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映画『ゲゲゲの女房』監督、鈴木卓爾インタビュー

 

2010年はまさしく“ゲゲゲ”の1年だったと言える。水木しげるの画業60周年を記念し、各地で関連の展覧会が開催され、NHK連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』は回を追うごとに評判を高め、朝ドラとして久々のヒットとなった。そんな“ゲゲゲ”年を締めくくるのが、この映画『ゲゲゲの女房』である。これはドラマ同様、水木しげる夫人の武良布枝著のエッセイ『ゲゲゲの女房 人生は……終わりよければ、すべてよし!!』(実業之日本社)を原作としたものだ。監督は昨年『私は猫ストーカー』で初長編メガホンとなった鈴木卓爾。映画は、お見合いからわずか5日で結婚したふたりの絶妙な関係、そして妖怪の棲む日常を、見事に映し出している。

 


―――朝ドラがヒットし大きな話題になりましたが、映画化への動きはそれよりも先だったんですよね。

映画化の話は随分前から動き出していて、原作(※1)が出た直後くらい、『私は猫ストーカー』(※2)を撮影するよりも前でした。1年くらいかけてシナリオもかなり出来上がった去年の3月ごろの段階で、NHKの朝ドラが決定したと聞いて…、実は非常に悩みまして。映画を撮るためのお金も正直まだ集まってなかったし、これが追い風なのか向かい風なのか判断できなくて。でもこれはやるべしだと思って進めました。僕たちなりの物語として勇気を持って踏み出そうと思ったんです。実際に撮影は今年の1月からだったんですけど、ドラマの放送はまだはじまってなかったし比べようもなかったので、意識せずに僕ららしいものを作ろうと思いました。結局、映画撮影の時期とも重なっていたし、テレビドラマ版は一回も観てないんですよね。


―――布枝さんの目線で描かれた原作に対して、映画では2人の距離感が縮まっていく様を、一歩引いた視点で非常に丁寧に描かれていると感じました。

 

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布枝さんのエッセイを読んでまず最初に考えたのは、まずこの2人がいつ目を合わせるのか。この2人は当初ほとんど目を合わせなかったんじゃないかって思ったんです。ご結婚されたときの記念写真を撮る際に、緊張した2人が少し近づいたとき、布枝さんの肘にしげるさんの義手が当たる音を聞くんですよね。そこで布枝さんは「毎日これからこの音を聞くんだろうな」と心の中で感じたそうなんです。そこには布枝さんの不安や決断、さまざまな想いが込められていると思うんです。相手の目を見て言葉で伝えることは合理的で分かりやすいけれど、この2人の関係は、そういうコミュニケーションの形ではなかったんだろうなと。そこをきちんと描こうと思った。 
 

水木しげるさんに関する物も読み漁ったんですけど、壮絶な人生を生きてきた人ですよね。しげるさんも布枝さんも、今の日本人にはない…というか、少なくとも僕や僕のまわりにはいない人だと思うんです。今の時代に僕らは餓死をするリアリティを持てない。だけど、このエッセイの中にある時代や時間を映画にしておくことが、もしかしたら来たるべき時のためにいいんじゃないかと思って。僕らは、しげるさんや布枝さんのようにタフではないと思う。でも、これからタフな時代が訪れるとしたら?って。それが今回、よし映画にしてみようという、モチベーションになりました。

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―――昭和の時代や貧困を描きながらも、決してノスタルジーに陥らない魅力がありますね。過去の話という感じがしない。

 

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そう。懐かしむためには昭和を描けなかったですね。貧乏の中にある2人のきらきらした生活や、強さ、チャーミングさっていうのが、映画を撮るためのヒントになった。僕は人と人との距離感を描きたいと思っていて、『私は猫ストーカー』の場合は猫と人の距離感だったりしたんですけど、そういった意味で2人の距離の詰め方というのは、とても興味深いものでした。陽気で力強く、飄々としてどこか侘しい。はっきりと口にせずに、手紙に書いたり、その手紙を屑篭に捨ててたりね(笑)。それともうひとつ、水木しげるさんの「幸福の七か条」に書かれた「第七条」に「見えない物を信じる」ってあるんです。これは今回重要な意味を持つものになりました。見えるものばかりが事実ではない、かといって見えないものは映画には映らない。それはまさに妖怪をどう映し出すかってことなんですけど、妖怪って僕にとっては「怖さ」と同時に「親しみ」みたいな感覚があるんですね。自然と傍にいるような。そんな妖怪たちの気配みたいなものは、映画によって視点化することができる。

