世界中を魅了するイリュージョニストHARAが
自身の物語とマジックを融合!
マジック界のアカデミー賞ともいわれるマーリン・アワードを日本人で初受賞し、世界中で引っ張りだこのイリュージョニストHARA。特に2016年にアメリカの人気オーディション番組『America’s got talent』に出演して以来、30か国以上から熱烈なオファーを受け、世界中を飛び回る日々を過ごしている。その夢を見ているかのような美しいマジックの数々はHARAのホームページやYouTubeでも見られるので、ぜひ、チェックしてほしい。現在HARAは、『inspiration』と題したジャパンツアーを開催中で、2月23日には神戸国際会館にやって来る。HARAに大自然の中で育った子ども時代や、アメリカ人気番組の出演の経緯、世界でのエピソード、今回の公演にかける思いなどを聞いた。
――まず、子ども時代のお話からうかがいたいと思います。奈良県十津川村で育ったそうですが、最寄りのコンビニまで1時間もかかるそうですね。何もないところですか?
何もないですね。電灯もないような(笑)。僕が育ったのは十津川村玉置山の下にある玉置川という集落です。家は薪風呂で、4人兄弟皆が当番制で薪を割って火をくべてお湯を沸かして入っていました。全員が自宅出産で、親父がハサミを熱湯で消毒してへその緒を切って、僕も生まれてきたんです(笑)。
――HARAさんのご両親はお父さまが造形作家で、お母さまが歌手とアーティストです。もともとのご出身は?
二人とも関東です。静かな山の中で自給自足の生活をしたいと色んなところを探して、最終的に十津川村に決めたそうです。
――子どものころ、遊び道具も自分で考えていたそうですね。
はい。何も与えてもらえなかったので(笑)。5歳の誕生日に、親父がかわいい包装紙にくるまれた長方形のプレゼントをくれたんですが、中を開けたら小刀が入っていて(笑)。「何これ?」と聞いたら、「お前が好きなものがあれば木を削って作れ」と言われました(笑)。そのとき、チョロQが欲しかったんですが、手に入らないから自分で薪の破片を削って、磁石で押すと自分で動く玩具を作りました。もちろん、マジックの道具も手に入らないので、手品で使うマジックウォンドというハリー・ポッターが持っている棒は、裏の杉山に行って、一番真っすぐな杉を拾って、皮をはいで、それに絵具で色を付けて、自分のマジックウォンドを作って手品の真似事をしていましたね。
――近所の子どもたちもそういう環境なのですか。
周りにそもそも子どもがいないんです(笑)。幼稚園まで車で1時間かかるし、保育園も遠いから行かせてもらえなくて。朝起きるとおにぎり二つと水筒にお茶が用意されていて、「日が暮れるまで遊んできなさい」と毎日山に放たれていました(笑)。おにぎりを持って日が暮れるまで遊んでいましたね。
――物にあふれて、スマホばかりしている現代の子とは思えないような育てられ方ですね(笑)。
そうですね。一人で滝つぼで泳いだり、鹿に遭遇したり。僕が『America’s got talent』(以下『アメリカズ・ゴット・タレント』)で披露した「IBUKI」という、桜の木が生えて鳥が飛んでいくというパフォーマンスは、幼稚園にも行けなくて友達もいないので、桜の木の下で、飛んで来たうぐいすの鳴き声を真似して交流を図ろうとしていた子ども時代を描いています。十津川村の中で、自然や動物と友達になろうとしていた思い出をベースに作品を作りました。
――子ども時代の環境が作品につながっているのですね。
何もないから想像するしかない(笑)。娯楽もないから、日が暮れて夜になると星が見える。それが娯楽です。段ボールを庭にひいて寝転がって星を見て、夏は流星群ばかり見ていました。
――戦前や戦後はそういう子どもたちが多かったですが、今はかなり珍しいですよね。
都会に行けばマジックの道具も手に入るし、マジックの講習会もある。なんで自分はこんな所に生まれたんだろうとコンプレックスに思った時期もあったんです。でも、今はあの環境にいたからこそ、ほかの誰にも生み出せないマジックを作ることができると思っています。
