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「世の中には自分の意志ではどうにもならないようなことがある。
 それでも人間は祈る」 名女優・樹木希林と伊勢神宮をめぐる
ドキュメンタリー『神宮希林 わたしの神様』
阿武野勝彦プロデューサー&伏原健之監督インタビュー

 昨年『わが母の記』で最優秀主演女優賞を受賞した名女優・樹木希林と、20年に1度の式年遷宮が行われる伊勢神宮をめぐるドキュメンタリー『神宮希林 わたしの神様』が、5月31日(土)よりテアトル梅田、6月7日(土)よりイオンシネマりんくう泉南、京都シネマ、神戸アートビレッジセンターにて公開される。カメラは東京の住まいから、遷宮3か月前の伊勢への旅立ちのみならず彼女の様々な素顔を捉え、いつしか愛や家族について、戦争と震災について考え、自身の言葉で紡ぎだしていく姿を映し出す。そんなちょっと他に類を見ない旅ドキュメンタリーのプロデューサーである阿武野勝彦氏と監督を務めた伏原健之氏に話を訊いた。

――まず、疑問に思うのが希林さんと伊勢という組み合わせ。これはどのように?
阿武野勝彦プロデューサー(以下、阿武野):以前、(本作と同じく東海テレビ製作の映画)『約束~名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯~』に出演いただいた関係で(樹木)希林さんと仙台に行ったときに、お酒を飲みながらひとつの話題として「遷宮って興味ありますか?」と話したことがきっかけなんです。
 
――とくに理由もなく急にですか?
阿武野:自分でもよく分からないんですが、東海テレビは愛知、岐阜、三重が放送取材エリアなので、遷宮は20年に一度必ずやってくる一大ビッグイベントなわけです。それで(遷宮に関する番組を作っている)制作スタッフが頑張っている様子を横で見ていて、なかなか前に進めず苦しんでいるなと頭の片隅で思ってはいましたけど。
 
――希林さんの反応はどうでした?
阿武野:「出雲大社と重なるのは本当に珍しいことでね」とか、次から次へとお話をされていました。それで、「遷宮の番組を僕が作るとしたらどうします?」と話すと、「やる!」と即答してくださって。いい加減な話ですが、自分がなぜそんなことを聞いたのかもよく分かりませんし、この展開もよく分からないので、この話はちょっと寝かせようと、そのときは思ったんです(笑)。だけど、その翌日に「ねぇ、あの話だけど、決まったらすぐに言って」と希林さんからおっしゃってくださって。ちょっととぼけて「あの話って、何でした?」と返すと、「何言ってるの! 伊勢神宮の遷宮よ」と。「きっと面白いに決まってる」と思ってくださったんでしょうね。希林さんは「普通に旅人として行く伊勢参りとは違うものが、テレビと一緒に行けばあるかもしれない」とおっしゃっていましたね。
 
――希林さんは当初から強い関心を持っておられたんですね。では、伏原さんが監督を務めることになった経緯は?
阿武野:伊勢神宮は仕来たりや取材規制もありますし、経験者でないと取材が難しいところではあるんですが、彼は5年前の東海テレビ50周年のときに伊勢神宮と周りの森に関するドキュメンタリーを撮っていたんです。
 
伏原健之監督(以下、伏原):地球温暖化や環境問題に絡めて、伊勢神宮の森の育成が優れているというところに着目したドキュメンタリー番組で、一応経験者ではありました。
 
阿武野:当時、彼は別の部署にいて、東海テレビの看板番組のプロデューサーでしたけど、そういうことで報道局に異動してもらって。その前に番組を制作しようとしていたチームが駄目になり、その後に希林さんが御出ましに。
 
――伏原さんはその段階で初めて希林さんに会われたんですか?
伏原:そうですね。普通は撮影期間も短いですし、よく考えれば大変なんですが、単純に樹木希林さんに会えるのかぁと舞い上がってしまって「やります!やります!」という感じになってしまいました(笑)。
 
――東海テレビが今まで制作してきた作品とは製作過程が少し違うんですかね?
阿武野:震災の話やどうやって森を再生させるかという社会性も持っているし、人間を描くという意味で今までのドキュメンタリー作品と違いはないような気がします。笑いの総量は今までとは違いますけどね。
 
――確かに面白いシーンが多いですね。希林さんと撮影スタッフの距離が近いように感じました。
伏原:近いと言えば近いんですが緊張感は今でもあります。希林さんが優しくて懐が大きい方だからですね。座長という言い方が近いのか、僕やカメラマンなどのスタッフも含めて希林組で製作したような感じがします。
 