僕が過去の作品、特に『地底人伝説』(※3)などでシュールな場面を頻繁に描いているのは、そうした視点を持ちたいと常に思っているからなんです。見えないものというのは、もうひとつ、他者の心もそうだと思うのです。「ゲゲゲの女房」はその他者をどう感じるかの物語でもあると思うのです。


 

 

―――説明的で過剰な台詞もなく、妖怪もごく自然に存在し、東京の景色もセットやCGではなく現代のまま撮影されるなど、ドラマの映画版だと思って観た人は鈴木監督のシュールな世界観や表現に戸惑うかもしれませんね。

 

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そういう意味では、ドラマが先にあったことで本当にいいチャンスをもらったと思ってます。今回、カメラや音響など様々な要素を突き詰めていったことで、妖怪と人間の境界が曖昧なものとして映し出せた気がしますね。それは絶対僕ひとりではできなかったと思う。これは物語が牽引する映画ではなく、辛いことも楽しいことも公平にゆったりと存在する、そこから2人の強さや愛らしさが浮かび上がってくる、そんな映画だと思うんです。この映画には分かりやすい文法がないんです。だから自分でも「こんなゆったりした映画撮れるのか」って思ったくらいだし(笑)、自分でも撮りながら映画に対する概念を何度も覆されました。 
 

 

あと景色についてですが、2人が暮らす家の中は、はっきりと昭和36年であることを丁寧に再現しようと。でも外に出ると平成の東京駅が映っていたり、現代と過去の境界がどんどん曖昧になっていく。それは、仮に何億円もかけて完璧に昭和のセットが組めたとして、果たしてそれでいいのか?ってことなんですよね。“時代もの”っていうジャンルに重く軸足を置いた映画づくりにしていたら、この映画でやりたかった、箸の上げ下げで生じる物語のような小さなお話は撮れなかった。そして、そのかわり幕一枚めくるとその向こうに屋台骨がむき出してるような、フィクション性を意識しましたね。その方が、水木しげる漫画の世界観、日常と非日常の境の曖昧さに、映画が触れられるような気がしたんです。

 

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―――そんなフィクションの描き方の中で、鈴木慶一さんの音楽はもちろん、菊池信之(※4)さんによる音響効果の果たす役割が大きかったと思います。まさに水木さんの漫画に出てくる「擬音」ですよね。妖怪の登場する様々なシーンとか…

 

takuji6.jpg 「ゴゴゴゴ…」って地鳴りがするんですよね。あと講談社の編集者が来る場面で「ガッチョン、ゴンッ」ってプレス加工の機械の音がするんですけど、たぶん昭和の高度経済成長期の日本にはああいう音がそこらじゅうで鳴ってたと思うんです。そういうのを菊池さんはうまく捉えてるよなあと思います。しかもどこか嘘臭い感じがあって、そういうのが僕は映画的だと思える。あと、布枝さんが登場するシーンではずっと水の流れる音がするんですけど…布枝さんの実家の安来って、家の傍を川が流れるそういう環境だったはずなんですね。

これは僕がそうリクエストしたわけではなかったので驚きました。あと(鈴木)慶一さんに関しては、まずは役者としての出演をオファーして。音楽のほうは決まってなかったんですけど、慶一さんが貸本でしげるさんの漫画をリアルタイムで読んでたって聞いて、これはお願いするべきだと思いました。僕はムーンライダーズはずっと大好きだから、一緒に仕事が出来るなんて夢みたいでした。しかも主題歌(※5)まで作ってもらって、とても嬉しいことでした。


―――布枝さんとしげるさんを演じた吹石一恵さんと宮藤官九郎さんは、ふたりが少しずつ近づいていく絶妙な空気を見事に表していますね。多くを語らないふたりだからこそ、しげるさんと布枝さんの魅力が立ち上がるように感じました。

