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「政治的な背景の中で模索し続ける少年少女たちの
青春映画であり、ロードムービーなんです」
『アジアの純真』片嶋一貴監督インタビュー

 個性派女優・韓英恵主演による衝撃の青春映画『アジアの純真』が大阪・十三の第七藝術劇場、京都シネマ、元町映画館にて12月16日(金)まで上映中。双子の姉を殺された少女と、その現場をただ見ることしかできなかった青年が、無差別テロを繰り返しながら 復讐の旅の果てに見たものとは? ロッテルダム映画祭で上映され、その内容の是非を巡って激しい論争が起こった問題作だ。鈴木清順監督作品のプロデューサーを務めてきた片山一貴が監督を務め、本作の公開にあたり、監督が来阪した。

 

 本作は、北朝鮮による拉致被害者5人が帰国した2002年を舞台に、北朝鮮へのバッシングが渦巻く中、チマチョゴリを着た女子高生が不良にからまれ白昼に大勢の人の前で殺され、その死亡した少女の双子の妹と、事件を目撃しながら何もできず自責の念に駆られた少年の復讐の旅を描いた物語。こうして文字にするとさらに衝撃的な内容に思えるが、まずはこの映画を作ろうと思ったきっかけとはどのようなものだったのだろうか。

 

監督:2002年頃に、脚本家の井上がその時代を舞台にしたシナリオを書いていたんです。途中までしか書けていなかったんですが、井上の発想にはすごく共感したので、ふたりで協力して台本を書き始めたのが2003年の秋頃でした。うちの会社に所属していた韓英恵が、父親が韓国人で母親が日本人のハーフなので、シナリオを書いている段階で主演は英恵で考えていたんですが、英恵はまだ13歳だったので映画化するまで少し時間を置いたんです。そうしたら、高校3年の時に推薦で大学が決まって時間ができたので2009年の1月から撮影に入りました。彼女がちょうど18歳だったので、少女から大人になっていく英恵はその時しか撮れなかったと思います。

 

 監督が語るように、本作の韓英恵は、純粋さと危うさをあわせ持つ、少女でもなく大人でもない微妙な年頃の女性を見事に体現している。本作の撮影後も、山下敦弘監督の『マイ・バック・ページ』(2011)や李相日監督の『悪人』(2010)などで、決して出演シーンは多くないのに、真っ直ぐな強い意思を持つ瞳が印象を残している。そんな彼女は、自身が韓国人と日本人のハーフということで、特別な思いを抱えていたのだろうか。

 

監督:この映画のキャンペーンで本人から聞いたことなんですが、実は彼女は5年間ぐらいお父さんのことを邪険に扱う時期が続いていたらしいんです。僕は、女の子の思春期特有のものだと思っていたんですが、彼女はハーフなので、韓国人の血が入っていることで差別や偏見をもたれた原因が全てお父さんだと思っていたみたいです。でも、この映画に出演して、“見て見ぬふり”をしてきたのは自分だったことに気づいたそうです。「自分自身の内なる差別意識を見て見ぬふりしていたのは自分だった」って舞台挨拶で言い出すんですよ。こいつ、大人になったなと思いました(笑)。

 

 本作で描かれる、韓英恵が演じる在日朝鮮人の少女と、笠井しげ扮する気弱な日本人高校生ふたりの逃避行の中に“食べる”シーンが多いことにも驚かされる。そこにも監督の込めた思いがー

 

監督:結局、追い詰められた状況でも人は食べるし飲むし、おしっこするし、たくましく生きているのが人間だと思うんです。意外とそういうシーンって、削られたりするんですよ。でも、この映画は食べるところはちゃんと食べる映画にしたかったんです。最近の日本映画って同じようなものが多いですよね。僕が若い頃に観ていた映画は、すごくパワーがあって、政治的なメッセージや色んなものを抱え込んで映画が作られていたんですよ。そういう映画にガツンとやられて育ってきた僕としては、なんでそういう映画が今はないんだろうと強く思ってしまうんです。だから、この映画は自分の力で撮りきらなきゃいけないと思いました。それと、僕は若松孝ニ監督の助監督をやらせていただいていたので、若松さん的な使命感もありましたね(笑)。

 

