インタビュー&レポート

ホーム > インタビュー&レポート > 「ここから本当に、みんなでひっくり返してやろうぜって思ってる」 LACCO TOWER=僕らの生き方 激動の結成15周年に至る心の揺れも覚悟もブチ込んだ『遥』を語る! 松川ケイスケ(vo)&塩﨑啓示(b)インタビュー


「ここから本当に、みんなでひっくり返してやろうぜって思ってる」
LACCO TOWER=僕らの生き方
激動の結成15周年に至る心の揺れも覚悟もブチ込んだ『遥』を語る!
松川ケイスケ(vo)&塩﨑啓示(b)インタビュー

 15年続けられてきたことが、あなたにはどれだけあるだろう? 残酷なまでに移りゆくシーンにおいて、’13年には自らのマネジメントとなる株式会社アイロックスを設立、翌’14年より地元群馬にて主催フェス『I ROCKS』を開催。インディペンデントなミュージシャンシップを持ちながら、’15年にはメジャーへと進出。まさに一歩ずつ階段を上ってきたLACCO TOWERが、今年で結成15周年を迎えた。そして、8月にはニューアルバム『遥』を発表。初のプロデューサーとして亀田誠治を迎えたタイトル曲にして名バラード、『遥』(TVアニメ『ドラゴンボール超』エンディング主題歌)で幕を開ける同作は、変わらないために変わり続けるバンドの気高き魂と、人生をともにする運命共同体である5人の熱き想いと衝動がぶつかり合った、強く美しい10篇の音楽が見事に収められている。そこで、現在はリリースツアー真っ只中にいるフロントマンの松川ケイスケ(vo)と、マネジメントの代表も務める塩﨑啓示(b)に、15周年のアニバーサリーイヤーにバンドに起こった“変化”と“事件”を語ってもらったインタビュー。音楽は、人が作るもの。なぜLACCO TOWERの音楽が聴く者の、観る者の心を揺さぶるのか――? その理由がここにある。

 
 
“本当にこいつ大丈夫かな? 当日来ねえんじゃねぇか?”って(笑)
 
 
――今年は春にミニアルバム『薔薇色ノ怪人』を出し、主催フェス『I ROCKS 2017』、結成15周年企画の『黒白歌合戦』もあってと、かなり精力的ですね。
 
松川(vo)「もう気が遠くなるぐらい忙しかったです、ホンマに(笑)」
 
塩﨑(b)「何ならこの『遥』の制作も、去年のツアー中から始まってて。週末はライブ、平日は毎日のように朝までスタジオ、金曜日が近付くとライブのゲネをしなきゃ、みたいなサイクルだったんですよ。実際、ファイナル前にレコーディングも入れてたし、それがミニアルバムになるのか、フルアルバムになるのか、まだ決めかねてたと思う。いつもは一気に詰めてやって結局ちんぷんかんぷんになっちゃってたから(笑)、今回は少しずつ少しずつ録って」
 
――そんな中でも、『I ROCKS』は大きなイベントになったし認知もされてきて、端から見てると順調に見えたのに、メンタル的には感じるところがあったと。
 
松川「『I ROCKS』が4月の後半に終わって、GWの頭はバンド的にも休める時期だったんですけど、そこで僕はずーっと長距離を走ってきて、ちょっと立ち止まったんでしょうね。元々いろいろ考える方ではあるんですけど、そのときに考え出したら止まらなくなって、もう人前に一切出られなくなって、最悪のGWに…(苦笑)。『I ROCKS』を形にするために一生懸命やってきて、何となくその方法みたいなものが分かってきて、じゃあそこからどうすればいいのか? みたいなことを頑張ってたのが今回だったような気がして。やっぱり苦労してる分、ステージで僕が話す言葉も感情がこもったものになるし、それを地元の人たちも受け止めてくれて、ある意味称えてくれたり、賛同してくれた。でも、そういうふうに応援してくれてる人たちの想いに応えられてないというか…本当はそんなに素晴らしい人間じゃないのにっていう現実とのギャップに、僕はもうやられてしまった」
 
――メンバーからしたら、こんな事態は初めてですか?
 
