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余計なものを徹底的に排除した映像で
堤幸彦監督が伝える“本当に必要なもの”とは!?
『MY HOUSE』堤幸彦監督インタビュー

 『ケイゾク』『トリック』『SPEC』などヒット作を手がけてきた堤幸彦監督が、建築家・坂口恭平が書いた“0円生活”の記事に触発され、映画を撮った『MY HOUSE』が、梅田ブルク7ほかにて公開中だ。堤監督自身の出身地である名古屋を舞台に、得意技である凝った演出を排し、音楽なしのモノクロ映像で取り上げた映像が印象的な作品となっている。いとうたかおら名古屋出身のアーティストや、石田えり、木村多江らの演技も見どころだ。本作の公開にあたり、堤幸彦監督が来阪した。

 

 本作は、都会の片隅で移動可能な組み立て式の家に住み、アルミ缶を拾い集め換金、不要になったモノを生活に取り入れ暮らす鈴木さんとスミちゃんの暮らしと、エリートコースを目指す中学生・ショータと、人嫌いで潔癖症の主婦・トモコ、それぞれを対比させて描く物語。本作があの堤幸彦監督による映画だと聞いただけで驚かれる人も多いのではないだろうか。今まで、凝った演出で私たちを驚かせてくれていた堤監督が、映像の中の色はもちろん、台詞も極力少なく、様々なものを排除して取り上げた本作。まずは、その意図を聞いてみるとー

 

堤幸彦監督(以下、堤):色をなくしたのは、例えばブルーシートの青い色が出てくると、人間は先入観でそれを見てしまうんですよね。汚そうとか臭いそうとか。でも、もしかしたらそれは希少な例かもしれませんが、実際にモデルになった方のお宅にお邪魔すると、そんなことは全くなくて、清潔に暮らしてらっしゃるんです。オール電化でテレビも3台ありますし。僕自身が本当に驚いたので、「ホームレスの映画なんて冗談じゃないよ」という感情を沈めてもらう意味でも、淡々と描く方がいいと思いましたし、とにかく観客の方に考えてもらいたいと思ったんです。この映画にはストーリーはありますが、押し付けがましいものもできるだけ排除したかったので、台詞も極力削ることで、観客の方に色んな感情を持ってもらいたいんです。

 

 「観客の方に考えてもらいたい」と語る監督だが、では、敢えて今までの手法とは間逆の手法を選んだ理由とは?

 

:今上映中の『劇場版 SPEC~天~』もそうなんですが、僕が今まで作ってきた映画は、わざとカットを極限まで細かくして、音楽もバンバン使って、さぁ驚け、ここからは泣くところですよ、はい笑ってくださいという映画ですよね。それが僕のやり方だし、それをずっと研究してきましたし、客をなめるなというご批判も多々受けますが、そんなことは百も承知で確信犯でやっていることなんです。でも、今回だけはそうじゃなくて、観ている方の感情を誘導しないように撮りたかったんです。

 

 それは、本作だからということだろうか?

 

:これは、監督の仕事を引き受けて、職人として仕上げるという回路を持った娯楽系の作品作りではないという僕の意思表示なんです。もしかしたら、本作『MY HOUSE』の後に風呂屋の三助の話を撮るかもしれない、そうすると同じようなテイストで撮ります。もしかしたらマタギの話を撮るかもしれない。そういった場合は、通常の娯楽作品で使っている手法は必要ないと思うからであって、今回のテーマだからということではないです。この作品が、娯楽作品とは一線を画した作品だからということです。

 

 ここまでの話を聞いていると、本作は堤監督自身が作りたいと思った映画を撮ったということなのだろうか?

