司法に冤罪をかけられたとしても
冤罪に苦しむ人間には司法を信じることしか出来ない
『約束~名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯~』
齊藤潤一監督インタビュー
『死刑弁護人』など優れたTVドキュメントを制作し、それを映画化もして高い評価を得ている東海テレビによるドキュメンタリー・ドラマ『約束~名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯~』が3月30日(土)より、第七藝術劇場にて公開に。東海テレビが取材をし続けてきた貴重な映像の数々と、日本を代表する名優である仲代達矢と樹木希林をキャストに迎えたドラマを通して“名張毒ぶどう酒事件”の全貌と今も無実を訴える奥西勝の現在に至る生涯を描く。そこで、公開を前に来阪した齊藤潤一監督にインタビューを行った。
――先日、東海テレビさんの『長良川ド根性』で阿武野プロデューサーと片本監督に取材をしました。片本さんは何も知らない中で長良川河口堰についてのドキュメンタリーを撮ることになったとおっしゃっていましたが、過去に撮ったドキュメンタリーを含め、一番最初に撮り始めたきっかけを教えてください。
「僕は報道部の記者なんですが、名張毒ぶどう酒事件の再審開始決定が初めて下された2005年に「ドキュメンタリーを作りなさい」と上司の阿武野に言われたんです。それで「このネタでやったら?」という風に言われ、そこからこの事件と関わり続けてきたという感じです。今まで3作『重い扉 名張毒ぶどう酒事件の45年』(06年放送)、『黒と白 自白・名張毒ぶどう酒事件の闇』(08年放送)、『毒とひまわり 名張毒ぶどう酒事件の半世紀』(10年放送)とドキュメンタリー番組を作ってきて4作目が今回の『約束~名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯~』となります。」
――今までの東海テレビの作風でいくと過去のドキュメンタリー番組作にまだ出し切れてない映像資料を足して映画版ドキュメンタリーを制作していたかと思うんですが今回、ドラマを入れようと思った理由は?
「主人公は奥西勝という死刑囚なんですけど、独房の中にいるので彼をカメラで撮って取材は出来ないんですよね。確定死刑囚というのは面会室で面会することも出来ないんです、弁護士と近い親族しか。手紙のやり取りでさえ出来ないんです。だから我々が会話したり、この人がどういう人か知りえる手段がまったくなくて。」
――今までのドキュメンタリー番組ではどのように?
「これまでの3本は、弁護士や親族が面会に行った直後に「今日どんな様子でしたか?」と取材をしたり、奥西勝が送った手紙を見せていただいて、その文字をなぞって心境を表現することしか出来なくて。やっぱり主人公が取材できないというのは番組を作るうえでありえなくて、3本作ったところで限界を感じたんです。でも僕自分は冤罪であると確信してるので4作目も作りたい。ではどうしたらいいのかと考えるとドラマしか選択肢がなかったんです。」
――初めてのドラマ制作というのは?
「報道の人間なのでもちろんドラマを作ったことがなく、出来るのかどうか不安ではあったんですが根が楽観的なので、なんとかなるかなっていう(笑)。上司の阿武野も同じように楽観的なので、まぁなんとかなるんじゃない?という感じで。今考えると無謀ですよね(笑)。」
――ドラマ部分の細かなエピソードも実話なんですか?
「基本的には事実に基づいたシナリオを書いたんですが、奥西さんが独房の中にいる姿というのは想像です。面会ノートというのがあってある程度は想像出きるんですが、あくまでも僕の中の奥西勝像ですね。」
――独房の中でお正月にお節を食べたところや足音を聞いて震えるところは?
「お節に関しては面会ノートに書いてあったんです。“今日は尾頭付きの鯛が出た。去年よりも大きかった。”と。足音に関しては、免田事件の免田栄さんに取材した時に「あの足音でドキドキして自分の目の前で止まった時にゾクッとする」という話を聞いたもんですから、死刑囚の独房の姿というのは奥西さんも同様だろうと思いまして表現しました。」
――同じような死刑囚の方のエピソードも入ってるということなんですね。
「独房の中の生活という意味でいうと、以前『平成ジレンマ』という戸塚ヨットスクールのドキュメンタリーを撮ったんですが、その戸塚宏さんも拘置所に入ってましたので、中のレイアウトや食事の内容に関しては戸塚宏さんに伺いました。なので、空想ではありますが事実に近い形で表現できたんではないかと思います。」
――仲代さんはオファー後、どのような反応でしたか?
