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ホーム > インタビュー&レポート > 法隆寺と薬師寺に命を捧げた匠の生涯から 様々なことが伝わってくる傑作ドキュメンタリー 『鬼に訊け 宮大工西岡常一の遺言』山崎佑次監督インタビュー


法隆寺と薬師寺に命を捧げた匠の生涯から
様々なことが伝わってくる傑作ドキュメンタリー
『鬼に訊け 宮大工西岡常一の遺言』山崎佑次監督インタビュー

 法隆寺の昭和の大修理、薬師寺の伽藍(からん)復興に一生を捧げ、ガンにおかされながらも若い大工に仕事のあり方を伝えようとした“最後の宮大工”西岡常一の仕事に対する考え方や思想を追求することで、日本人が忘れてしまった日本文化と日本人の心の復興を願うドキュメンタリー『鬼に訊け 宮大工西岡常一の遺言』が、第七藝術劇場にて上映中、6月16日(土)よりシネ・リーブル神戸、6月23日(土)よりシネ・ピピア、その後京都シネマにて公開される。“最後の宮大工”西岡常一の生き方に魅了されるとともに、空撮を敢行して映し出される荘厳な法隆寺、薬師寺にも魅せられる作品だ。本作の公開にあたり、山崎佑次監督が来阪した。

 

 そもそもの本作の始まりは、本作が作られる以前に監督が撮っていた『宮大工西岡常一の仕事』と『西岡常一・寺社建築講座』という2本のビデオ作品なのだが、まずは監督が西岡さんに興味を持ったきっかけとはどのようなものだったのだろうか。

 

山崎佑次監督(以下、山崎):小学生ぐらいの時に、西岡さんが法隆寺の昭和の大修理に携わっていた時に、学者の先生方と対立してまでも自分の意見を通そうとしていたことが新聞に載っていて、「法隆寺に鬼が住んでる」という話を読んだんです。小学生だった僕は「法隆寺の鬼」というかっこいい響きに憧れに近い感情を抱いていました。その後高校生ぐらいの時に、西岡さんが法輪寺の補強の時にも、「檜だけなら千年もつのに、なぜ新築に鉄で補強をしなければいけないのか」と学者の先生方にかみついたことを新聞で読んで、西岡常一という名前を改めて思い出しました。そして、大学を中退して映画の世界に入って助監督をしていた頃も、心のどこかに西岡常一という名前が残っていたんです。

 

 西岡常一という名前はそのように山崎監督の中に残っていたようだが、そこからビデオでドキュメンタリーを作ろうと思ったきっかけとは?

 

山崎:その後、僕は大阪に戻ってきてテレビのディレクターをしていたんですが、その時に西岡さんのドキュメンタリーを作るんだと勝手に決めて、西岡さんの本を読んだり、東京の建築セミナーに1年間通ったりして、木造建築のことを勉強して、企画書を書いて西岡さんにぶつけたんです。そうして西岡さんから、「よし、わかった」と返事をいただいて、1990年から撮影に入ったんです。でも初めて西岡さんのお家に伺った時は「私はテレビなんて大嫌いだ。1週間ぐらい撮影に来て、斑鳩の匠だの言われても仕事の邪魔になるだけだ」とおっしゃるんで、僕は「うちは違います。3年か4年かけて撮るつもりです」と言ったのを覚えています。西岡さんに出会った時、僕は48歳だったんですが、やっと自分がテーマとする人物に巡り合えたという気がしました。

 

 やっと映像にしたいと思う被写体に出会った監督だが、最初は西岡さんに緊張しっぱなしだったそうだ。

 

山崎:最初は怖かったですね。西岡さんは、何も言わずに静かな目でじっとこっちを見てくるんですよ。そうすると、自分が何か間違えたことを言ったんじゃないか、とんちんかんなことを言ったんじゃないかと不安になってくるんです。2本目のビデオの撮影をしている時に西岡さんの体調が思わしくなくなってきたので、自宅での撮影を1日1時間にしたんです。それでも、途中で西岡さんが長期入院されて、撮影が中断したんです。その時に奥さんから「撮影はもうやめてください。山崎さんはうちの西岡を殺すつもりですか」と言われて、僕もさすがに、西岡さんへのインタビューは中断したままで撮影しようかと思ったんですが、後で聞くと西岡が「お前ら黙ってろ。これは約束したことだから、約束は守るんだ」とおっしゃったそうなんです。最後の方は、自分の寿命が長くないことも気づいていて、何かを残さなければならないという思いが強くなっていたんだと思います。

 

 そのようにして西岡さんを被写体に2本のビデオ作品を作り上げた監督だが、それは20年ほど前のこと。今回、ドキュメンタリー映画として劇場で公開されることになった経緯とはー

 

