ホーム > インタビュー&レポート > SURFACE解散、そしてソロへ! 椎名慶治が初のアルバム『RABBIT-MAN』に向かった 怒涛の1年を語るインタビュー
――まずは率直に、12年間やってきたSURFACEを解散した、その決断に至った理由を聞いておきたいなと。
「最初は6thアルバムの『Invitation No.6』(‘08)で一旦レーベルとの契約が終わって、じゃあその後どうすんのかと。他のレーベルを探すのか、インディーズでやるのかとかも考えたんですけど、SURFACEって叩き上げでも何でもないのに、いきなりドラマ『ショムニ』の主題歌でデビューしてプロになって…逆に言うと土台がないというか。インディーズでライブを中心に活動を続けていくよりも、キレイな内に終わった方がいいという決断に、結局なっちゃったんですよね。そこでSURFACEの看板を降ろすときに、活動休止なのか、解散なのかという話になって。活動休止はヘンに期待を与えるところがあるし、休止のまま帰ってこないバンドもたくさんいる。俺たちはストレートに物事を伝えてきて、そこがSURFACEの良さだったのに、そういう中途半端な終わり方は良くないなって。もし復活したくなったらすればいいんだし、解散することになっちゃったんですよね」
――なるほど。
「2人の中でやり残したことも絶対あったし、まだ出来ることもあった。だから、最後に出したベストアルバム『Last Attraction』(‘10)には、新曲を4曲入れたんですよ。意欲もあるのに辞めたところも正直あるので、今後悔してないのか、スッキリサッパリしてるのかと言われると、ちょっと難しいですね」
――ぶっちゃけますね(笑)。解散をひとつの起点として普通の生活に戻る人もいれば、新しい音楽をやるきっかけにする人もいますけど、SURFACEはまだやれるという確信めいた予感もありながら、外的要因によってバンドを終わらせたのは、なかなかの決断ですよね。
「結局キレイに終わりたかったんでしょうね。今はSURFACEでは出来なかったことをやってるわけで、そういう気持ちもどこかにあったんでしょうし。だから僕は今敢えてインディーズで活動してるんですよ」
――取材にあたって椎名さんのブログを見ていて、普通ね、解散して1年そこそこだと、前のバンドのことをあまり触れたがらないもんですけど、こんなに前のバンドが好きだと明言してる人も珍しいなって(笑)。
「アハハハハ!(笑) 言わない人はたくさんいますね」
――別れて始めて長い間付き合ってた彼女の良さが分かってしまった、みたいな。それを言っちゃうところがね。
「まぁだから、それが俺なんじゃないかなって思いましたけどね(笑)。例えば今回1stフルアルバムがやっと出来たのに、いきなりSURFACEのカバーが入ってますからね(笑)。そこに対して全然抵抗はないしだって好きだしっていうのが僕の中ではやっぱりあるし。相方[=永谷喬夫(g)]のことも尊敬してますしね。結局解散するときって、僕の意見だけじゃなくて、SURFACEだったらまず2人の意見があって、事務所の意見があって、もちろんマネージャーの意見があって…でも、誰よりも真っ先にとりあえず一度解散して、違う刺激をお互いが吸収すべきだって俺のソロを後押ししてくれたのは相方で。相方を引きとめようと思ったときに逆にそういう風に言われたので、結構決意が固まってるんだなって」
――解散後にどうしていくか、ビジョンはあったんですか?