 

:僕は、バラエティから始まって、幸い「金田一少年の事件簿」という作品に出会えて、象徴的なものでいうと「ケイゾク」「TRICK」「SPEC」という流れでやらせていただくことができました。でもそれは、職業としての演出であって、若干過激なことも含みながら、その実テレビであれば視聴率を狙っていたり、映画であれば観客動員をひとりでも増やしたいがために、意図的に謎を残したり、観客の感情を引っ掻き回したりして、僕からすると、まるで遊園地に来ているような究極のサービスを提供している感覚ですし、それが職業としてのある種のかたちなんです。そのようなことを30年近くもやっていますが、やっぱりそういう風に走りながら、頭の中では、社会の歪みや経済のこと、政治のことなど、間違っているんじゃないかと思われることについて考えたりしているんです。読んでいる本もほとんどノンフィクションですし。そういうパラレル的な状況を抱えていたんですが、50歳を過ぎた頃からそろそろ隠しておく必要もないし、自分がやりたいと思うテーマを自分発信でやるべきだと思ったんです。映画の状況は大変厳しいので、大きい作品にはならないかもしれないですが、自腹でもいいと思ってこの映画を作りました。その他にも、ずっと気仙沼にボランティアで行っていたので、その成果を『Kesennuma,Voices.東日本大震災復興特別企画~堤幸彦の記録~』というタイトルで映画にしたり、あるいは地域の方に頼まれれば、ボランティアで地域振興の映画を作ったり、色んなことをしないと気持ち良く死ねないんじゃないかと思うようになったんです。

 

 「自分がやりたいと思うテーマを自分発信でやるべきだと思った」と語る監督だが、本作を映画化するにあたり、初めて原作の基となる雑誌の記事を読んだ時の衝撃は相当なものだったそう。その衝撃について聞いてみるとー

 

:記事を読んですぐに、記事に書かれている隅田川の鈴木さんという人に会いたいと思いました。新幹線の中で読んだんですが、降りるまでの間に映画のストーリーができたんです。それから、原作者の坂口さんと一緒に鈴木さんのお宅に伺いました。鈴木さんも、最初は照れくさそうにされていましたが、だんだん飲んでいるうちに打ち解けてきて、非常に機知に富んだ暮らしをされている鈴木さんの強さと優しさを感じて、同時にものすごく自由な暮らしの中で、露骨に権力や暴力や自然災害と向き合っているんだと感じました。僕なんかがお金をかけて、家を買ったり、借りたりして、それで得ているものはこの人たちの自由と比べて一体どんなものなんだろうとその場で考えて、これはどうしても映画にしたいと思ったんです。非常に強い衝撃を受けましたね。

 

 そのように衝撃を受けて映画にしたいと思った監督だが、舞台を名古屋にしたのはどのような意図があったのだろうか。

 

:名古屋を舞台にした理由は、大阪はもっと過激なかたちで表れていると思いますが。名古屋の場合は、行政対路上生活者全体の軋轢がすごくきっちりと表れていて、「ほんとは住んじゃいけないんだよね」という劇中の台詞がすごく身に染みる場所だからです。そして、持ち家率が非常に高くて、大都会にも関わらずみんな一軒家に住んでいる。きちんとリサーチしたわけではないですが、実感として“ある”んです。名古屋は、持ち家信仰がすごく高くて、しかも医者が多いんです。そうするとあの(潔癖症の主婦の住む)家の意味がそこで際立ってくるんです。それから、灘高ほどではないですが、スーパーエリートの中学生たちがいること。その子たちは東大に行って、官僚や医者の道を約束されているんです。たぶん、名古屋の人なら一瞬で“いる”とわかると思います。果たして彼らが本当に幸せなのかを問う意味で、この映画は名古屋的な映画でもあるんです。

 

 実際に、大学で東京に出てくるまで監督は名古屋に住んでいたそうだが、監督自身がそういう矛盾を抱えていたということなのだろうか?

