“I’m a SINGER SONGWRITER”
サポートにアレンジに曲提供にとマルチな才能を魅せる
磯貝サイモンの決意表明『Human Tricycle』回顧録
ライブDVDリリースツアーに捧ぐインタビュー&動画コメント
ゆず、JUN SKY WALKER(S)、椎名慶治(ex.SURFACE)、寺岡呼人、植村花菜、佐藤竹善(SING LIKE TALKING)などのギタリスト/キーボーディストとしてのツアーサポートやアレンジを担当し、KARA、Kylee、嵐、ナオト・インティライミらのへの楽曲提供など、マルチに活動する多忙な男、磯貝サイモン。とは言え、彼の本業はシンガーソングライター。‘06年にメジャーデビュー以降、3枚のシングルと1枚のアルバムを残した後に独立。全力疾走の日々の中でようやく生まれた2年ぶりのオリジナルアルバム『Human Tricycle』は、沼澤尚(ds)や椎名慶治(ex.SURFACE)、ゆずの岩沢厚治らアルバムに参加した諸先輩方からの愛情とプロ意識をしっかりと受け継ぎ、三十路に突入した男ならではの心情と覚悟が、持ち前のポップセンスと隠れた情熱と共にしっかりと刻み込まれた1枚となっている。そこで、同作に伴い昨年渋谷WWWにて行われた発売記念ライブを完全収録したDVD『LIVE FILM「Human Tricycle」』を引っ提げツアー中の彼に、『Human Tricycle』にまつわる様々なエピソードを問う回顧録をお届け。「走り続けることが大事ですよね、それがどんなスピードでも」と彼は言う。目くるめく日々に翻弄されながら、挫折も葛藤も経験も、一生歌い続ける、磯貝サイモンの決意表明。そう、彼は紛れもない、シンガーソングライターなのだ。
自分が何屋かよく分からなくなってきちゃってる部分もちょっとあって(笑)
――最近では世間一般のリスナーも、いろんな人のバックでギターや鍵盤を弾いている姿とか、作品のクレジットでもサイモンくんの名前をよく見るようになって。とは言え、じゃあ磯貝サイモンとはいったいどういうアーティストで、経歴でというと、案外知らない。デビューは’06年で、’13年に3rdアルバムというのはペース的には早くはなかったと思うけど、まずは今の状況を、何でこんなマルチな活動になっていったのかを聞きたいなと。
「元いた事務所を’11年の頭に辞めたんですけど、まぁやっぱりずーっと停滞していた音楽活動っていうのが根本にあって、このままじゃ埒が明かないなっていうのもあったし、もっといろんなことをやってみたかったんですよね。いろいろとお誘いはもらっていたのに、(シンガーソングライターとして活動する手前)出来なかったのも歯痒かったし、ここで何かを変えていかなきゃなって。それでホントに何のあてもなく辞めたんですけど、きっかけをくれたのは寺岡呼人さんで。植村花菜ちゃんのアルバムのアレンジだったり、呼人さんのイベントである『Golden Circle』にサポートミュージシャンとして呼んでもらったりしたのが、自分の中での1つのターニングポイントで。今まではそれこそピアノとかギターを弾きながら自分の歌を歌うことぐらいしかやっていなかった自分が、他の人の歌に合わせてそれを弾く。その楽しみを教えてくれたのは呼人さんだと思います」
――それこそ呼人さんとの最初の接点は?
