「僕らはもう一度立ち上がって走り続けている」 不屈のLACCO TOWERが対バンツアーに突入! 10編の小説が織り成す夢幻の2ndアルバム『心臓文庫』を語る 松川ケイスケ(vo)&塩﨑啓示(b)インタビュー&動画コメント
抒情的な歌詞、エッジの効いた骨太なサウンドに、ピアノの流麗な旋律が華を添える表情豊かなバンドアンサンブル、高い音楽性から楽曲を生み出す5人組ロックバンド、LACCO TOWER。昨年6月にアルバム『非幸福論』でメジャーデビューを果たし、今年6月にはメジャー2枚目となるアルバム『心臓文庫』をリリース。「我々のアイデンティティでもある“日本語”と“ロック”をベースに、タイトルよろしく全てを1つのストーリーに仕立て上げ、“耳に読んでもらう名曲”を作り上げました」とのメンバーの言葉通り、珠玉の10曲を完成させた。メジャーアルバム2作目という“新人バンド”ながら、実は今年で結成14年目というキャリアを誇る彼ら。’02年にバンドの歴史をスタートさせ、自ら株式会社アイロックスを立ち上げるなど、独自の活動を展開しているバンドを代表し、フロントマンの松川ケイスケ(vo)と塩﨑啓示(b)に、バンドの構造、最新アルバムとツアーについて話を聞いた。
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好きで始めたことができない環境になったなら、できるように努力すればいい
僕は意地でも辞めたくなかった
――ぴあ関西版WEB初登場ということで、LACCO TOWERとはどういうバンドなのか改めて教えていただければ。
松川(vo) 「最近は取材していただける機会も増えて、改めてそう聞かれることも多いんですけど、シンプルに言わせていただいているのが“日本語のロックバンドです”と。歌詞もアルバムとかツアーのタイトルもそうですし、と言いながら、バンド名は英語なんですけどね(笑)。そこがやっぱり10何年パッとしなかった理由じゃないかな?(笑) 元々は専門学校の同級生なんですけど、“何となくこいつらやったらおもしろいことができそうやな”と集まって、そのままずっとやってきたバンドなんで。たまたま日本語で歌い続けているところは変わらなかったので、そこは僕らのアイデンティティの1つなのかなって」
――時に英語を使えたら楽なのに、と思うことはあったりします?
松川 「ないですないです。僕が英語を話せれば別ですけど、どういう経緯があって生まれた言葉なのかも知らないですし、安易には使えないですよね。僕らはいい意味で、白か黒かを言い切らず“あなた次第だよ”と歌ってきたバンドだと思うので、“言わずもがな”というところがある日本語という言語が一番合っているのかなと。もし他にそういう言語があれば、例えばそれがトルコ語なら、トルコ語で歌っていたでしょうし(笑)」
――バンドの方向性が固まってきたのを感じたのはいつくらいですか?
松川 「結成10周年のときのライブ中に、僕が彼(=塩﨑・b)に“リーダーをやれ”って言って(笑)。それまではリーダーが決まってなかったんですよ。今思えば、その頃からちょっとずつバンドとしての方向性とか、“こうあるべき”というものが固まってきたというか。会社を立ち上げるときも、彼に“社長やりーや”って言って(笑)。本当に好き勝手やっていました(笑)。バンドのビジョンについても明確な話し合いは多分してこなかったと思うし、10周年の前後くらいから僕がアートワークとかMVを仕切りだしたり、アルバムのコンセプトを考えたり。(塩崎)啓示をリーダーにしたことによって、“じゃあ自分は何をするのか?”みたいに、それぞれの領域が何となくメンバーの中で芽生え始めていったというか。だから適当に言ってよかったなって(笑)」
塩﨑(b) 「逆に、結成当初にHP作りを(松川に)“お前がやれよ”って任せたんですよね(笑)。そこから彼は本当にWEBの方面に進んで、今でもうちのサイトは全部こいつが作っているんですよ」
松川 「昨日も朝4時くらいまで今回のツアーの日本地図を作っていましたから(笑)」
――昨年メジャーデビューされましたが、そもそもこのタイミングでメジャーに行こうと思ったきっかけは?
