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前代未聞の作家・見沢知廉を独創的なスタイルで描くドキュメンタリー
『天皇ごっこ 見沢知廉・たった一人の革命』大浦信行監督インタビュー

 早稲田高等部に在学中、演壇で教育批判をして破壊行為を行い退学し、暴走族へとひた走り、その後は新左翼から新右翼へと身を投じ、同志を殺害し刑務所へ、そして獄中で作家へと転身。本作は、日本の変革に魂を捧げ、ドストエフスキーを愛し、三島由紀夫に憧れた作家・見沢知廉の痕跡を辿る物語だ。46歳でその生涯を閉じた見沢の人生を、かつて天皇をコラージュした作品で日本のタブーに挑んだ異端の美術家・大浦信行監督が、革命叙事詩として独創的なスタイルで描き出した『天皇ごっこ 見沢知廉・たった一人の革命』が第七藝術劇場、元町映画館にて公開中、その後京都シネマでも公開される。本作の公開にあたり、大浦信行監督が来阪した。

 

 新右翼の活動家としてゲリラ活動を指揮し、1982年にスパイ疑惑のあった同志を殺害して投獄された見沢知廉。彼は、12年の獄中生活の間に小説『天皇ごっこ』を書き上げ、1994年に新日本文学賞を受賞。そして、1997年には『調律の帝国』が三島由紀夫賞候補になるが、2005年自宅マンションより投身自殺。享年46歳だった。そんな、波乱万丈という言葉でも足りないほど壮絶な人生を歩んだ見沢知廉の映画を作ろうと思ったきっかけとはどのようなものだったのだろうか。

 

監督:前の映画(『9.11-8.15 日本心中』)を作っている途中から、見沢さんのことをすごく意識するようになって、見沢知廉が抱えていた閉塞感や鬱屈感みたいなものが、自分と共通しているように感じたことで、見沢さんと僕がコインの裏表であるかのように思ったんです。その感情が僕の創造意欲を刺激して、映画を作る方向に向いていきました。

 

 たしかに、見沢知廉の変遷をたどると、常に何か熱くなれるものを探しているかのように、何かを模索し続けた人生だったように感じられる。しかし、監督は前作を作るまでは見沢知廉についての知識もほとんどなく、一般的な情報を知っていた程度だったそうだ。

 

監督:サブカル的なイメージや、三島由紀夫賞がとれなかったことなどは知っていましたが、名前を漠然と知っていたぐらいでした。もし見沢さんが三島賞をとっていたら映画を作ってなかったと思います。殺人を犯して12年刑務所に入っていたことと、『天皇ごっこ』で新日本文学賞を受賞したのに、三島賞が取れなかったというこの2点がさらに僕を映画化に向かわせました。言ってみれば、見沢さんは全て未完成のまま終わった人。もし、三島賞をとっていれば、社会的にも認められただろうし。それに、10代後半からドストエフスキーを読んで人々を救う文学を書いていきたいと思っていたわけですから。でも、結果としては文学者としても成功しなかったし、殺人にしても社会的な意味を帯びたテロリズムでもない。見沢さんの殺人は、誰が見ても内ゲバですよね。見沢さん自身は、政治的行動だったと言っていますが、一方で(高校時代からの親友で、見沢と全ての行動を共にしていた)設楽さんは「見沢はそう言っても、僕らは犯罪を犯しただけで、あれは刑事事件だ」と言ってますから。見沢さんは、そう思わないと自分の行動の意味がなくなってしまうと思ったんでしょうね。殺人と三島賞を取れなかったこと、未完成で終わってしまったところが、僕の想像力をかきたてたんです。

 

 本作で様々な出演者が語る見沢像同様、ある意味、カリスマ的な魅力を放つ見沢知廉に監督も魅了されてしまったのではないだろうか。しかし、唯一実の母親が語る見沢像だけは、私たちのイメージする見沢知廉とは異なっている。本作を制作するにあたって、様々な資料を読み込んだと語る監督は、実際の見沢についてどのように感じたのだろうか。

 

