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「なぜ“先生を流産させる会”という言葉に衝撃を受けた理由を
突き詰めたかったんです」国内外で注目を集める問題作
『先生を流産させる会』内藤瑛亮監督インタビュー

 実際に日本であった事件を題材に描かれる衝撃の問題作『先生を流産させる会』が、9月14日(金)まで第七藝術劇場にて公開中、その後9月8日(土)~21日(金)まで京都みなみ会館にて、9月22日(土)~28日(金)まで神戸アートビレッジセンターにて公開される。担任の女性教師の妊娠に反発を覚えた女子中学生たちが結成した“先生を流産させる会”が行なった、驚くべき行動が映し出される。そこで描かれる少女たちの予想もつかない行動と衝撃的な内容が、カナザワ映画祭、ドイツ・ニッポンコネクションなど国内外の映画祭で大きな反響を呼び、先に公開された東京でもその反響からヒットを記録している作品だ。本作の公開にあたり、内藤瑛亮監督が来阪した。

 

 担任の女性教師の妊娠に対して、女子中学生たちが“気持ち悪い”と感じて結成した“先生を流産させる会”。実際の事件を題材に作られた本作だが、まずは映画を作るきっかと、この事件を題材にした理由を監督に聞いてみるとー

 

内藤瑛亮監督(以下、内藤):母親がホラー好きだったこともあって、小さい頃からホラー映画を観ていたので、自主映画でホラー映画を撮って色んなコンペに応募していたんです。でも、中々コンペに通らなくて、それに対する苛立ちを抱えながら、じゃあどうすれば通るのか考えた時に、社会的な事件を題材にしたら観てもらえるんじゃないかと思ったんです。ホラー映画も実際の事件を基にして作られたものも多いですし。何かそういう事件がないかと図書館で過去の新聞記事を見ていて、この事件に目がいきました。“先生を流産させる会”という言葉に衝撃を受けたんです。すごくおぞましい言葉だし、否定されたくないものを否定されたような感覚があったので、その理由を突き詰めて考えれば、僕たちが肯定したいもの、大切にしたいものがみえてくるんじゃないかと思ったんです。妊娠とか流産ってすごくセンシティブな問題だと思いますし、「こんなタイトルの映画観たくない」という人もいると思うんです。それだけ触れちゃいけないものだということと、“先生を殺す会”よりも“先生を流産させる会”の方がはるかにおぞましい気持ちにさせられることの理由を突き詰めたくてこの映画を作りました。

 

 そのように、自分たちが肯定したいもの、大切にしたいものを描くため、題材に選んだ事件だが、実際の事件と違い、女子中学生を主人公にした意図はどのようなものだったのだろうか。

 

内藤:男子生徒のまま描いてしまうと、先生が嫌いということが一番の動機になってしまうと思ったんです。そうではなくて、妊娠そのものに嫌悪を感じるキャラクターじゃないと、僕がこの言葉に感じている違和感に迫ることができないと思いました。10代の女の子は、少女から子どもを産める身体に変化していくことを体験するので、妊娠に対する嫌悪感を持つキャラクターを作ることができると思いました。そこには、自分の実体験を取り入れた部分もあるんです。僕が中学生の頃に、同級生の女の子ふたりが昼休みに、SEXとは言ってなかったと思うんですが、「そういうことで自分たちが生まれたって考えると気持ち悪い」と話しているのを聞いて、女の子の中にはそういう感覚があるんだと興味を持ったことを思い出したんです。そして、もうひとつは、高校時代の同級生の女の子で「そういうことは絶対したくない」と言っていた子が、大学に行ったらけろっと「してるよ」と言っていたのも思い出して、そういうことに対して嫌悪感を持っていても、意外とけろっと大人になると受け入れてしまうような、変わり目のところを描きたいと思いました。

 

 しかし、いざ女子中学生を主人公にしようと思っても、男性である監督が、思春期独特の少女ならではの微妙で繊細な感覚を表現するのは、とても難しかったのではないだろうか。監督は、その女性独特の感覚をどのように膨らませていったのだろうか。

 

