「また新しい自分の全てができた」
自分の人生を正解にするのは自分。感謝も使命も刻み付けた
まばゆき『NIPPONNO ONNAWO UTAU Vol.4』を語る!
NakamuraEmiインタビュー&動画コメント
4分54秒で自分はいったい何者なのかを伝えられるのは、本当に音楽だけなのかもしれない。アルバムの冒頭を飾る『Rebirth』から、彼女が歩んできた35年間で出会ってきた多くの顔が後押しするような、そんな想いを推進力と覚悟に変えた彼女が、自らの人生の年輪に刻み込むような、メジャー2ndアルバム『NIPPONNO ONNAWO UTAU Vol.4』を聴いていると、紛れもなく音楽は人が作るものであり、感情こそが音楽になることを思い知らされる。そして、昨年のメジャーデビュー時にその名とスタンスを世に知らしめるきっかけとなった名曲『YAMABIKO』という高い壁を越え、今作で『大人の言うことを聞け』『メジャーデビュー』という新たなアンセムを生み出した底知れぬ才能には、今後を期待せずにはいられない。彼女の言葉が問答無用に胸を揺さぶるのは、彼女の歌声が気高くて儚いのは、彼女の音楽が聴く者を奮い立たせるのは――。NakamuraEmiにすでに出会ったあなたはもちろん、今これから出会うあなたに贈るインタビュー。NakamuraEmiの音楽は、人生の正解を教えてくれるわけじゃない。だが、あなたが選んだその人生を、正解にするヒントをくれる。
ドキドキしたり、失敗したり、恥ずかしかったり
そういう感覚ってだんだんなくなっていくときだったので
それが書けたのはすごい経験だった
――昨年メジャーデビューしてからここまでの1年は、人生において一番楽しかった1年だったと。
「本当に宝物みたいな1年でした。今まではインタビューで自分のことをこんなに話すことなんてなかったので、知恵熱がめっちゃ出てましたね(笑)。いつもドキドキしながら…今年もまたそれを超える1年にしたいなと思ってるんですけど、本当にすごい1年でした」
――デビュー当初から『NIPPONNO ONNAWO UTAU Vol.4』を出す案はあったものの、まずは今までのNakamuraEmiを知ってもらうという意味で、インディー時代の楽曲をまとめた『NIPPONNO ONNAWO UTAU BEST』(‘16)をリリースして。前作も本当に素晴らしい作品でしたけど、今回は満を持してのシリアルナンバー再開ですね。今作に向かう上で何かビジョンはありましたか?
「それが、とにかく目の前のことに必死過ぎて全然考えられなくて。でも、その必死の中でもできた新曲はあったので、ある意味ナチュラルに今の自分が入ったアルバムになりましたね。あとは、今までは自分自分ばっかりだったけど、いろんな人のパワーが入ったアルバムだなって。なのでそこからは、いろんな人からもらった光とか宝物をテーマに、制作を進めていきましたね」
――そう考えたら、人には言えなかった想いを歌にしていたような曲の成り立ちから、確実に変化を感じますよね。
「そうですね。“言えなかったこと”だけじゃなくて、みんなからもらった“新しいもの”が入りましたね。やっぱり30代も半ばでこんなに初めての経験をたくさんして…ドキドキしたり、失敗したり、恥ずかしかったり、そういう感覚ってだんだんなくなっていくときだったので、それが書けたのはすごい経験だったなぁって」
――じゃあ前作を受けてのプレッシャーというよりはむしろ。
「プレッシャーはあんまりなかったですね。それよりも、自分のCDをライブで必死に手売りしてたのが、例えば関西だったら、(周りを見渡して)このチームが一生懸命動いてくれている。“こうやって人が動いてるんだ”って分かってからは、1つ1つの仕事がますます楽しくなってきたというか。自分がこれまでにいろんな職業をさせてもらって、やっぱり1つの仕事を取るって、ものすごいことだと思っているので。準備だったり、営業だったり、そういう積み重ねがあって今自分がここにいられるのを、すごく感じていますね」
常に自分の曲にお尻を叩かれているのはあります
――今作の軸となる曲というか、できたことで導かれるような曲はありました?
