ホーム > インタビュー&レポート > 「僕たちはかけがえのない瞬間を生きている」 母と子の激しくも優しい愛情を描いた『しあわせカモン』 原作者かつ主題歌『ユキヤナギ』を歌う松本哲也に 作品にまつわる数々の奇跡と“被災地の今”を聞いた
--映画『しあわせカモン』がいよいよ封切りになりますね。この映画では、お母さんのことはもちろん、松本さんの人生も赤裸々に描かれていますね。
松本哲也(以下、松本):まあ…、バカなことをやってるよなぁって、自分も当時より少しは大人になっているので、そういった部分は冷静に見ましたね。ただ、今だったら「俺がもし、近くにいたら分かってあげられたのになぁ」って思いましたね。
--お母さんは波乱万丈の人生ですが、何かカラッとした印象でした。
松本:そうですね。覚せい剤中毒とか、精神課に入院とか、ディープな内容でしたけど、汚れてはいなくて。そこはすごく嬉しいですし、救いでしたね。
--そんなお母さん役が鈴木砂羽さん。素敵でしたね。
松本:そうですね(笑)。そっくりなんですよ、実は。自分の親をこう言うのは照れくさいのですが、うちのおふくろってかわいらしい人だったんです。猪みたいにうわーって突っ走って、失敗してうわんうわん泣いたりとかして(笑)。そういうところだとか、立ち姿やしゃべり方、仕草とか、本当にそっくりでしたね。飲み屋街のシーンは、当時、おふくろが働いていた実在の場所で撮ったんですが、おふくろのことを知っている人が結構いたんですね。それで、ロケを覗きに来て「似てるね」って言ってくれたりしました(笑)。
--松本さんから砂羽さんに細かくお伝えしたというわけではなく…?
松本:自然ですね。ほんと、気持ち悪いですよ(笑)。会ったことあるのかな?っていうくらい似ていました。砂羽さんがロケで岩手に来られた初日に、お食事をしながらちょっとお話したんです。ただ、そのうち僕はすっかり酔っ払ってしまって、最終的には訳がわからなくなったんですけど…。
--その時の話も含めて、砂羽さんは撮影に挑まれたんですね。映画を観て、びっくりしませんでした?
松本:しました(笑)。僕が細かく伝えたのかもしれませんが、酔っ払って記憶にないので…(笑)。でもタバコの吸い方とも、似ていると思いましたね。
--そして主題歌の『ユキヤナギ』でメジャー再デビューも決まりました。2003年3月にメジャーから一旦離れて岩手に戻り、それから約10年後に再デビューと。この10年間は松本さんにとってどういう時間でしたか?
松本:何でしょうね。振り返るにはまだ早いような気がするのですが、でも、2002年5月にデビューして、それからいろいろあって田舎に帰って。田舎に帰った時は、音楽を辞めようかと悩んでいたのですが、教護院時代の音楽の先生が助けてくれたんです。先生は音楽療法士の資格を持っていて、乳がんの啓発運動とか、ボランティア活動もすごく真剣にされていて。その先生に誘われたことで障害者の方や病気で苦しんでいる方に出会う機会が増えたんです。みんな、音楽がすごく好きで。歌っている時はすごくいい顔をするんです。大変な状況の中でも歌を歌うことで元気になっていく姿を直に見させてもらって、音楽ってすごいなと思って…。そういう活動を経て、音楽ってそういうものなんだなって考えるようになって。CDがたくさん売れるに越したことはないのですが、そうじゃないところに基本があるんだなって。だから、変なこだわりもその時点で消えました。
--変なこだわりというのは?