塩﨑「初めてですね。実際、『COMIN’KOBE』がGWにあったんですけど、“本当にこいつ大丈夫かな? 当日来ねえんじゃねぇか?”って思って(笑)。でも逆に、彼は神戸が地元っていうのもあったし、MCも心の底から話してる感じで、“お前らもっと頑張れよ、俺なんかこの間までパッカーンいってたんやぞ!”みたいなことまで言ってるんですけど、お客さんはそんなこと知らないから(笑)。そういう心の叫びみたいなものが見えて、“こいつ、本当にアーティストになってきたな”って。その期間だからこそ見えた松川像があって、それも新鮮でしたね」
 
――そういう心の機微を、お客さんはこういうインタビューを読んで初めて知る、みたいな(笑)。でも、『COMIN’KOBE』までには、何とか帳尻がついたんや。
 
松川「いや、正直『COMIN’KOBE』のときはついてないんです。もうそのままステージに上がって…当日は仲間もいっぱい会場にいて、同じピンボーカルというのもあってSUPER BEAVERの渋谷(vo)とはたまに呑みに行ったりするんですけど、僕の顔を見るなり“ケイスケさん、どうしたんですか?”って。『あしたのジョー』の最終回みたいに燃え尽きて見えたらしくて(笑)。しかも、ライブで何かあって落ち込んでるのかと思いきや、まだやる前という(笑)」
 
――アハハ!(笑) ライブで完全燃焼して、じゃない。
 
松川「もちろん気持ちは入ってるんですけど、結構辛かったですね、あのステージは。あと、こんなことは初めてでしたけど、赤羽のスタジオでメンバーに“何があっても最後まで味方でおってくれ”って言って(笑)」
 
塩﨑「そう! 言ってた! 何!? どうしたん?って」
 
松川「みんなは僕が何かやらかしたんちゃうか?って(笑)」
 
――アハハハハ!(笑)
 
松川「その後にまた別の話で、我々は自分たちで事務所もやってるから、会社としてどうあるべきか、今後どうやっていくべきかみたいなことで、結構メンバー同士がぶつかったタイミングがあったんですよ。僕のことがあって、そのことがあって、その後に出来上がったのが『喝采』(M-2)なんです。だからこの曲は、そういう僕の心持ちだったりメンバーの感情が、すごく詰め込まれた曲になってると思うんですよね」
 
――長いスパンで作ったとは言え、そういうリアルタイムなバンド内のうごめきみたいなものもアルバムに。
 
松川「めっちゃ入ってます、本当に(笑)」
 
塩﨑「まぁだいたいは目をつぶっちゃうんですよ、ヘンにもめたくないから。折れたり、我慢したりはバンドとしてはこれまでもあったんですけど、会社となるとそういうわけにもいかないんで。それで自分たちが食っていくっていうことをもう1回見つめ直して、どういう方向に進むべきなのか。正直、LACCO TOWERだけをやりたいんだったら、もうどこかの事務所に所属して、会社を休む選択肢もある。本当に譲れない大事なことは何なのか、目指すべきところはどこなのかみたいな、本当に根本的なところを会社設立5年目にしてやっと話したんですよね。そこで、もう1回ちゃんと同じ道を、同じ目線で歩こうって思えたんで。その後に、さっきの『喝采』もそうなんですけど、『遥』(M-1)の録り直しもあったんですよね」
 
 
“今後も俺たちはLACCO TOWERをやっていくのか?”
 
 
――そんなタイミングで、亀田誠治さんにプロデュースに入ってもらおうとなったのは?
 