――そんな中、ピエロに遭遇してマジックに興味を持ったそうですね。
もう衝撃的でしたね。僕が5歳のときに家族旅行で東京に行ったんです。公園でパフォーマンスをやっていて、ピエロが夕暮れの中でシャボン玉を吹いていて、それがキラキラと僕のほうに流れてきた。近づくと、ピエロのお兄さんがシャボン玉をパッとガラス玉に変えてくれて、それはもう魔法そのものでした。そもそもマジックが何なのかも分からない状態で、調べていくうちにのめり込むようになりました。
――朝10時から夜の7時までマジックの猛練習をされるようになったそうですね。ご両親はどんな反応でしたか。
7歳のときに、親に「マジシャンになるから」と宣言していました。親は「あっそう」みたいな(笑)。「お金は一銭も出さないけど、好きなら自分でやってみな」という反応でしたね。
――好きなことに反対はしない。本当に自由に育てられたのですね。
良かったのは、お金は出してくれないから、自分で何とかしなきゃいけない。それはやる気になりましたね。
――17歳のときに渡米されたのも、自分で貯めたお金で行かれたそうですね。
それまでお年玉とか貯めてきた全財産をはたきました。アメリカの大会にチャレンジして惨敗して、その後にラスベガスに行って、シルク・ドゥ・ソレイユのショーを見たんです。日本にいると、どうしてもタネが見破れないマジックを見せて、どうだ、すごいだろうというのが多い。マジックはそうじゃなくて、皆が楽しんで平和な気持ちになれるエンターテインメントなんだと強く感じて。自分のショーも子どもからお年寄りまでが見て、一つになれるようなものを作りたいと思いました。マジックは一瞬で終わるんですけど、見た人が一生の思い出に残るようなショーを届けたい。そこから考え方がガラッと変わって、マジック以外の色んなエンターテインメントも勉強しました。
――例えばどのような?
演劇やダンスを日本に帰ってから学びましたね。一番影響を受けたのはフィギュアスケートです。フィギュアスケートとマジックのコンテストは基本的に採点の仕方が似ていて、技術点、技と技のシークエンスのつなぎの部分が何点で、芸術点という加点の仕方なんです。荒川静香さんや村主章枝さんらの演技を録画して研究しました。僕は体が小さいので、どうやったらアメリカの舞台で、身長が190㎝もあるライバルに負けずに自分を鮮やかに表現できるのか、毎日、自問自答していました。そこから着物を現代風にアレンジした衣装なら舞台で大きく見えると気づいたんです。
――HARAさんの衣装は日本文化を表現するためだと思っていました。
全然そういう気はなかったです(笑)。もともと普通にカッコいいスーツを着てやろうと思っていたんですけど、アメリカ人の190㎝のイケメンマジシャンに勝てるはずはない。だったら、自分にしかできない方法は何かと、和を現代風にアレンジしたんです。逆にアメリカ人がこれをコピーしても変に見えるから。これなら自分にしか出せないだろうと思いました。
――2009年、高校生のときに、ラスベガスで開催されたマジック世界ジュニア大会「World Magic Seminar Teens contest」で、日本人初のグランプリを受賞されました。その後、アメリカに留学されたのですか。
1年ぐらいラスベガスに留学していました。毎日、朝から夕方まで語学学校に行って英語を勉強して、その後、自転車に乗って1時間かけてマジックのスタジオに行って練習。そして日本に戻ってイリュージョニストHARAとして活動を始めました。
――『アメリカズ・ゴット・タレント』に出演された経緯は?
ある日突然、謎のメールが来たんです(笑)。「君の演技は面白いと思うんだけど、ロサンゼルスに来られますか」という。差出人もよく分からなくて、何だろうと思っていたら、僕の携帯に電話がかかってきたんです。それがテレビ番組の一番偉いプロデューサーの方で、直接話をしました。
――それはすごいですね!
