“モラトリアム”=社会に投げ出される一歩手前の“執行猶予”は、誰もが大人になるための通過儀礼であり、誰もがそれを失うのと引き換えに経験やお金という対価を手に入れる、正体不明の感情だ。その抗いようのないモヤモヤを、理由なき不安を、大人への過剰な意識を、傷付くことへの人一倍の恐怖を、ジャストなポップミュージックに変換して拡散&躍進するSuck a Stew Dryが、3rd EP『モラトリアムスパイラル』をリリースした。今作は、シーケンスとの親和性に胸高鳴る表題曲や、リズミックでアダルトな新味『絶望と希望のシーソーゲーム』、切々と男の身勝手な感情とふがいなさを歌う儚きバラード『こころは愛を探している』、そして、出会いと別れの季節にもマッチしたパンキッシュなナンバー『さらば素晴らしき日々よ』の4曲で構成。が、しかし。この全方位のポップミュージックにサブリミナル効果のように刷り込まれたシニカルなメッセージは、甘く切ないメロディだからこそ、その劇薬を人体の奥底にまで浸透させていく。大胆不敵な確信犯、Suck a Stew Dryからのニューアイテムを、ワンマンツアー『春のモラトリアムまつり』の真っ只中にいるシノヤマコウセイ(vo&g)とフセタツアキが、ざっくばらんに語ったインタビュー。このバンドのどちらが表で、裏なのか。誰も知らないSuck a Stew Dryがここにいる!?
――まぁそんな2014年を終え(笑)、この春に3rd EP『モラトリアムスパイラル』が出ましたが、これはいつから動いてたんですか?
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シノヤマ 「フルアルバムを出した9月ぐらいには、漠然とですけど年が明けたらシングル的なものを1枚出そうみたいな話があって。一番古い『こころは愛を探している』(M-3)、その次に出来た『絶望と希望のシーソーゲーム』(M-2)の段階で、完全にたまたまではあるんですけど“出会いと別れ”みたいな曲が集まってきて。その後に『モラトリアムスパイラル』(M-1)を作ったときも、自然とそっちに引っ張られたというか。『さらば素晴らしき日々よ』(M-4)は、そこからの流れで卒業っぽい曲を作ろうかなぁという感じで。その中でも、『モラトリアムスパイラル』は単純に耳馴染みがいいというか、聴いた感じが一番キャッチーだったんで(タイトル曲に)」
傷付くことを人一倍恐れてるからこそ、バリアが強い曲を作る
――口火を切ったC/Wの『こころは愛を探している』はどれぐらい前に出来てたの?
シノヤマ 「もう’13年の夏過ぎぐらいから多分あって、弾き語りではやってたんですけど」
フセ 「弾き語りの時点で割と完成されていたんで、バンドアレンジは結構難航しましたね」
――この“さようならをプレゼントして いつの日か再会の想像にふける”っていう2行は、めっちゃ“男”の歌詞やなって思った。自分で振っといて、“いつかまた”みたいなことを勝手に期待する (苦笑) 。都合のいい美談をね。こういう自分勝手で厨二ロマンな部分って男にはあるような気がして、何か共感出来てしまったという(笑)。
フセ 「シノヤマの得意技の(笑)」
シノヤマ 「アハハハハ!(笑) まぁね、失くなってしまったら惜しい、みたいな」
――この曲が生まれるきっかけとなるようなことがあったわけ?