「『メジャーデビュー』(M-8)がやっぱり一番デカかったですね。これは絶対に入れたい曲ではありました」
――この曲の歌詞はデビュー以降に書き直したということですが、メジャーデビュー自体はおめでたいことではありますけど、こと歌詞においては揶揄することも多い事象だとも思うので。それをここまで肯定的に描いた曲って、なかなかないんじゃないかと。
「肯定できたのは、それこそ本当にスタッフさんのお陰で。マネージャーとの会話が歌詞の中にもあるんですけど、私は自分の意見をすぐに人に伝えたりもできないし、また苦労するのもイヤだし、貧乏なのも辛いしとか(笑)、いろんなことをマネージャーに全部言って。マネージャーが1つ1つ自分という人間を見て進めてくれて、レコード会社のみんなに“NakamuraEmiはこういうヤツだから、とにかく一緒にご飯を食べたり呑んだりする時間を作ってくれないか。いっぱい話したら、あいつのやりたいことが少しずつ見えてくると思うから”みたいなことを言ってくれたり…“NakamuraEmiらしさ”からズレずにいつもお仕事をしてくださるみんながいたからできた曲ですね」
――“一緒にやってみないか”というマネージャーの呼びかけは変わらないのに、それに応える自分の感情が変わっていく言葉のラリーがすごくドラマチックで。マネージャーさんは墓まで持っていく曲だろうなぁ…。前作でも、メジャーデビューを発表したときのことが『七夕』という曲になったし、いちいち曲になるなと(笑)。
「そうなんです(笑)。自分がどんな感情だったかがいちいちアルバムに残っていくのは、何だか幸せだなぁって」
――そうやって自分の感動を曲に残せて、しかもそれを聴いて人が感動する。こんな有意義な連鎖があるのかなと。
「いや~本当にそうですね。最初は自分が人に言えなかったことを曲に書いて、ある意味ストレス発散でライブをしてたんですよ。だから、お客さんが0のときもあったし(笑)、赤字でもいいからライブで吐かせてくれっていう状態だった。でも、女性のお客様がいつも仕事帰りにライブに通ってくださって、手紙をくれたり、時には涙を流したり…そういう姿を見て、自分が自分のために書いた曲が、もしかして誰かのためになるのかな…って勇気をもらえたので、一歩踏み出せたというか」
――こんな曲を書いちゃったら、本当にやるしかないですね。『NIPPONNO ONNAWO UTAU vol.6』とかが出る頃に、“あれ? あのとき歌ってたことと、ちょっと違くね?”みたいになったら(笑)。
「アハハハハ!(笑) もう、そのときは音楽を辞めるときだと。本当にそうだと思います」
――そういう意味では、自分も凛とするというか、律される曲ですね。
「本当にそうですね。常に自分の曲にお尻を叩かれているのはありますね」
――曲中に“「YAMABIKO」を超えなくちゃ”という一節がありますけど、前作のリード曲でもあるあの曲は、NakamuraEmiの存在を世に知らせる多くのきっかけを作った曲で。
「ちょっと周りを意識してしまっていた時期があって、曲を作るたびに『YAMABIKO』っぽいものを考えていて…。まずはいろんな体験をして、そこから気持ちが生まれて、それをとにかくノートに書き続けていくことが私にできることだなって気付いたり。あとは、バンドもエンジニアさんもデビュー前からずっと支えてくれているメンバーなので、自分がちょっと迷ったときにすぐに気付いてくれるんです。“お前、しっかりしろよ!”みたいな人たちが(笑)、ずっとそばにいてくれるのもすごく支えですし、そういうメンバーをメジャーデビューしても変わらずいさせてくれている環境も、すごいことだと思っていますね」
――そして、このMVは一発撮りというのもすごく緊迫感がありますね。
「すごく緊張したんですけど、一番らしいものができたなと思って。あと、『メジャーデビュー』っていう曲なんだから、デビューした’16年の間にお客様に聴かせなきゃってスタッフの方が動いてくれて。そもそもこの曲を出させてもらえるのが嬉しかったし、それを一発撮りでやろうっていう戦闘態勢がチームのみんなにあるのは、本当にありがたいことだなと思いましたね」
今も毎日が戦い
常に生まれ変わって生き続けないとダメだなと