塩﨑 「本当にいろんなタイミングがよかったんですけど、一番大きなきっかけは、自分たちのレーベルを法人化したことなんですよ。個人だとそれこそ流通1つにしても、“うちは個人さんとは取引できませんよ”って言われたりしていたし、自分たちで『I ROCKS』というロックフェスを地元でやったときに、法人化していた方がいろいろと状況も変わってくるのでいいなと。そういうふうに心構えとか、決意とか、結束も固まったタイミングで、俺たちが中学生の頃に憧れていたTRIADというレーベルが復活して、その新人第一弾にというお話をいただいて…。“是非ともやらせてください!”と」
――メジャーデビューするまでにいろいろなことがあったと思うのですが、ここまでバンドを続けてこられたのは?
松川 「正直、メンバーそれぞれが辞めたくなった時期もありました。でも、個人的にはバンドを何歳になったから辞めるとか、就職するから辞めるっていうのが、あまり好きじゃなかったんですよね。嫌いになって辞めるのは分かるんですけど、好きで始めたことができない環境になったなら、できるように努力すればいいわけだし、っていう想いがずっとあったんで。僕は意地でも辞めたくなかったんですよね。だから…意地ですね(笑)」
もっと自由に、もっと柔軟に
――メジャー2枚目のアルバム『心臓文庫』を作る上で、プレッシャーはありました?
松川 「プレッシャーで言うと、1st(『非幸福論』)の方があったかもしれませんね」
塩﨑 「1stは当時13年選手の俺たちがあのタイミングでメジャーに行って、“あいつら変わったな”って言われるのがイヤだったんで(笑)、“ブレないLACCO TOWER”というか、インディーズの頃を振り返って、そのときのベスト盤みたいな感じで、本当に気合を入れて作りましたから。今回は結構タイトなスケジュールだったのでそこまで余裕はなかったんですけど、肩に力を入れて作った1枚目に比べると少し解放されて、もっと自由に、もっと柔軟に考えられたのかなって。単純に今できた曲に対して、いいか悪いかをジャッジできるようになりました」
――今回のアルバムは、テーマを提示して作っていった感じですか?
松川 「今回は楽器隊だけでアンサンブルを固めて、レコーディングしている間に僕が歌詞を書いて、最後にキーボードが歌詞に合った音をつけるという感じで、本当に作曲家と作詞家みたいに作業が分かれていたので、最終的にそれを合体させてできた感じですね」
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塩﨑 「ただ、シングルの『薄紅』(M-3)(アニメ『ドラゴンボール超』エンディングテーマ)については、本当に今までにないくらい話をしたよね。大好きなアニメだったし、ヘンな話、この1フレーズ、1コードで世界観が崩れちゃうんじゃないかって、プレッシャーは感じていました」
松川 「シングルの2曲目になった『奇々怪々』がアニメに合うように作った曲だったので、多分そっちが選ばれるだろうなと思って、『薄紅』は僕の好きなLACCO TOWERらしいことを書いたんです。そうしたら『薄紅』が選ばれて、僕らとしては本当に予想外でした。でも、嬉しかったですよ。アニメに寄せた曲より、僕らが自然と作った曲を選んでくれたので自信にもなりましたし」
――アニメを見て『薄紅』からLACCO TOWERを知った人だと、このアルバムは1曲目から驚くかもしれませんね。
塩﨑 「そういう人たちがこのアルバムを聴いたときに、“どひゃー!”ってなるようにしよう、みたいな感じはありましたね(笑)。ただ、『罪之罰』(M-1)みたいなプログレっぽい変拍子だったり転調は今までも割とやってきたし、得意分野だったので。もちろん、『薄紅』みたいなストレートな曲もやるし、どっちもLACCO TOWER節なんだなって、再確認できました」
――アルバムタイトルに『心臓文庫』とあるように、どの曲も情景が浮かぶ歌詞ですが、切ない曲が多いですね。
松川 「僕らは“結婚式で歌える曲がないバンド”というのが代名詞だったんですけど(笑)、最後の『相思相逢』(M-10)が14年目にして唯一、ちょっとウエディングソングっぽくて(笑)。あと、今回は歌詞を書く前に、曲名と同じタイトルで10本の短編小説を書いたんですよ。言葉は全部そこから引っ張ってきて、歌詞にしたんです。だから、1つ1つの情景がハッキリしているのかもしれないですね」
――いつもそういう作り方なのですか?