塩﨑「それもね、正式に決まったのって『I ROCKS』の後なんですよ。本当に直後にそういう話をいただいて。でも、じゃあ亀田さんとこれから『遥』をどうしていこうかっていうときに、まだこっちの足並みが揃ってないって、もうどれだけの人を巻き込んでるんだよって。レーベルも一丸となってやってくれてる中で、しっかり地に足を着けて、スタンスを示さなきゃいけないときなのにって」
 
松川「よくバンドって、やるか、辞めるか、みたいなところにたどり着くと思うんですけど、LACCO TOWER自体がもう=僕らの生き方なところがあるんで。ここでふんどしを本当にグッと引き締めるのか、ゆるいまま適度にやっていくのかを、改めてちゃんと膝を付き合わせて話さなきゃいけないタイミングだったんで」
 
――でも、それもLACCO TOWERならではというか。自分たちで事務所もやってなかったら、そういうことを考えることすらなかったかもしれない。
 
松川「確かに。だって、普通は事務所の運営だけでもスタッフが人生を懸けて頑張ってるのに、僕らはさらにバンドまでやろうとしてる。どれだけ本気でそれやらないとダメなのか、改めてそのときに感じたというか」
 
塩﨑「正直、来年どうしていこうとかいうことよりも、“今後も俺たちはLACCO TOWERをやっていくのか?”っていう、本当に根本的なところまで話して。そこで、全員が“やるしかない”というか、“やりたい”と。このメンバーでやり残してることがまだまだあると思うし、例えば、30オーバーでキャリアもあってとかいろんなことは抜きにして、初期衝動で“まだまだ俺たちも上を目指せる”って思えるのか。そこに基準を置くようにみんなで話して」
 
松川「あと、僕らは15年、日本語で歌うロックバンドとしてやってきて、アートディレクションとか、メンバーが何を着るとか、どういう雰囲気でステージを観せるとか、ジャケットとかMVとか、ずっと僕が先陣を切って考えてきて。それもロックバンドの1つの方法論になってたんですけど、そもそも着てる人自体がカッコよかったら、着るものなんて別に何でもよくて。長く何かを続けてる人には、その人が本来持っている味だったりカッコよさが滲み出てくるタイミングがある思うんですよ。別に僕らがその域に到達したというわけではないんですけど、今回の作品で結構いろんなアプローチをしていても、どこを剥いでも最後には“僕らっぽさ”が残るというか、“僕ら臭さ”が残ってしまう。それはいいことだと思うし、今回のジャケットだったりアー写も、そういう上っ面じゃないところを伝えたくて。そういう意味でも、歌詞はより自分の本質に近いものになってるんじゃないかなって」
 
――LACCO TOWERの楽曲って、それこそ小説まで書けちゃうぐらい作家的な視野もあるけど、今回はそこに見え隠れする素の部分があって。例えば、『喝采』で“全て解り合うなど出来ないが”って言っちゃってたりする。でも、人と人なんて実際そうじゃないですか。それを分かった上で一緒にいることの尊さもあるし。
 
松川「我々がきっとそうなんですよね。やっぱり本質的なところをステージの上で観せられてないと、そこでお互いがバチバチしてないと、ロックをやってるって言えないような気がして。僕がカッコいいなって思うバンドって、“よくこのメンバーが同じステージに立ってるな”って思うような(笑)、“絶対にやりたいこと違うやろ!”っていうぐらい、それぞれに光るモノを持ってるヤツらが、無理やり1つの輪に収まろうとしてる感じが、すごく好きなんですよ。僕ら5人も幸いみんな個性的なんで(笑)、そういうロックバンドでいたいなって、今回は本当に思いましたね」
 
 
胸を張って、“僕たちに任せてください!”ってちゃんと言えるようになった
 
 
――そういったガチンコの話し合いを経て制作に挑んだとき、バンドの体質もちょっと変わったんじゃないですか?
 