「いや、もうまったくなかったです。’10年の6月に東京国際フォーラムで解散ライブをしたんですけど、そのときは5000人のお客さんを前に、哀しみよりも楽しさが勝ってて、ライブも楽しいまま終わったんですよね。で、いつもは僕、ライブで泣くんですけど(笑)」
――いつも泣く(笑)。
「だいたい泣くんですけど(笑)、そのときは解散を重く噛み締めてた、相方の方が泣いた。僕はその日は楽しいまま終わったんですけど、翌日起きたときにはもう何もなくなってるわけじゃないですか? SURFACEでもない、肩書きもなければ、次のリリースをするレーベルもない中で、もうポッカリと心に穴が開いた。それが1日だけならまだしも、数日たっても直らなくて…完全に失恋ですよね。立ち直れなくてパワースポットと言われるところに行ってみたり(笑)、公園のベンチに座ってボーっとしたりとか、そういう暮らしを本当にひと月近くしていて…。とは言えやっぱりやんなきゃなぁと、すごくテンション低いんですけど、何となく曲を作ってみたんです。それを周りに聴かせたら、“お前にはまだやるべきことがあるんじゃないか?”って言われて。だったら解散ライブのDVDが秋に出るから、レーベルも何もまだ決まってないけど、それに合わせてとりあえずミニアルバムくらいの曲数で作らないかと。そこでいきなりドーンって出すのも嫌だったから、流通を一部のネットショップとタワレコに絞って、今まで応援してくれた人への感謝の気持ちを込めたミニアルバム『I』(‘10)を作ったんです。それでなんかこう…少し抜け出せたというか。あそこで制作してなかったら、今頃どうなってたんだろうって思いますね」
――早いタイミングでいいきっかけをもらえましたよね。
「『I』には『愛のファイア!』という曲が収録されてるんですけど、その曲のイメージが湧いてて、それを形にしたいと思った自分に何だかホッとしたというか。そのときに作りたい曲があって、手を貸してくれた山口寛雄(from 100s)というSURFACE時代からのベーシストがいてくれて、支えてくれるマネージャーがいてくれて。恵まれてるなと思いましたね、ハイ」
――喪失感が大きかった割には、リスタートが早かったというか。それが結構意外だったんですよね。
「あの虚無感…もう言い表せない、味わったことがない虚無感ですよね。“俺、そんなにSURFACE好きだったっけなぁ?”みたいな自問自答を、1人で何度も繰り返してました。だから今回、フルアルバム『RABBIT-MAN』を作れるところまで来れたのが、自分でも不思議なんですよ。元々ポジティブな人間なんでしょうけども、なぜここまで切り替えが出来たのか、ちょっと分かってないですね。でもどこかでやらなきゃ、止まっちゃ駄目だって」
――『RABBIT-MAN』を作ろうというときに、ストックはあったんですか? それとも一気に書き下ろしたのか。
「1曲だけSURFACE時代に書いた7年以上前の曲が入ってるんですけど、それ以外は全部書き下ろしましたね。時間がなくてボツったらどうするんだって感じでしたけど、結果としてそれがいい方向に転がった。でも、あんまりこういうことしちゃいけませんね(笑)。初めから6月8日とリリース日は決まっていて、今年の1月を過ぎてからの制作だったんで、逆算していくと分かるわけですよ。“あ、作曲する時間、1ヵ月しかないんだ”みたいな(笑)。結構ドタバタしましたね」
――共同作曲者でプロデューサーでもある山口寛雄さんとの関係を改めて聞きたいんですけども、そもそも出会ったきっかけは何だったんですか?
「最初の出会いはSURFACEの4thアルバム『WARM』(‘03)で、テレビ収録に来てくれたのが最初だったんですよ。その後いっしょにツアーを廻るようになって、なんかフィーリングが合うというか。同い年だったので話も合うし、仕事抜きでいっしょにいても苦じゃない。メシに行ったり、向こうの恋愛相談を受けたり(笑)、普通に友達として遊んでて。俺の親戚の姉貴の結婚式の曲もいっしょに作ったことがあったし(笑)。SURFACEが解散するときもそいつがベースを弾いてくれて、すごく悔しがってくれたし、何かあったらいつでも手伝うよなんて話もしてて。今回、自分の頭の中にある曲を具現化するために、誰にお願いしたら分かってくれるだろう?と思ったとき、やっぱりそいつの顔が出てきて。すぐに電話したら、ふたつ返事でいいよって」
――改めてソロとして共に作業する中で、発見するところはありました?
