2月にザ・フェニックスホールで
演奏生活60周年を記念するリサイタルを行う
左手のピアニスト、舘野泉インタビュー
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ピアニスト、舘野泉が2月23日(火・祝)、大阪のザ・フェニックスホールで演奏生活60周年を記念するリサイタルを行う。東京生まれ。1960年、東京藝術大学を首席卒業後、64年よりヘルシンキ在住。81年以降はフィンランド政府の終身芸術家給与を受けて演奏生活に専念する。2002年、脳溢血のため倒れ、右半身の自由を失うが“左手のピアニスト“として復帰。その後の目覚ましい活躍は多くの人々の知るところである。いささか不勉強ながら、筆者が舘野泉を聴いたのは2001年のCD『ひまわりの海』からである。インタビューもそこから始めさせていただいた。幾分思い入れの勝った内容になったかも知れない。しかし、この84歳を迎えた演奏家の滋味に溢れた言葉は人の心に深く染み入るものがある。それを書き留めておきたかった。文章の整理、注釈は最小限に留めた。(音楽ライター/逢坂聖也)
自分では左手だけで弾いているという意識はないんです。
■正直に言うと私は舘野さんのピアノに触れたのがとても遅くて『ひまわりの海』というCDを聴いたのが最初でした。

舘野:『ひまわりの海』はセヴラックの曲をやっているんですよ。セヴラック(デオダ・ド・セヴラック/1872-1921)というのは日本では当時知られていなくて、今は多少広まっては来ていますけれど、プロのピアニストでも知らなくて、でも僕は彼の音楽がものすごく好きだったんです。それは若い頃から。それでレコード会社に新しい企画を聞かれるたびに、セヴラックを録ろうって、頼んでたんですけど、1回も採り上げてもらえなかった。それが30年以上続いたんですね。これはもうレコード会社に言ってもダメなんだ。 作ってくれないならもう自分で作る。そう思って、自分でコンサートホールもピアノも調律師も録音するエンジニアもみんな頼んでやることにしたんです。 そしたらその時点になって、やっとワーナーレコードが「舘野さん、今年演奏生活40周年でしょう、その記念のために私たちがやります」って言ってくれて、それで出すことができたんです。ところがそれが、自分が両手で弾いた最後のレコードになっちゃった。あれを録ったあと3年ぐらいはCDができなかったんです。それで3年経って左手のピアニストとして復帰して、左手で録音を始めた。だからあれが両手の最後です。
■でも素晴らしいものを残せましたね。
舘野:僕はすごく幸せだった。それであの CD ができた時に南フランスへ行って、セヴラックの孫娘になるのかな、今残っているのはその人だけなんですよ。その人に渡して来た。すごくいいアルバムでね、僕はとっても満足しているんです。実はそのフランスへの旅というのは日本にセヴラック協会っていうのを作ろうと思って、遺族のご婦人に日本セヴラック協会の名誉会長になってもらおうと思って頼みに行ったんです。そういう旅だったんですよ。それでヘルシンキに帰って来て何日かして、脳溢血になっちゃった。
■2002年1月でした。しかしその後は左手だけで道を切り拓きましたよね。
舘野:これはこれですごく面白い、と簡単に言っちゃいけないんだろうけど、楽しいと言うかやりがいのある歴史でしたね。変なことのように思われるかも知れないけど、自分では左手だけで弾いてるっていう意識はないんですよ。全然ない。だから特に手1本だけで弾いているとは思ってないです。思ってないっていうか、そう感じてないんだもん。これで十分、ピアノの全音域にわたって、そして豊かな音楽ができています。
■本当に充実した音楽だと思います。左手のピアノ作品というのはやはりクララ・シューマンが腕の不調の時にブラームスが編曲したバッハの『シャコンヌ』あたりが始まりなんでしょうか?
舘野:始まりと言えば正確に言うともう少しあと、スクリャービンがプレリュードとノクターンを書いた頃からじゃないでしょうか。まもなく第1次世界大戦が始まって、右手を負傷して使えなくなったピアニストが出てきて、その頃から広まっていった感じですね。でもごく最近まで左手だけで弾くっていうのは、正当に認められてない感じがありました。20年近く前に僕が左手だけでステージに戻った時は、左手で弾くっていうことを知らない人が多かったですものね。そんな具合でしたから左手で復活した第1回の演奏会の時には、曲がないから間宮芳生(1929-)さんに頼んで新しい曲を書いてもらったんですよ。それが日本人が書いた初めての左手のピアノの曲ですからね。
■しかしそれからあと、左手のピアニストと言えば舘野さんという時代になりました。作品もずいぶん増えているのでは?
舘野:今まで、約18年間いろんな人に書いていただいて全部合わせると110曲ぐらいできました。 エスカンデ(パブロ・エスカンデ/1971-)というアルゼンチンの作曲家がピアノとオーケストラのために書いてくれています。25分ぐらいかかる曲かな、それなんかはヨーロッパでも、いろんなところで演奏したし、日本でももう何十回と弾いてます。それからやはりピアノコンチェルトですけども、長さが40分ぐらいある作品をエストニアの作曲家のシサスク(ウルマス・シサスク/1960-)という人が書いてくれたんです。大曲ですよね。それもとても良い曲で弾いています。
(2021年1月22日更新)
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