ロックンロールを愛する全てのレジスタンスに捧ぐ――
並走する“最低な気分の僕”と背中合わせの憧れをポップに鳴らす
ドレスコーズの2ndアルバム『バンド・デシネ』の世界
志磨遼平(vo)インタビュー&動画コメント
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毛皮のマリーズを終わらせた志磨遼平(vo)を中心に誕生したドレスコーズが産声を上げてからまだ2年にも満たないが、彼らがとてつもなく純度の高いロックンロールアルバムを作り上げた。その名も『バンド・デシネ』。ヘッドフォンで聴いたら、それこそ脳内で瞬時にライブが始まったような感覚にとらわれる『トートロジー』(M-5)。失意のどん底で鳴らされるダンスミュージック『Zombie』(M-3)なんかは、他ではちょっと聴いたことがない。そして、世界一有名な芸術家よりも貪欲に、世界の全てを手に入れることを宣誓する『ゴッホ』(M-1)。映画でも音楽でもマンガでも、異性でも同性でも、自分の人生を変えるほどの出会いを経験している人は幸せで、志磨遼平は人生のありとあらゆることをロックンロールを通して知った幸福な人間の1人だ。革命はいつも自分の部屋から始まる。ドレスコード(服装規定)があるとしたら、自分が一番好きなロックンロール・バンドのTシャツ――それがドレスコーズのTシャツならなおさらいいが――に袖を通した瞬間から、レジスタンスは始まる。今作は“ロック好きな人には分かる音楽”、ではない。音楽を愛する全ての人に捧げられたポップで痛快なこのアルバムを聴かずに、ロックンロールを知らずに人生を送ってしまったら、それはとてつもなく寂しくもったいない。細長い脚をソファとテーブルの間に上手に折りたたんで、志磨遼平はたくさんのことを話してくれた。
志磨遼平(vo)がインタビュー後の感想ほかを語る動画コメント!
――今回のアルバムはドレスコーズとして最初に世に放ったシングル『Trash』を聴いたときとも、1stアルバム『the dresscodes』とも違った手触りでした。ロックンロールの原型とも言えるぐらいシンプルで心地よくてポップな楽曲が詰まっていますが、どうしてこういった作品になったんでしょう?
「多分『Trash』とか前のアルバムは、僕ら4人で作り上げる“ドレスコーズでしかない音楽”みたいなものを自分たちでも知りたかったんでしょうね。メンバー4人がお互いを知る過程でもあったし、僕らの、僕らによる、僕らのための音楽だったんやと思う。4人が集まって、“今日から僕らバンドやりましょう”って言って、次の日からスタジオに入って、曲を作る。前作は、自分たちがバンドという共同体になるための過程で生まれる音楽だったんです。その後に初めてのツアーを経験して、それを踏まえて次に作るべきものは、僕らが初めて“誰かのために作るもの”っていう気持ちが、新作に向けての4人の共通の想いだったと思う」
――なるほど。
「1stは、僕が今までやってきたメロディの組み上げ方みたいなものを1回横に置いといて、この4人で全く新しいものを作り上げたいという気持ちだったから、自分の手癖やスキルみたいなものは極力持ち込まないように気を付けていたと思います。それに対して今回は、自分のスキルや経験を信じて作った音楽を、4人で再構築するように出来上がったので、多分そこが違う理由かなと」
――結果、とってもシンプルで、純度の高いロックンロールのアルバムが出来上がったと。
「僕らは結成からまだ2年経ってないんですけど、これから続く僕らの歴史の中のアベレージって言うんですかね。“ドレスコーズってこういう音楽を作るバンドなんやな”って、僕たちも初めて気付きましたね。今回のツアーのリハーサルでも “ドレスコーズって随分変わったなぁ、こういうライブをするバンドになったんや”って思いました。そういう姿を今回のツアーでは見てもらうことになると思いますし、幸運なことに僕らには日の当たらない期間っていうものがなくて、デビュー時も初ライブも、すごく大きな期待みたいなものを感じながらやれた。それは、僕らが引き受けるものでもあると思っているし、そういう特別なバンドやと思っていますね、ドレスコーズは」
本当に、世の中全部が変わるような感じだった
――あと、いちリスナーとして初めてロックンロールにシビれたとき、自分を取り巻く世界がガラッと変わるような、素晴らしい体験をした記憶があって。
「うん。分かります、それ」
――今、志磨さんは“引き受ける”と言われたけど、今作を聴いていて、ドレスコーズはそういう劇的なロック体験を、素晴らしいロックンロールの未来を、自分たちが聴衆に見せていくことを引き受けられたのかなと感じました。
「ありがとうございます。この作品がそうなっているなら、これ以上光栄なことはないですね。でも実際は、“引き受ける”というか、ロックンロールの原体験みたいなものを同じように味あわせてやるぜ! みたいには、僕自身ひっくり返っても思えないんですね。あまりにも(その体験が)大きかったから。本当に、世の中全部が変わるような感じだったから。 “神の啓示”みたいなもんですよ(笑)。最近、甲本ヒロトさんにお会いする機会があったんですけど、ヒロトさんともそういうお話をして。“そういう(ロックンロールの原体験のような)経験を通過した後っていうのは、自分以外の誰かにそういうものを味あわせてあげられる資格を得ているのかもしれないね”って。ヒロトさんは本当に名言というか、いいことを言いますよね」