塩﨑「相当変わりましたね。メジャー1枚目のときは、“ブレないLACCO TOWER”ってうたってたんですよ。それはインディーズ時代が長かった分、その頃からのお客さんもみんな連れて行きたい想いがあったから。でも、15年やってきて“変わらない美学”と“変わりたい気持ち”の“変わりたい”がものすごく大きくなって。大事なのは、さっきの衣装とか見てくれの話もそうですし、亀田さんとのレコーディングも、『遥』のMVも、こういうプロモーションもそうですけど、僕たちがある種、“いいんですか!? 僕たちで”みたいな姿勢だったのが、胸をドーンと張って、“いや、僕たちに任せてください!”ってちゃんと言えるようになったというか。もちろん感謝とか謙虚な気持ちはあるんですけど、そう考えられるようになったこと自体が、ある種変われた部分なのかなって」
 
――そういうタイミングで、初めて人にプロデュースされる経験ができたのも、何だか導かれているようで。そもそもタイトル曲の『遥』自体は、以前からあった曲ということですけど。
 


松川「基本的に真一ジェット(key)が曲を持ってくるんですけど、彼がこの曲に対する愛情がすごく深くて。作った当初からアルバムの中の1曲として出すのはイヤだ、みたいな感覚はあったらしいですね。だからこういうふうに1曲目になったり、タイトルにもなったのは、彼自身すごく嬉しいって話してました」
 
――自分たちである程度アレンジも含めて途中まで進めていたものが、亀田さんに合流してもらってどこかどう変わったのかも含めて、どういう経験でした?
 
松川「恐らく亀田さんが一番気にしてくれていたのは、この曲をどう変えるかというよりは、僕らがどういうふうに曲を作って、どういう想いで取り組んできたのかで。まず最初に、それについて話す時間がすごく長かったですね。そこから“だったらこっちの手法にしていけばいいんじゃない?”っていう提案をしてもらった感じです。だから、ガラッと変えられたとかいうことはなくて、もう本当に底上げしてくれたというか」
 
塩﨑「本当に1人1人の目を見て話をしてくれて、具体的に言葉にできないときも、“君が言いたいのはこのことかな?”ってちゃんと導いてくれたり、“じゃあ5人の意見はこうだよね”ってまとめてくれたり。そうすると僕らも絵が浮かびやすいじゃないですか。あと、僕はベーシストとしても尊敬してるし、“全然ダメ”とか言われるかな?って最初は思ってたんですよ(笑)。でも、例えば“ここ、本当は動きたいんですよね”っていうベーシスト的にいろんなことをやりたくなる箇所も、“いやもう、分かる! 分かるけどそのまま伸ばしてみて。我慢!”っていう感じでアドバイスをいただいて、蓋を開けてみると、そこには裏でストリングスの綺麗な音が入ってきてて、ここでベースが動いたら邪魔だったなって思えたり。すごく勉強になりましたね。一緒にやらせていただいたことが、かなりの糧になったと思ってて。今後の制作が楽しみになりましたね」
 
 
今の、本当にベストなLACCO TOWERを観せられるライブにしたい
 
 
――ちなみに、結成15周年って何か思うところはありました?
 
松川「自分の人生で、15年間続けてることが他にないんです。歯みがきぐらいですね(笑)。仕事だって、勤続15年ってなかなかですよね。何となくやり続けることに意味はないかもしれないですけど、何か想いを持って続けるのはやっぱり大事なんだなって、周りを見渡しても本当に思いますね。この歳になってようやくですけど(笑)」
 
塩﨑「僕ね、10周年のときのブログを見たら、“気付いたら、LACCO TOWERがいつの間にか自分自身の生き方になっていました”って書いてたんです。けど、10周年からこの15周年の間って、ものすごく状況が変わったタイミングなんですよ。自主レーベルを経て会社を作って、フェスを始めて、メジャーデビューしてっていう5年間だったんで。今は本当にLACCO TOWER=自分であって、自分=アイロックスであって、全部が“イコール”で結ばれてる。今後のLACCO TOWER=アイロックス=自分をどうしていこうかって、より考えるようになったのがこの15周年で。それこそ先輩たちは、20周年で武道館とかトリビュートとか、いろいろ面白いことをやってるんですよ。そういう先輩たちってステージを降りても、発言だったり、その背中だったり、いちいちカッコよかったりするので。さっきの“イコール”の話なんてもうとっくに通り越してて、当たり前になってるんですよね。僕らも40代になってもロックバンドとしてステージに立ちたいし、ここから本当に、みんなでひっくり返してやろうぜって思ってるんで」
 
松川「結果、続いてますけど、続けること自体が目標ではないので、やっぱり今より少しでもよく、もっとよくって思い続けることが大事だと思うんで。この想いが続く限り、あと10年20年とやっていきたいなと」
 
――そして、今回のアルバムが出来上がったときは、何か感慨深いものはありました?
 