普通は7万5千組ぐらいが応募する一般オーディションがあって、それを勝ち抜いて、勝ち抜いて、やっとテレビで放映されるラウンドに行けるんですけど、その最終選考の後に、プロデューサーの方がYouTubeで僕のパフォーマンスを見てくださって、「すぐコイツを呼べ」と(笑)。光栄なことに『アメリカズ・ゴット・タレント』2016年第1回の放送のオープニングで僕の映像が流れて、それが数時間で何百万回再生され、自分のサイトに世界中からオファーメールがドドドドッと来るようになりました。それから月に5、6か国をはしごするような生活が始まりました。
――あの映像でHARAさんを知った人が世界中にあふれたのですね。マジックとプロジェクションマッピングの融合が夢を見ているようでした。
もともとプロジェクションマッピングをやろうと思っていたわけではないんです。僕が生まれてくる前に、近所に桜の木があって、その木が母親の夢の中に出てきて、僕の名を大樹(ひろき)にしたんです。でも、生まれる前に道路拡張でその木が切られてしまった。春に十津川村で桜が咲いて、鳥が飛んでくる、春爛漫な幸せな空気を、どうやったら自分がイリュージョンで表現できるかなと考えていて、プロジェクションマッピングを使ったら細かい表現ができるなと。いつも頭の中に描きたいビジョンがあって、それをやっていく上で、自然とテクノロジーが融合していくんです。自分の表現したいものや僕の手の代わり、手がちょっと届かないところを拡張させるために使っている感覚ですね。
――映像はプロジェクションマッピングのプロの方にお願いしているのですよね。
そうですね。合わせるのが大変なんです。映像のタイミングがズレただけで、夢が崩れてしまうので、最初テストした時は、こんなの人前でできるはずがないと思っていました。これは大失敗したなと頭を抱えていたら、『アメリカズ・ゴット・タレント』のお話がきて、軽い気持ちで出てみたら、いきなりバズって、世界中からオファーをいただいて。そこからサウジアラビアに呼ばれたり、アフリカに呼ばれたり。よく分かんないまま、「明後日、サウジアラビアの王様があなたの演技を見たいと言っているのですが、来られますか?」という連絡が(笑)。パスポートはいつも持ち歩いているので、「空いていますので、行きます」という感じです。アフリカには片道30時間かけて行って、パフォーマンスは2分30秒(笑)。またパッキングして帰ってくるんです。そこまでしてでも一瞬の夢をライブで見たいという世界中のファンの方がいるんです。大富豪の方々は色んなものを手にしてきているから、最後に自分が欲しいものは、夢の世界、我を忘れるような体験を常に求めているんです。だから食べたことのない究極の料理や、行ったことのない宇宙に生きたがる人が多いんです。単純に、皆さん、子どものころの好奇心旺盛な感覚を取り戻したいみたいです。
――なるほど。何でも手にするとそこに行き着くのですね。
印象的だったのは、ロシアで大晦日にショーがあって呼ばれたときに、雪山の中に僕のために劇場が作られていたんです。壁4面がLEDの液晶張りで、億単位のお金がかかっている。「リハーサルを完璧にしてください」と言われて、3日間リハーサルをして、ちょうどニューイヤーになった時に僕がパフォーマンスをするんですけど、幕が開いたら、劇場には3人しかお客さんが座っていなかった(笑)。その3人のためだけにパフォーマンスをしました。その後は、劇場を壊してばらしていましたね。
――贅沢さが桁違いですね(笑)。
僕がベストなパフォーマンスをするために、劇場を設計して作ってくださる。そこでも2分半しかパフォーマンス時間はないんですけど(笑)。
――野暮すぎてマジックのタネ明かしは聞けないですが(笑)、大富豪の人は聞いてきたりするのですか。
聞いてこないですね(笑)。タネを暴いてやろうではなく、極上の夢を見させてくれる人という対象で僕を呼んでくださっている。ロシアに呼ばれたときは、VIPしか入れない空港のゲートでしたし、アフリカでもスタッフが4、5人いて、誰かと思ったらマシンガンを持ったSPで、ずっと付いていて守ってくれました。