――『バンド・デシネ』の中には志磨さんの名言がいたるところにありますが、特に『シネマ・シネマ・シネマ』(M-6)、『Silly Song,Million Lights』(M-7)の流れはグッと掴まれるものがあって。前者ではシネマが3つもタイトルに付いているにも関らず、“シネマじゃなくて リアル”と歌われている。それが、続く『Silly Song.Million Lights』の“夢はおしまい 僕らはここで生きている”と歌われている部分と呼応しているようで、それこそ“続きマンガ(=バンド・デシネ)”のようでもあり、ドラマチックでもあり、そういう仕掛けみたいなものがアルバムのいろんなところに散りばめられているようで、いちいち聴きながら高揚します。
「サラッと聴き流してもいいように、気付いてもらえなくてもいいように作ってるんですけど、そういうところに気付いてもらえるのはすごく嬉しいですね。前に開高健さんが、“高層ビルは文明の勃起である”って書いているのを読んだことがあって。人が増え過ぎて、やりたいことが多過ぎて、でもこの星にスペースがないとなったら、上に上に伸びればいいんだって。そうやって文明は上へ上へと向かってきたし、建造物はどんどん高くなる。そうやって天に届くぐらい高く高く…と建設されてバシャンッて壊されたのが、バベルの塔で。神をも恐れぬ挑戦ですよね。そういう事象をいつも歌いたいなって思うし、それがこのアルバムのテーマでもあるんです」
“もしも全くうまくいってなかったら?”って考えてしまう自分がいるんです
“何もかもうまくいかず1人でずっと家にいるバージョン”の人生を(笑)
――『ゴッホ』(M-1)という曲がありますが、世界中でゴッホやゴッホの絵を知らない人なんていないぐらい有名な存在ですが、志磨さんは“ゴッホじゃやなんだ”と歌われていて。
「はい。さっきのビルの話で言えば、バベッてますよね?(笑) 神をも恐れぬ勢いで言ってますけど(笑)」
――そんなことじゃ満足出来ないってことですかね?
「ゴッホは芸術家として素晴らしい人生を送った。ただ周りの誰もが彼を見付けられなかった。生前と死後で評価が変わっただけであって、ゴッホ自身は自分の芸術の完成を目指して、頭がおかしくなるぐらいずっとそのことだけを考えて描いた。でも、僕はもっともっと欲張りたいんです。評価だってされたいし、評価されたらどんな気分か知りたい。ゴッホは評価されてたら絵が変わっていたのか? 変わってなかったのか? 僕は自分のそれが知りたい。有名じゃないときに出来る曲はね、もうイヤっていうほど書きましたから(笑)」
――(笑)。
「“じゃあ僕が有名になったらどんな曲を書くのかな?”って思うんですよ。どっちの方が気分がいいのか、どっちの曲の方がいいのか。もっといろんなことを知りたい。後に自分の人生に全部を並べて、眺めたい。“あぁそうか、こんなことも、あんなこともあったな…”って」
――そうやって、俯瞰で見ている志磨遼平が存在する?
「何かね、“最低な気分の僕”っていうのがいて。それは多分10代とか20歳ぐらいの自分ですね。今こうやって好きな音楽がやれて、インタビューなんかもして頂けるようになったきっかけは本当にちょっとしたことで、それこそ玄関から出ようとして“あ、忘れ物した”って取りに帰ってたら、今の人生じゃなかったかもっていうぐらい、ちょっとした違いでしかないような気がして。常々“もしそのとき忘れ物を取りに帰ってたらどうなってた?”みたいに思う感覚があって、それが多分怖いんでしょうね」
――なるほど。
「昔と今を比較してみたら、いろんな人に聴いてもらえる状況で書く曲は、聴いてくれる人がいないときより良くなってると思うんですね。周りの期待に応えよう、みたいな気持ちもあるし。でも基本的には、授かった才能がものすごいっていうレベルでもないだろうから、良くも悪くもこの先もこのまんまかもしれない。そう思ったとき、“もしも全くうまくいってなかったら?”って考えてしまう自分がいるんですよ。“何もかもうまくいかず1人でずっと家にいるバージョン”の人生が(笑)、線路のように並行してあるんです。“幸せ恐怖症”みたいなものだと思います(笑)」
――(笑)。
「だから、『Silly Song.Million Lights』で“夢はおしまい ぼくはここで生きている”って歌っているのは、“今こうやってバンドをやれてるのは夢なんかじゃない!”って自分に言い聞かせてるんでしょうね。だって、全てが夢で、朝起きたら“うわっ! 結局まだ5畳半風呂なし生活や…やっぱりか!”みたいな恐怖があるわけじゃないですか(笑)」
――いやいや。ゴッホより売れて、めちゃめちゃすごい人生にならないといけませんから!(笑) 『バンド・デシネ』(M-12)の歌詞にもありますが、もう夢も見たし、恋もしたでしょうに、それでも幸せ恐怖症なんですね(笑)。
「何でしょうねぇ…(甲本)ヒロトさん曰く、僕の幸せ恐怖症は“苦労とか苦悩するっていう娯楽であって、それを背負うというアトラクションですよ”って。“苦しむという娯楽”を味わっているんだと。はぁ~僕はまだまだその領域にはたどり着けないですねぇ。僕はいつ目が覚めるんやろう?(笑)」
(2013年12月 2日更新)
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