキュメンタリーを放送する時に、そういった惨状を見せるべきなのかどうか。それは、見せるべきではない。そこは悩みませんでした、何故ならテレビだから。スタッフみんなで相談して決めたことですが、結果的に見て辛い部分はカットしました。ただそれで、本当に真実を伝えられたのかどうかという思いが僕の中に少しだけ残っていたんです。」
 
――阪神淡路大震災も関わってらっしゃったんですか。
 
「でも、そのことをずっと思い続けていたわけではなく、ほぼ忘れていたんですがね。それであの日、東日本大震災が起きた。そのころの僕はちょうど『踊る…』の脚本を書いていて、ニュースで震災の状況を見ているだけで何も出来ないことに少し後ろめたさのようなものを感じていたんです。そんな時に石井光太さんのルポルタージュと出会い衝撃を受けた。それで、今回はきちんと辛い部分も含めて描き、たくさんの人に伝えなければいけないと。この原作と出会ったことは僕にとっては運命みたいなものですね。」
 
――それで、映画に。
 
「観たくない人は観なくていい、それが映画というメディアですから。その中できちんと人の死をみつめて作ろうと思いました。テレビを後悔しているわけではないんです。ただ、テレビと映画では違う角度から伝えられるかなと思った。それが僕に出来る方法だから。」
 
――日本を代表するような豪華な俳優が多数出演され、演技とは言えないような演技を見せてくださってますね。
 
「観た後の感想で聞かれたのが「俳優が出てる分、辛すぎることもなく観られた」というのもありましたが、でもそういった効果については僕も後から気づいたことで、僕が何故あの方々にお願いしたのかと言うと、この映画は演技が通用しないと思ったからなんです。体育館の中にご遺体が運ばれてくる状況というのは非日常なわけじゃないですか。」
 
――そうですね。
 
「僕もその場にいたわけではないし、その場で自分の中に生まれた心や感情、どう思うかを追体験してもらう。だから僕には演出が出来ないわけです。自分をさらけ出して辛いと思ったら辛いことを演技に変換するというのは優れた俳優さんにしか出来ない。それでいて自然な演技が出来る方にお願いしたら結果的にこういった著名な方々が集まってくださった感じなんです。」
 
――みなさんに原作を読んでもらったんですか?
 
「いえ。まず、今話したような僕の思いと何故作りたいのかというお話をしました。震災に関してはスタッフも含めてそれぞれに思いがあるでしょうから、やりたくない場合は断っていただいても結構ですと。みなさん悩まれてましたけど「やります」と言ってくださった方々に台本を渡しただけなんです。俳優のみなさんアプローチの仕方が違うので、原作もきっちり読む方もいれば、背景も調べて役に入る方や原作は読まないほうがいいという方もおられます。中には、一度現地に足を運ぼうというような方もいますし。みんなモデルとなった方がいるんですけど、モデルの方と会うか会わないかというのもそれぞれなんで、それは任せました。でも出ると決めた時点で、みなさんは役者として何ができるか、芸能という世界にいて被災地のために何ができるかということを考えて決めてくださったんだと思います。」
 
――ただ、この作品は辛い悲しいだけではなく人間の温かさに感動しました。
 
「本当に起きたことが書かれた原作があって、それをそのまま映画にしたということで創作はまったく加えていないんです。あれほどの大きな災害になるとは誰も思ってなかったし、遺体安置所にマニュアルがあるはずもなく大混乱している。そんな中でいつの間にか人間そのもの、日本人らしさが出てきた。それはご遺体を番号で呼ばず名前で呼んであげましょうということや、ご夫婦は並べてあげましょうということだったんですよね。これについて海外で「何故だ? 非合理的だろ。」という意見も出ました。トラックでご遺体を運ぶ時も「山積みで運べばいいのに何故4体づつ運ぶんだ?」と。そうしなくてはいけないからやったわけではなく、ご遺体を重ねるという発想がなくて1日何十往復もしていた。僕らはあれを見てもそんなに不自然じゃないですよね?」
 
――ええ。そうですね。
 
「それはやっぱり日本人特有の情に強いところ、良心なんですかね。人が亡くなってご遺体であってもそれは人であり、家族、知り合いである。人を大事にする日本人の気持ちというが結果よく出た場になってしまった。辛い場ではあるんだけど、それはきちんと伝えようと思いましたね。」
 
――中でも、母親の遺体に娘さんがメイクする場面がとても印象的でした。
 
「あの場面は本当のことを言えば、西田さんがお化粧することになっていました。ただ、あの現場は順撮りで撮っていましたから、このご遺族の娘さんがずっと朝から晩まで座ってるのを見ていて、本番前に西田さんから「彼女に化粧をさせてあげたい」と言われたんです。それはシーンとして良くなるということではなく、西田さんの心がそう思ったんですよね。それでリハーサルもせず撮影となりました。だからあのポーチの中には化粧道具が揃っていなくてハンドクリームを使ったんですよね。映像も残ってなくて写真が1枚残ってるだけですからスタッフもキャストも事実は知らない。再現することは不可能だから僕らが追体験をしてあそこにいたらどう思うだろうということを考えながら撮影したんです。なので、あの場面は事実とは少しずれたんですが真実は動いてないと思ったんです。アドリブと言えばアドリブですが、娘さん役の女優さんは本番で初めて母親のご遺体にお化粧をした。だから彼女も自分のお母さんのことを喋ってるんですよ。」
 