――アルバムの1曲目の『Rebirth』はライブでもよく冒頭を飾る曲で、それこそ今のNakamuraEmiのスタイルでやり始めたときに作られた曲だと。
「そうなんです。ヒップホップをやりたかったけど、弾き語りじゃどうにも上手くできなくて。今のバンドメンバーに出会ったとき、ラップはできないけど韻を踏んだり、自分のことをあらわに書いてみようと挑戦できたのがこの曲でしたね。デビュー作に入れようかとも迷ってたんですけど、前作には『YAMABIKO』という大切な曲も入っていたので、これはもうちょっと寝かせておこうと。そこからいろいろとライブもやってきて、お客様と一体になれる曲だったので、今作に入れられてよかったなと思っています」
――この曲が書けたときのことを覚えてます?
「夜中に家の近くのマクドナルドで書き上げたのを覚えてますね(笑)。当時の私は日産のエンジン開発部で働いていて、車の勉強もすごく必要だったんですよ。それと並行してやっていたので結構キツかったんですけど、新しいものができた感覚はすごくありましたね。ヒップホップは歴史があるものですし、いろんな想いがあってフリースタイルでラップをされている方々を見ていて、自分はぬくぬくと育ってきた人間だから、とにかくその精神性を自分のポップスのどこかに入れられないかと挑戦してみた曲なので、できたときはすごく嬉しかったですね」
――ポップスとヒップホップのどちらにも入口があるような、この曲の絶妙な距離感とスタンスはまさにNakamuraEmiの個性だなと。さっきの『メジャーデビュー』の話じゃないですけど、4分54秒で自分は何者なのかという人生を伝えられるのは、本当に音楽だけなのかもしれないなと。
「本当にそうですね。4分そこそこの中で人生をそのままぶちまけられることって、なかなかないですよね? 例えば、本でも読むのに時間がかかるものですし」
――Nakamuraさんは様々な職業を経験したり、シンガーソングライターとしての音楽性も変化したりと、まさに、『Rebirth』というタイトル通り、再生を繰り返してきた人生な感じがしますね。
「そうですね。今も毎日が戦いと言ったらあれですけど、“もっとこうなりたいのになれない”っていうもどかしさは常に感じているので、多分一生やってるんだろうなって思ってます(笑)」
――あと思うのが、生まれ変わるためには、大なり小なり自分でアクションを起こさなきゃいけない。自分を変えようと思っても現状に甘んじてしまうことも多い中で、“Rebirth”って案外みんなができることじゃないのかなと。
「それは、ギタリストでプロデューサーのカワムラヒロシさんに出会えたことがすごく大きくて。30を超えてからジャズギタリストの小沼ようすけさんのお弟子さんになって、すごくいろんなことを学んだと言っていて。自分の芯を持ちながら常に前に進む姿勢だとか、音楽で食べて生きていくスタンスを、ずっと自分に見せてくれている気がしていて。もうしょっちゅう怒られますし(笑)、少しでも前に進んでいないと“お前、何やってんだよ!?”って言われるので。そういう人が近くにいてくれるのは、すごくデカいことなので。本当に、もしカワムラさんが死んじゃったらどうしよう!?って思います!」
――アハハハハ!(笑) 自分で言い出しといて泣きそうになってますやん(笑)。
「カワムラさん=NakamuraEmiの音楽といっても過言じゃないぐらいの人なんですよ。ああいう存在の人がいなくなったら私、どんどん適当になっちゃうんじゃないかとか思うので(笑)。まずはあの人を超えられるぐらいになるのを目指して、とにかく『Rebirth』というか、常に生まれ変わって生き続けないとダメだなと思ってますね」
もう自分でも毎回奇跡だなと思いながら(笑)
――もう1つのMV曲『大人の言うことを聞け』(M-2)のタイトルも、強烈なパンチラインで。あと、基本は詞先ということですけど、言葉先行でここまでメロディと親和性のあるポップスとして成立しているのはすごいなと。
「ありがとうございます。何でこうなれたのか…もう自分でも毎回奇跡だなと思いながら(笑)」
――アハハハハ!(笑) この曲もならではの目線というか、他のソングライターの人からはなかなか出てこない言葉だと思いますけど、この曲が生まれたきっかけは?
