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誰もが知る絵本画家いわさきちひろの
知られざる物語を映し出すドキュメンタリー
『いわさきちひろ~27歳の旅立ち~』
海南友子監督インタビュー

 1974年に死去してからも、多くの人を魅了し続ける絵本画家いわさきちひろ。世代を超えて、広く愛され続ける彼女の繊細かつ大胆な構図を持つ絵は、多くのアーティストたちに影響を与えている。そんな彼女の知られざる波乱の人生を、女性として、また母として、そして芸術家として、それぞれの視点から描き出したドキュメンタリー『いわさきちひろ~27歳の旅立ち~』が、テアトル梅田とシネ・リーブル神戸にて上映中、その後、9月15日(土)より京都シネマにて公開される。本作の公開にあたり、海南友子監督が来阪した。

 

 癒しを与える柔らかい画風で、幅広い層から愛されるいわさきちひろ。彼女が、望まぬ結婚をはじめ、夫との死別、戦争などを通してどん底を経験し、27歳の時に不屈の精神で人生の再出発を果たし、自らの世界を追求していったことはあまり知られていないだろう。まずは、41歳の海南友子監督が何故いわさきちひろのドキュメンタリーを作るに至ったのか、そのきっかけについて聞いてみるとー

 

海南友子監督(以下、海南):山田洋次監督の奥様が私の少し前の作品を観て、気に入ってくださったんです。それからご夫妻とお食事などをする機会があって、その席で山田監督から「いわさきちひろって知っていますか。 彼女の人生ってけっこう面白いんだけど、映画を作る気はありませんか」とお誘いいただいたんですが、ちひろさんの絵は知っていましたが、人間いわさきちひろと言われても全くピンとこなくて、少し戸惑いました。でも、それから3年ぐらいの時間をかけて50人ぐらいの方にインタビューをしていくと、ちひろさんが独特の強さを持った女性であることに気が付いて、働く女性としても大先輩だし、アーティストとしてもプライド高く仕事をしてらっしゃった人だし、すごく尊敬できる方だと思ったんです。さらに、彼女も絵のイメージとは全く真逆の過酷な人生を生きた方だし、そういうところにも興味を惹かれました。

 

 そんなきっかけを経たこともあり、山田洋次監督は本作のエグゼクティブプロデューサーを務めているが、山田監督とはどのように関わっていたのだろうか。

 

海南:山田監督には、何度か編集段階で作品を観ていただいて、長時間議論をしましたし、特に東日本大震災の後は、“今、何を訴えるべきなのか”について、相当長い間議論しました。私自身の妊娠・出産が重なったこともあり、大変な時期でしたが、山田監督と一緒にお仕事が出来たのは本当に貴重な経験でしたし、奇跡のような時間を過ごさせていただきました。

 

 いわさきちひろについての映画を作ることに対して海南監督は、最初は戸惑いも感じていたようだが、彼女の人生を映画にできるという確信が生まれたのはどのようなことがきっかけだったのだろうか。

 

海南:最初は、従兄弟の方やご親戚の方にお話を伺っていたんですが、その頃から複数の方がちひろさんのことを“鉄を真綿でくるんだような人”という表現をされていて、面白い表現だと思っていたんです。真綿の中に、絶対に曲がらない鉄の棒が入っている人柄ってどんな人なんだろうと思いながら取材を進めていったんですが、著作権が確立していなかった時代に、原画の返還や作家の権利を主張していたことや様々なことを知るにつけ、“鉄を真綿でくるんだような人”だと私も思うようになっていったんです。そこを面白いと思うようになって興味がどんどん増していきました。

 

 確かに、絵のイメージからは“鉄を真綿でくるんだような人”という言葉は全く出てこない。しかし、本作を観ると彼女がとても強い意思の持ち主だったことが伝わってくる。では、そのほかにも関係者への取材の中で驚いたことはあったのだろか。

 

海南:おそらく日本人なら誰しもが、どこかで必ずいわさきちひろの絵を見たことがあると思うし、彼女は国民的な大衆的な作家だと思うんです。ところが、そんな有名な人が絵を描き始めたのは、27歳という遅い歳からなんです。私たち人間は、色んなことを言い訳にするんですが、ちひろさんを見ると、27歳で絵を描き始めた時は、戦争によって家も仕事も失っておまけにバツイチで、三重苦の状態ですよね。そこから画家いわさきちひろになったことは本当にすごいことだと思うんです。女性の20代後半というと、今でも出産なのか仕事なのかと迷ったりする時期だと思うので、そういう意味では何十年も前に死んだ作家のおばさんの話ではなく、今迷える女性に向けて作ったという気持ちもあります。