――では、希林さんからの要望も多かったんですか?
伏原:歌人の岡野弘彦さんのところに行く場面は明確に希林さんからの要望でした。それが本作のテイストを決めていますね。
 
――お伊勢参りだけではなく、思わぬ寄り道が結構あったのでは? と感じましたが。
伏原:撮影時に「え?」となる想定外は多かったですが、すべてがプラスに働きました。希林さん自身もプラスになると思ってあえて行動されていた節があるようにも思いますし、制作者としてはそれは幸せだなと思っています。
 
阿武野:希林さん自身は「普通は捨てるところばかりで作ったのね。それがいいのよ」とおっしゃっていました。希林さんが立ち寄ったうどん屋で言い合いになる場面も、ただ喧嘩しているのではなく、物に対する価値意識が分かる場面なんですよね。想定外のことがこの映画を豊かにしてくれていると思います。時間が押していたので飛ばそうとしていたけど、結局行った餅屋でも、ご主人が神宮に行く道すがらの“音”の話をされて。僕はあの場面がとても好きなんですが、希林さんが「寄る」と言わなければ撮れなかったですからね。ある段階から希林さんから発信が増えたような気がしますね。
 
――それはどの段階なんですか?
阿武野:2回目のロケの終わりには「この作品の背骨をどう考えるの?」というお話をされていましたから、その時点で自分の心の内側を見せようと思っていらっしゃったのかもしれません。そのきっかけが何なのかはハッキリしないんですが、すごく積極的に「会いたい」「行こう」「おいでよ」と言われるようになりました。劇中に出てくる西麻布にある家についても突然「この家の話をしたい。ここから話しておかないとダメだと思って」とおっしゃって。インタビューの時は美輪明宏さんやお稲荷さんの話が出てきて、話がぐちゃぐちゃになるのでは、と不安になりましたね。
 
伏原:映画にもそのテイストはありますが、本当にどこへ連れて行かれるのだろうという感じがしましたね。今思えば「ここまで見せてくださった」と分かりますが、そのときは僕らに「何を撮らそうとしているんだろう」という感覚はありましたね。あのときは、カットするつもりで撮影していましたけどね(笑)。
 
――では、逆にあのシーンを使うことになったのには何か理由があったのですか?
伏原:こちらからこの作品を「映画にしたい」と話したら、「お金を払って観ていただくお客様が感情移入できない、つまり“私”が描けていない」という理由でNGが入って。それで改めて僕自身が樹木希林さんを理解しないといけないと思いました。今までの業績や映像を並べたり、ナレーションで語ってもらうことがいくらでも出来る方です。だけど、「世の中には自分の意志ではどうにもならないようなことがある。それでも人間は祈る」という希林さんからのメッセージを思い出し、そこにテーマ性が出てきて。そういえば、自宅で数珠を取り出してお経を読むという話をされていたなとか、当時は唐突に始まったと思っていたことが、全部つながっていきました。希林さんの言う「人間を描く」というのはこういうことなのかと思いながら編集していきました。最初は奇妙奇天烈でわかりにくいのでカットするつもりだった部分が、最終的には宝物になり、テーマがきっちりと出せた気がしますね。
 
――劇中、とても印象的な"エンジェルの歌"。これも映画のテーマにものすごくフィットしていますよね。突然歌い始めたのですか?
伏原:希林さんに「神様っていると思います?」と聞いたことがあって、そのときに少し考えて「ほらほらああいう歌があるじゃない」と歌いだして。撮影のかなり初期段階での出来事なんですが、その歌が本作の最初のテーマ設定のひとつの答えになりました。希林さんって可愛らしさがあって、僕には妖精に見えることがあります。
 
――突然風が吹く、とある奇跡的なシーンで見せる希林さんの嬉しそうな顔が可愛らしかったですね。
阿武野:あのシーンにはドキュメンタリーの神様がいましたね。苦労して苦労して撮ると最後に必ずドキュメンタリーの神様があるシーンをくださるもので。その後の希林さんの顔も少女のようで。「非常に貴重な体験をした」とおっしゃっていました。希林さんは自叙伝をいくつもの出版社にお願いをされてはずっとお断りされているそうなんですが、自叙伝を書く気は全くないそうで、「断る理由が見つかった。この作品を観て!と言えばいいの」とおっしゃるので、あまりの感動に鳥肌が立ちましたよ。
 
