「世に問うような作品をもう1回作って、ちゃんと売れたい」 時代を超える普遍性を、時代を切り取るメッセージを ローリングピアノマンの新たな旅の出発点『Hello!』 リクオ インタビュー&動画コメント
仲井戸”CHABO”麗市、岸田繁(くるり)、Caravan、佐藤竹善(SING LIKE TALKING)、直枝政広(カーネーション)etc…『Hello!』の特設ページに贈られた数え切れない賛辞の声は、その作品の素晴らしさのみならず、この男が歩み出会ってきた音楽人生を物語っているよう。“ローリングピアノマン”の異名を持つシンガーソングライター・リクオが、キャリア26年にして自身のレーベルHello Records を設立。ニューアルバム『Hello!』をリリースした。年間120本を越えるライブで培われた百戦錬磨のライブパフォーマンスは言わずもがな、ここ数年の作品群の充実ぶりたるや、元来のポップセンスとソングライティングがここにきて蜜月の時期を迎えているのが分かる。自身のルーツと憧れに素直に立ち返り、あの街の風景を歌う。時代を超える音楽の普遍性を、時代を切り取る眼力とメッセージを。「世に問うような作品をもう1回作って、ちゃんと売れたい」と言い放つ彼の、新たなる旅の出発点を記すインタビュー。今でも悔しがって、今でも夢を見る。紆余曲折を繰り返し、多くのシンガーソングライターにその背中を見せてきた男の視線は、いつだって前を向いている。
残りの人生を考えると、小っちゃいプライドにこだわってる場合じゃなくて
本当に自分の気持ちに正直になって、作りたいものを作って
納得できるものを残していかないと
――今回はいろいろお初尽くしというか、明らかにリクオさんの中での変化が感じられる1枚であり動きですよね。アー写とかジャケットも含めて、スタンスを明確に打ち出したのには何かあるんですか? ここにきてこのオープンマインドさというか。
「2年前のスタジオアルバム『HOBO HOUSE』(‘14)はちょっとカントリー寄りな、ウッドストックにみんなで集まってレコーディングしたみたいな作品で。そのアルバムに参加してくれたメンバーとのライブを収録した『リクオ with HOBO HOUSE BAND / Live at 伝承ホール』(‘14)を’14年の末にリリースして、自分の中でもかなり手応えのある、納得できる作品になったなぁと思って。ある意味そこで自分の世界観を1つ確立できた気がして、ここからまた新たなステップに行きたいなと。50を過ぎて渋く内向きに行くんじゃなくて、より自信を持って、自分のことを知らなかった人にも聴いてもらえるような間口の広い、オープンな作品を作りたい気持ちがありました」
――なるほど、そして。
「だんだん音楽的なこだわりみたいな部分が、いい意味で薄れてきてね。10代の頃に音楽聴いてたときの自分というか、“ええもんはええ”っていう聴き方に立ち返ってきてるところがあって。バンドを始めて黒人音楽に出会って、そのルーツミュージックを掘り下げていった時期よりさらに前の、自分が聴いてた音楽。それは例えば、佐野(元春)さんであったり、(山下)達郎さんであったり大瀧詠一さんであったり、関西だと僕がちょうど高校1年生ぐらいの頃に、上田正樹さんの『悲しい色やね』(‘82)が大ヒットしたり。その頃、巷で流行ってた音楽の中で自分が好きやなと思ったのは、そういう“シティポップ”と呼ばれる音楽が多かったんだけど、そういうポップスとか歌謡曲から受け取ったものはすごく大きかった。今回はそこに自覚的な作品を作って、自分と同世代の人にもそういう記憶を共有してもらえる作品になったらいいなっていう想いはありましたね」
――“もっと多くの人に聴いてもらいたい”というピュアな発想が、ここまでキャリアを重ねて改めて出てきたのはおもしろいですね。
「そやね。そういう自分の気持ちに対しても、素直になりたいのはあったんで。オープンな作品を作る=曲作りにおいても活動のスタンスにおいても、自分の気持ちに正直になるというか。そういうところから、このアルバム作りを始めてたなという意識はあります。これは逆説的な言い方になるかもしれないけど、あと何年活動できるんやろか?とかね。残りの人生のことを考えると、小っちゃいプライドにこだわってる場合じゃなくて。本当に自分の気持ちに正直になって、作りたいものを作って、納得できるものを残していかないと。いろいろな外的要素も含めて、永遠に時間があるわけじゃないと実感させられるような年齢になってきたのもあります」