――今まで何か国行かれましたか。
30か国以上ですね。もう覚えていないぐらい。見てください、僕のパスポート。判子がいっぱいで、こんなに分厚くなっているんです。入国審査で職業をイリュージョニストと言えば、必ず「何かやれ」と言われます。
――VIP対応だから怪しまれないですか。
でも、パスポートにこれだけ判子があると、「何の職業だ」と必ず聞かれます。税関を通る時は、セキュリティチェックにかからないマジックを3ネタぐらい体に仕込んでいってやります(笑)。
――ちゃんと対策があるのですね(笑)。HARAさんとしては、いろんな人にマジックを届けたいから、呼ばれるのなら世界中どこにでも行くと。
そうですね。いつもパスポートを持ち歩いていて、いろんな国に行くうちに、実は地球のサイズ感はあまり大きくないんじゃないかと思うようになりました。地球は特に大きくないなと。
――そんな感覚が持てるのはうらやましいですね。『アメリカズ・ゴット・タレント』の話に戻りますが、HARAさんがお母さんと一緒にパフォーマンスされた作品もありましたね。
十津川村から海外に行くときに、母が「行ってきなさい」といつも背中を押してくれる。その思い出をベースに作りました。
――物語が広がります。
僕が、日本におけるマジックやイリュージョンのイメージを変えたいんです。世界では芸術としてとらえられているんですが、日本ではいまだにやる方も「これ、見破れますか」みたいに、お客さんに挑戦的な感じで、見る方もじっと腕を組んで見破ってやろうという雰囲気があります。マジックは言葉を介さなくても、皆が一つになれるエンターテインメント。なかなかこういうエンターテインメントはない。お客さんと一つになりたいですし、日本でツアーをやろうと思ったのも生でしか体感できないから。イリュージョンはテレビやスマホで見るのと、劇場でライブで体験するのとは全く違う。僕が5歳の時にピエロのマジックを見て衝撃を受けたように、同じ感動を子どもたちに届けたいんです。スマホやゲームで異世界に行くことはできても、生で体感してワクワクしたり、鳥肌が立ったり、ゾクゾクしたりするのは劇場でしか味わえない。
――その通りですね。ツアーは始まっていますが、お客さんの反応はいかがですか。
今回、シルク・ドゥ・ソレイユの『ドラリオン』で活躍されて、シルクの中でもトップのクラウンのフィリップ・エマールさんが最初に出て、お客さんを盛り上げてくれるんです。日本のお客さんはシャイだと言われますが、恥ずかしいからどうやって表現していいか分からないだけなんですよね。フィリップが「声出して、楽しんでいいんだよ」とウォーミングアップしてからショーが始まるので、盛り上がっています。今回の「インスピレーション」という公演は、ピエロに出会って人生が変わり、今に至るまでの僕のストーリーと、イリュージョンが融合しています。
――それは面白そうです。
75分間の上演で、今までの作品を凝縮したものと、昨年『情熱大陸』に出演したときに放映された、日本人として初めてパスポートを取得した手品師・隅田川波五郎をテーマにしたマジックを初披露します。これには、ものすごい歓声が返ってくるので、パフォーマンスをしながら僕も驚きました。
――HARAさんのような若手が日本におけるマジックを変えていくのでしょうね。
皆が簡単にできるマジックのコーナーもあるので、マジックの素晴らしさを伝えていきたいですね。マジックを教えたら、「できました」とお手紙もたくさんいただいているんです。一つマジックを覚えると世界中に友達ができる。自信もつくんですよ。パーティなどで、何か期待されて、できることがあるのはいいですよ。コミュニケーションツールとしてマジックは最高です。
――公演が楽しみです。最後に今後の夢を聞かせてください。
いつか宇宙でマジックをやりたいです。そして宇宙から地球を見てインスピレーションを得て、それをまたマジックで表現したいですね。
取材・文:米満ゆう子
(2020年2月20日更新)
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