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40年以上も公害と向き合ってきた男の記録を写したドキュメンタリー、
阿武野勝彦監督インタビュー『青空どろぼう』

 日本四大公害のひとつと言われた“四日市ぜんそく”。公害防止法のきっかけになった38年前の裁判の記録を撮り続けた82歳の“公害記録人”澤井余志郎の活動を追った東海テレビ発のドキュメンタリー『青空どろぼう』が7月16日(土)より第七藝術劇場ほかにて公開される。40年以上にわたって原告を支え続けた澤井と、原告のひとりである元漁師の野田との交流を通し、未だ影を落とす公害問題の現実に迫る。ナレーションを務めた宮本信子の印象的な語りにも注目だ。本作の公開にあたり、阿武野勝彦監督が来阪した。
 

 阿武野監督といえば、この春公開された戸塚ヨットスクール事件に迫ったドキュメンタリー『平成ジレンマ』のプロデューサーを務めるなど、東海テレビで上質な社会派ドキュメンタリーを手がける報道マンでもある。前作の『平成ジレンマ』という印象的なタイトルに続き、本作『青空どろぼう』は、聞いただけではどんな映画かわからないものの、含みのあるタイトルになっている。
 

監督:元々は去年、「記録人・澤井余志郎」というルで51分バージョンでテレビで放送したんです。その後94分バージョンをすぐ作ったものの、タイトルがすぐに決まらず、目を閉じて映像を反芻してみたんです。そうしたら、澤井さんが犯人を追いかける刑事のように見えてきて、泥棒はなかなか捕まらないと思って、このタイトルを思いつきました。それと同時に、自分も泥棒の片棒をかついでいたんだと思いました。30年も四日市が放映エリアにあるテレビ局に勤めながら、“四日市公害”はもう終わっていると思い込んでたんですから。まして澤井さんひとりに任せてしまっていて、その意味では片棒を担いでましたよね。
 

 今でこそ、このように澤井に尊敬の念と罪悪感を覚えている阿武野だが、澤井に会うまでは澤井を追ったドキュメンタリーを撮ることなど考えてもいなかったそうだ。
 

監督:最初は東海テレビの開局50周年を記念番組で澤井さんに案内されて四日市をまわったんですが、澤井さんのことを全く知らなくて、澤井さんのことを四日市公害にまつわる市役所ボランティアの方だと思ってたんです。そんなとても申し訳ない認識で、四日市公害裁判の元被告である野田さんのお宅に行ったんです。そうしたら野田さんが「政治家とか色んな人が来たけど、裏切らなかったのは澤井さんだけだ」とおっしゃったんです。その時、澤井さんがハンカチで目頭をおさえてらっしゃって、その時から澤井さんのことが気になって仕方ない人になりました。それで、記録人を記録して記憶に残したいと思って、澤井さんの人生をなぞっていったんですが、まさか四日市公害がこんなことになっていようとは思わなかったです。 

 


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 阿武野も“四日市公害がこんなことになっていようとは”と話すが、実際に現在の四日市公害について知識を持っている人はごくわずかではないだろうか。阿武野が直面した四日市公害の現実とは、どのようなものだったのだろうか。
 

監督:今、四日市公害はどうなっているのかと取材を始めて、1987年の「公害健康被害補償法」を読みかえしてみたら、「制度改正=患者はゼロ」という奇妙な構図があって、現場でこれについて聞きまわらないといけないと思って、その前に三重県や四日市市に追跡調査のデータを問い合わせてみたら、ないんですよ。だって行政からしたらゼロじゃないといけないんですから。だったら我々がやらないといけないと思いました。要するに、澤井さんの40年以上にわたる四日市公害に対する継続性に共鳴したんですよね。
 

 そんな四日市公害について、映画の中で野田は「第二次世界大戦の後で近道した結果が四日市公害で、我々は国の犠牲になった」と語っている。それは高度経済成長期の最中に発展の途中で健康被害を省みず近道をした結果、四日市公害が起こってしまい、そしてまさに今も公害は継続していることを意味している。
 

監督:結果的に、四日市公害を克服できていない現実をこの映画は引き出したんじゃないかと。でも、野田さんと澤井さんのある種の情の通い方というか、友情みたいなものがこの映画の底流にはあって、後で観なおした時に我々は四日市に絶望したくなかったんだなと思いました。澤井さんも野田さんも、(公害の原因となった)工場群で働く人に対して恨み辛みを感じたことがないとおっしゃるんですよね。それを聞いていると、私たちは人間の強さみたいなものを見たかったのかなと思いました。それと、誰かがやってくれると思っていたらきっと誰もいなくなるんですよ。結局、四日市は公害は澤井さんひとりに背負わせて、かぶせてしまってたんですから。
 

 そして、公害問題に迫った本作の公開を3ヵ月後に控えた3月11日、未曾有の大震災が東日本を襲ったことで、実際に阿武野は映画の上映について逡巡したようだ。だが、この映画の中には「今後の私たちにとってのヒントが隠されている」と阿武野は語る。
 

監督:この作品は3月11日以前に、夏に上映することが決まっていたので、東日本大震災が起こった後は、上映についての逡巡はありました。そんな中で今年の4月に野田さんのお宅を訪ねたんです。そうしたら、野田さんの口から出てきたのが福島の話ばかりで。四日市で公害病にかかりながら、野田さんには四日市から福島が見えてるんです。『青空どろぼう』の中でも、企業と地域と住民と行政という図式は描かれてると思うんです。これはおそらく四日市を克服できない私たちが福島を克服できるのか、という課題でもあるし、四日市を継続して伝えることができなかった私たちが、福島を継続して伝え続けられるのかということですよね。おそらく『青空どろぼう』の中に福島を見つめ続けていかなきゃいけない私たちにとってのヒントが隠されてるんじゃないかという気がするんです。だから、今こそ観てもらいたいですね。
 

 この作品のタイトルにも関係している、映画冒頭、裁判勝訴後の野田の「この判決で四日市に青空が戻ったわけではない。四日市にはじめて青空が戻った時に、ありがとうとお礼を言いたい」という言葉。野田はまだ“ありがとう”とは言えないと語る。その野田とともに、40年以上にわたり、ひとりで公害問題を追い続けた澤井は、裁判で勝訴という形式上のものだけでなく、“本当の青い空”を取り戻そうと闘っている。その澤井の姿から現在の四日市公害が見える秀作ドキュメンタリーだ。

 




(2011年7月14日更新)


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Movie Data

(C)東海テレビ放送

『青空どろぼう』

●7月16日(土)より、第七藝術劇場ほかにて公開

【公式サイト】
http://www.aozoradorobo.jp/

【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/156407/