――ミュージシャンとしてはもちろん、1人の男としての人生も大きく関わってきてますね。
「そうなると、やっぱり僕も奥くん(=筆者)もそうやと思うけど、基本的にはポップス育ちじゃないですか。そこからポップスの元になった音楽を追究していく。当時のシティポップであったり歌謡曲と呼ばれてた音楽も、筒美京平さんですら、結局は黒人音楽に影響を受けたポピュラーミュージック=ポップスをやってたわけでね。だから今、僕もそこに立ち返って、ちゃんとポップスというものに向き合って作品を作りたいなって。どんなジャンルだとかは関係なく、誰が聴いても“ええな”って思うような、スタンダードになる作品を作りたい。先人からのバトンを受け取った上で、それを自分なりに昇華して、今の時代に響くスタンダードを作りたい。そういう明確な意思はありました」
――間口の広さは時にマイナスにも捉えられるのに、しっかりそう言い切る今のリクオさんは気持ちがいいですね。
「奥くんに以前インタビューしてもらった弾き語りのカバーアルバム『RIKUO & PIANO』(‘10)も、僕の中では納得できる、恥ずかしくない作品ができた手応えはすごいあって。その辺りからもう一作一作、大袈裟に言うたら遺作を作るつもりで、あと30年ぐらい作り続けたろかと(笑)。まぁセールス的には非常に不満なんだけれども(苦笑)」
――(笑)。みんながぶちあたる壁ですね。
「ライブはもっと前から自信があってんけど、ちゃんと恥ずかしくない作品を作ってきた、積み重ねの自信も出てきたんで。じゃあ、もっと世に問うような作品を50を過ぎてからもう1回作って、ちゃんと売れたいなって。そこが一番難しいんですけどね。だから本当にみんなに応援してもらいたいし、協力してもらいたい。今回のアルバムにはたくさんの人に参加してもらってて、ミュージシャンもそうだし、エンジニアもそうだし、スタッフもそう」
――でも、力を貸してくれたのは、リクオさんが今までの人生でちゃんと出会ってきた人たちですもんね。
「うん。僕はやっぱり、共同作業で作品を残すことをこれからもやっていきたい。ポップスを意識した作品って、やっぱり少数ではできないのね。そういう意味では、今回は明確にポップスを目指して、みんなとの共同作業で作った総合芸術やと思ってるので。これを形に残して次につなげないと、みんなにも申し訳ないというか。ちゃんと恩返しもしていかないといけないんでね。この素晴らしいレコーディングメンバーとツアーにも廻りたいし、それにはぶっちゃけ経費もすごく掛かる。じゃあ、みんなと一緒に日本全国を廻れるぐらいの結果は残したいなって。それがものすごく大変なことだとは分かってるんだけど、そこを目指さなきゃ、トライしなきゃというのが今の心境ですね」
一発勝負の情熱、緊張感、想いをパッケージする
――音楽的には明確な指針が今作にはありますけど、レーベルを立ち上げるとなると、やることは増えますよね。
「ホントに(笑)。なるべくいろんな人を巻き込んで、これまでと同じD.I.Yの姿勢でやっていけたら。みんなと楽しみながら、“あ、こういうやり方もあるんだ”っていうのを示したいのもあるんで」
――シンガーソングライターの大柴(広己)とかも、リクオさんからの影響をインタビュー で明言してましたから。
「なるほどね。大柴くんはね、勝手にツアーついて来てね(笑)、一緒に廻って。でも、彼がそこでちゃんとコネクションを作って、広げていって偉いなと思う。そしてまた、自分より若いミュージシャンをすくい上げて、ああいうイベント(=シンガーソングライターによるマイク1本弾き語りフェス『SSW』)もやって」
――そういう意味では、そのバトンは受け継がれてますもんね。
「それやったら嬉しいですね。この作品は同世代の人にはもちろん聴いてほしいけど、そのバトンを受け取ってくれる自分より若い世代の人がいたら、ホンマに嬉しいです」
――今回のリリースにあたり、特設ページ にはまさにリクオさんが生きてきた証のように、いろんなミュージシャンの方々からコメントが寄せられていますが、レコーディングスタジオの選定は、コメントをくれたカーネーションの直枝政広(vo&g)さんからの紹介だと。
「もう2~3年前かな? カーネーションのアルバムのレコーディングに僕も1曲参加させてもらって。そのときの印象が残ってたし、とてもいいサウンドだなぁと思ってたので」
――資料にもありましたが、当初はプロトゥールス使ったデジタルレコーディングを行っていたのが、途中でアナログレコーディングに切り替えたと。これはどういった経緯で?