山崎:ビデオ作品を作った当初は、西岡さんの建築技法を映像で保存しようという意図で始めたことでした。それは、西岡さんという人物に惚れたというよりも、稀有な建築家の思想や技術を映像できちんと保存しておきたかったからです。映像で保存しておけば、宮大工を志す若い人たちや木工や家具、彫刻に携わる人たちに必ずインパクトを与えるものになると思って作ったので、当初は西岡さんという人物を追いかけるつもりではありませんでした。それが、西岡さんがお亡くなりになって、僕の中でだんだん、西岡さんという人物に興味がうつっていったんです。もちろん建築家として素晴らしい考え方を持った人ですが、西岡さんの生き方そのものが素晴らしいと感じるようになったんです。そんな時にたまたま映画会社の方からドキュメンタリーの話をいただいて、3年半かけて撮影していた膨大な映像データの中から改めて軸を人物の方に当てて作ったのが今回の映画です。

 

 「西岡さんの生き方そのものが素晴らしいと感じるようになった」と語る監督だが、監督は西岡さんの魅力をどのように感じていたのだろうか。

 

山崎:西岡さんが心情としておられた法隆寺宮大工口伝というものがあって、その中でも「堂塔建立の用材は木を買わず山を買え」「木は生長の方位のまま使え、東西南北はその方位のままに」「堂塔の木組みは、寸法で組まず木の癖で組め」という3つの考え方が西岡建築論の根幹を成す考え方だったと思うんです。世間では、千年の檜を使えば千年持つという誤解があると思うんです。そうではなくて、千年の檜を木の癖なりに繋ぎあわせて、木が本来持っている木の命を組みあげていくというところに西岡さんの考え方はあったんです。色々と考えていくうちに、西岡さんは偉大な建築家であると同時に、偉大な日本人であり、大変な思想家だったんじゃないかと思うようになったんです。西岡さんが、「地水火風という4つの要素が存在しているから、木も花も咲くし、動物も人間も生きていけるんだ」とよくおっしゃっていたんですが、西岡さんは、地水火風から人間は離れることができないんだという風に考えておられたようでした。それは、西岡さんが木を扱う仕事の中でだんだん、日本古来からの信仰というか自然感みたいな思いを強くされたんじゃないかと思うんです。そういう西岡さんの地水火風の思想というのは、現代の日本人が忘れてしまった思想だと思うんです。

 

 たしかに、「地水火風から人間は離れることができない」という自然に寄り添って生きる考え方は、現代の日本人が忘れてしまっている感覚のように思える。それ以上に西岡さんは、木を触るだけで木の癖がわかるなど、木や自然を大事にし、自然と寄り添って生活されていたのだろう。

 

山崎:西岡さんは、木を触るだけで木がどっち側にねじれているのか、木の中にどういう節があるのか全部わかるらしいんです。だから、撮影に入って驚いたんですが、毎日毎日西岡さんは大工さんたちに同じことをやることを強いるんです。それは、同じことをやることで木には癖があることや、木は生きているという考え方が身につくからなんです。だから、西岡さんは機械で削るのではなく、必ず手仕事の道具を使っていました。

 

 西岡さんの木への思いに圧倒されることはもちろんだが、もうひとつ驚くのが西岡さんの仕事に対する姿勢だ。特に、行動全てに意味がある”“棟梁が腹を切るんだから思い切った仕事をしろ”など、西岡さんが生前常々語っていた、仕事に対する姿勢やリーダーとしての心構えについての言葉の数々には、現代に生きる我々には耳が痛い言葉も多い。そんな西岡さんだからこそ、若い宮大工たちに技術を伝えるにしても、西岡さんなりの考え方があったようだ。

 

山崎:西岡さんは、技術は口で教えるものではなく、自分で悩んで解決しなければ上にいけないという考え方だったので、全く口で教えることはなかったんですが、最晩年はおそらく、自分の考え方はもう世間に通用しないと思ってらっしゃったのか、色々と口で教えるようになっていました。木の文化というのは俺の代でおしまいだということも薄々感じてらっしゃったと思いますが、西岡さんの元には10代や20代の若者もいたので、彼らには自分の考えを伝えないといけないという使命感はお持ちになっていたようでした。

 

 そのような仕事に向かう姿勢やリーダー論、そして現代の日本人が忘れてしまっている、木をはじめとする自然を活かすことや、物を大切にする心などが映画の中の西岡さんの言動を通じて思い起こされる、必見のドキュメンタリーだ。




(2012年4月20日更新)


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山崎佑次監督

Movie Data


(C)『鬼に訊け』製作委員会

『鬼に訊け 宮大工西岡常一の遺言』

●第七藝術劇場にて上映中
●6月16日(土)より、シネ・リーブル神戸にて公開
●6月23日(土)より、シネ・ピピアにて公開
●6月より、京都シネマにて公開

【公式サイト】
http://www.oninikike.com/

【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/157952/