シノヤマ 「というよりは、今までのことを振り返ったときに、結構そうだったよなぁって。“シノヤマあるある”じゃないですけど(笑)。だから曲の内容的にはすごく狭いんですよ」
フセ 「めっちゃパーソナルな内容ですからね。なのにアレンジが壮大(笑)」
――この歌詞を見ていて、シノヤマくんってどんなときにイヤになっちゃうのかなぁ?って思った。最初は肯定的な想いで惹かれ合うわけやんか。でも、ボタンをかけ違って何かが破綻する。シノヤマくんは“あ、もう無理”って思う地雷原が、何か人より多いような気がする(笑)。
シノヤマ 「アハハハハ!(笑) いやいや、“なんでこうなっちゃうんだろうなぁ”っていう歌詞がまさになんですけど、そんなつもりはないんだけどなって(苦笑)」
――逆にどんなときに好きになるんかな?とも思ったけど。
シノヤマ 「アハハ!(笑) もう完全にコイバナ(笑)。どんなときなんですかねぇ?」
フセ 「でも、“好き”って言われたら好きになっちゃう。そんなことない? もちろん人は選ぶよ?(笑)」
――アハハハハ!(笑)
シノヤマ 「でも、基本はいなくなったら好きになりますよね。それは別に恋愛じゃなくても、人間ってそういうもんな気がする」
――喪失によって気付かされるというか。でも、失くさないとそれが分からない自分もイヤだし、さらには“失わないと分からないことがあるよなぁ~”って分かって言ってるのに、結局同じことやっちゃってる自分(苦笑)。
シノヤマ 「そうそう! まさに。もうそれです!(笑)」
――ある意味、その喪失を敢えて待つときない? 喪失したらそれが大切なものだと分かると自覚していると同時に、何かもうその喪失を待つことでしかここから抜け出せないような…。基本的なSuck a Stew Dryの楽曲の構造として、こういう風に1つの物事に対して本当に何層もの意味合いがあるよね。
シノヤマ 「いやもうまさに。例えば、それに気付かない人もいると思うし、それこそ僕みたいに、“いや、失くしたからそう思うだけでしょ?”っていうのを分かりつつもそう思っちゃう人間もいるし」
――あと、基本的に人間って誰もが傷付きたくないけど、Suck a Stew Dryの曲の主人公って、何か必要以上に傷付くことを避けているような気がする。
シノヤマ 「フフフフフ(笑)」
フセ 「いや、もうドンピシャですね。それはもう、昔からそう。シノヤマは傷付くことを人一倍恐れてるからこそ、バリアが強い曲を作るところはあるのかなって」
――“モラトリアム”という病気があるとすれば、この曲は重症だと思いました(笑)。
シノヤマ 「アハハハハ!(笑) ハジオ(g&key)さんも若干そんなこと言ってた」
――こういうモラトリアムな感覚とか精神構造ってみんなが元来持っていて、発症するかしないかみたいな差かなと思っていて。シノヤマくんは、前のインタビュー でも保育園ぐらいの頃から、“あ、この人ずるいな”とかちょっと気付いたりしたって言ってたし(笑)、痛みを敏感に感じるからこそ遠ざけるのかもしれないね。
詞が絶対的なものだからこそ、外枠はどうとでも出来る
――タイトル曲の『モラトリアムスパイラル』についても聞かせてもらいたいなと。
フセ 「最初にバンドだけでやった[Ver.0.00]があったんですけど、それはライブDVD『僕らのジブンセンキ ワンマンツアー2014 Final』の方に入っていて。それを踏まえて、SEKAI NO OWARIとかも手掛けているCHRYSANTHEMUM BRIDGEっていう打ち込みが得意なプロデューサーさんと一緒に作ったのがこのアレンジで。トリプルギターの5人組にこういう要素を入れても形に出来た。そういう意味では、1つ抜け出た楽曲になったなって」
シノヤマ 「最初はシーケンスと組み合わさった曲の姿が想像つかなかったんですけど、実際にレコーディングを終えてみたら、イイじゃん!って(笑)」