「呼人さんと出会ったのは、実は大阪で。僕がデビューしたのが’06年の11月なんですけど、呼人さんが『LIVES』っていうアルバム出したのがたまたま同じ年の同じ月だったんですよ。当時、フットボールアワーさんがやっていた深夜のラジオ番組があって、僕はマンスリーゲストで毎週大阪に来ていて、呼人さんはたまたまその内1週のゲストで、そこで初めて出会って。そうしたら呼人さんから、“今度、僕のイベント出てくれませんか?”って、その場で誘っていただいて。『呼人の部屋』っていう下北沢440でやっていたマンスリーイベントにホントに出させてもらうことになって。そのときに僕が楽器を弾いている姿がすごく楽しそうだったらしくて、そういうこともドンドンやった方がいいんじゃないかって思ってくれたらしいんですよ。そんなきっかけからのスタートで、今こうやって声を掛けていただいてるという感じなんですけど」
――なるほど。それが今や各所でひっぱりだこやもんね。
「ただ、事務所を辞めてもう3年ぐらい経ちますけど、決して自分から動いたわけではなくて、自然の成り行きのまま今に至っているだけなので、正直この先何がやりたくて、どういう風にしていきたいかを、そろそろ考えなきゃいけないなと実は思っていて。今は…自分が何屋かよく分からなくなってきちゃってる部分もちょっとあって(笑)。楽器を触ること自体が好きなんで何でもやりたがってしまう性分でもあるんですけど、この間のイベントではアコーディオンとかパーカッションまでやって…結構チンドン屋状態(笑)。それももちろん楽しいんですけど、やっぱり自分が一番好きなのは、曲を作って自分の声で歌を歌うことであって。そこをちゃんとやっていかなきゃいけないなぁって。『Human Tricycle』を作って、改めて原点に戻れた感じはちょっとしていますけどね」
――ヘンな話、これだけ人に曲を書いたり、サポートもしていたら、もうそっちの世界にどっぷり行く人が多いやん。その方が多分、金になる(笑)。音楽を生業とする1つの方法論としては、全然あり得るコースというか。
「そういう自分を3年ぐらいやってきて、例えば僕がキーボーディスト1本でやれるのか?って考えたとき、それを本職とする人はたくさんいるわけで。その人たちのプレイを観ていたら、僕は足下にも及ばないと思うんですよ。だからこそ、そっちに進もうとは“思えない”。作家さんみたいにドンドン曲を作って、いろんなクライアントの意向を聞いて量産する能力が、どこまで自分にあるかも分からないですし。僕は自分からプレゼンを掛けるというよりは、いただいたお仕事を自分のペースでしかやれないので。ただ、モノを作ることが好きなので、それが自分の曲じゃなくても単純に楽しいのはあるんです。そういう意味もあって、今作にはセルフカバーも入っているんですけどね」
20代の頃に思い描いていた夢とかビジョンとか理想も
いい意味でドンドン崩れてきている
――サイモンくんがメジャーにいたときは3年間でシングル3枚、アルバム1枚みたいなスローペースで。今はもう少しコンスタントにリリースもライブも出来ていて、自身の活動に関しても、当時に比べたら全然アクティブで。
「確かに。特に独立してからのこの3年は、ライブばっかりやっていましたからね。それはやっぱり、当時出来なかった反動だったと思うんですよ。逆に、それだけライブをしたことによって、今回のアルバムがあると思うんで」
――そっか。じゃあやっぱり必要な3年間ではあったんやね。
「かなり必要だったと思います。それがなければもう今作は出来ていないですね」
――独立した’11年に2ndアルバム『ハートマーク』を出して、今作までの忙しい中でも、どんなアルバムを作ろうかというのはあった?
「実はコンセプトは全然なくて。今の自分の想いをとにかく形にしよう、なるべくリアルタイムに近いものにしようっていう意識はありましたね。『30』(M-4)っていうかなり“なう”な曲も入ったり(笑)。12曲バラバラに、曲順のイメージも一切ない中で作っていた割には、自然とまとまりは出たかなぁと思っているんですけど」
――今言いたいことを今出せるっていうのは、やっぱり独立した良さでもあって。それこそ前作みたいに、完全に自宅で録ったりも出来るし。今回はどうやって?