 

:そうですね。20代は名古屋人であることを隠して生きていましたから(笑)。歳をとってくると故郷への思いみたいなものが芽生えてきましたけど(笑)。僕は、中学ぐらいから全く勉強しなくなったんですが、勉強しなくなると、極端な話、人として扱われなくなるというか、学校に行っても非常に辛いんですよ。たまたま、そういう中学だったということもありますが、同級生も学者さんばかりですし、そういう中で勉強ができないとロックにいくしかなくなるんです(笑)。さらに僕は高校受験に失敗したので、勉強のできるエリートはカリフォルニアみたいなイメージの高校に行っている一方で、僕はシベリアみたいなところに行って辛い思いをしてたんですよ(笑)。それで、(名古屋は)嫌な街だ、二度と戻るもんかと思って大学は東京に出てきたんです。そこにはさらに辛い現実が待っていたんですが、名古屋に対する自分の違和感みたいなものはずっと感じていて、それが今回映画の裏テーマとして存在していると言ってもいいと思います。

 

 そのように、エリートコースを進む中学生の存在や名古屋を舞台にした意図は理解できたものの、では潔癖症の母親というキャラクラーはどのように生まれたのだろうか。

 

:彼女は、私なんです。僕が、ああいう人間なんです。掃除機も家には4台ぐらいありますし、僕はルンバは絶対認めませんから。ルンバは仕事を持っている人にとって非常にいいとされていますが、そんなの嘘っぱちですよ。大体、家具がたくさんある中で段差を越えられない掃除機はだめですよ。広々としたフローリングの家に住んでいるならともかく、現代の日本には合わないんです。きちんとサイクロンの掃除機などで吸い取らないとダニは吸い取れないんです。こんなことは、いいとしても(笑)、彼女は私なんです。結局、掃除しても掃除しても幸せにはなれないんです。だって、終わりがないから永遠にやり続けるしかないんですから。とにかく自分が住んでいるところだけ清潔にしようとしても、果たして幸せなのかと言いたいんです。逆に、全く不潔そうな暮らしをしている方々は、そんなこと気にもしてないですよね。掃除する必要すらないですし、そうすると幸せの度合いでいうとどちらが幸せなのかと考えてしまいますよね。

 

 では、本作は「どちらが幸せなのかと考えてしまう」と語る監督なりの提議ということだろうか。

 

:昨日か一昨日の新聞で、ブータンの方が「お金がないから1日1食なんです」っておっしゃっている一方で、日本では1日1食の本がベストセラーになっているんですよ。かたちとしては一緒なんだけど、これは全く逆の方向から見て言っているんですよね。要するに、飽食の時代に対して1日1食というアンチテーゼをすることで、野性を取り戻せ、そうしないと若返らないと言っている日本と反対に、ブータンの人は3食食べられるなら食べたいんです。それでもブータンの幸せ度は世界一と言われているのは、不思議ですよね。やっぱり、日本の中にブータンもあるだろうし、1日1食が必要な人もいるだろうし、色んな価値観が間逆の意味でないまぜになっていることはきちんと映画で見据えるべきだと思ったんです。

 

 そのように、本作は堤監督が様々な余計な要素を徹底的に排除することで、観客に“本当の幸せとは一体何なのか”を問う作品である。一方で、7月28日(土)より公開される『エイトレンジャー』に話を移してみると、監督は「『エイトレンジャー』はいきますよ(笑)。『エイトレンジャー』は楽しくかつ人情味のある、意外といい人情話になりました」と太鼓判。今後は、『SPEC』や『ケイゾク』など、娯楽作の巨匠としての堤幸彦監督作品と、娯楽色を徹底的に排除した、本作のような監督の“やりたい”と思ったテーマの作品と、2パターンの堤監督作品を楽しめることになりそうだ。




(2012年5月28日更新)


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堤幸彦監督

Movie Data


(C)2011「MY HOUSE」製作委員会

『MY HOUSE』

●5月26日(土)より、梅田ブルク7ほかにて公開

【公式サイト】
http://myhouse-movie.com/

【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/158599/