松本:まあ、メジャーを辞めて岩手に戻って、“失敗した”という気持ちもありました。希望を持ってデビューをしたわけですから。まあ、あの頃は、ぐっちゃぐちゃでしたね。おふくろが死んで、メジャーも降りて、そういうことが自分で全然、消化も整理もできない状況で。
--時間だけが過ぎていく。
松本:そうですね。でも先生が「いいからやりなさい! 来なさい!」って言ってくれて。そうやってボランティア活動をしていくうちに自分の気持ちがしっかりしてきて。そういう中で、もう1回、(メジャーで)勝負したいという気持ちもあったのですが、そんな時に東日本大震災ですよね。それからはもう、自分の曲を書くとか、そういう気持ちがすっかり遠ざかりましたね。
--自分のことよりも…。
松本:みんなが歌えるものをと思って。それでも全然、違和感なくて。でもある時、(岩手の)沿岸の人が「てっちゃん、もう、俺たちのことはいいから、てっちゃんはいい歌を書いて、歌って、そうやって歌で励ましてくれ」って。
--そう言ってくださった。
松本:はい。僕は大船渡で育ったので、沿岸の人とはそもそも震災前から付き合いがあって、震災前から僕のことを応援してくれていたんです。『しあわせカモン』がお蔵入りする前、2009年の上映会も沿岸で開いて、それをきっかけに応援してくれる人も増えたりして。なので、沿岸の人は仲間というか、僕にとって家族ぐらい大事な存在なので、だからもう、無意識で支援に行きますよね。
--映画はお蔵入りし、そのことすら忘れた頃に震災が起こって、ご自身の活動そっちのけで復興支援をしているうちに、『しあわせカモン』が『お蔵出し映画祭2011』に出品されて、グランプリを獲って…。なにか、頑張ってきたご褒美みたいですね。
松本:そうなんですよ(笑)。僕ね、神様はちゃんと見てくれてたのかなって(笑)。おふくろたちがあの世でいろいろ、動いてくれたのかなって。
--お母さんがプレゼントをくれたような気持ち。
松本:それはすごく感じていて。今年の3月に僕の大事な人を1人、亡くしていて、その人も結構強烈な人だったんですけど、『ユキヤナギ』がめっちゃ好きだったんです。ずっと『あんちゃん、売れろよ!』って言ってくれて。すごい酒好きで、その人のせいで僕は20キロくらい太ったんですけど(笑)。
--ああ、飲みに付き合って?(笑)
松本:はい(笑)、ずっと応援してくれてて。でも結局、飲み過ぎで死んじゃって。教護院の音楽の先生も実は乳がんで亡くなっていて。大切な人が3人も向こうに行っちゃったんですけど、なにか、みんなで相談して、「あいつ頑張ってっから、何とかしてやろうぜ」って動いてんじゃないかな、応援してくれてるんじゃないかなって思いましたね。そもそも有り得ないことですからね。
--再デビュー曲の『ユキヤナギ』は当初、映画のために書いたんですよね。その時は、メジャーで再び勝負したいという気持ちとは切り離して作られたんですか?
松本:二十歳の頃、ストリートライブで歌っていた『I Wish...』という曲があるんですが、中村監督は最初、それを使いたいと言ったんです。でも僕は絶対、書き下ろしたかった。それで『ユキヤナギ』が出来て。この時、おふくろに向けた曲をやっと作れたなぁと思ったんです。それまでもおふくろに向けた曲は何曲か作っていたんですが、ちゃんと表現しきれていないと思っていて。『ユキヤナギ』はメジャーで勝負をしたいというより、おふくろが映画というプレゼントを僕にくれたから、それ応えたいと思って作りました。ただ、楽曲だけはきちんと、世の中に出したいなという気持ちはありましたね。
--そしたら、メジャーの話が浮上して。
松本:まあ、いろんな方が協力してくれて…。映画も『お蔵出し映画祭』出品から急展開で(笑)。
--映画自体も、こういう運命を辿るとはという感じでしょうね(笑)。再デビューにあたってはどういうお気持ちでしたか?
松本:再デビューが決まる前に、端的に言うと、沿岸の人に「テレビで観るような人になってくれ」というようなことを言われて。「そっかー、確かになぁ…。俺、炊き出しの兄ちゃんじゃないよな~」って(笑)、そういうことを思い始めていたんです。そうするうちに決まって。ただ、自分のためのデビューじゃないと思いましたね。
--二十歳の頃のデビューとは違う。
松本:そうですね。当時は自分のことだけ、自分の中にあるぐちゃっとしたものをどうやって出すかということだけを考えていたような気がします。今回は、沿岸の被災した人や復興食堂で出会った人、メジャーだろうが、インディーズだろうが、素人だろうが関係なく、僕の音楽活動を支えてくれて、応援してくれる人、仲間、もちろんおふくろも先生も、そういう人たちにお返しをするための再デビューかなと思います。あと、多分、使命があるのだと思います。被災地はいまだ、瓦礫を避けただけで復興は何にも進んでいないですし、孤独死している人もいます。そういったことをたくさんの人に伝える使命があるんじゃないかなって思いますね。被災地を忘れないでくれって。
--再デビュー後も岩手を拠点にされるんですか?
松本:はい。岩手に住みます。やっぱり岩手を出ちゃいけないって思います。
--それはなぜですか?
松本:僕はいろんな人の希望を背負っているので…。だって、嬉しいじゃないですか、いつも一緒に飲んでいるようなヤツが全国で活躍してたら(笑)。それもだし、僕と同じように施設にいる子どもたちがいっぱいいるし、施設を出て頑張っている仲間もいっぱいいるから、「あいつが頑張ってるなら俺も頑張ろうかな」って、そういう存在になれたらいいなと思います。
--今になって思うと、何か、すべては今のために動いていたという感じがしますね。
松本:そうですね。タイミングってあるんですかね…? 随分歯車の狂った人生を送ったような気がしていましたが、でも振り返ると…、さっき振り返るにはまだ早いと言いましたが、全部が無駄じゃなかったような気がしますね。
--そう思えるなんて、素晴らしいことですね。話はそれますが、被災地のことをお聞きしたいのですが、岩手の沿岸地域は今、どうなっていますか?