「もっと演奏者の表情が伝わって、グルーヴであったり一音一音の響き、奥行きが伝わる音で録りたいなと思って。音数が増えれば増えるほど、プロトゥールスだと音が細くなってしまうというか。縁あってアナログで録れるスタジオを紹介してもらったんで、じゃあ一度試してみようとやらせてもらったら、もうこれやなと。そうすると音質だけじゃなくて演奏に向かう姿勢も変わって、ベーシックは演奏者みんなで顔を見合わせての一発録りにして。アナログレコーディングだと編集があんまり利かないし、しかも一発録りだと後から直すこともできない。一発勝負の情熱、緊張感、想いをパッケージする。それは本当に狙い通りというか思ってた以上で、それでいてカラフルでポップである…アナログレコーディングをすることによって、やっと自分が目指してる以上の落とし所が見付かったという」
――正味、プロトゥールスでの作業はどこまで進んでたんですか?
「もう半分ぐらい録ってて。ヘヘヘヘ(笑)」
――マジですか!?(笑) でも、結果、大正解だったと。
「正解でしたね。で、まぁここまでこだわったんだから、アナログレコードも出そうよと」
――インディペンデントのいいところですね。“だって予算が”じゃなくて、何とかする(笑)。
「もう“やりたいことはやる”っていう(笑)。で、リスクは自分で背負うっていうね」
アイドルのサウンドプロダクションには、本当に優秀な才能が集まるんで
――それこそ、アルバムのオープニングを飾る『僕らのパレード』(M-1)はいきなりの共作ですもんね。この丸谷マナブさんとの接点は?
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「『HOBO HOUSE』の頃から出版会社にお世話になっていて、曲作りの段階からいろいろと相談させていただいて。新しい才能と共同作業がしたいと話したら、今最も素晴らしい才能を持つ1人である作家を紹介したいと。彼はAKB48関連の曲も多く書いてて、僕とは世代が違うけど、“ポップミュージックを作りたい”という想いは一緒だったので。それを1つのテーマにして曲を書こうと、『僕らのパレード』を作って」
――リクオさんとAKBという絵が最初は浮かばないんですけど(笑)、実は『LOOK BACK!!』(M-10)はAKB48の『前しか向かねえ』(‘14)を聴いて。
「そう、アンサーソングを書こうと思って(笑)。僕は結構アイドルに影響を受けて曲を書いてて、『あれから』(M-4)もSMAPの『夜空ノムコウ』(‘98)がなければ生まれてない曲だと思うし」
――アイドルというものが、まさに日本のポップスを象徴する1つの道筋ですもんね。
「そういうアイドルのサウンドプロダクションには、本当に優秀な才能が集まるんで。そこはもう偏見を外して、“ええもんはええ”ってことで」
――そもそもリクオさんにとって共作の醍醐味とは?
「『胸が痛いよ』(‘10)も(忌野)清志郎さんとの共作だし、最近も関西だと中村佳穂ちゃんと一緒に曲作りしたばっかりで。やっぱり自分の手癖じゃない部分で作品を作れるんで、そこで起こる科学反応が醍醐味ですよね。誰かに曲を書くだけでも違うひきだしを開けることになるし、『僕らのパレード』にしても、自分以外の人にも歌ってもらうイメージというか、誰かがカラオケで歌ってくれたらいいなとか、自分のために曲を書くスタンスから外れたところで作ったんで。僕は元々ポップミュージックが好きだし、もちろんコアな音楽も好きだし、その辺のジャンル分けはないと思うんよね。自分のまた違った面もちゃんと伝えられたらなと思ってます」
僕が10代の頃に聴いてた音楽って、街が舞台の歌が多かったんですよね
――あと、いろんな街を行き来してきたリクオさんが歌う街の歌は、やっぱり興味深いですね。
「僕が10代の頃に聴いてた音楽って、街が舞台の歌が多かったんですよね。佐野さんの『ダウンタウン・ボーイ』(‘81)だったり『SOMEDAY』(‘81)もそうですし、達郎さんの『パレード』(‘76)とか『DOWN TOWN』(‘75)とか。上田さんの『悲しい色やね』にしてもそうだし。でも今は、街とか自然の風景とかが歌に出てくることが少なくなってきたよね。そういう意味では、人が街で出会わなくなってるし、もっと言えば、面と向かって会う機会自体が少なくなってきてるのかもしれない。今もシティポップという呼ばれ方はしてるけど、当時のそれとは歌の世界がちょっと違うのかなぁって。抽象的な歌詞も多くなってきてね」
――佐野さんの話にもなりましたけど、『永遠のダウンタウン・ボーイ』(M-2)なんかは“まさに”な歌ですね。
「『SOMEDAY』を聴いていた世代の人たちは、僕も含めてもう30代、40代、50代を生きてきて。『SOMEDAY』の主人公は多分20代前半ぐらいの卒業して間もない男性だと思うので、その男性が同じように年を経て、今でも所在がない想いを抱えて大人になってるイメージで書いた曲なんですよ」
――このピアノのフレーズも、言わば『SOMEDAY』的でもあるし。
「『ハングリーハート』(‘80)(ブルース・スプリングスティーン)的でもあるし、いろんな音楽から受け継いだバトンを積み重ねて書いたような感じです」