内藤:出来るだけ、脚本を女性に読んでもらって意見を聞きましたし、産休中の先生など、たくさんの女性に取材しました。そうすると、「女はこんなこと絶対しない」という派と「妊娠を嫌だと思う感覚はわかる」という派に反応が真っ二つに分かれて、中間はいなかったんです。だからこそ、題材として面白いと思いましたし、まるで自分が女代表であるかのように“女は”という言い方をすることにも驚きました。それが悪いことというのではなくて、自分が女だということを自覚する瞬間が多いんだろうな、と思ったんです。10代の頃は、僕はほとんど女の人としゃべったりできなかったので、ずっと女性を観察していたんです。その観察の結果がこの映画に活かせたと思います(笑)。

 

 また、思春期の少女ならではのもやもやとした鬱屈した感情と、グループ内での絶妙なパワーバランスを表現した5人の女の子たちが、全員演技初挑戦であったことも驚きだ。特に、リーダー格の少女・ミヅキを演じた小林香織の眼力と存在感には圧倒された。

 

内藤:全員、素人です。事務所に所属していない子で募集したんですが、こういう題材なので中々集まらない中で、少ない応募者とそのツテを辿って選びました。でも、中心人物となるミヅキ役の子は全然見つからなかったんですが、制作部の友人の娘さんの写真を見せてもらった時に、その眼力に圧倒されて、演技力よりも存在感が必要だと思って、説得のうえで出てもらいました。現場でもミヅキ役の香織ちゃんには、「あの人はむかつく人だから」や「じっと見て」など、少ない指示だけで演じてもらったんですが、逆に集中力が途切れた時の表情に、ある種空洞っぽい怖さを感じたので、それを活かしました。

 

 さらには、自分の子どもだけは、“先生を流産”させようとするわけがないと信じる5人の少女の母親たちの“モンスター”ぶりの描写にも、リアリティが感じられた。

 

内藤:一時期、モンスターペアレントという言葉がニュース番組などで取り上げられていましたが、“モンスター”という言葉でくくってしまうと、理解できなくていい人だということで、ちょっと安心してしまうところがあると思うんです。困った人だけど、そうやって排除してしまうのはよくないと思いますし、その人はその人なりの正義を持って生きているんだと思うんです。この映画で言うと、生徒は生徒なりの正義を持っていて、先生も先生なりの正義を持っているんです。作り手としては、どの正義が正しいという視点ではなくて、それをぶつけあっている摩擦のような状態を見せることが、お客さんに対して誠実な気がしたので、母親は一面的な悪者にならないように描いたつもりです。

 

 そのように、映画を作っていく過程での考えを聞いていくと、本作は衝撃的な事件を題材にした、衝撃的なタイトルの映画ではあるが、あくまでも逆説的な教育映画なのだということがわかってくる。特に、ラストシーンからは、様々なことを感じる人が多いはずだ。

 

内藤:ラストシーンにはすごく悩みました。一度、先生が怒ってミヅキを殺すという脚本も書いたんですが、そうしたら共同脚本のふたりに「それではカタルシスがうまれてしまう」と言われたんです。要するに、悪い子をやっつけたという風になってすっきりしてしまうし、「最近の悪ガキは…」という愚痴のストレス発散と同じになってしまうんですよね。でも、そういう子どももいる社会で我々は向き合って生きていかなきゃいけないのに、殺してしまうとそれを排除してしまうことになるからダメだと言われて、ああいうラストシーンになりました。僕が映画で描きたいことは、“怖い”という感覚なんです。この映画も、流産させられるという“怖さ”を描いたつもりですし、なぜそれを“怖い”と感じるのかということに興味があるんです。単純に、血みどろのシーンや、内臓が飛び出てきたら“怖い”かと聞かれると、別にそこまで怖くはないんですよね。何かこちらの価値観を揺さぶるものがあるから“怖い”んだと思うんです。

 

 最後に次回作について聞いてみると、「次も何か実際の事件を題材にしようと考えています」との答え。弱冠30歳にして、62分という短い上映時間の中に言いたいことや思いを端的に表現してみせた監督の手腕は、衝撃的なタイトルに踊らされることなく、様々な映画祭や批評家たちから評価されている。次回作が楽しみな若手監督が、またひとり登場した。




(2012年8月29日更新)


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内藤瑛亮監督

Movie Data


(C) 2011 内藤組

『先生を流産させる会』

●9月14日(金)まで第七藝術劇場にて上映中
●9月8日(土)~21日(金)、
京都みなみ会館にて公開
●9月22日(土)~28日(金)、
神戸アートビレッジセンターにて公開

【公式サイト】
http://sensei-rsk.com/

【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/159242/