松川 「アルバム全曲でやったのは初めてですね。小説を書くのは時間がかかりましたけど、そこで言いたいことを先に全部書いちゃっているので、逆に歌詞にするのは割と早かったですね」
ジャンルは違えど“戦っているバンド”を呼びたい
本当に濃い、ガチンコでやれるゲストバンドと一緒に回ります
――アルバムに伴うリリースツアーも始まりました。どんなツアーになりそうですか?
塩﨑 「僕らはインディーズ時代が長かった分、アルバムツアーなら30本とかは当たり前で。ただ、今回はいろいろなフェスもあってスケジュール的にも厳しかったんですけど、やっぱり仲間を呼びたいしツアーをやりたいというところで、13本に絞ったんですよ。初日のLIQUIDROOMと最後の品川ステラボールはワンマンなんですけど、それ以外は本当に濃い、ガチンコでやれるゲストバンドと一緒に回ります」
――ゲストバンドに何か基準みたいなものはあったんですか?
松川 「僕らが好きなバンドしか呼んでいない(笑)。あと、僕らは『I ROCKS』というフェスもやっているんですけど、そこに呼ぶバンドもそうで。ジャンルは違えど“戦っているバンド”を呼びたいなって。今回のツアーもそうなんですけど、新たにやらせてもらう感覚ピエロとcinema staff、THE BACK HORN以外は、昔から一緒に頑張ってきたヤツらなんで。やっぱり刺激し合える、こいつらすげーなって思い合えるバンドがいいかなって」
塩﨑 「ブッキングも誰かにお願いするのではなく自分らでやっているから、関係性が違うというのは言いたいですね。関西エリアはイベンターさんも全く入っていないんで」
――知れば知るほどおもしろいバンドですね。
松川 「僕としては、メンバー個人個人にもちゃんとフォーカスされる、息の長いバンドにしたいと思っているので。そういう意味でも、ある程度間口は広く持って、中に入ってきてくれたときに判断してもらう材料がたくさんあるようにしたいなって。アー写(=アーティスト写真)を見ていただいても分かると思うんですけど、5人とも結構どうしようもないというか、尖り狂っているというか、個性が強いので(笑)」
――確かにアー写を見たときに、一見GLAYのHISASHI(g)さんみたいな方がいるなと(笑)。
松川 「メジャーに行くくらいのタイミングで、彼(=細川大介・g)に思い切ってそっち方向に行けと言ったんですよ。話していると、“こいつ、やっぱり塗りたいんやろな”ってどこかで分かるというか(笑)。“え~?”とか言いながら、今では結構化粧も厚いですから(笑)」
塩﨑 「あと、ドラムの重田は、『劇場版 新・ミナミの帝王』の主題歌に『秘密』(M-8)が決まったとき、“出るの?”って言っていました(笑)」
――違和感なさそう(笑)。では、最後に読者にメッセージをいただけますか?
松川 「僕らをまだ知らない方もたくさんいらっしゃると思うので、ぜひ一度LACCO TOWERに触れていただければ。好きになるポイントはたくさんあるバンドだと思うので、日本語ロックが好きな方は、一度ライブに遊びに来ていただければと思います!」
塩﨑 「僕らは新人とは言えキャリアもあるので、名前を聞いたことがある方もいると思うんですけど、もう一度立ち上がって走り続けているので、今まで僕らが走ってきた結果の血と汗と涙の結晶を、アルバムでもライブでも感じていただけたら嬉しいです」
(2016年9月 8日更新)
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