――そう、 シーケンスとも案外相性がいいんだなと。詞の世界のバリアに対して、このサウンドの解放感(笑)。
フセ 「ある種、シノヤマの詞が絶対的なものだからこそ、外枠はどうとでも出来る」
――しかし、さっきの『こころは愛を探している』もすごかったけど、『モラトリアムスパイラル』の歌詞の、バウムクーヘンのように何層にも現れてくるこの価値観(笑)。
シノヤマ 「アハハハハ!(笑) 例えが(笑)」
――“自作自演の自暴自棄”とか、“傷がない自分を忘れていた”は強烈だなと。ある種の“ネタばらし”というか“感情ばらし”。かつてsyrup16gの『COPY』(‘01)っていうアルバムを聴いてすごい衝撃を受けたときも思ったけど、気付いていなかったけど確かにある感情を言い当てられたような気持ち…薄々勘付いていたことをハッキリさせられた感覚というか。さっきの2つのフレーズとかは、まさにそんな感じがしましたね。
シノヤマ 「フフフフ(笑)。実際syrupはね」
フセ 「特に公言はしてなかったけど好きだしね」
シノヤマ 「あと、syrupって結構韻を踏むというか、言葉遊びも多くて。僕も近い言葉を並べたりっていうのは結構やってますね」
――他にも、『絶望と希望のシーソーゲーム』の“もっと傷が深ければ誰かと分かり合える気がするよ”というくだりも、裏を返せば自分の傷が実はそれほど深くないことを自覚してる。自分の中にあるモヤモヤ、気付かなかった感情を引っ張り出される感じはしますね。
シノヤマ 「『絶望と希望のシーソーゲーム』は、曲の雰囲気的にもちょっと大人で今までにない感じだし、ハジオさんもギターを弾かないで鍵盤に徹してて。ハジオさんが弾きそうなソロを頑張って弾いてみるという裏テーマもあったチャレンジ曲なんですけど、歌詞は自分でも書いてみて後から気付いたりするんですよね。“確かにこれ、俺が思ってることだ”みたいな。ただ、そういう傷が深い人間だと思われがちなんですけど、“実は俺、そこまで凹んでた人間じゃないし…”みたいに逆にモヤモヤしたり」
――“もっと自分が本当に絶望的な人生を歩んでいたら”、みたいなジレンマ。“シノヤマ節”が冴え渡ってるね。
フセ 「歌詞はまさにそうですね。今回は本当に攻撃力が高い曲しかない」
大人になれないんじゃなかったのかよ!って(笑)
――あと、『モラトリアムスパイラル』の“押し付けられた将来、愛の歌、成功者たちのメッセージ”以降のくだりは、Suck a Stew Dryの現状にも取れちゃう気がしたけど。
フセ 「“無理やりに感じさせられるドラマ”と(笑)。すげぇ歌詞だよ。“いつのまにか刷り込まれる理想 必要以上 まわりの目気にして笑いあっている”」
――言わばJ-POPシーンの成功例、フォーマットに乗りなさいって言われてるかのような。
シノヤマ 「確かに。でも、これって高校生とか、他のジャンルの人も一緒だと思うんですよね。やっぱり“こういう風に成功してる人がいるから、こうしなさい”みたいなことを言われても、ピンと来ないことが多いんで」
――こんな偏ったバンドにそんなこと言わないでよ、っていう気もするしね(笑)。
(一同爆笑)
シノヤマ 「そうなんですよね(笑)。たまに“こういう人たちみたいに”って言われたりするじゃないですか。まぁ、99%ピンと来ないんですよ。“この人たちもこうだったから”って言われても、“あ~そうっすか…”みたいになっちゃう。それは音楽に限ったことじゃないんですけど」
――あと、曲中の“「いち、に、さん」”のカウントが、また『カタカナトーク』(1stアルバム『ジブンセンキ』(‘14)収録)みたいに、猛毒シニカルなメッセージが込められてるんじゃないかと思って不安になったわ(笑)。
シノヤマ 「アハハハハ!(爆笑) いやいや、それに関しては“言わされる過剰”というか、学校とかで別に言いたくない言葉を読み上げさせられることに対してですね。ただ、“「いち、に、さん」”をやたら明るく言ってるのは、若干ひねくれ感もあります(笑)」