「まだ冤罪と決まった事件ではないですから、もし冤罪でなければ犯人に肩入れする形になるんですよね。俳優にとって、この仕事を請けるというのはかなりの覚悟がいります。たまたま3本目のドキュメンタリー番組の時にナレーションを仲代さんに読んでもらっていたので、その時にこの事件に関してある程度調べていただいて望んでもらったとは思うんですが、今回オファーした時も受けるかどうかというのは即答していただけませんでした。実は最初のオファーの時にはまだシナリオが出来ていない段階で「シナリオが出来た段階で最終決断する」と言っていただき、脚本を書いた時点でもう1回お願いしたんです。それで、最初はやっぱりためらいを感じたらしいんですが、オファーして脚本を渡すまでの間に仲代さん自身でいろいろ調べて、これは冤罪だと確信していただいたんではないですかね。」
――では、希林さんは?
「実は『平成ジレンマ』でモントリオール世界映画祭に正式招待されて、スタッフと一緒にモントリオールに行った時に、『わが母の記』で来られていた希林さんにお会いして「僕はドキュメンタリーを撮ってるんですが今度ナレーション読んでください。」とお願いしていたんです。その時は「わたし、こんな声でナレーションなんて出来ないわ。」とあしらわれたんですけども(笑)、オファーのきっかけはそこですね。それで、シナリオを書いていて母親役は希林さんしかないと思ったのでオファーしました。希林さんはマネージャーさんとかおられなくて、ご自身で全部マネージメントされていて、FAXでオファーしたんですが、FAXを送ったらすぐに電話をくださいまして「わたしはやらないけども名古屋にいい役者さんがいるんで紹介するわ。」と(笑)。でも、希林さんしかありえないと思っていたので諦めず何度もオファーしてその度に「無理無理」と言われてたんですが、そのたぶん「無理無理」と言ってる間に希林さんもこの事件を調べてくれてたと思うんですよね。で、ある時「分かった。やる。」と言ってもらえたんです。なので、たぶんですがおふたりとも自分なりにこの事件を調べて、これは冤罪に違いないと確信をして望んでもらったんだろうなと思います。」
――初めてのドラマでベテランの役者さんの起用。ものすごい迫力ある演技が観られましたが演出については?
「とても演出なんか出来ません。一応シナリオのト書きで状況描写のようなものを書き込みました。例えば、“お母さんは久しぶりに息子に会えた面会の後で非常に嬉しい気持ちです”とか。“死刑執行は午前中しかないんでお昼ごはんが来る時に今日は死刑執行がないと分かる。その時のカレーライスです。そういう食べ方をしてください”とか。そういう状況的なことだけ説明して、後はおまかせすると言う形で。演出というよりは状況を説明しておまかせしたという形です。」
――それぞれの俳優はどういった取り組みをして役作りをしたんでしょう?
「仲代さんは「自分が奥西勝のように50年間独房に閉じ込められたら、どういう気持ちになるだろうと考えた」とおっしゃてました。希林さんはあまりそういう話をされないんですよね。」
――そんな感じしますね(笑)。
「ただ、「この役は普通の女優なら受けない」とおっしゃってましたね。ドキュメンタリー部分で実在人物がいるじゃないですか? 「実在部分にはどんな女優でも勝てない。」と。だから女優としては「これに出演したダメージは大きい、でもこの事件を伝えることがいち役者として参加することが出来て、この事件をひとりでも多くの人に伝える意義の方が勝った。」という風に言ってもらえたのが製作者として非常に嬉しかったですね。なので、変に演出せずおふたりにおまかせして良かったなと思います。」
――冤罪だとすれば嘘を言っていることになる村の人たちを撮ること、そして顔を出して映すことについて複雑な気持ちになりませんでしたか?
「これは村の人たちも犠牲者だと思うんです。奥西勝さんが自白をしてからどんどん状況が変わっていくということは警察や検察に言わされてるということでしょう。だからある意味、村の人たちも犠牲者であることは間違いない。親族を殺されて、もし犯人が奥西勝ではなかったら、あの村の別の人間が犯人になってしまうという状況で、平和な村のまま何もなかったように仲良く暮らすには奥西勝さんという人が自白したことによってそれでおさまるという気持ちも分からなくないんです。だから村の人はまったく攻められない。でも供述が変わっていった事実は出すべきだと思ったんです。それを村の人たちもテレビカメラの前で答えてくれるということに、もしかしたら何かのメッセージかもしれないなとちょっと感じたんですよね。テレビだと首から下しか映さなかったり、モザイクをかけることが多いんですが、人間ってやっぱり口や目の動きで会話って成立する。口で言ってることが、目を見ては明らかに違うと分かることありますよね? そういうのもあるんで出すべきだと思ったんです。」
――テレビでもそういった形で放送したんですか?
「これ、本当に最初は苦労しまして…。この村にマスコミが入るということは、冤罪じゃないかという疑いで入ってるので村の人にとっては敵なんですよね。だから最初は「帰れ帰れ」と言われて、まったく取材を受けてもらえなかったんです。ただ何度も通ううちに人間関係が少しづつ出来てきて、ようやくインタビューに答えてくれた。僕もそうですし、古い昔の映像も使ってますけども当時の先輩もそうだったんです。だからパッと行って答えてくれたわけではなくある程度お互い人間関係が出来てからのインタビューなので、そこにメッセージ性を持ってインタビューに答えてくれていると思ったので顔も映しているというのもあります。」
――放送後の反応は?
