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“農民とともに”地域医療のあるべき姿を綴るドキュメンタリー
『医す者として』鈴木正義監督インタビュー

 戦後から、全国に先駆けて地域医療の礎を築き、地域社会をつくってきたことで注目された長野県の佐久総合病院、そして若月俊一医師の取り組みを記録したドキュメンタリー『医す者として』が3月30日(金)まで第七藝術劇場にて公開中だ。1950年代から30数年にわたり記録された約30万フィートに及ぶ貴重なフィルム映像をデジタル化し、当時を知る人々や現在の医療関係者の証言を交えながら、農村医学の歴史をたどっていく。本作の公開にあたり、鈴木正義監督が来阪した。

 

 戦後まもなく、長野県の佐久総合病院に赴任した青年医師・若月俊一。彼は、医療と福祉の垣根を越え、出張診療や、全村健康管理(健康予防管理活動)などを行い、農村に住む住民たちの様々なニーズに応えてきた。しかし活動を続ける中、若月は2006年に亡くなり、病院は再構築の時代を迎えようとしていた…。戦後から撮影された過去のフィルムの映像を多用しながら、過去から現在の佐久病院を取り巻く環境を描く本作。まずは、鈴木監督の若月医師との出会いと映画化のきっかけについて聞いてみるとー

 

鈴木監督(以下、鈴木):僕は、お年寄りの健康を守るという教育映画を作る仕事で佐久病院に行ったのが最初で、それが30年近く前でした。その時に若月先生にもお会いしていました。2006年に若月先生が亡くなられて、佐久病院の映画部の中心人物だった息子の健一さんが、歴史を辿るためにお蔵に入っているフィルムを甦らせたいと言い出したんです。そのフィルムというのが、昭和20年ぐらいからずっと記録していたもので、30万フィート以上もあったんですが、まずはそれをデジタル化する作業に入ったんです。そのデジタル化の過程で、保存するだけでは意味がないんじゃないか、それを活かすために作品を作ろうという構想が生まれたんです。それで、映像を活かして作品を作るにはどうすればいいかを考えだしました。

 

 ひと言で「30万フィートものフィルム」と言われても、それがどのくらい膨大な量なのかはよくわからない。大体、1本の映画を作るにはどのくらいのフィルムが必要になってくるのだろう。

 

鈴木:大体、16mmのフィルムだと30分で1080フィートなんです。30分の作品を作るために教育映画や文化映画で渡されるフィルムは3倍ぐらいなので、30分で3000フィートぐらいです。だから、30万フィートということは、佐久病院の映画部は、年間で1万フィート以上もフィルムを回していたということなんです。1万フィートのフィルムを回すことって、その当時にしたらめちゃくちゃ贅沢なことですよ。だから、普通の映像プロダクションよりも、よっぽど贅沢な撮影をしていますし、機材も僕らと遜色ないような機材を持っていました。

 

 当時としては貴重で高価だった16mmフィルムを使い、機材も普通の映像プロダクション並みのものを揃えてまで、映像で記録を残したことはすごく偉大であることは言うまでもないが、そこまでして記録を残そうとした理由はどのようなものだったのだろう。

 

鈴木:それは、やっぱり若月さん自身が映像に撮って残す意味や大切さを知っていたからだと思うんです。彼自身が社会学的な視点を持っていたから、農村がどういう状態なのか、手術がどのように行われたのかを映像にして、一般の人たちに公開することを積極的に行ってるんですよね。それはすごいことだと思います。やはり若月さんには先見性があったということですよね。

 

 先見性のあった若月俊一が成し遂げた様々な地域医療の成果は今の佐久病院にも活かされているが、本作では若月俊一の功績は示されているが、彼の人となりにはあまり触れられていない。身近に接したことのある鈴木監督は若月の人となりをどのように感じていたのだろうか。

 

iyasu_若月さん.jpg鈴木:若月さんに対する僕の印象は、すごく多面性のある方で、何を考えているかよくわからない人です。医療をとおして社会を考えながらも、病院経営者としてもすごく卓越していて、院長時代に一度も赤字を出したことがないぐらい優れた経営者なんです。経営者ということは、働いている人間にとっては壁みたいなものですよね。だから、若月さんを敵だと考えた人にとってはすごく大変な人だったんじゃないかと思います。そういう意味で色んな面を持っていた人だと思うんです。だけど、農村医療の歴史ということで考えると、すごく先見性のある人だし、困難な時代の中で実践者として、出張診療やカリエスの手術、全村健康管理などをやり遂げたことには圧倒されますね。でも、映画の中ではあえて若月さんの多面性は表現しませんでした。やはり、実践者として医療をベースに地域に関わり、ある種の社会運動家として成果を残したことは事実だし、評価されることだと思ったからです。若月さんの先見性と、国際農村医学会を開くなど、農村医学を社会的に広く認知させた力はすごいと思いますし、そのメッカとしての佐久病院というのは歴史的に評価されるべきだというところは注力して描きました。

 