「まだまだ上の世代には大先輩もいっぱいいて、今でもあの人はカッコいいなと思ったり、あの人みたいにならないようにと思ったりもしますけど(笑)、中学生・高校生の頃の自分からすると35歳って大人だったので、その世代の子たちから見たら私もカッコ悪いと思われているかもしれないし、ああなりたいと思ってもらえているかもしれない。その中間の自分が観ている景色を書こうと思って。自分が幼稚園の先生だったとき、月曜日になると“週末はすごい楽しかったんだな”とか、“この子は親と何かあったのかもしれない”ってすごいあらわになったり、私がちょっと冗談で言ったヘンな言葉をすぐに子供たちは真似するんです。それぐらい素直で、大人のやっていること、言っていることがボンボン入っていく。自分が親じゃなくても日本を背負う子供たちが私の姿も見本として見ちゃうので、そういう責任を感じて書いた曲でもありますね」
――前作の『台風18号』でも思ったんですけど、NakamuraEmiの音楽は正解を教えてくれるわけじゃないんですけど、自分が選んだ選択肢を正解にするヒントをくれるような気がします。
「嬉しい。最初は、自分がこう思ったからとか、自分が忘れられないからとか、自分のために書き始めるんですけど、やっぱり歌った瞬間に誰かの耳に入るので、その人が言ってくれる言葉によって、この曲が人のためになっているのを知る。お客さんの言葉によって、何百倍にも曲が広がるというか」
――そう考えたらやっぱり、NakamuraEmiは詩人じゃなくて歌手なんでしょうね。言葉を受け取った人が何かを感じるのは一緒ですけど、それを歌うところまでが人生というか。それにしても、前作には『YAMABIKO』という名曲があって、次のアルバムで『メジャーデビュー』や『大人の言うことを聞け』というそれを超えていく曲をちゃんと書けたのはすごいなと。ベスト盤的な前作は=これまでの人生じゃないですか。でも、このアルバムはメジャーデビュー以降の1年で、言ったら34年間をこの1年で超えている。
「うわぁ~! 嬉しいです。そこが不安な時期も正直あったんですけど、このままだとダメになると思ったので頭を切り替えて考え過ぎないようにしていたので、そう言ってもらえるとすごく嬉しいですし、バンドメンバーが自分のことを理解して作ってくれた音が、完全にプラスになっているというか。本当に今回のアルバムとか曲に関しては、自分1人じゃ絶対にできなかった。そういうみんなの力があってこそなのかなぁと思います」
――『晴人(はれびと)』(M-3)なんかは昔の曲ですけど、この曲で感じるのは“スタンスを表明する”大切さで。“私はこういう人間です”と伝えないと、誰がフィットして誰がしないかも分からない。自分の姿勢がハッキリしていないと、その人のために何をするべきかが周りの人にも分からない。そういう意味では、“NakamuraEmiとはこういう人間です”と周りの人が分かるようになったから、出会うべき人たちに出会えてきたというか。
「本当にその通りですね。これは自分が弾き語りをしていたときからNakamuraEmiに変わるときに作ったので、これで一気にお客さんが減った曲でもあったし(笑)。あのときはあのときで精一杯だったので、今ではちょっと恥ずかしくて少し書き直した部分もあるんですけど、そうするとどんどん芯がズレていっちゃう場合もあるので、本当に難しかったですね。昔の自分を残しつつ、今の自分でもちゃんと歌える曲にするには、すごく時間が掛かりました。でも、以前より少し余裕を持って歌えたので、今の年齢になって改めて歌えてよかったなと思いましたね」
私が観た景色を共有して、それを音にしようとしてくれる
それがもう…泣きそうなぐらい嬉しくて
