――『Don’t』もTVアニメ『メガロボクス』のエンディングテーマの『かかってこいよ』(M-3)も、音楽人生においてそんなに頻繁に書けるわけではないアンセムを、ちゃんとアルバムごとに入れてくるのが相変わらずすごいなと。
「嬉しい。実は『メガロボクス』のお話をいただく前に、私の事務所の先輩でもあり音楽人生を変えてくれた竹原ピストルさんをイメージした曲を書いていたんですよ。あの方は元ボクサーだし、常に自分と戦っているからこその今なんだろうなと思って。その後にタイアップの話をいただいて、その曲とリンクする部分がすごくあったので書けたところはありますね。自分も自分と戦って立ち上がりたい、『YAMABIKO』(’16)にも通じる想いがあって。『かかってこいよ』は自分でも“こんな曲ができてよかった”って思えた曲でしたね」
――今、コミュニケーションを語る上では切り離せないSNSについて世に問う曲でもありますね。
「自分もSNSで発信させてもらったり、全然知らない方が私を応援してくれていることに気付かさせてもらったり、SNSには本当に助けられているんですけど、それとは反対の言葉ももちろん浴びるんで。私は直接会った人に言われることが一番大事だと思えるけど、若い方はSNSで飛び交っている言葉が全てになっちゃうのかなと思うと怖いなって。なので、そういう“ぬくもり”みたいなものを…誰かのせいとか言葉のせいじゃなくて、自分の中でちゃんと置き換えられるかは課題になりましたね」
――でも、NakamuraEmiにも否定的な意見があるんですね…例えば?(笑)
「えぇ~!(笑) もう何か…“説教臭い”とか?(笑) でも、SNSなんてなかった昔はよかったで終わらせちゃったら、若い方にとっては“昔って何?”ってなっちゃうと思うんで。結局、人間同士の悩みは人間同士で解決するしかないとなると、手間だけど1つ1つのコミュニケーションが喜びになるにはどうしたらいいんだろうって考えますね」
――『新聞』(M-4)はそういうコミュニケーションについて一番伝えられた手応えのある曲だと。雨の日に“ビニールにかかった新聞”っていう一節がありますけど、ちょっとした人の気配りみたいなものが。
「実家では新聞を取っているのでそれを見たときに感じて…この曲を書いてから、“僕は15~16年、誰にお礼を言われるわけでもなく、雨の日も風の日も雪の日も新聞配達をしていたんですが、この曲を聴いてそれが全部涙に変わりました”とか、メッセージを結構いただくんで、それもすごく嬉しかったですね」
――新聞だって何だって勝手に届くわけじゃない。誰かが1つ1つポストに入れてくれているわけですもんね。
「そうですよね。ネットでももちろんニュースは見るんですけど…新聞を改めて読んだときに、毎日、“写真をこれくらいの大きさにして、ここで改行して”ってレイアウトされているわけじゃないですか。これだけのページを誰かが毎日作っているんだなとか、いろいろ思うことはありましたね」
“人生どうにでもなるから”っていう1つの選択肢に私の歌がなれたら
――『N』(M-2)は2017年最大の出会いというパラアスリートの中西麻耶さんをモチーフにした曲ということですけど、“盲目の若者とお婆さん 残り1席はどちらに譲る?”っていう1行には、すごく考えさせられました。
「麻耶ちゃんが海外で本当に体験した話で、お婆ちゃんに座ってもらうために周りのお客さんが、“あなたは若いんだから”って盲目の若者を立たせたらしいんです。それを麻耶ちゃんが見たときに、“日本もこれくらいナチュラルでいいんだ”と思ったみたいで。自分は障害というものに触れずに今まで生きてきたので…最初はそのことを書くのがすごく難しかったですね。でも、この曲が書けたことで、今は麻耶ちゃんと、ちゃんと友達になれたというか」
――そして、今度はこっちがNakamuraEmiの音楽に、“自分だったらいったいどうするだろう?”と考えさせられるというか。あと、『メジャーデビュー』(’17)とかもそうですけど、NakamuraEmi自身が体験した話だとハッキリ分かる時間軸が毎回アルバムに刻まれているのは、他のアーティストにはなかなかないところな気がして。
「あー、確かにそうですね」
――ここまでNakamuraEmi自身のことだと分かる体験を書いても、きちんと他人と共有できる曲になっているのがすごいなと。一転、『教室』(M-7)は、今までは自分のことを歌うから嘘がなく、ある意味、“あくまで自分の話だから”と逃げられていたのが、人のために歌う覚悟を決めた曲だと。
「教室だけじゃなくて職場もそうだと思うんですけど、一生懸命な人だからこそ、その枠の中でうまくやるかを考えちゃうと思うんで…私もそうだったし。あと、若い方と直接話をさせていただいたとき、“私の言葉を素直に受け入れて考えるんだろうな”と思ったら、すごく責任を感じて…。どうしたらいいか分からなくて誰かを傷付けちゃったり、自分の命を絶っちゃったり、コミュニケーションが減っているからこそ、助けを求める術がなくなっちゃっている方もいるかもしれない。もしかしたらその前に…自分の経験と考えをまずは書いて、“人生どうにでもなるから” っていう1つの選択肢に私の歌がなれたら嬉しいなと思いました。場所を変えたら生き方も変わるかもしれないし」
――そういう人たちに“伝えなければ”とより思わせてくれた1年だった?