 そのように、若月には様々な顔があったようだが、経営者としてある種の厳しさも持ち合わせていたからこそ、今でも佐久病院には若月の地域医療への思いが根付いている。それは、佐久病院や若月について語る地域の方々や引退した病院関係者へのインタビューからも伝わってくる。そして、そのインタビューがとても自然なものであることにも驚かされた。

 

鈴木:それは、僕たちがインタビューに伺う時に、地域の人たちと繋いでくださる病院の方や地域の保健士さんがそこにいらっしゃったからだと思います。土地の人がいるというのは、僕らみたいなよそ者が行ってインタビューするうえでは、インタビューされる側にとって大きかったと思いますし、それで距離が縮まったと思います。だからそれは、病院や地域の方のお陰ですし、地域の皆さんのお世話になってこの映画を作ったというのが実感です。それは、若月さんや佐久病院が地域医療を根付かせた結果だと思いますし、それをベースにして私たちが映画を作らせてもらったということです。

 

 その地域の繋がりの深さから、若月俊一が生前口にしていた「医者と患者といっても所詮は、人と人はコミュニケーションで繋がるんだ」という言葉が、病院だけでなく地域全体に根付いているように感じた。

 

鈴木:若月さんが大事にしていたことは、そのような人とのコミュニケーションと、もうひとつは自分で考えろということだと思います。若月さんは、農民とともに色んなことをされていますが、結局は地域のことはその地域に住んでいるあなたたちの課題だし、それを医療者として手助けするだけで、決めるのは自分たちだということを伝えていたんだと思います。

 

 若月が映像で残した地域医療の記録からは、過去の農村の状況や若月の成し得た成果が見てとれるだけでなく、予防は治療に勝るという考え方や農民たちの意識が変化していく様子からは、現代の医療問題への問題提起を感じとることもできる。

 

iyasu_photo1.jpg鈴木:昔のことを今の問題として考えてもらいたくてこの映画を作ったんです。観ている人たちが、かつてあったことを今の問題として感じてくださると、とても嬉しいです。今やこれからを考えるためにこの映画は存在していると思うんです。ちょっと生意気ですが、これからのことを考えようという問題提起をしたいと思って作りましたし、そう感じてほしいと思っていました。最後の方で若月さんが「医療の民主化は地域の民主化なしには成し得ない」とおっしゃっているんですが、言葉で言われてもわからないじゃないですか。でも、なんとなく若月さんから何かを言われた感じはすると思うんです。そうすると、自分の中の地域って何だろうって考えたりするんじゃないかと思うんです。自分にとって、自分の住んでいる場所について考えるきっかけになればいいと思うし、医療や福祉を超えて、都市で生活している人間も自分の立っている場所を見直してくれるといいなと思って作りました。

 

 「昔の佐久病院が行った地域医療が現代の問題提起になれば」と語る鈴木監督だが、本作のラストシーンでは、地域医療の理想郷のような存在であった佐久病院でさえ、今後、高度専門医療を中心とする病院と地域密着医療を中心とする病院に分かれることが決定している。今後の佐久病院について監督はどのように感じているのだろうか。

 

鈴木:物理的に、病院がふたつに分かれるということは股裂きみたいなもので、いくら若月さんが「二足のわらじ(高度専門医療と地域密着医療)を履け」と言っても、それは出来ないと思うんです。病院移転後、若月さんがおっしゃっていた二足のわらじをどうするかということが再燃するんじゃないかな。僕は、それをどうしても次回作でドキュメントしたいと思っています。ふたつの病院に分かれることによって、都市型の病院と変わらなくなってしまいますよね。それを、今の佐久病院の若い人たちがどう克服していくのかがこれからの課題だと思うんです。でも、そういう風にしないと今の医療制度の中では病院として生き残れない瀬戸際にきているんです。若月さんのやってきたことや考え方が継承されるのかどうかが佐久病院の今後の課題だと思います。

 

 「今の医療制度の中では病院として生き残れない瀬戸際にきている」と語る監督だが、確かに昨年映画化された『神様のカルテ』や、日々報道されているニュースからには、疲弊している地域医療の現実が滲み出ている。その波は、佐久病院にも押し寄せているのだ。

 

鈴木:お医者さんたちはすごく大変だと思います。地域ケア科という科があるんですが、ほとんどお年寄りが診療の対象なので、亡くなる方がたくさんいて、看取るまでお世話をしてらっしゃるんですよね。要するに、治す医療から看取る医療にシフトしてきているということなんです。そこまで医療者として付き合うことになると、それは医療なのかという問いもでてきますし、そういう現状って、色んなところに歪みが生じているんですよね。その中で、若月さんのように、かつて困難な時代にも色んなことをやった人がいるんだから、ちょっとは頑張ろうよというのが、この映画で伝えたかったことなんです。




(2012年3月15日更新)


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Movie Data


『医す者として』

●3月30日(金)まで第七藝術劇場にて上映中

【公式サイト】
http://iyasu-mono.com/

【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/158049/