――僕らの世代から見たら、リクオさんが憧れるアーティストっていう構図は、すごく新鮮に感じますね。
「RCサクセションが好きだったので、いまだに仲井戸“CHABO”麗市さんに会うと憧れの人だし(笑)、佐野さんのレコーディングやサポートをさせてもらったこともあるし、本当にありがたい話で。10代の自分に教えてあげたいよ」
いろんな人にとっての『大阪ビター・スイート』になってくれれば
――今回のアルバムの中では『2人のハロー・ライフ』(M-3)がめっちゃ好きでしたね~。
「あぁ~嬉しい! もうそういうのが響く歳に(笑)」
――アハハハハ!(笑) シンプルなメロディで、言葉数も多くないのに、ここまでリフレインで胸に訴えかけてくるのはさすがだなぁと。今作の根底に流れる世界観としても、やっぱり出会いがしらの恋愛の初期衝動とかではなく。
「そうやね。今回のアルバムに収録してるラブソングは、歳を積み重ねてきた男女が主人公なので」
――あと、『大阪ビター・スイート』(M-6)はね、やっとリクオさんが“背負ってくれたな”って、思いました(笑)。
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「アハハ!(笑) それはもうちょっと説明してもらっていいですか?(笑) どういうニュアンスなの?」
――ずっとリクオさんがやるべきな気がしてたというか…この時代にこういう曲を他に誰が歌えるのかと考えたら、それはリクオさんなんだろうなって何となく思ってたところに、ド真ん中から挑んでくれたような感覚というか。
「あぁ~嬉しいね。この曲はまさにスタンダードを作りたいと思って書いたので。僕1人が歌う曲じゃなくて、いろんな人が歌ってくれることを前提に書いたんで。ホンマ、カラオケに入ってほしい(笑)。誰かがカバーしてくれてもいいし、僕の曲というよりは、本当にいろんな人にとっての『大阪ビター・スイート』になってくれればいいなって。作る時点からそういう気持ちで書いてました」
――同時に、『大阪ビター・スイート』は書く人を選ぶ歌だとも思ってて。大阪っぽさがない人でも、若過ぎても違うし、やっぱりリクオさんが歌うからこそ納得できるというか、みんなの歌になるんじゃないかなって。
「でもね、“大阪ソングを書きましょうよ”って提案してくれたのは出版会社の方なんですよ。そこで僕は今は大阪に住んでないから、青春時代に大阪に住んでた男が、仕事か何かで大阪に戻ってきて当時の思い出を振り返る、みたいな舞台設定を自分なりに作って。今大阪に住んでる人も、案外自分の中の大阪は、多感なときに街をブラついて、恋人と一緒にデートしたり、いろんな人に出会ったりした、そういう時期の大阪だったりすると思うんでね」
――この曲には“アメリカ村”しか具体名が出てこないのに、それでも大阪の曲になる描写力はすごいなと。ここに“USJ”とかが出てきたら、USJがない時代の大阪を生きた人からしたら、逆に想いを重ねにくいですからね。
「なるべくいろんな人と記憶を共有できるようになればなぁというね。でもこれはね、もう大阪じゃなくてもいいんですよ。『東京ビター・スイート』だったり、『札幌ビター・スイート』だったり(笑)」
――これ、ライブでめっちゃ使えるなぁ(笑)。ご当地いけますね。
「ね(笑)」
時代の状況から受ける影響を押し付けがましくなく
いかにみんなの生活の中で響くように落とし込めるか
ちゃんとポップミュージックとして成立させられるか
――『あれから』(M-7)はそれこそ、3.11以降の。
「そうやね。自分自身が歳を積み重ねても、生きてる限りはね、何回でもやり直していこうっていう想いと、3.11以降の社会の中で自分が感じた想い、その両方重ね合わせて曲にしたような感じです」
――間奏のトーキング・ブルース的なパートは、ブログで綴ったことを。
「東日本大震災から5日後、原発事故から4日後の
ブログ に発表した詩を元にしました」
――『LOOK BACK!!』も似た肌触りの曲ですよね。
「ちゃんと今の時代に生まれた作品にしたかったので。普遍性と共にちゃんと時代性があって、過去と現在と未来が作品の中でつながっていけばいいなぁと」
――くしくも熊本で大地震が起きて、このタイミングで『LOOK BACK!!』が収録されたアルバムが出るというのも、また違う響き方がするなぁと思いますね。
「すごく思う。曲の響きって、そのときそのときで意味合いが変わってくるなぁって。変わるべきだとも思うしね」
――そして、曲を書き溜めていく内に、今回の作品の大きなテーマの1つが“再生”だと気付いたと。
「うん。それはやっぱり3.11以降の自分のメンタリティがそういう方向に向かっていたのがあると思う。時代の状況から受ける影響はやっぱり大きくて。でもそれを押し付けがましくなく、いかにみんなの生活の中で響くように落とし込めるか、ちゃんとポップミュージックとして成立させられるかというのが、本当に今回の思うところですね」
――今回のアルバムが出来上がったとき、何か今までと違う感覚はありました?