「反響もすごくあり、視聴率も倍ありました。ドキュメンタリーってやっぱり固いイメージがあるので、テレビだとチャンネルをすぐ変えるとかそういうことが間違いなくあると思うんです。真実を伝える手段としてはドキュメンタリーが1番だと思っていたんですが、ドラマにしたことによって見やすくなって、それで多くの人にこの事件を知ってもらえるのであれば、ドキュメンタリーにこだわることはなくてもいいのかなと今回作って感じています。」
――涙ながらに話す秋山元裁判官の言葉「こんなに裏切られても…まだ裁判所を信じようとする」は、この映画が1番描きたいことなんだろうなと感じました。
「普通に取材をしていたら突然言葉を詰まらせて涙を流されたのでこちらも本当に驚きました。秋山さんは徳島ラジオ商殺人事件で再審開始をした裁判官なんですが、冤罪に違いないと感じて、再審開始決定を出した当時を思い出したんでしょうね。その後、左遷されて結局自分から裁判官を辞められてるんですが、テレビカメラの前で泣くというのは相当のことだと思うんです。これも秋山さんが何らかのメッセージを出したかったのかなと思いますよね。」
――わたしはこの映画の中で司法の縦社会を初めて知ったんですが、取材をしていく中で分かってきたことなんですか?
「名張毒ぶどう酒事件もそうですが、その後、名古屋地裁の裁判官に密着した「裁判長のお弁当」というドキュメンタリー番組を撮って、言葉では言いませんが裁判官の方に触れて感じました。法廷に行くときは必ず廊下で裁判官を先頭に1列で行くんです。出る時も1列で帰って行きます。そういうのを見たり、退官した裁判官の話を聞いたりすると間違いなく官僚的な縦社会があって。基本的に裁判官って自由が守られていて、それぞれひとりひとりが個の形になっているんですがこれは完全に縛られてるなと感じました。すべての人がそうだとは思いませんけどね。でも先輩が下した裁判をひっくり返す、それも最高裁が下したものをひっくり返すということの大変さというのは実際裁判所を取材して感じました。」
――冤罪事件の映画というのは他にもありますが、そこを描いた作品というのは今までなかったんじゃないでしょうか。
「われわれ報道の立場でも、どんな判決が出ても裁判官を批判するということはあまりなかったんですよね。ようやくそういう流れも最近出てきましたが。やっぱりマスコミに取って裁判所というのは聖域だったんでしょうね。検察や警察も。でもそれもおかしな話だと思いますよね。」
――この事件はどうにもならないんでしょうかね…。
「自白の偏重主義と言いますか、自白があったらやったに間違いないというのが裁判官の根底にあるんですよね。だから捜査する側も自白をなんとしても勝ち取りたいというのがありますよね。昔から変わってないんですよね。」
司法に冤罪をかけられたとしても、冤罪に苦しむ人間には司法を信じることしか出来ない。このふがいなさ。この映画を観て、わたしたちには何ができるのか考えることになるだろう。初日には先日、日本アカデミー賞の授賞式で自身がガンに犯されていることを告白した女優、樹木希林も舞台挨拶に駆けつける予定とのこと。関西からもそう遠くない名張で起きたこの事件を知るきっかけとしても、ベテラン俳優の熱演も含めて是非、映画館でご覧いただきたい1作。
(2013年3月28日更新)
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齊藤潤一 監督●1967年生まれ。関西大学社会学部卒業、92年東海テレビ入社。営業部を経て報道部記者。愛知県警キャップなどを経てニュースデスク、現在ニュース編集長。05年よりドキュメンタリー制作。これまでの発表作品は「重い扉~名張毒ぶどう酒事件の45年~」(06・ギャラクシー優秀賞)、「裁判長のお弁当」(08・ギャラクシー大賞)、「黒と白~自白・名張毒ぶどう酒事件の闇~」(08・日本民間放送連盟賞優秀賞)、「光と影~光市母子殺害事件 弁護団の300日~」(08・日本民間放送連盟賞最優秀賞)、「検事のふろし
Movie Data
(C)東海テレビ放送
『約束~名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯~』
●3月30日(土)より、第七藝術劇場
●4月13日(土)より、神戸アートビレッジセンター
●順次公開、京都シネマ
【公式サイト】
http://yakusoku-nabari.jp/
【ぴあ映画生活サイト】
http://cinema.pia.co.jp/title/161220/
Event Data
舞台挨拶決定!
【日時】3/30(土)
10:10回上映後/12:30回上映前
【会場】第七藝術劇場
【料金】通常料金
【登壇者(予定)】
樹木希林さん/齊藤潤一監督