――また、希林さんを描く上ではずせない存在。ご主人の内田裕也さんの話には計り知れない愛を感じました。
伏原:伊勢神宮からどんどん興味対象が希林さんになっていき、ある種、希林さんに乗っ取られたような形になっていきます(笑)。それは「ここへ行きたい」「あそこへ行きたい」ということではなく、僕たちが面白いと思えるものが希林さんという人間になっていったんです。それで、希林さんと言えば極端な話ですが日本中の方の関心事は「あの夫婦はいったいどうなっているんだろう」ということで、当初から聞きたいことではあったんです。その話は別にタブーでも何でもなくて希林さん自身が常に話をされていましたが、構えて聞くとどうなるかと思い、初めて正面から「どうですか」と聞いてみたら、全く予想していない答えが返ってきて。本当にびっくりしました。
 
阿武野:「釈迦とダイバダッタ(提婆達多)」の話です。神宮の映画なのに、仏教の話なんてね。仏教と神道ですから、どうしようかと思ったんですがね。よく見てみるとエンジェルも飛ばしているわけで。釈迦とダイバダッタがあっても良いかもしれない。それが人間が祈るということなのかと思いました。釈迦とダイバダッタの話が出てきた瞬間に、なんとなく謎が解けた気がしましたね。希林さんの話されたいくつもの話の中に内田裕也さんが絶大なる神様として存在している気がします。
 
伏原:(娘の)也哉子さんでさえ、両親のことをずっと「なんで別れないんだ」と謎に思っていたらしいんです。希林さんに「なんで別れないの?」と直接聞いたこともあるそうですが、この映画を観て「こういうことだったのかと納得した」とおっしゃっていました。
 
阿武野:そんな夫婦って他にいないだろうなと思うかもしれないけど、逆に「うちの夫婦もそうかも」って思う人もいると思います。
 
――希林さんご自身は、この作品に対して何か感想をおっしゃってましたか?
阿武野:自分が出ているから恥ずかしいけれど、いろんな方々に観てもらいたいという気持ちがあるように感じます。通常の演技をしている樹木希林と違うものを出しているので、ご自分の分身のように思っていただいている瞬間がありますね。
 
伏原:希林さんの言葉で言うと「今の私はこれよ。これを見せればいいのよ」です。この映画は、希林さんの心の旅になっていると思います。
 
――劇映画で演じるのとは違い、ドキュメンタリーが新鮮だった部分もあるかもしれませんね。
阿武野:報道に対する特別な思いがあるような気がします。初めて会う方に僕らをご紹介いただくときも、「この人たちは報道の人たちだから。仕事が早いのよ」とおっしゃっていましたし(笑)。「報道やドキュメンタリーという大切な仕事をあなたたちはしているのよ」と折りに触れて言われていました。だから家の中も冷蔵庫の中やブラウン管のテレビ、お風呂、さらには(内田)裕也さんの部屋まで見せてくださったんだと思います。「普段はしないようなことをした」とおっしゃって。
 
――希林さんと一緒に旅をされてどんな風に感じましたか?
阿武野:希林さんに対する謎が深まりました。あけっぴろげなことを言う人だけど嫌な印象をもたれなくて、なぜか謎は深まる。なんなんでしょうね。アドリブについては森繁さんに出会ったのが大きいと言っていたので、かなり早い段階から演技に自分を出していくということが身についているから台詞至上主義じゃない稀有な女優さんとして育ってきたんじゃないですかね。
 
伏原:どこまでが素でどこからが演技なのか分からないのでやっぱり緊張します。でも、とにかく希林さんは"何か"を持っている人だなというのは感じました。武道の達人みたいな感じもするし、どこにでもいるおばあさんみたいなときもある。でも本当にカッコイイ人だなと思いますね。服装もスタイリストがいるわけではなく、本木さんの服をリメイクして着ておられたり。食事する姿や何気ない立ち振る舞いなんかもカッコよくて。ああなりたいなと思いますね。
 
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(2014年5月31日更新)


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Movie Data



© 東海テレビ放送

『神宮希林 わたしの神様』

●5月31日(土)より、テアトル梅田
 6月7日(土)より、
 イオンシネマりんくう泉南、
 京都シネマ、神戸アートビレッジセンター
 にて公開

【公式サイト】
http://www.jingukirin.com/

【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/164680/