「SURFACE時代は、レコーディングを何度も繰り返してると、結構暗礁に乗り上げるんですよ。永谷とは2人とも同じところで悩んじゃうんですよね。そういう意味では、音楽の方向性は違ってもベクトルが近かったというか、目指す頂上はいっしょで。今回はその頂上に行くために、“ちょっと迂回してでも違うルートでゴールを目指したらいいんじゃないの?”って教えてくれるわけですよ。しかもそのルートを何パターンも出してくる。だから作業のスピードはすごく増しましたね。コード展開の導き方は彼にすごく学んだけど、逆に僕はあいつが持ってないメロディラインやコーラスワークを持ってるし。完全に役割分担が決まっていたというか」
――今まで2人でガチンコで1つものを作っていたのと、それこそいろんな人とセッションや制作をしてきた人間が、一歩退いた目線で見てくれているところの違いでしょうね。
「まぁSURFACEは2人ともプライドが相当高かったので。今思えばちょっと意固地になってたのかなとか、こだわり過ぎてたのかなとかは思いますね。永谷も今は絶対そう思ってるたろうし、作曲の仕方も少しずつ変わってきてるだろうし。例えば今、もう一度永谷と本当にユニットを2人で組んだら、また全然違うものが出来ると思うんですよ。今はもちろん早過ぎるけど、いつかどこかで、1曲いっしょに作ってみるのも面白いなと思いますね。僕の個人名義で手伝ってもらってもいいし、SURFACEでもいいし、逆に向こうがいろんなアーティストを呼び込む企画モノのときに僕がゲストでやってもいいし。どこかでもう一度道がいっしょになることもあるんだろうなという未来が、今は楽しみでもあります。そのためには僕は音楽を続けていかなくちゃいけないし、向こうにも続けてて欲しいなって」
――解散から僅か1年ながら、学んだことが多いですね。
「多かったですね~。今までは接点が多くてもなかなか会えなかった人とも、この1年で相当会いましたしね。しかもそれは何がきっかけって、全部Twitterなんですよ」
――今っぽいですね~。
「Twitterの偉大さにはちょっとビックリしてます。それこそラジオのゲストとか飛び入りで出ちゃったりとか(笑)。友達感覚のノリを仕事に出来るって、一番幸せなことで。仕事で行ったらカチッとしますけど、友達に呼ばれればこっちも笑顔で行けるじゃないですか? そういう付き合いがTwitterを通して増えたのはすごく嬉しいし、いろんなアーティストとの接点が出来てきているので、もしかしたらコラボレーションするときが来るかもしれない。今ではGLAYのTERUさんと食事に行ったりとかもしていて…現実になったらいいな~!?ってあんまり軽はずみに言えないですけど(笑)。そしたらTAKUROさんにギター弾いてもらって、じゃあ布袋さんは!?って想像していったら、ヤバイ、夢広がっちゃうなって(笑)。Twitterってスゲえなぁと」
――ホントにすごいツールが出てきましたよね。 改めて今は口コミが最も効果がある時代かもしれないですね。
「震災のときにそれがすごく出ましたよね。今どういう状況なのか、今私はここにいる、こういうものがないから送ってくれとか、テレビでは伝えてくれないことが分かる。Twitterとかネットとかって、バカに出来ねえなって」
――あの震災は音楽とどう向き合うかを考えさせられる出来事だったと思うんですけど、制作する上で感じることはありましたか?