松川「ジャケットとかもそうなんですけど、ようやく音楽とかバンドに対して素直になれてきたというか。“15年やってこれた素の自分たちって、意外とカッコいいんじゃない?”みたいなところに、ちょっと気付けたり。そう思って表現してる分、逆にカッコ悪くはいられないわけで。いろんな意味でターニングポイントなアルバムですね」
 
塩﨑「ここまで…感慨深い作品は初めてかなと思いました。過去を振り返ると、譲りたくない部分もあるし、譲った部分もあるし、壊したくない部分を壊してみたり…でも、今だからこそ凝り固まったものがほぐせて、柔軟に考えられたのかなって。1年前は全然こんな精神状態じゃなかったし。15年やってきて、1つも間違いじゃなかったんだなって改めて思えたんで。僕たちは決して順風満帆なバンドじゃなかったし、いつもこう…悔しい想いをしてきて。その反骨精神をバネにずっとやってきたんですけど、悔しさとか反骨精神だけでも、本当の一流にはなれないなって思ったんです。今でもその悔しさはもちろん内に秘めながら…それよりも今は周りで汗をかいて頑張ってくれてる人たちの顔が見えるので、やらない理由がないというか、むしろ楽しんでやろうぜって思える。そういうきっかけになれたのがこの1枚なんです。ライブも音源もどっちも大事ですけど、もう1回ちゃんとみんなで同じ方向に向かって走ろうぜって思えたのが、この作品なんで。本当に一生モノだと思います」
 
――いやぁ~社長、いいこと言うなぁ。リリースツアーもありますけど、ホントにちょっとずつちょっとずつちょっとずつキャパも大きくなり(笑)。大阪は梅田のクアトロで、そして、ファイナルはZepp DiverCity(TOKYO)で。ツアーに向けてはどうでしょう?
 
松川「いつもはゲストに来ていただいたりしてたので、意外とワンマンツアーが初めてだったりするんです。時間って唯一誰もが有限じゃないですか。その中の何時間かを使って来てくれるって、すごいことだよなぁと改めて思ったり。だったら、その人がその日に感じられる最大限の感情を持って帰ってもらいたいなっていうのはありますね」
 
塩﨑「本当にちょっとずつなんですけど規模が大きくなってるのは、もう絶対に示したいところなんですよ。同じことを繰り返してないというか。それはLACCO TOWERのテーマでもあって。『遥なる軌跡』っていうツアー名もそうですけど、僕たちが当時、中百舌鳥のclub massiveでよくやってたときから、いまだに来てくれるお客さんもいるので。とは言え、最近僕たちを知った方もたくさんいらっしゃると思うんで、15年を振り返るっていうのもあれですけど、それもひっくるめて今の、本当にベストなLACCO TOWERを観せられるライブにしたいと思ってます!」
 
 
Text by 奥“ボウイ”昌史
 




(2017年9月29日更新)


Check

Release

『ドラゴンボール超』エンディング曲
をはじめ良曲揃いの渾身3rdアルバム!

Album
『遥』
発売中 3000円(税別)
日本コロムビア/TRIAD
COCP-40093

<収録曲>
01. 遥(はるか)
02. 喝采(かっさい)
03. 純情狂騒曲
  (じゅんじょうきょうそうきょく)
04. 葉桜(はざくら)
05. 夜鷹之星(よだかのほし)
06. 火花(ひばな)
07. 擬態(ぎたい)
08. 夕顔(ゆうがお)
09. 葵(あおい)
10. 夕立(ゆうだち)