「ドラムは沼澤尚さんに叩いていただいんですけど、全部生だったっていうのもあって、結構スタジオレコーディングが多かったですね。ピアノもほとんど生で録ったんで。自分の作業場で録るときもエンジニアを呼んで、環境としては同じような感じで録ったので、いわゆる宅録だったとしてもそういう感覚はなかったですね」
――ちなみに『30』のミュージックビデオって、あれ自宅?
「いやいやいや! あんなオシャレな家に住めたらいいですよね。あそこは映像監督さんの事務所です(笑)」
――あと、2度目の夢を見るというか、20代とか若い頃にデビューして、“売れたい! 有名になりたい!”みたいな衝動がひと回りして、それでも今、何を夢見るか、みたいな。まぁ30っていう年齢もあると思うけど、その辺が歌詞の端々からも感じられて。
「まさにそうですね。2度目の夢を見るっていい言葉ですね。そういう感覚はすごくありますし、ガムシャラにやっていた20代の頃に思い描いていた夢とかビジョンとか理想も、いい意味でドンドン崩れてきているし、新しい夢に向かって走るためにはどうすればいいのかな?って。そのプロセスも、20代のときには思い付かなかったようなアイデアだったり、持ち得なかった人脈だったり…そういう30代ならではの人生がきっとあると思いますし。そんな意味も込めて、『30』っていうタイトルにしちゃいましたけど。そういう新しい夢、2度目の夢を見るっていうのは、ホントに最近思いますね。それと同じぐらいの不安もあるんですけど。それとどう戦っていくのか、それをどう崩して、また新しく組み替えていくのか。20代の頃は、いろんな人に助けられて何とか繰り上がっていたと思うんですけど、ここから先はホントに自分次第なんだなって。もちろん人の力も大いに借りるんですけど、その借り方も自分次第で。最近、サポートでキーボードとかピアノを弾いているときに思うのは…昔はホントに右も左も分からずガムシャラに弾いていたから全然緊張しなかったんですけど、最近はちょっといろいろと分かるようになって “ここで間違えたら事故だよなぁ”とか、すごい緊張するようになってきたんですよ(笑)。そういういろんな狭間にいるのが、ひょっとしたら30っていう歳なのかもしれないですし」
――『30』にも、“妥協したもん勝ちなのだ!/カンペキ主義は体に悪いぜ/遠回りしてもいいのだ!/細かい事は気にしないで”とあって。でも、昔は全部逆だったんじゃないかって(笑)。自分に対してハッパを掛けるというか。
「まさにそうだと思いますね。そうだった自分もいたし、やっぱり世の中には簡単には解決出来ないことがたくさんあって、そんなことも何となく少しずつ分かってきて。ブワァ~っと、割と思うがままに書いたんで深くは考えていないですけど、そういうところからもこういう歌詞が自然と出てきたのかもしれないですね。この歌詞の完成までのスピードはめちゃめちゃ早かったですから。しかも一番文字量が多い(笑)」
歌と一緒に楽器を弾くことで突き抜けていく
――サイモンくんは作家が出来る器用さがあるけど、やっぱり自身の作品だとそうじゃない曲に惹かれるというか。それこそ『ばかやろう友よ』(M-7)とかは実話?
「実話ですね。僕が中学だか高校の頃の話なんですけど、自分の身の周りには病気や事故で死んじゃったヤツが結構いるんですけど…それこそ21ぐらいのときに同い歳の友達の葬式に行ったりすると、“何でこんなに早く死んじゃったんだろう?”って思わざるを得ないわけですよ。ふと歌詞を書いていたら、こういう曲になってしまった。何でこの曲を書いたかは、もう全く覚えていないんです。亡くなった友達へのレクイエムになればいいなっていうのは、どこかにあったと思うんですけど」
――サイモンくんは器用なイメージがあるから、こういう平熱以上の一面が、自身のアルバムでは見え隠れするところがやっぱりいいなぁと。そして、『唯一の才能』(M-3)なんかでも、“歌い続ける”と。
「この曲で所信表明していますからね」
――音楽にまつわる全部が好きでも、やっぱり最後に残るのはなぜ“歌うこと”なんでしょう?