――母親の遺体を前に自然と生まれた笑顔が温かかったです。
 
「そうそう。あれは本当に自然な笑いでリハーサルを重ねてたら演出が入ったりするかもしれないけど、あの場で思って感じたことがそのままOKとなったんです。だから1回しか撮ってない。」
 
――西田(敏行)さんは現場で靴を脱いでいますね。
 
「靴を脱ぐというのは台本にはなかったんですが「ご遺体は家族みたいなものだからここは畳と一緒。死んだ人の家の畳の上に土足で上がる人はいないだろう、僕は出来ない」とおっしゃったので、それでは靴を脱いでくださいと言いました。それをモデルとなった方も観てくださって「自分もこうしたかったんだ」と言ってました。」
 
――酒井若菜さんも他の作品で観る彼女とは印象が違っていて驚きました。
 
「若い方はとにかく感性が強いですから、あの状況に入った時に演技や計算が出来なくなってしまってるんですよね。さらけ出しちゃってる。酒井さんが生まれてどう育ったかが出てしまうくらい、志田さんもそうだし、被災者の役だった方もみなさんそうで。みんな普通の役者さんですからね。全部出てきてしまったんですね。結果的に自分に正直にカメラの前に立ってくれたということですね。」
 
――志田未来さんの姿も鬼気迫るものがありました。
 
「志田さんにはその役柄の方が普段どのような生活をしていたかという説明をしただけなんです。高校を卒業して公務員になって、おじいちゃんやおばあちゃんの愚痴を聞きながら9時17時で働く、仕事が終わったら家に帰ってお母さんが作った御飯を食べて、テレビを見てネットをやって寝るというような生活をしていた。土日は出かけたとしても電車で2時間の盛岡まで行ったりするくらいだろうと。そういう子だよという話をしたんです。」
 
――そうなんですか。
 
「それで、小さい子どもの遺体が運ばれて来た時に彼女は「わたしは役に立たない人間だと思った」と言っていました。わたしなんて世の中の何にも役に立ってない。なのになんでこんな小さな子が亡くなってしまったんだと感じたらしく。それで身体はどうなったかというとカメラから離れていったんです。壁際に背中を向けてしまった。それを僕は彼女がそう感じてそう動いたんだからOKにしたんです。本当を言えば映画だからアップで撮りたいところでもあります。でも背中しか映ってない。」
 
――そんな状況ではカメラの方も大変そうですね。
 
「人形ではあるんだけど、ご遺体にカメラを向けるという行為は全部自分に問いかけられるわけです。このことが今までのカメラマンの人生として何なのか、撮ってどうなるのか、表現者としてこれが正しいのかとか。それは美術さんも一緒でみんな悩んで泣きながらご遺体を作っていました。スタッフも様々だけど、作ることが映画人としての供養なんだと思う人もいたし、作って記録として残すということが映画の役目なんだと思う人たちもいたようです。」
 
――確かに残すということの大事さを感じました。
 
「僕が震災に対してどう思ったかを描いたわけではないし、震災をモチーフにして何かを描くわけでもなくて、とにかくこれを伝えなくてはいけないということです。想像以上に大きなことが起きて辛い悲しいこともあった。被災地で悲しむ人もいるけれど同時に生きてる人たちもいて、あるいは立ち向かった人たちもいる。これがまたどこで起きるか分からないので、それは伝えていかなくてはいけない。僕が出来ることはそれだけだったんです。」
 
――今までの作品とはまったく違うものかと思いますが、監督にとってこの作品はどういったものですか?
 
「本当に特別です。とにかくたくさんの方に伝えたいということが1番だったんです。しかも人の死も描かなくてはいけない。ただ、お客様には観る観ないの選択が出来る。僕はそれを伝えるための装置でいいんです。そこを割り切って覚悟を決めたら、記録的なリアルなものになったということです。」
 
 
 この映画は、ドキュメンタリーでもなければ再現ドラマでもない。あの場で役者がどう感じたのかがそのまま映し出され演技を超えた表現となって観る者の胸を締め付ける。君塚監督は「役者というのは身体を武器に物事を表現するわけですから、全員が自分に問いかけた。だから嘘がない。だから僕も含めて全部出てしまったんです。それが1番真実に向かい合えるんじゃないかなと思った。」と語った。
 



(2013年3月26日更新)


Check
君塚良一 監督●日本大学芸術学部卒業後、萩本欽一に師事。番組構成からテレビの脚本家として活躍。97年からTVシリーズ「踊る大捜査線」の脚本を手がけ、映画『容疑者 室井慎次』(05)では、監督・脚本を務めた。その他の監督作品として『MAKOTO』(05/兼脚本)、『誰も守ってくれない』(08/兼脚本)がある。

Movie Data


(C)2013フジテレビジョン

『遺体~明日への十日間~』

●梅田ブルク7、T・ジョイ京都にて上映中
●4月6日(土)より、ワーナー・マイカル・シネマズりんくう泉南、舞鶴八千代、イオンシネマ久御山、ワーナー・マイカル・シネマズ三田ウッディタウン、水口アレックスシネマ、ワーナー・マイカル・シネマズ西大和
●5月11日(土)より、塚口サンサン劇場
にて公開

【公式サイト】
http://www.reunion-movie.jp/

【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/160486/

【STORY】

2011年3月11日、東日本大震災が発生し、数多くの人々の死亡が伝えられる。元葬祭関連の仕事をしていた相葉(西田敏行)は混乱を極める遺体安置所でのボランティアを市長に直訴。安置所の世話役となった彼は故人の尊厳を守りながら遺族のもとへ帰すため日夜奔走する。