「本当にそうですね。今までは自分のことばっかりだったけど、やっと“人に伝えたい”と思えたのは、本当にたくさんの人に出会わせてもらったからこそなんだなって」
――ただ、音楽家としても人としても、キャリアを重ねると初体験は減っていく。でも逆に、そうやって自分のことが書けなくなったら、人のために書けばいいのかもしれませんね。
「確かに! 今、まさにそこが不安なので…このアルバムで出し切れて、もちろん次の作品を作らなきゃと思っているんですけど、今のこの環境の中でどう進んで行くのかと考えたら、自分から出会いを求めていくしか初体験はもう生まれてこないと思うので。まさにおっしゃる通りで、今そこにぶち当たっているところです(笑)」
――この曲の、“すごい奇跡が君の中に入ってる”という一節も、最初は“君”の部分が“この身体”だったのを、エンジニアの兼重(哲哉)さんが“腹を括って言えよ”とけしかけてくれたと。
「“この身体の中に入ってる”なら私のことでもあるし、聴いた人も自分に置き換えられると思ってたんですけど、 “Emiちゃん、ここは腹を括らないと。君って書くべきだと思うよ”と言われてハッとして。これまでも“君”という言葉は使っていたけど、結局は自分に返ってくることばっかりだったんで。誰かのために曲を書くことは覚悟がいることなんだと改めて感じさせてもらったし、同時に、すごいメンバーが周りにいてくれているんだなって思いました」
――『教室』には“36歳のいい大人が 未だに怒られてピーピー泣いて”という一節もありますが、プロデューサーのカワムラヒロシさんに今でもよく怒られるということですけど、最近は何で怒られました?(笑)
「思い当たる節がいっぱいあるんですけど(笑)、私がある現場でうまくできなくてヘコみ過ぎて、反省会を兼ねた食事のときに何も喋れなくて…“お前は俺の時間も割きつつ、今何のためにこの時間を使っているんだ? 前を向きたくて、どうにかしたくて反省会をしているのであれば、何でもいいからちゃんと自分の想いを吐き出せ”とか、“メソメソしているだけだと前は見えないぞ”とか…」
――もうめちゃめちゃごもっともな(笑)。
「ホントに(笑)。自分もヘコんでいるところを真正面から見せられる相手が他にはいないので、本当にお父ちゃんのような、師匠のような存在ですね」
デビューして3年目に突入した自分が
制服を着ていた頃の自分に言えるようになった
――そんなカワムラさんのサーファーとしての生き方にインスパイアされた『波を待つのさ』(M-5)という曲も。
「“何時からの仕事の前に、今はあそこの波がいいから行こう”とか…最初は“何がそこまでさせるんだろう?”っていう素朴な疑問からだったんですけど、自然と戯れる楽しさだったり、波に乗れたときの気持ちよさは生活圏には全くないものだと聞いて、“そういう感覚にこの人はもう出会っているんだな”と思って。それこそ漁師や農家の方だったら、お仕事として自然と共に生きている。なのに私は、スマホにばっかり縛られて生きているなと…。自分にいつか子供ができたら、サーフィンでもスケボーでも、外で遊ぶ楽しさをいっぱい教えてあげたいなって思わされました」
――ちなみに、この曲の“やめたら成功しない”っていうのは何の言葉なんですか?
「カワムラさんがサーフィンの映像をいつも車で流しているので自然と観ざるを得ない状況で(笑)、いろんな有名なサーファーの方が喋っていた中の言葉で。サーフィンだけじゃなくて、お仕事でも、自分が歌を練習する中でも、“やめたら一生歌えないんだな”って感じたりして…何だかすごい言葉だなと」
――この曲は伊豆スタジオで録ったんですか?