――曲がここまでポップだからこそ、それをぶっ込める。
フセ 「スーッと耳に入るようにね。本当に危ないCDになってしまったなぁ(笑)」
――みんなが無邪気に“自作自演の自暴自棄”って歌う絵が、もうコワ過ぎる(笑)。
シノヤマ & フセ 「アハハハハ!(笑)」
フセ 「いやぁ~もう底抜けに明るい人に歌って欲しいですね」
シノヤマ 「最後の方で“「さあ、未来へ」”っていう言葉でまとめてるんですけど、多分ポジティブな人は明るく受け取ってくれると思うし、気付く人は気付く。そういうギミックじゃないですけど、それもおもしろいかなって」
――同時に、今作には大人に対する過剰な意識もすごくあって。
シノヤマ 「そうですね、今回は特に。こう言ったらアレですけど、大人の人によくしてもらった覚えがない…」
(一同笑)
シノヤマ 「覚えがないだけなのかもしれないですけど。なのにね、大人になりなさいとか言われてもね」
――今作で発症してるモラトリアムであったり…。
フセ 「発症(笑)。もうすでに病気(笑)」
シノヤマ 「アハハハハ!(笑)」
――今回の曲を聴いて思ったのは(笑)、こういうモラトリアムとか大人に対する反抗心を、いつか歌えなくなってしまう=大人になる恐怖みたいなものって、年齢とかキャリアと共に絶対に進行していく。それがいつか失われたら、案外幸せになって、そういう憤りを感じなくなるかもしれない。
シノヤマ 「そうですね。まぁでもそのときはそのときで、そういう曲を作ればいいじゃないかっていう諦めはあるんですよ。実際に“結婚して子供とかが出来たらどうするの?”みたいなことを聞かれたときに、“まぁでも『息子よ』みたいな曲を作るんじゃないですか?”って(笑)」
(一同爆笑)
――3枚目のEPで『モラトリアムスパイラル』って言ってた人たちが、8枚目ぐらいで『息子よ』(笑)。
(一同爆笑)
フセ 「大人になれないんじゃなかったのかよ!って(笑)」
シノヤマ 「いや~なれたわって(笑)」
――Suck a Stew Dry、待望のニューEP、『息子よ』(笑)。
フセ 「アハハハハ!(笑)」
シノヤマ 「もし音楽を長く続けられるならば、どこかでそういう転機がね(笑)」
一番どうしようもない曲にしようというのはありましたね
――そして、最後の『さらば素晴らしき日々よ』は…っておい! これグリーン・デイじゃねぇかよ!(笑)
シノヤマ 「アハハハハ!(笑)」
――これ『バスケット・ケース』(‘94)じゃねえかよ!っていうね(笑)。
フセ 「はい! そうです!(笑)」
シノヤマ 「やっぱり奥さん(=筆者)は気付くんだ(笑)。やっと言われたね」
フセ 「やっと言われた~。言って欲しかった、むしろ」
――最初は、えらいベタでシンプルでパンキッシュな曲やな~って思ったけど、いやいや、これグリーン・デイだわって(笑)。聴いたことあるな~このコード進行、みたいな(笑)。
シノヤマ 「バレたバレた(笑)。Aメロもサビも、どっちもコード進行はグリーンデイです(笑)」
フセ 「仮タイトル『グリーン・デイ』でしたもん(笑)」
――まぁこの曲は最後に作ったのもあるし、そういう遊びの要素もあるよね。
シノヤマ 「一番どうしようもない曲にしようというのはありましたね。実際『バスケット・ケース』自体も、あんなにポップで明るい曲ですけど、歌ってる内容がハンパないんですよ。精神病院に行ったら“セックスが足りない”って言われて、だから娼婦のところに行ったら、今度は娼婦に“夢が足りない”みたいなことを言われた、みたいな(笑)。 “いつも僕が僕を騙すんだ”みたいな歌詞なんです」
――そう考えたら、ポップな曲にシニカルなメッセージを塗りこむという点では、めちゃくちゃSuck a Stew Dryとアテチュードが通じるね。
フセ 「グリーン・デイと通じてしまった(笑)」
シノヤマ 「そういった意味でも、本当にグリーン・デイ・オマージュな曲です」
――当時、グリーン・デイとかを聴いてたわけ?