 そのように若松孝二監督からの影響を語る監督だが、若松監督が本作に評論家役として登場していることもこの映画を彩る要素のひとつとなっている。

 

監督:あれは、若松監督役じゃなくて、若松孝ニが評論家の役で出演しているんです。若松さんの言いそうなことだから、誤解されちゃいますよね(笑)。一応シナリオはちゃんとあったんですが、台詞なんて全く覚えないから一行一行読んでいました(笑)。僕は1990年から3年で3作品で若松監督の助監督を務めたんですが、短い間でしたが若松さんの人となりと映画に対する覚悟や制作のあり方を学びましたね。

 

 若松監督と言えば、昨年のベルリン国際映画祭で『キャタピラー』が主演女優賞を獲得するなど、国内だけでなく海外でも高い評価を集める監督として知られている。本作『アジアの純真』もロッテルダム映画祭で過激なテーマから物議を醸したそうだが、実際にパリで行われた映画祭パリシネマに出席した監督は、どのような反応を感じたのだろうか。

 

監督:パリシネマに昨年の7月に行った時、すごく反応が良かったんですよ。日本と韓国、北朝鮮の問題はヨーロッパの方は知らないから、そもそも、チマチョゴリを着ているのが北朝鮮の少女だということがわからないと思ったので、最初の挨拶の時に差別や偏見が厳然と残っている状況を説明しました。あれがわかるかわからないかで映画のストーリーが全然違ってきますからね(笑)。差別や偏見というのは世界中にあることなので、特別視せずに見てくれたんだと思います。そうしたら、上映後は質問攻めですよ。パリの人たちは理論好きなので、次の上映があるにも関わらず終わらなくて、結局ロビーで1時間半ぐらい質問を受けていました。

 

 そんなパリでの反応に加えて、賛否両論を巻き起こしたロッテルダム映画祭で“白黒の奇跡”と評されたように、本作は全編白黒で構成されている。何度も聞かれているとは思うが、その理由とは?

 

監督:シナリオが出来た時点でモノクロで作ることは決めていました。インスピレーションみたいなもので、絶対モノクロだと思ったんです。撮影中にモノクロの映像を見ていると、映画の神様にこの映画は白黒でやれと言われたぐらいにぴったりはまっていたんです。映画は、天候に左右されたり色んな偶然が重なっていくものなので、不意にうまくいく時は映画の神様の存在を感じることがあるんです。このシーンは絶対ピーカンじゃないと撮れないと思っている時にちゃんと晴れて、天候にも恵まれました。後は、ハードディスクから3日分ぐらいの撮影したデータがいきなり飛んじゃったこともあって、再度撮影してなんとかなったんですが、改めて見ると後の方がいい絵になったと前向きに考えていました(笑)。

 

 と、映画の神様も味方になってくれて完成した本作だが、在日朝鮮人の少女を主人公にしていたり、ふたりが無差別テロを繰り返していることで、“反日映画だ”という批判なども起こっており、実際に日本の映画祭に出品を断られている。しかし、監督は全くそういう映画ではないと反論する。

 

監督:政治的な題材を扱ってはいますが、政治的なメッセージを語っている映画ではなくて、政治的な背景の中で模索している少年少女たちの青春映画であり、ロードムービーなんです。ただ、常識的な人から見ると不謹慎な映画ではあるので、敬遠する人はいると思います。でもやっぱり、湯布院映画祭に断られたのは辛かったですね。びっくりしましたけど、今や勲章ですよ(笑)。




(2011年12月11日更新)


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片嶋一貴監督

Profile

かたしま・いっき●若松孝ニ、井筒和幸らの助監督を経て『クレイジー・コップ 捜査はせん!』(1995)で監督デビュー。1996年よりプロデューサーとしてSABU監督の『ポストマン・ブルース』(1997)、鈴木清順監督の『ピストルオペラ』(2001)などを手がける。2003年に映像企画制作会社ドッグシュガーを設立し、『小森生活向上クラブ』(2008)などを監督。今後は、『たとえば檸檬』の公開が控えている。

Movie Data



(c)2009 PURE ASIAN PROJECT

『アジアの純真』

●12月16日(金)まで、第七藝術劇場、京都シネマ、元町映画館にて上映中

【公式サイト】
http://www.dogsugar.co.jp/pureasia

【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/157310/