――続く『ボブ・ディラン』(M-4)はカワムラさんとの共作ですが、地元の厚木で買い物をしていたときに観た風景から生まれた曲だと。
「そうなんです。いろいろ買わなきゃいけなくてちょっと疲れて、少し休もうと喫茶店に入ってボケ~ッとしてたんですけど、その店で流れてたボブ・ディランがすごく気持ちよくて。でも、いつものノートを持っていなくて、もらったチラシにブワーッと思い付いた言葉を書いたんですけど(笑)、曲になるまでは至らなくて。あと、カワムラさんと1曲作ってみたいとも思っていたんで、“今回はラップというより歌いたいんです”みたいなことを伝えたら、このメロディをポロンと弾いてくれて。その横でチラシに書いた言葉をもとに、音を聴きながらこの歌詞が完成したという。そんなことは初めてだったのですごく面白くて」
――この曲のセルフライナーノーツにあった、“ここ何年と夏に起こるとあるシチュエーションに、ハッと気づかされることがありました”とは?
「浴衣で花火大会に行く女の子と、作業着を着た仕事帰りの自分がすれ違ったり、あとはクリスマスもバレンタインもそうですけど、そういうワクワクした女の子とすれ違うたびに、“いいなぁ…これから花火大会かぁ”みたいに思うことがたくさんあって」
――でも何か、痛烈なメッセージがなくても、こういうふうにちゃんと成立する曲が生まれ始めているのはすごくいいですね。何でもかんでも憤ってはいられないし(笑)、これからは多分満たされることも増えてくると思うので、それで曲が書けなくなったら怖いですもんね。曲が生まれるこういう新しいルートを、自分の中に持っていられたら。
「そうなんですよ! すごい、何だかカウンセリングを受けてるみたい(笑)。本当にそうなんです。『ボブ・ディラン』ができたときは、“これは!”って思いましたね」
――『ヒマワリが咲く予定』(M-5)は女性にしか書けない曲だなと思いました。母性とか愛をすごく感じる曲です。
「これは当時付き合っていたときにできた曲なので、やっぱりそういうときは母性のある曲ができるんだなぁって、痛感してます!(笑) 恋をしなくちゃ!と思いました今。だから『ボブ・ディラン』みたいな曲ができちゃう(笑)」
――『ボブ・ディラン』の“恋をしたらその人の目を見て笑って もっと弱くもなれるんだろう”→“恋をしたら守るものが増えて もっと強くもなれるんだろう”だったり、『ヒマワリが咲く予定』の“初めて知る女の子っていう難しい生き物を 私ずっとやってきて”→“いつになっても男の子っていう分からない生き物の 私ずっと側にいて”だったり、言葉と気持ちがスライドしていく描写は、作詞家としての手腕を感じます。
「嬉しいです。『ボブ・ディラン』の弱く→強くは、私もキーワードだと思っていたんで」
――『ハワイと日本』(M-6)は、リリース、ライブとルーティンになりがちな活動の中で、粋な計らいでハワイに1人旅に行かせてもらったことが歌になったと。
「去年はたくさん夏フェスにも出させていただいて、大先輩ばかりのステージで戦った後だったので、本当にいっぱいいっぱいの自分だったんですよ。そのときにマネージャーからいきなり“今どこに行きたい?”っていうメールが入って、“何酔っ払ってんだろ?”って最初は思ったんですけど(笑)、この人はやっぱり私のことが見えてるんだなぁって。このタイミングで行かせてくれたことに、すごく感謝していますね」
――しかもハワイって、みんなが行く理由が分かるというか、本当にパワースポットみたいな場所ですもんね。