「ありましたね。“明日レコーディングです。よろしくお願いします”っていう次の日に震災があって。結局その日から数日間レコーディングが中止になって…。電気の問題も含めて、いかに自分たちが当たり前だと思っていたことが当たり前じゃなかったのかを考えさせられましたね。ミュージシャンが出来ることはもちろん音楽を奏でることですけど、僕が被災地の人間だったら聴けるような状態じゃないと思うんですよ。じゃあ今出来ることは何? 黙ってることなのか?って。でも、とりあえず聴いてもらえるかは分からないけど、足跡だけは残したいと。そこで、震災前に書いていた歌詞で被災地のみんなに送りたい言葉があるから、急遽『声』(M-11)のデモを作って、すぐにYou Tubeに上げて…。とりあえず1人でも多くの方の気持ちが、一瞬でも和らぐように、笑顔になれるようにって。それを観た被災地の方たちから、嬉しかったとか、泣いたとか、いろいろな声をもらって。やるべきじゃないかもと心のどこかで思いながらやったところもあったので、そう言ってくれたことで逆にこっちが助けられたというか。あと、アルバムの最後の『よーいドン』(M-12)は震災後に歌詞を書いたんですけど、そこで僕は“頑張れ”って言いたくなかったんですよね。みんな十分頑張ってる。だからそう言わずに背中を押してあげる方法はないのかなって。震災のことを生々しくは書きたくなかったんですよね。なぜなら僕の作品は来年だって残ってるし、これから先もずっと残っていく。僕らはこの想いを忘れちゃいけないけど、被災をした方が忘れたいのに思い出させるような歌詞は書きたくなかった。そういうことを言うのは椎名慶治じゃないと。それはもっと大御所さんが伝えりゃいいから、僕なりの応援歌っていうのを考えて」
――Twitter然り、You Tubeの件然り、メジャーだったら即決出来なかったことですし、そう考えると今の時代、今の椎名さんの環境だから出来たというか。
「ニコニコ動画の生放送もやったんですけど、15,000人とが観てるわけですよ。今だからこそ出来ることだし、僕がソロになって、インディーズになったのも、もしかしたらひとつの運命というか縁なのかもしれないなって。しかも、解散してソロとしてアルバムを出そうというときに、なんで自分の干支の卯年が巡ってくるんだろうなと。だって12年に1回ですよ!? だったら、今の椎名慶治、2011年の椎名慶治という意味を込めて、タイトルは『RABBIT-MAN』でいこうと。なんかすべての出来事がつながって、点が線になっていく不思議なアルバムだなって」
――『いわゆるひとつの愛』(M-10)の磯貝サイモンのアレンジもすごくいいですし、下の世代とのつながりも面白いですね。
「元々同じ事務所だったので、去年の夏にサポートで僕のライブに出てもらったんです。でも、そのあと僕が事務所を抜けてしまって。そしたら何を思ったか、磯貝サイモンも今年事務所を抜けたわけですよ。今思えば相談に乗ってて、俺がちょっと後押ししちゃったところがあったかな~って。“相談してきた次の日に辞めるって何?(笑) うわ~責任感じるわ~”みたいな(笑)。まぁそうやってお互い独り身になった者同士、もう一度改めていっしょにやってみないかと。僕もそうなんですけど、やっぱり事務所にいた頃はちょっと甘えがあったと思うんです。今は自分が動かなかったら何も始まらない。そう言う意味ではあいつも俺も同じ境遇に立たされていて、だからこそ今はすごく分かり合えるパートナーになってますね。この曲もすごく楽しいアレンジにしてくれたし気に入ってます。今はこいつとやったら面白いなと思える奴なので、手伝わせます。まぁ飽きたらポイします(笑)」
――こらこら(笑)。厳しい先輩だ(笑)。
「だからあいつはあいつでずっと変わり続けなきゃいけないし、あいつの次の展開にも僕は期待してます。ツアーにも参加してもらいますしね。“サイモンお前暇?”“暇じゃないですよ”“暇じゃなくてもいいや、来いよ”って(笑)。あいつピアノとギターが上手くて、一番下手なのが歌かな?(笑) ピアノとギターどっちもやってよって」
――こうやって聞いていると、アーティスト同士の交流がすごく活発になった印象ですね。