 

 50年以上も前に著作権を主張し続けていたことや、27歳から本格的に絵を描き始めたことなど、驚かされることはたくさんあるが、もうひとつ驚いたのは、いわさきちひろの絵に多く見られる子どもの絵が、ほとんどちひろ自身の息子をモデルに描かれていたことだ。そこにはちひろの息子への強い思いが込められている。

 

海南:自分の息子の顔をベースに女の子の絵を描いたりしていたのは、生まれて1ヶ月半ぐらいの時に経済的な理由で息子さんを実家に預けることになって、1年ぐらい離れ離れだったことが影響しているんです。会えない息子への思いがどんどん絵に凝縮されて、それが彼女の画家としての力になったんだと思うんです。アーティストの方は特に、自分が苦労したり人の痛みがわかるようになるといいものが作れるようになっていくんだということを、私はちひろさんの人生から感じました。彼女は、子どもを描くことは昔から好きだったそうですが、自分の子どもと離れ離れになったことで、そこに本当の意味での深みや強さが加わったと思うんです。それは不幸な経験だったと思いますが、それによって彼女の作家性はすごく高まったし、晩年のちひろさんの絵の世界を広げたんだと思います。

 

 それを知ったことによって、ちひろの絵の見方が変わる方も多いのではないだろうか。

 

海南:私も彼女の絵の見方が180度変わりました(笑)。映画を撮るまでは、彼女の絵をただ可愛いだけの絵だと思っていたんですが、彼女が亡くなって40年経っても愛され続けている背景には、目には見えない母子の愛や、時には戦争に反対する思いが重層的に絵の中に沁み込んでいるからだと思うんです。それが言葉にならなくても、皆さんの心に伝わっているから、ここまで愛され続けているんですよね。

 

 「彼女の絵の見方が180度変わりました」と語る監督だが、関係者への取材や本作の撮影を経て、監督自身のいわさきちひろへの思いも変化したのだろうか。

 

海南:私が一番好きなちひろさんの絵が、晩年にベトナム戦争のことを描いた『戦火の中の子どもたち』という絵本なんですが、そこで彼女は今にも焼き殺されようとしている母子の姿を描いているんです。きっと、燃やされているところを描く方がもっと悲惨なのに、そうではなくて直前の、母親の絶対的な愛に包まれた子どもの姿を描いて、それがこれから壊される悲惨さを伝えているんですよね。たくさんの方に取材した後で見てみると、そういうことを心がけて描いていることがすごくわかりましたし、そこが長く愛されている理由なんだと思います。ベトナム戦争が終わって30年以上経っていても、この絵本が売れ続けていることからもそれがわかると思いますし、ちひろさんの優しいけれど強い絵が、時代や人を超えて伝わっているんだと思います。

 

 当初は戸惑いから始まった取材と撮影だったが、監督自身も妊娠・出産を経て、今ではいわさきちひろの絵の見方について、さらなる変化を感じているそうだ。

 

海南:私の母の世代って、すごくちひろさんの絵を好きな世代なんですが、何故そこまで好きなのか正直少しわからなかった部分もあったんです。でも、自分が実際に子どもを持ってみて、母たちはちひろさんの絵を愛していたのではなくて、絵の向こうに娘や息子を見て愛しているんだとわかったんです。小さな男の子の絵を見ると、自分の息子のように思えてくるんですよね(笑)。親の愛みたいなものが、ちひろさんの絵には純粋につまっているんだと、自分が出産してみて改めて感じました。

 

 監督が語っているように、いわさきちひろという国民的絵本画家の知られざる人生を知ることで、彼女の絵からは、今まで見えなかった思いの強さや慈しみの気持ちが伝わってくるのではないだろうか。ぜひ、映画館で彼女の絵と人生に触れた後は、どこかでもう一度彼女の絵を実際に見ることをオススメします。




(2012年7月25日更新)


Check
海南友子監督

Movie Data

アトリエのいわさきちひろ 1963年(44歳)


いわさきちひろと息子・猛 1954年(35歳)


(C)CHIHIRO ART MUSEUM  いわさきちひろ 立てひざの少年 1970年

『いわさきちひろ~27歳の旅立ち~』

●テアトル梅田、シネ・リーブル神戸にて上映中
●9月15日(土) より、京都シネマにて公開

【公式サイト】
http://chihiro-eiga.jp/

【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/159650/