Profile

ラッコ・タワー…写真左より、重田雅俊(ds)、塩﨑啓示(b)、松川ケイスケ(vo)、細川大介(g)、真一ジェット(key)。’02年結成。’13年に塩﨑が代表となり、株式会社アイロックスを設立。幾度かのメンバーチェンジを経て、同年6月に現体制に。’14年より地元群馬にてロックフェス『I ROCKS』を毎年開催。’15年にアルバム『非幸福論』でメジャーデビュー。’16年2月にはフジテレビ系TVアニメ『ドラゴンボール超』エンディング主題歌となった1stシングル『薄紅』を、6月にはメジャー2ndアルバム『心臓文庫』を発表。’17年3月にはミニアルバム『薔薇色ノ怪人』を、8月23日にはメジャー3rdアルバム『遥』を発表。バンド史上初の外部プロデューサーとして亀田誠治を迎えたタイトル曲が、再び『ドラゴンボール超』エンディング主題歌に。

LACCO TOWER オフィシャルサイト
http://laccotower.com/

Live

初のワンマンツアー大阪公演が
間もなく! 最後は過去最大のZeppへ

 
『LACCO TOWERワンマンツアー
「遥なる軌跡」』

【宮城公演】
▼9月17日(日)仙台MACANA
【新潟公演】
▼9月24日(日)新潟CLUB RIVERST

 

Pick Up!!

【大阪公演】

チケット発売中 Pコード336-505
▼10月1日(日)18:00
梅田クラブクアトロ
オールスタンディング3800円
サウンドクリエーター■06(6357)4400
※3歳以上は有料。

チケットの購入はコチラ!
チケット情報はこちら


【福岡公演】
チケット発売中 Pコード340-092
▼10月8日(日)18:00
福岡Queblick
オールスタンディング3800円
PROJECT FAMIRY■092(406)0855

チケットの購入はコチラ!
チケット情報はこちら


【愛知公演】
チケット発売中 Pコード337-593
▼10月15日(日)18:00
名古屋クラブクアトロ
オールスタンディング3800円
サンデーフォークプロモーション■052(320)9100
※3歳以上有料。

チケットの購入はコチラ!
チケット情報はこちら


【群馬公演】
Thank you, Sold Out!!
▼10月21日(土)高崎 club FLEEZ

【東京公演】
一般発売9月30日(土)
Pコード331-122
▼10月28日(土)18:00
Zepp DiverCity(TOKYO)
1F立見3800円
ホットスタッフ・プロモーション■03(5720)9999

チケットの購入はコチラ!
チケット情報はこちら

 

Column

「僕らはもう一度
 立ち上がって走り続けている」
不屈のLACCO TOWERが
10編の小説が織り成す夢幻の
2ndアルバム『心臓文庫』を語る

Comment!!

ぴあ関西版WEB音楽担当
奥“ボウイ”昌史からのオススメ!

「僕的には今回が初取材となったLACCO TOWERですが、ライターさんにやっていただいた前回のこのオススメコメントのコーナーで、僕はこう書きました。“去り際に酒の話をしたときの塩﨑(b)氏の目の輝きが忘れられません(笑)”と。もうね、それが分かっちゃった以上、自分でインタビューするしかない(笑)。今回も腹割って、ガッツリ話してくれました。ホント信頼できるバンド。あと、意外な接点として、当ぴあ関西版WEBではおなじみの中田裕二氏と、松川(vo)氏が大の仲良しとのこと。中田裕二のツアーパンフetcの制作を僕が担当させていただいてる手前、彼のことはよ~く知ってますが、かなり付き合う人を選ぶ男だと思うんで(笑)。松川氏も“不思議なんですよね。僕も人付き合いは苦手なのに、なぜか彼とは“ゆうちゃん”、“ケイちゃん”って呼び合ってるんで(笑)。この間は、一緒にプール行こうっていう話になったり(笑)”という親密ぶり。これを読んだLACCO TOWERのファンの方も、中田裕二のファンの方も、お互いの音楽を聴いてみて、ぜひライブにも行ってみてください。どちらも素晴らしい音楽家なので。というわけで、LACCO TOWERのリリースツアーの打ち上げが楽しみです(笑)」