「いやぁ~ずっと歌ってきたのもありますし、子供の頃の最終的な夢が歌を歌うことだったので。小学校ぐらいのときは僕、ピアニストになりたいと思っていたんですよ。中学校でハードロックにハマって今度はギタリストになりたいと思って、高校でゆずを聴いて歌を歌うようになってからは、楽器を持って歌うことが自分の最終型だなぁと。最初の原風景、青写真が、ずっとイメージにあるんだと思うんですよね。だから楽器だけ弾いている自分は、イメージが湧かない。何かピンと来ないというか、熱があるラインからは上がらないんですよね。やっぱり歌と一緒に楽器を弾くことで突き抜けていくので。だから歌い続けることはすごく大事だと思いますし。ここでさっきの話に戻ると、ありがたい状況ではあるんですけど、いろいろ仕事でやっていたらだんだん何だかよく分からなくなってきちゃっているので(笑)。まさにこれから、整理していきたいなとは思っています」
――自身の音楽を知らしめると。こういうアルバムをちゃんとしぶとく出してくるところにもね、その姿勢があると思うんで(笑)。
「(笑)。まぁやっぱり定期的に出して行きたいですよね、アルバムは」
――Kyleeに楽曲提供した『CRAZY FOR YOU』(M-5)のセルフカバーなんかも、自分なりに解釈したらどうなるかっていう顕著な例で。歌う人が変われば、アレンジもそうなんやけど、変わるもんやね。
「歌詞がとにかく女性視点なので、これをいかに自分が歌うかっていうのは…結構録り直しましたね、歌は」
――サイモンくんの世代的にはaikoとか矢井田瞳とか女性アーティスト/シンガーソングライター全盛時代で、それこそ聴いてきた音楽だから、曲自体は書きやすいって言ってたもんね。でも、いざ歌うとなると。
「この曲はまだマシですけど、他の提供曲とかは“何々だわ”みたいな曲もあるわけですよ(笑)。そんな歌を歌い始めたときにはどうなるんだ?ってちょっと思いましたけど、自分で書いといて(笑)。そういう意味ではこの曲はまだ、ギリギリセーフなのかもしれない」
いい先輩を持ちました(笑)
――そして、『ホントのハジマリ』(M-10)では、ややこしい先輩が(笑)。
「ややこしい先輩(笑)」
――作詞で共作した椎名慶治(ex.SURFACE)さんは、サイモンくんのかつての事務所の先輩でもあって。椎名さんにインタビューしたときに話していたんやけど、先に辞めた椎名さんにサイモンくんが相談に来て、その翌日にサイモンくんがホントに事務所を辞めたから、椎名さんがちょっと責任を感じるっていう事件が(笑)。
「アハハハハ!(笑) 椎名さんに“辞めたらいいと思うよ。辞めろ辞めろ!”とか言われて、次の日にすぐ事務所に行って“辞める”って言いました(笑)」
――そもそもこの曲にはプロトタイプがあって、ライブでもやっていた曲だったと。
「そうなんですよ。ライブでは何気に定番曲ぐらいな頻度でやっていたんですけど、歌詞があんまりしっくりきてなかったんですよね。この曲(原曲『ホントのヤサシサ』)が入っている『hitorideCD03』はデモシリーズだったんで、ちゃんと完成させたいよなぁ~なんて思いながら、歌詞を全替えするぐらいの気持ちで考えていたんですけど、なかなか納得がいかなくて停滞していたときに、ふと椎名さんのことが思い浮かんで。やっぱり歌詞がかなり独特の人なんで、これは化学変化が生まれるだろうといざお願いしたら、かなりレスポンスも早くて、流石だなぁと。椎名さんって書くスピードが速いんですよね。だって今のソロ作品のリリースのスピード…それこそ僕は7年で3枚でしたけど、椎名さんは2年で3~4枚は出しているじゃないですか。しかもアルバムには14曲とか入ってる(笑)。すごく早いし、クオリティも高いし、おもしろいし、いろんなエッセンスがあるので、この曲を一緒に出来てよかったなぁと思いますね、ホントに。僕じゃ絶対に書かないだろうなっていうことのオンパレードなんで。そういう意味ではかなり刺激も受けたし、このアルバムのスパイスにもなったかなって思いますね。いい先輩を持ちました(笑)」
――この歌詞に赤線を引いたところとかは、すごく椎名さんっぽいなぁと思ったんやけど。
「(紙資料を見て)あぁ~…合ってますね!」
――アハハハハ!(笑) 例えば“倦怠期/疑心暗鬼/君は趣味のヨガに躍起”とかは?