「最近もたまたまなんですけど、LOVEちゃんが僕と同じようにTwitterの勢いでラジオのゲストに来ていて(笑)。いざ話してみたら共通の知り合いがビックリするほどいて、それでつながった。その内、もしかしたら俺が企画していろんな人が出るフェスとかをやっちゃってもいいんじゃねえか!?みたいなことも思うし。今だったらそれが出来るんですよ。あの人に許可とって、この人に許可とって、で、あそこのレーベルがどうだからこっちが…というのがなくなったので。マネージャーと2人で、“やっていいですか?”“やりましょう”で決まる。いい時代に生まれたなと思いましたよ」
――そう考えたら、ミリオンヒットが生まれたメジャー主体の時代と、今のインディペンデントな時代と、どっちも体験出来てる多分最後の世代ですよ。
「デビューして1年くらいは8センチシングルでしたからね。2年目から12センチのマキシになって、レコーディング機材も変わっていく時代…デビューが『ショムニ』というドラマで始まったし、そのあともずっとタイアップ、タイアップな温室育ちで甘えがあって、だから叩きのめされたりもして…。バーンと売れると、天狗になってるわけじゃないんですけど、あぐらをかいてるところがあったんでしょうね。さらに上に行かなきゃいけないのに2人で喧嘩しながら作ってた時期もあって、そしたらそこから低迷していって…酸いも甘いもすべてを経験した。お客さんが手のひら返したように来なくなったりとか、もう本当にすべて見てきたんで。それでもやっぱり僕はお客さんに感謝してるし、手伝ってくれるメディアのすべてに感謝してる。なのでもしかしたら僕は、その当時のSURFACEの頃よりも強いかもしれないですね。ちょっとやそっとじゃもうへこたれないと思ってます」
――今回の『RABBIT-MAN』は、自分の1stアルバムとしてどんなものを作ろうという想いがあったんですか?
「打倒SURFACEってことではないんですけど、パワーダウンしたと思われるのが一番嫌だったんですよ。で、何が一番そう聴こえるかというと、やっぱり音質なんですよね。目に見えないからこそ、耳から入ってくる情報量、不思議とそこにある音の塊で決まっちゃうところがあって。だからエンジニアはSURFACEのときからお世話になっている、自分の声を誰よりも理解してくれる人とやりたいと。逆にこれで出来た作品がダメだったら、俺の楽曲がダメだから。音の力はあるけど詞が良くない、歌が良くない、アレンジが良くないってことなので。プロもインディーズも関係なくて、やっぱり今まで聴いてきてくれた人が無条件で買ってくれるぐらい信頼感のあるものを作らないとダメだと思うんです。まず誰よりも先にその人たちを納得させないと」
――ジャケットの質感も音もそうですけど、これはちゃんと金かかってんな~と思ってました(笑)。だからこそ、個人でこれを実現させたのは大変だったろうなと。コストもかつてに比べたら抑えられますから、そこでクオリティが担保出来たのかもしれませんね。
「そうなんですよ。PVでも『RABBIT-MAN』が今までで一番いいって言ってくれる人も多くて。だからお金じゃないんだなって。やっぱりいかに演者たちが楽しんでる画が残っているか、それを観て楽しいと思えるかが大事なんだと、改めて感じましたね」
――そういう前向きなエネルギーがすごく詰まったアルバムですよね。それをすごく感じます。
「でも最初に作ったのは『CALL』(M-9)っていう不倫の歌なんですけどね(笑)。なんでこれから椎名慶治が走り出すぞ!っていうときに、作る歌が不倫なんだか自分でもよく分かんないんですけど(笑)。今作は僕1人で作ったつもりもないし、関わってくれた人みんなが、RABBIT-MANっていうチームなんです。だからもしかしたら2ndアルバムは卯年じゃなくても『RABBIT-MAN2』になるかもしれない。言ってて違かったらすいません(笑)」
――今回オフィシャルHPにアップされていたライナーノーツを見させてもらって、制作の中で言葉の影響力を実感されたと書かれてましたね。
「歌詞カードを見ながらじっくり聴かない限り、物語のすべてを読み取るのは難しいから、やっぱり一節ですよね。その一節の中に自分の中でグッとくる言葉があるか、その点は気にしてましたよね。そういうちょっとハッと思えるようなもの、僕は矛盾は嫌いなんで僕自身も本当にそう感じているもの、歌詞を切り取ったときにその一節だけでも何かを感じられるもの。言葉の与える影響のデカさってのを、今年は特に感じさせられるんで。みんなにも忘れて欲しくないんですけど、言葉は人を傷つけて、殺せてしまう…だから僕のことあんまり批判しないで(笑)」
――(爆笑)。出来上がったときに達成感はありましたか?