松本:まだ何も進んでいません。仮設店舗ができたくらいで、瓦礫は残っていますね。端っこによせて山になって。ただ、被災した建物は9割ぐらい、解体されています。更地に草が生えていて。そこには元々、何もなかったんじゃないかっていうような、原野のようになっていますね。
--街づくりも進んでいない?
松本:そうですね、復興計画は何も見えていないです。
--線路なども?
松本:全然です。線路を敷くのはやめて、バスを電車代わりにしようかとか、いろんな案も出ていますけど。三陸鉄道は何とか…。とはいえ10年以上はかかるようです。三陸道路という内陸から続く幹線道路は途切れ、途切れですが、少しずつ復旧していて。ただ、お年寄りは車を運転しないので、病院に行くのも大変な状況ですね。
--地域の方は復興に関してはどのようにおっしゃっていますか?
松本:みんな、分かってますからね、どうしようもないって。二重ローンも組めないし、たとえ元の土地に家を建ててもいいとなっても、これから建てるのは厳しいって。特にお年寄りはローンを返せないし。諦めている人もたくさんいます。でも、諦めないで頑張っている若い人もどんどん増えています。そんな若い人たちが言うのは「金も物資も要らないから、友達になってくれ」って。
--沿岸に来てほしいと?
松本:来てほしい。来て、友達になってくれって。状況を伝えたいんでしょうね。その裏を考えると、忘れられるのが怖いってことですよね。仮設ですけど、食堂とかも少しずつ復興しているので、東京とか、関西の人にもどんどん岩手に来てほしいですね。以前は被災地に行くのはどうかなという空気があったと思いますが、今はもう、どんどん来てほしい。岩手の沿岸は内陸から2時間半ぐらいかかるので、結構、陸の孤島のような感じなんですよね。
--飛行機と電車とバスの移動で、大阪からだと8時間かかりました。
松本:そのくらいかかりますよね…。いずれ復興して、建物も増えて、きれいな街ができると思いますが、でも今、この状態を見てほしいです。空気とか、温度とか、匂いとかも、できるだけたくさんの人に観てもらいたいし、知ってもらいたいですね。
--自分の目で見て、肌で感じると、被災地への思いが全く、変わります。皆さんの元気な声も直に聞きたいですね。
松本:そうですね。みんな感謝しています、本当に。辛い時にいろいろしてくれて。支援金や物資ももちろんですけど、遠いのにわざわざ岩手まで来てくれて、炊き出しをしてくれた人もたくさんいて。感謝しています。地元の人たちみんな、「もし、同じことが他のところで起きたら、うちらが応援しに行く」って言っています。
--松本さんもずっと、被災地の支援をされていますが、音楽で被災者の胸の痛みが和らいでいるという感覚はありましたか?
松本:ありましたね。でも、音楽だけではダメだと思いました。人がいないと。ライブとか、その場所で出会った人たちといかに繋がっていくかだと思いましたね。
--なるほど。では、最後に、『しあわせカモン』の公開にあたって、松本さんから読者の皆様へ、メッセージをお願いします。
松本:そうですね…鈴木砂羽さんのぶっ飛んだ演技をぜひ楽しんでください(笑)。まあ、『しあわせカモン』は有り得ない物語かもしれないけど、意外と身近なところに落っこちているかもしれない事だと思うんです。児童自立支援施設にはいろんな事情を抱えて、布団の中で毎晩、泣いている子どもたちがいることを知ってほしいし、いつ別れが来るか分からないので、親だったり、仲間だったり、友達だったり、人を大事にしてほしいし、大事にしたいと思える映画だと思います。あとは……覚せい剤はやめましょう!(笑)
--別れは本当に、突然やってきますもんね。
松本:やっぱり、僕たちはすごくかけがえのない時間や瞬間を生きているんだと思います。些細な日常でも、一緒にいられることはすごく大事なことだと思いますね。
(取材・文/岩本和子)
(2013年1月24日更新)
Single
1260円(税込み)
発売中
WPCL-11290
●1月26日(土)より、
シネ・リーブル梅田ほかにて公開
『しあわせカモン』公式サイト
http://shiawase-comeon.jp/
『ぴあ映画生活』鈴木砂羽インタビュー
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130125-00000008-piaeiga-movi
日時:1月26日(土)
本編上映 16:00~
舞台挨拶 18:00~
舞台挨拶 20:10~
本編上映 20:25~
予定ゲスト:鈴木砂羽、松本哲也(主題歌)
※登壇者は予告なく変更になることがありますが、ご了承下さいませ。