シノヤマ 「聴いてましたね~。まぁその頃を思い出したのもあって、“グリーン・デイっぽい曲ねぇな、じゃあやるか”って(笑)」
フセ 「大丈夫かな…?って思いながら作りましたけどね(笑)。最初はもっとシンプルだったんですけど、さすがにもうちょっとギターは凝った方がいいかな?って、ちょいちょいいじってこうなったんですけど」
――“この両手広げて”とか“手を振ろう”のくだりも、何かステレオタイプのJ-POPへの悪意を感じるけどね~(笑)。
シノヤマ 「アハハハハ!(笑)」
――かつてSuck a Stew Dryのライブレポートにも“多くを語らずサウンドで語るメッセージ”って書いたことがあるけど、まさにそういう曲ですね。
シノヤマ 「改めて言っていただくとですね、やっぱ性格が悪い曲だなと(笑)。だって結局、素晴らしき日々にさよならしてるから=素晴らしくないんだな、っていう。よくよく考えたらね」
フセ 「でも、何とか卒業の歌みたいになりました(笑)。それはそれで素晴らしいと思います!」
やっぱりみんなが、観てる側が楽しい方がいい
――で、ちょっと油断してたら、シノヤマくんはふいにブログ も更新するから。
(一同笑)
シノヤマ 「恥ずかしい恥ずかしい(笑)。そこをピックされたことないですよ(笑)」
――“久しぶりに「バンドやっていてよかった」と思うことがありました”と。
シノヤマ 「これは、芸人のオードリーさんがすごい好きで、ずっと『オールナイトニッポン』(ニッポン放送/月~土25:00~)を聞いてたんですけど、そこでパワープレイが決まって。僕が結構コアなファンっていうのもあって興味を持ってくれて、番組のディレクターさんと話す機会があったんです。そもそもその方自体も、番組中によく名前が出てくる名物ディレクターで、その時点で僕はもう芸能人に会った気分なんですよ(笑)。しかも、話していく中でおもしろがっていただいたみたいで、“じゃあ来週、枠が空いてるから『オールナイトニッポンR』(土27:00~)をやってみない?”っていう話になって。何かそのときに、“バンドやっててよかった…”って思っちゃった(笑)」
フセ 「アハハハハ!(笑)」
シノヤマ 「普段は本当に思わないんですよ、失礼な話かもしれないですけど(笑)」
――でも、さっきのモラトリアム感とか大人論と一緒で、長くバンドを続けていったらその感情も変わっていくかもしれないね。10年20年と続けていった先に、それこそ息子が出来たときとかにね(笑)、“みんな娘息子もいるだろうに、時間を作ってライブに来てくれて…”って。
フセ 「そうだなぁ~。今来てくれているお客さんが、子供を連れて観に来る時代になったら、そりゃ『息子よ』も出ちゃうよね(笑)」
――そもそも、みんなが来て幸せだと思ってくれたら、それで十分だもんね。
シノヤマ 「そうそう! 僕が楽しいかどうかっていうのは実はあんまり…逆に、自分だけが気持ちよくなっちゃったライブとかって、よくなかったりするときもあるし。やっぱりみんなが、観てる側が楽しい方がいい。単純にそういうことなんですよね」
――というわけで、ライブはどうですか? 自分たちの中で何か変わってきました?
フセ 「やっぱりお客さんを巻き込んでいく場面が増えたのが、一番大きいかなぁと思います。曲の内容的にはどう考えても暗いんで強制する気はないけど(笑)、ハンズクラップをやったり、“盛り上がっていこうぜ‼︎”と煽ったりは、だいたい俺がやってますね。やりたい人はやるし、やりたくない人はやらないって分かった上で、実際にやって楽しい人がやっぱりいて…フロアとステージの境界線みたいなものが、いい塩梅になってきてますね」
――ツアーの大阪公演のOSAKA MUSEは音もいいし、楽しみです。
シノヤマ 「MUSE久しぶりだ」
フセ 「あと思ったのが、『モラトリアムスパイラル』は1stアルバムの『ジブンセンキ』から曲数的には圧倒的に減ってるんですけど、『ジブンセンキ』を経た後に出てきたのがこれでよかったなっていうのは、すごいありますね」
――そっか。もう出し切ってしまった…じゃないもんね。
フセ 「そうそう。『ジブンセンキ』がそれぐらい大きな作品でもあったんで。まだ行けるなぁっていうのは、実感として後から湧いてきましたね。楽しみですね、これからどうなっていくのか」
シノヤマ 「ここで終わりじゃねぇぞ、っていうことで」
――今後の展開もおもしろくなって行きそうだなと。それではツアーで会いましょう!
シノヤマ & フセ 「ありがとうございました~!」
Text by 奥“ボウイ”昌史