感謝しかない。こんなに長い間ピアノを弾かせてもらっている。
還暦を迎えたピアニスト、小曽根真のボーダーレスな挑戦。
ソロ・リサイタルを前に、最新の境地を語る。
(2/3)
結局自分に聴こえてきた音を弾くという、そのことに尽きるんです。
■2002年にゲイリー・バートンと『バーチュオーシ』というアルバムを出しました。小曽根さんの現在のクラシックに対するスタンスが完成したのはあの辺りではなかったのかと思ったりしています。単純なクロスオーバーじゃないんです。クラシックはクラシックとして成立していて、ジャズもしっかりジャズとして成立している。アレンジの魅力もアドリブの魅力も損なわない、それぞれのジャンルに敬意を持って演奏されていて、しかもここしかないっていう絶妙な均衡点が与えられている。
小曽根:完成とは言えないけど、1つの方向を示してくれるターニング・ポイントとなった作品であることは間違いないでしょうね。 あの作品は2003年のグラミー賞のノミネーションをいただいたんですけど、グラミーって基本的にノミネーションは5つなんですよ。あの時は6枚あったんです(※②)。『バーチュオーシ』は最初のノミネーションに入ってなかったんですよ。後から審査員の人たちからこのアルバムをクラシカル・クロスオーバーに入れなくてどうするって言う声が出て、それで入ったんだって聞いています。あの時グラミーをとったのは確かロンドン交響楽団とアンドレ・プレヴィンで、僕も授賞式へ行きましたけど、その時に審査の人たちが『バーチュオーシ』のノミネートの理由を今、お話しいただいたように語っていました。クラシックはクラシックでちゃんと成立させて、ジャズはジャズで、と。
僕は融合っていうのが嫌なんです。僕のテーマは常に共存なんです。融合じゃなくて共存。ジャンルをまたがるのであれば、そのどちらもがちゃんと成立しないと意味がない。また、そうでなければ2つをやる意味はないと思うんです。僕は2003年に札幌交響楽団の定期で、初めてクラシックのソリストとしてモーツァルトを弾きました。いろんな人がジャズの小曽根がモーツァルト弾くんやったらどういう風に弾くんやろって、そう思ったでしょう。でもね、僕自身はやっぱりモーツァルトの世界に行くのであれば 1回ちゃんと全部譜面通りに弾くべきだと思ったんです。何故かと言えば、僕はパフォーマーであると同時にコンポーザーだから。楽譜に書かれてある音を自分自身の中に落とし込んでないうちに、変えてしまうってことは、コンポーザーとして許せないという気持ちがあったんですよ。
モーツァルトの曲を、いじるのはいくらでもいじれるんです。メロディだけ持ってきて、左の和音をジャズにして弾くくらいはいくらでもできるし。だけどそんなことやってしまったら別にモーツァルトを弾かんでええやん、ていう話になりませんか。やっぱりモーツァルトはモーツァルトとして最高のものを書いているんです。僕はそれを弾いて、モーツァルトが書いていることの気持ちがわかったら、その時初めて、その気持ちを壊さないようにして即興すればいいわけであって、その気持ちもわからんうちから表面的にだけ変えるのっていうのは、まったくダメですよね。だから共存をすごく大事にするっていうのは、まず書かれてあることをちゃんと弾いて、それを自分が聴いて、その気持ちをちゃんと自分の中に落とすという作業があるということなんですよ。それが落とせて弾き込めて行ったら、初めてそこから自分の何かが…これは?っていうこととか、こんな音が聴こえてきた、とかいうのが出てくるんです。
■おそらくそれは、小曽根さんがジャズ出身のピアニストであるからこそ明言できる部分だと思います。ジャズ、クラシックの双方に対する敬意というか。それぞれのフォーマットの違いを技術で乗り越えようとするのではなくて、楽譜をきちんと読み込むことで音楽を共存させていこうという姿勢は、素晴らしいと思うし、とても魅力的に感じられます。
小曽根:ここがいつも自分の中での論点なんですが、じゃあ本当に小曽根真の音楽ってなんなの?って突き詰めていくと、結局、自分に聴こえてきた音を弾くって言う、そのことに尽きるんです。モーツァルトを弾いている時には、自分はこういうモーツァルトを聴きたいって言うことがまずあって、それを弾く。もちろんカデンツァに行ったら、そこは僕が弾く。ただモーツァルト自身があのスキだらけの…もちろん音楽は完璧ですよ…どうにでも変えられる譜面の書き方をしているっていう事は彼も絶対に毎回、違うように弾いていたことはバレバレなんですよ(笑)。だからモーツァルトを弾いているとその自由さにまずすごさを感じます。そして自由さとは言いつつあの音列があって、あのハーモニーがあってあのテンポがあるなら、この旋律はここへ行くだろう。一番美しい、一番気持ちのいいのはこれや!という音が聴こえてくる。遊ぶのはそのあとでいいんです。何も考えずに聴こえてくるものもないまま、ここはスタッカートで弾いてみようみたいにやってしまうと、音楽は木っ端微塵に壊れてしまうんです。
クラシックを弾き始めてから、楽譜ってすごいなと思うことがあります。作曲家たちと楽譜を通して気持ちが繋がるあの喜び、モーツァルトはこう思ってたんじゃないかって感じられることなんて、ちょっとほかではないじゃないですか。僕はジャズから来てるから、それまでは楽譜なんて、なんで誰かが書いたもんを俺が弾かなあかんねん、くらいに思ってたんですね。もちろん音楽って大事なのは、それが楽譜に書かれたものだろうが、耳で覚えたものだろうが、三次元に立ち上げた時にどれだけ感動を生むかだと思うんです。でも楽譜を介して作曲家たちの気持ちまでがわかるというのは、やはり僕にとって新鮮な驚きで、それもあってクラシックの世界に引きずり込まれていったんだと思うんですよ。その音楽の構築のされ方は、即興でやるジャズとは全然違うんですけど、だからこそ僕自身をものすごく深いところまで連れて行ってくれる。その感覚を大事にしたいなと思っているんです。
(※②)グラミー賞、ベストクラシカル・クロスオーバーアルバム部門のノミネートは通常5つ。
この部門が設けられた1999年から2011年までに6個となったのは2000、2003、2010年の3回のみ。
(2021年3月12日更新)
Check