「そうなんです!」
――じゃあこのスタジオにサーフボードを持って行ったんですね(笑)。
「しかもショートとロングを2本(笑)。しかも、“Emiちゃんの車はデカいしロングの方を乗せて”って言われて(笑)、すごく長いやつを持ち込んで。この曲はみんなで1つのブースに入って、その真ん中にサーフボードをちょっと斜めに立てかけて、サーフィンのDVDを流しながら、いっせーのせで録った曲です(笑)」
――前作でもハワイで撮った写真を並べて『ハワイと日本』(‘17)を録ったエピソードがありましたけど、数値化できない想いというか、サーフボードを見ながら演奏することでプレイが変わるという発想が愛しいというか、さっきの“ぬくもり”の話にも通じますね。
「本当にそういうメンバーがそばにいてくれるのは嬉しいですね」
――『星なんて言わず』(M-6)は今作の中でも個人的に大事にしている曲ということで、年齢を重ねると死がリアリティを持ってくるという意味では、今の自分の年代だからこそ歌える曲でもありますね。
「自分は今実家に戻って暮らしているんですけど、親も病気をしたりで、本当にいついなくなっちゃうのか分からないんだなって実感したり。残された家族はいろんなことを感じながら生きていくんだなと思ったとき、ちょっとでも前を向きたいなと思って書いた曲だったんで、歌い慣れるまでは…もう泣いちゃって歌えなくて、結構大変でした」
――サビの“星になったの?”の繰り返しは聴いているこっちもヤバいですもん…。最後の『モチベーション』(M-8)は『NIPPONNO ONNAWO UTAU Vol.3』(‘15)からの再録で、Calmeraの辻本美博(sax)さんを迎えて装いも新たなアレンジになって。
「誰かの笑顔で職場の雰囲気が変わるっていうことは自分が本当に体験したことだったので、コミュニケーションがテーマの今作にはいろんな曲が入っているけど、この曲で最後を締めたいなって。私も前は新人な感じで歌っていたけど、デビューして3年目に突入した自分が、制服を着ていた頃の自分に言えるようになったというか…あの頃とはまたちょっと違う自分で、改めて歌えた曲ですね」
――“私次第だった”という一節は『かかってこいよ』にも通じていて。結局、自分の世界を変えられるのは自分次第というメッセージが、数年前に書いた曲からも貫かれていたのが、このアルバムに収録されている意義だなと。他の誰でもなく、社会人を経て歌い手になるという人生を経験したNakamuraEmiだから書ける曲だし、女性にしか、大人にしか書けない歌だなと思いました。
自分はどこが足りていないのか、どこまで行かなきゃいけないのか
知らなきゃいけないタイミングがやってきた
――ただ、今はある種の“NakamuraEmi節”ができつつある過程だと思うんですけど、だからこそ前作と照らし合わせて符合するところも見えて、パターン化してしまう怖さはないかなと、ちょっと思ったんですけど。
「確かに言いたいことって結局同じようなことなので、“こういうことは前にも言っていたな”とかはいろいろ思うんですけど…そのときによって見える景色が違えばそれを歌えばいいし、無理をせず、相手に合わせず、環境に合わせず、感じたことを書かないと、誰かに合わせたNakamuraEmiじゃダメなんだってすごく思ったので。今日、奥さん(=筆者)と、誰かのために書く曲ができたこと、初体験しないとできない想いとか、いろんなことを話して本当にそうだよなって納得する部分があって。もしそうなら、またそのことを書けばいいのかもしれないし…素直なままでいいんだなって、今話しながらまた整理させてもらったような(笑)」
――(笑)。あと、今作はタイアップじゃないものに関しては優しい雰囲気の曲が多い感じがして。物事を深く知ると怒れなくなるじゃないですか、その奥にいる人が見えてくるから。それはそれで1つ手段がなくなるような気がして危惧してたんですけど、それならそう思ったことを書けば、それもNakamuraEmiの歌になると。
「本当にそうなんですよ! 優しい曲ばかり増えていくというか…なので、どうしようって思っていたときに、ちょうどタイアップのお仕事をいただけたんで。じゃあ、“ここからどうするのかな?”って、実は自分でも思っているので。次回のインタビューで、“またこいつはこのことで悩んでるな”ってバレると思います(笑)」
――アハハハハ!(笑) そして、リリースツアーに関しては前半はカワムラさんと2人で回って、大阪ワンマンを含む後半戦がバンドセットということで。
「私もデビュー3年目に突入して、バンドメンバーたちの力を借りて、自分はどこが足りていないのか、どこまで行かなきゃいけないのかを、知らなきゃいけないタイミングがやってきたというか。私より多くの経験をしているバンドメンバーたちからいろんなものを盗んでもっと成長していかなきゃいけないし、また違う景色を見て、自分たちの世代でいい音楽を残せるようになりたい。本当に隅から隅まで自分を出せたアルバムだからこそ、“次はどうするの?”って不安になるぐらい想いを込めてしまったからこそ、これからもたくさんの人に出会って、聴いてくださる方の近くにいられる曲が書けるように。自分らしくいろんなことを経験して、それを届けられるように。これからも新しい初体験をしていきたいですね」
Text by 奥“ボウイ”昌史