「いやぁ~本当に。ホノカアっていう古い田舎町に行きたかったんですけど、いろんなものを見せてもらえた素敵な場所でしたね。すごくいい経験になりましたし、OLYMPUSのOM-1っていうフィルムカメラで撮った現地の写真を現像して、レコーディングスタジオに持って行ったんですよ。どんな景色だったかをみんなで共有できたらいいなって。そうしたら、何も言わずにメンバーが“じゃあ俺はこれとこれ”みたいに好きな写真を選んで譜面台に貼ってくれて、エンジニアさんはその残った写真を卓に広げて、いっせーのせで録ったんですよ。私が観た景色を共有して、それを音にしようとしてくれる。それがもう…泣きそうなぐらい嬉しくて」
――ハワイに行ったこと自体も楽しかったけど、それを録るところまでちゃんと幸福がもたらされたんですね。『めしあがれ』(M-7)は家族を描いた曲ですけど、ストリングスが抜群に機能してますね。
「そうなんです! 本当にもう…レコーディングは泣きっぱなしでした。星野源さんの現場とかでもずっと活躍されている、私の大好きなバイオリニストの岡村美央さんが担当してくださったんですけど、自分の曲の色だったり景色だったりを鮮明に考えながらアレンジしてくださって。弦の方々もレコーディングが終わった後に、“もう聴く度に泣いちゃうんです”って言ってくれて、その言葉でまた泣いて…ってもう大変!(笑) 本当に愛情を持って音を入れてくださったので、すごく感動しました。親といられる時間って限られているので、若い方でも、私より先輩の方でも、これを聴いて親に連絡でもしてみようかな、みたいな気持ちになってもらえたら、すごく嬉しいですね」
やっぱり、直接ライブで会えるのが一番嬉しい
――いや~一連の話を聞いてきても濃い! 本当に大事な作品ができましたよね。
「できました! たくさんの人の顔も浮かぶし、前作『NIPPONNO ONNAWO UTAU BEST』も棺桶に入れてもらいたい自分の全てだなと思ったんですけど、また新しい自分の全てができたのでホッとしましたし、ちゃんとこれをたくさんの人に広められるように頑張ろうって、今は素直に思えています」
――Vol.何まで続くんでしょう?(笑)
「そうなんですよ~自分がちょっとイイ女になったら多分、終わります(笑)」
――デビュー時には全国でライブができるようになりたいという願望があったと思いますけど、ツアーでも着実にそれが実現していますね。
「やっぱり、直接ライブで会えるのが一番嬉しいので、体育館や町内会でもやれちゃうぐらい、いろんな街に行けるようになりたい。竹原ピストルさんがそういう動きをされていたのがすごくカッコいいなと思っていて。遠くまで足を運べない方もたくさんいると思うので、自分が行けるようになれたらいいなって。頑張ってたくさんの人に聴いてもらえるように、まずは一歩ずつやっていきたいなと思っています」
――あと、ジャケットの装丁にこだわりも感じられて、初回限定生産盤の印字も角度により金にも銀にも見えたり。
「そうなんです~! デザイナーの方とレーベルの皆さまがいっぱい打ち合わせをして、実現していただいたので」
――時代は変わっていくから、“やっぱりモノを手にしないと”とばかりは言いたくないですけど、そんなことを言わずとも手にしたくなるようなモノを。
「ずっと作っていけたら嬉しいですね、うん」
――最後に、NakamuraEmiの現時点での展望みたいなものがあれば聞きたいなと。
「NakamuraEmiを聴くと頑張れるとか、安心するとか、そういう誰かの生活のそばに寄り添える曲になれていたら嬉しいので、まずはとにかく自分がいろんなことをどんどん初体験していって、挑戦して、失敗しても、歌い続けていきたいと思っています!」
Text by 奥“ボウイ”昌史
(2017年5月29日更新)
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