「“倦怠期/疑心暗鬼”は椎名さんで、“君は趣味のヨガに躍起”は実は僕が書いたんですよ。これって椎名さんっぽいですよね? 僕も椎名さんと一緒にやるモードに入って、この言葉が出てきたんだと思います。“倦怠期/疑心暗鬼”は韻を踏んでいるけど、“君は趣味のヨガに躍起”はそのままの譜割りじゃ入んないよねってなった瞬間に、そこを語りにしたのは僕で」
――まさに共作という感じやね。
「それを全部LINEのやりとりで(笑)」
――あと、『divin'』(M-6)はちょいエロスで新鮮な(笑)。
「『divin'』はとにかく変わりたい自分がいて、何かドロドロした感じとか、そういう新しい世界にもチャレンジしてみたいなぁっていう、第1弾みたいなところですね。そういう意味では、今回のアルバムは曲調だけじゃなく歌詞の世界観だったり、いろいろと挑戦した気がします。変わり種にはなったかなぁと思いますね、『divin'』は」
走り続けることが大事ですよね、それがどんなスピードでも
――タイトルの『Human Tricycle』の“Tricycle”は、三輪車という意味で。
「最初は『Tricycle』だけでもいいかなと思ったんですけど、何となくそれだとシンプル過ぎるかなぁと、ノリで頭に“Human”を付けた造語なんですよね。これは僕がシンガーであること、ソングライターであること、プレイヤーであること、その3つの軸が自分のシンガーソングライターとしての活動に直結しているなと思いましたし、その3つの軸を車輪に例えて、Tricycle=三輪車っていうところからの連想ゲームみたいな感じですね」
――今作が出来上がったときはどう思いました?
「いや~今までにない充実感がありました。最初から最後まで、自分発信で細かいところまで携われたアルバムでもあるんで。あとは、自分の僅かながらの経験値が、少しずつ積み上がってきたものが、やっと形に出来たのもありましたし。今までは、自分のアルバムというか、曲そのものを聴き返したりしなかったんですよ。だってレコーディングのときに十分聴いているから(笑)。大抵聴き飽きるんです。今回のアルバムは自分でも結構聴くんですよね。幾つか理由はあると思うんですけどその内の1つは、曲作りも含めてレコーディングに無駄に時間を掛けていないんです。限られた時間の中でしっかりやって、そのときそのときの想いがギュッと凝縮されている。演奏も、曲も、メロディも、歌詞も全部そうだと思うんです。そういうものが短期間に出来たことによって、自分の作品なんだけどどこか他人のようにも聴けるというか。だから聴いていると自分でも新しい発見があるんです。“アレ? こんな音で録ってたっけ?”みたいな(笑)。それくらいの感覚で聴けている自分がいるので。あと、ドラムの沼澤尚さんをはじめいろんな人にも参加してもらって。今まではずっと1人で録っていたので、レコーディングしていてもあんまり刺激がなかったんですよ。今回は外のスタジオでレコーディングする機会もたくさんありましたし、椎名さんと一緒に詞を書いたのもそうですし」
――それはやっぱりサイモンくんがここまでやってきた関係値が作らせたもので。沼澤さんなんか売れっ子やのに。
「そうですねぇ。かなり短い時間で、1日7曲とか録りましたからね(笑)。前のシングルの『あ・く・せ・く』と併せて全13曲叩いてもらったんですけど、それを2日間でやるっていう。普通あり得ないと思いますね。多分あの人じゃないと出来ない。しかも全曲覚えてきて譜面を見ないんですよ。見ないからこそのプレイがやっぱり出ますし、椎名さんとの歌詞のやり取りにもすごく愛情を感じましたし。きっと忙しかったと思うんですけど、そんな中でもここで形になっていないバージョンまでガンガン送ってくれて」