布枝さんを演じるのは吹石さんだなってのは、すぐに浮かびました。吹石さんって陽気な上品さがあって、朗らかで。いっぽう、宮藤さんのキャスティングは難航した末に決まったんです。僕は水木しげるさんの自画像でよく描かれているちょっと太った印象にとらわれていたんですけど、ご結婚されたころの写真を拝見すると、しげるさんは痩せているんですよね。宮藤さんは動きなんかも含めて見事にしげるさんを演じてくれました。映画の中では目を合わせるまで一時間くらいかかちゃうふたりなんですけど、派手な音楽や映像があると見えなくなってしまうものを、ふたりの姿に投影できたかも知れないです。曖昧だけど芯の強さを感じさせる、このチャーミングなふたりの姿が、観る側のチューニングをちょっと変えさせるというか。僕はそこに“映画の新たな見かた”という希望を託したいんです。観てくれるお客さんに、そこから“映画”を発見して欲しいんです。

 

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原作にある布枝のどこかほんわかとした文体から感じられる、しげるへの絶やさぬ愛情と信頼。そしてしげるの侘しさや頑固さ、そしてユーモア。それらが鈴木卓爾の手によって、ゆったりとした空気の中から立ち上がってくるような、そんな力強い作品となった。それは淡々としながらも、実にドラマチック。水木ファンはもちろん、ドラマから興味を持った人も、ぜひとも本作を楽しんで欲しい。最後に、この映画の初試写を観たときの水木夫妻について、鈴木卓爾が語った印象的な言葉を引用しよう。

「映画を見終えられた武良布枝さんに、微笑んで握手をしていただきました。僕は安堵しました。初号後、人が集まっていた中、水木さんが肩にかけたカメラを差し出されたので「写真を撮れ」ということかなと思い、みなさんを僕が一枚撮りました。私達なりの映画フィクションの中で、カメラを通して水木ご夫妻を見て来た末に、現実のご夫妻をカメラでのぞいている事が、不思議でなりませんでした。水木さんは「(映画を見て)一度も寝なかった」と話されていたようでした」。




    

※1 武良布枝『ゲゲゲの女房』(実業之日本社)…2008年に刊行された水木しげる夫人によるエッセイ。
※2 『私は猫ストーカー』…浅生ハルミン原作、2009年劇場公開の鈴木卓爾初長編監督作。
※3 『地底人伝説』…NHK教育『中学生日記』で放映された、TVドラマ史に残る傑作。脚本を鈴木卓爾と唯野未歩子が交互に手掛けた4回シリーズ。  
※4 菊池信之…『私は猫ストーカー』でも音響設計を担当した、録音・音響のベテラン。
※5 ムーンライダーズfeat.小島麻由美「ゲゲゲの女房のうた」。鈴木卓爾作詞、鈴木慶一作曲。

  

 

(2010年11月19日更新)


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Profile

1967年2月14日静岡県生まれ。東京造形大学在学中に自主制作した8ミリ長編『にじ』が、ぴあフィルムフェスティバルで審査員特別賞を受賞。大学の後輩である矢口史靖と『裸足のピクニック』(92)、『ひみつの花園』(97)で共同脚本を担当したほか『パルコ・フィクション』(02)では監督を担当。脚本家としてNHK教育のドラマ『さわやか3組』『中学生日記』『時々迷々』などに参加。昨年、初長編監督作『私は猫ストーカー』が公開。第31回ヨコハマ映画祭新人監督賞、第19回日本映画プロフェッショナル大賞作品賞、新人監督賞など受賞。映画やCMなど俳優としての活動も多数。

Movie Data

(C)水木プロダクション/『ゲゲゲの女房』製作委員会

『ゲゲゲの女房』

12月4日(土)より梅田ピカデリーほかにて上映

【ぴあ映画生活】
http://pia-eigaseikatsu.jp/title/154703/

【公式サイト】
http://www.gegege-eiga.com/


Release

『ゲゲゲの女房』オリジナル・サウンドトラック

ソニーミュージックダイレクト
発売中 2520円

ムーンライダーズ鈴木慶一によるサウンドトラック。インタビューでも登場する主題歌「ゲゲゲの女房のうた」は、不安と期待と様々な予感が入り混じったような名曲だ。『私は猫ストーカー』のエンディングで流れる主題歌(浅生ハルミン&鈴木卓爾作詞、蓮実重臣作曲、岡村みどり&Glenn Miyashiro歌)同様に、ゲゲゲのエンディングも実に印象的である。