「出来上がったときに思ったのは、これはやっぱり売らなアカンなと、それはもう明確に思った。自主レーベルって言うと、何となく自分の好きな人たちのためだけに聴いてもらうやり方みたいに伝わるかもしれないけれど、ちょっと逆で。自分たちでリスクを背負いながら、いろんな人たちに参加してもらって、巻き込んで、より多くの人たちに伝える作業をやれたらなぁって」
――演者兼レーベルオーナーですもんね。
「さっき奥くんも言ってくれたけど、ちょっと“背負った”意識もあって(笑)。まぁでも、力み過ぎず、足取りは軽く、楽しみながら背負おうと思ってるんですけどね」
face to faceでどこまでのことができるのか
――リクオさんが活動してきた20数年で、まぁ音楽業界も変わりましたよね。
「いやぁ~変わったね、本当に。こんなに変わるとは(笑)」
――音楽でどう生活していくか、それをライブで実現してきたリクオさんが、改めてこういう挑戦をするのは、シンガーソングライターのまた新たな1つのスタンダードになるかもなって。
「いやぁ~ちゃんとね、そういう轍を作れたらええなと思うねんけど…まぁホンマに大変やなぁって、今は思ってて。いろいろあるけどね、悔しい想いもするし。何かをやればやろうとするほど、正直ね、悔しいんですよ(笑)」
――でも、“悔しいんですよ”って思うことは=本気ですからね。
「この間もショップに行ったら、CDが在庫切れになってて。っていうことは、今買いに行ってもそこの店にはないわけですから。それはすごく寂しいし、悔しいし、ジレンマを感じるもんね。そういう自分の気持ちに正直になろうと今は思ってて、それをちゃんと言うようにしました(笑)」
――めっちゃ多感になりますね、そうなると。
「だからちょっと前はね、ショップに行くのがイヤやったわけ。でも、そんなこと言ってる場合じゃないなと(笑)。バイヤーさんにサンプルを渡して“これ聴いてええと思ったら応援してください!”って」
――うわぁ~リクオさんにそれをやられたら、若手のミュージシャンはもっと頑張らざるを得ないですね(笑)。
「ホンマにね、やることはface to faceなんですよ。face to faceでどこまでのことができるのかを、今試してる感じもあって。とにかくやってみて、アカんかったらもう規模縮小!(笑)」
――アハハハハ!(笑)
「新しいことにトライして、どこまでできるのかを試して、ちゃんと結果を残したい。それがホンマに、今の偽らざる正直な気持ちで」
――そう考えたらやっぱり、やってよかったんじゃないんですか?
「そう! よかったと思ってるし、いい作品が作れた自負と充実感はあるんで、じゃあここからどうやって伝えていくんだ?っていうことで。本当に手探りの中で、いろんな人に支えてもらいながらやってる感じです」
――ツアーの最後には、アルバムに参加してくれたメンバーと東名阪をバンドで廻ります。
「プラス、キーボードとギターでDr.kyOnさんにも参加してもらって、もうこれ以上のメンバーはないだろうっていう、僕にとっては最強の布陣なんで。だから、このメンバーとライブを続けていけるように、もうホントね、応援してくださいっていう気持ちなんですよ(笑)。ライブツアーはこれからもずっと続いていくライフワークですけど、是非アルバムを聴いて気に入ってもらえたら、ライブに足を運んでもらいたいし、皆さんに観てもらうというよりは、一緒にいい空間を作りたいんですよね。その“何かを作っていく場所”に加わってほしいなと思ってます」
Text by 奥“ボウイ”昌史
(2016年7月 1日更新)
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