監督:12年間の獄中生活で彼の精神的なエネルギーは限界だったんじゃないかな。殺人を犯して刑務所に入って、新日本文学賞を受賞していて、顔は端整だし、サブカルのことはよく知っているし、特に編集者からすれば金の卵ですよね。出所してギリギリのところで『天皇ごっこ』で新日本文学賞をとって、彼は純文学でなんとか成功したいという気持ちがあったと思うんです。殺人を犯したことへの贖罪の意識とか、お母さんへの恩返しの気持ちもあったと思う。それと、設楽さんも言っていたんですが、賞をとることで若い人たちへの発言力が増して、革命のリーダーみたいになれると思っていたんじゃないかと思うんです。そのためには純文学の賞が必要だと思い込んでいたんじゃないかな。もしとれていれば、はずみがついて芥川賞という可能性もあったでしょうし、どうなっていたかわからないですよね。あの年、見沢さんは絶対に三島賞をとれると言われていて、発表の日にパーティー会場まで予約していたそうです。でも、考えてみるとその年に候補になっていたのが、角田光代とか町田康ですから、無理ですよね。この頃からなんとなく気力を失っていったんじゃないかな。薬に手を出したり、ドタキャンしたりするようになっていきますから。

 

 そのように監督ならではの解釈で、様々な出演者のインタビューによって見沢知廉の光と影の部分をうまく対比させて描いている本作からは、社会とどうしてもうまく折り合えなかった見沢の葛藤や人生を模索する様が浮かび上がってくる。監督自身は、完成した映画を観てどのように感じたのだろうか。

 

監督:出来上がった映画を見ると、結果的には僕の見沢知廉に対する個人的な興味をとおして、日本の近代を見直すことができたんじゃないかと思います。生き辛い閉塞感を抱えた、繊細な一面のある見沢を自分と重ね合わせようと思ったんですが、いざ映画にしようとすると見沢さんの生き辛さというのは、認められたい、愛されたいという承認願望と重なっていくように感じたんです。彼のそういう生き辛いという感覚は、今日の若い人たちが共感できるところがあると思うんです。だから、若い人たちに観てもらいたいし、かつて見沢知廉という人物がいたということを知ってもらいたいと思ったんです。

 

 「若い人たちに観てもらいたい」と語る監督だが、さらにこの映画には、見沢さんの生き様から得る“生きるヒント”があると語る。

 

監督:特に見沢を知らない若い人に観てもらいたいんです。若い人に観てもらいたいから、僕のメッセージが強くならない方がいいと思って、見沢さんのイメージを作るために、撮影はたくさんしたんですが、編集の段階で大胆に外したんです。映画の中に登場する、例えば設楽さんは圧倒的なリアリティがあるし、運動家の方たちも赤裸々に自分の言葉で見沢さんのことを語ってくれていたので、それを活かしたいと思って。とにかく、見沢さんのことを知ってほしいし、彼が社会から逃げずに格闘していた潔さや、ヒリヒリするような皮膚感覚で生きていたことを感じてほしいし、無残に散ったかもしれないけど、そんな無残さも含めてそこに生きるヒントがあると思うんです。

 

 燃え尽きるものを探して彷徨い続けた鬼才・見沢知廉が探し求めていたものとは、一体何だったのだろうか? 圧倒的なカリスマ性で相手を魅了すると同時に、危ういバランスでどうにか生きていた見沢知廉。様々な出演者たちの談話から見えてくる見沢知廉の人物像から何かを感じ取ってほしい。




(2011年12月14日更新)


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大浦信行監督

Profile

おおうら・のぶゆき●1949年、富山県生まれ。昭和天皇を主題としたシリーズ「遠近を抱えて」14点が、日本の検閲とタブーに触れ、作品が富山県立近代美術館によって売却、図録470冊が焼却処分され、それを不服として裁判を起こすも全面敗訴。その後、映像作品『遠近を抱えて』(1995)を発表。そして、『日本心中/針生一郎・日本を丸ごと抱え込んでしまった男。 』(2001)は単館レイトショーとしては異例のヒットを記録。その続編ともいうべき、『9.11-8.15 日本心中』(2005)を発表するなど、タブーに挑み続ける映像作家。

Movie Data

(C)『天皇ごっこ』製作委員会

『天皇ごっこ 見沢知廉・たった一人の革命』

●第七藝術劇場にて上映中
●元町映画館にて上映中
●京都シネマにて公開予定

【公式サイト】
http://www.tenno-gokko.com/

【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/157365/