――あと、『low battery's song』(M-11)では、ゆずの岩沢(厚治)さんがハーモニカとコーラスで参加してくれて。
「岩沢さんに関しては、ハーモニカのフレーズを自分のテレコに何パターンも録って“どれがいい?”って提案してくれたり、コーラスもお願いしますとは言っていたけど、ここまでしっかり練習して来てくれるなんて思ってもいなくて、もう上ハモも下ハモもいろいろやってくれたり。5年後10年後、僕もそういう先輩にならなきゃいけないなぁって思いましたね」
――愛情と、プロ意識やね。
「そうですね。そういう先輩をたくさん見られたレコーディングだったと思います。自分がこれから10年20年と長くやっていく上での、先輩のあるべき姿を自分の現場で見られたのは大きかったですね。他の現場でそういう機会があっても、あんまり実感がなかったりもするんですけど、自分のレコーディングでそういう体験をすると、ひと味もふた味も違いますね」
――サイモンくんの今後は、どうなっていくんでしょう。目指すところはありますか?
「いやぁ~それがもうフワッフワですけど(笑)、このアルバムは、これまでの活動にケリを付けられたアルバムだと思うんで。ここからはかなり変わっていくんじゃないかなと、今はちょっと思っていて。ポップス以外にも自分が歌を歌うカテゴリがある気はしているし、毎回違うコンセプトで作ってみてもおもしろいと思いますし、あとは、ライブでお客さんの顔を見て歌うことによって、生まれることがあるんですよね。この3年、ずっとライブをやってきて得たものがたくさんあるし、それも今回のアルバムには相当活きていると思うし。それがなかったら、もっと内省的なアルバムになっていたんじゃないかな。前作があれだけ内省的だったのは、多分そういう部分が大きいかもしれない。年間3~4本ぐらいしかライブしてなかったんで」
――極端やな~最初の3年間(笑)。
「しかも全部イベントで。それが3年前からは、サポートを含めたら毎年100本ぐらい(笑)。やっぱり人前に立って演奏したり、歌を歌ったりする経験は、音楽に直結しますね。出す音と書く言葉に直結してくる。そこは大事にしていきたいなと思いますね」
――あと、今言ったようにジャンルとかも含めどんな形態になるかは分からなくても、一生歌い続けることは決まっていると。揺らぎないその想いは、いったい何なんでしょうね?
「何なんでしょうね、ホントに。僕にも分からないですね。何で歌いたいんだろう?」
――何でも出来るサイモンくんが、何故歌うことにそこまでこだわるのか。
「僕は喉も弱いですし、声もそんなに高いわけじゃないし、すぐ枯れてしまう。でも、聴いてくれる人の前で歌うと、やっぱり違うんですよね。伝わってるなとか、聴いてくれているなという感動というか、ステージと客席とでコミュニケーションを取ると、“あ、明日も歌いたいな”って思うんです。“うわぁ~もうライブなんて二度とやりたくない”と思ったことは一度もないので、やっぱりそこなんだと思いますね。だから走り続けることが大事ですよね、それがどんなスピードでも。立ち止まったら、何か歌えなくなっちゃう気がする(笑)。速く走ったり遅く走ったり…どんな速度でもいいから、これからもとにかく走っていたいなぁと思っています」
Text by 奥“ボウイ”昌史
(2014年7月 4日更新)
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