「正直、物足りなさを感じたんです。SURFACEの最後のオリジナルアルバム『Invitation No.6』でも16曲とか入ってたので。ちょっと足りないなぁって」
――でも12曲入ってますけどね(笑)。
「まあね(笑)。でも、その前に出した7曲入りのミニアルバム『I』は、言わば『RABBIT-MAN』の一部で、ジャケットで『RABBIT-MAN』の“I”が赤くなってるのは、その意味合いもあるんです。前作と併せてこの1年で18曲作ってきたなら、足りなくもないかなと思ってはいますね。でも、俺がもうひと踏ん張りしていればもっと出来ただろうから、これを次につないでいこうと」
――そして、フルアルバムを経てツアーを廻るということがアーティスト活動の基本的なところなので、ツアーを終えてようやく何かが見える感じでしょうね。
「それこそバンドでのライブは、SURFACEの解散以来やってないですからね。でも今回はパッと横を見たときに相方がいないわけですから、どんなライブになるんだろうって。このツアーが終わったときに楽しかったと思えるのか、逆に反省点だらけになるのかは、そのときに改めて考えてみたいと思います」
――アルバムを共に作った仲間と廻るなら、楽しい旅になりそうですね。
「いや、もう間違いなく楽しいんじゃないですかね。楽しみでしょうがない分、不安もまた募るわけですよ。今はこんなに楽しいと思ってるのに、終わったとき“あぁ駄目でした~俺!”ってなったらどうしようって(笑)。そしたらまたパワースポットを求めて旅に出ます(笑)」
――ツアーは7月28日(木)・心斎橋クラブクアトロからスタートです。この一連のツアーが終わった後、また次にお会いするときに、どうでした?と聞くのが楽しみですよ(笑)。本日はありがとうございました!
Text by 奥“ボウイ”昌史
(2011年7月15日更新)
Album
『RABBIT-MAN』(通常盤)
発売中 2940円
BEATSISTA
BSCL-0004
<収録曲>
01.SPACE RABBIT -from another planet-
02.コングラッチュレーションズ
03.いっこずつ w/ ZERO
04.バレちゃいけない
05.取り調べマイセルフ
06.いまさら好きだと伝えちゃダメかな?
07.RABBIT-MAN
08.WAIT! -transit mix-
09.CALL 試聴する
10.いわゆるひとつの愛
11.声
12.よーいドン
Album
『RABBIT-MAN』(My CD Store盤)
発売中 2940円
BEATSISTA
BEA-0130
<収録曲>
※同上。
しいなよしはる……’75年12月30日生まれ。SURFACEのボーカルとして、’98年にシングル『それじゃあバイバイ』でデビュー。親しみやすいメロディと独特の詞世界、スリリングかつドラマティックなアレンジが融合したサウンドが支持を集める。その後もライブ活動を精力的に行いその名を広め、SURFACEとしてシングル21枚、オリジナルアルバム6枚をリリース。’10年6月13日の東京国際フォーラム・ホールA公演にて、惜しまれながらもSURFACEの12年の活動に終止符を打つ。バンド解散後、’10年11月にミニアルバム『I』をリリースし、ソロデビュー。
椎名慶治 オフィシャルサイト
http://www.yoshiharushiina.com/
『椎名慶治1st Solo Live「RABBIT-MAN」』
チケット発売中 Pコード137-216
▼7月28日(木) 19:00
心斎橋クラブクアトロ
スタンディング4300円
サウンドクリエーター■06(6357)4400
※4歳以上は有料、3歳以下は入場不可。
チケット発売中 Pコード137-217
▼7月29日(金) 19:00
名古屋クラブクアトロ
スタンディング4300円
ジェイルハウス■052(936)6041
※4歳以上有料。3歳以下は入場不可。
Thank you, Sold Out!!
▼7月31日(日) 17:30
Shibuya O-EAST
スタンディング4300円
当日券その他のお問い合わせは…
VINTAGE ROCK■03(5486)1099
※4歳以上はチケット必要。3歳以下は入場不可。