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「私は怠け者になりたくない。
 現在の映画界にはそうなっている人もいるように思う。」
世界が注目するポルトガルの新星ジョアン・ペドロ・ロドリゲス監督
&ジョアン・ルイ・ゲーラ・ダ・マタ氏インタビュー

 先月、東京のアテネ・フランセ文化センター、神奈川の川崎市市民ミュージアムで開催され長蛇の列を作った《ジョアン・ペドロ・ロドリゲス レトロスペクティヴ》が関西でも3会場に渡って開催。そこで、来阪したジョアン・ペドロ・ロドリゲス監督(写真右)と、彼のパートナーで『追憶のマカオ』で共同監督、その他の作品でも脚本、美術監督を手がけるジョアン・ルイ・ゲーラ・ダ・マタ氏(写真左)に、異色ラブストーリー『オデット』(4月19日(金)より、シネ・ヌーヴォにて公開)についてを中心に話を訊いてみた。

 

――まずはご挨拶から
 
ジョアン・ペドロ・ロドリゲス監督(以下、ロドリゲス監督):私の作品が本格的に日本で上映されるのは今回が初めての機会です。(先に上映された)東京では大変多くの方が熱心に観てくださり、私たちは大変喜んでいます。ありがとうございます。
 
――では、簡単な自己紹介を
 
ロドリゲス監督:私は、もともとは鳥類学者になろうと生物学の研究をしていたんですが、途中から映画に関わるようになり、助監督や編集の仕事をしていました。それで、1988年に最初の短編『羊飼い』を撮り、その後、最初に発表したのが97年の『ハッピー・バースデー!』という作品です。この作品は私が監督をし、隣のジョアン・ルイ・ゲーラ・ダ・マタさんが主演を務めています。彼は、アート・ディレクターも兼ねており、それをきっかけに2007年の『チャイナ・チャイナ』という短編と2012年の『追憶のマカオ』を共同監督として取り組みました。彼は他にも私と一緒に脚本を書いたりしてくれています。
 
ジョアン・ルイ・ゲーラ・ダ・マタ(以下、ゲーラ・ダ・マタ):私は、アフリカのモザンビークで生まれ、その後、両親と共にマカオへ行きました。なので、ロドリゲスさんとアジアを舞台に撮った映画がいくつかありますが、それは私がマカオで生活したことにも関わりがあると思います。もともと私の専門はグラフィック・デザイナーなんですが、20年前にロドリゲスさんと出会い、今は脚本を一緒に書いたり、監督を共同で行ったり、彼のプロダクション・デザイナーをしています。それで、2012年に彼を主演に迎え、ひとりの男のモノローグを描く『火は上がり、火は鎮まる』という初の短編を完成させました。そういった関係で今回は参りました。
 
――監督の素晴らしき才能を日本に紹介するため、映画批評家の大寺眞輔氏が自ら監督に交渉し、企画、日本語字幕付け、宣伝等、全てを行ったという今回の日本での上映について
 
ロドリゲス監督:今回の来日は本当に多くの方々にお世話になっていますが、中でも大寺眞輔さんには大変お世話になっています。1年以上前になりますが「日本でレトロスペクティヴをやりたい」と直接、連絡をいただきました。当初は、クレイジーなアイデアだと思いましたが、いちからひとりで色々なことに取り組まれ、大寺さんと共にいくつかの団体、組織の方々が協力くださって今回のレトロスペクティヴ上映が実現したことに感謝しております。
 
――東京での反応について
 
ロドリゲス監督:上映初日に会場のアテネ・フランセ文化センターに行くと、会場である4階から地下まで行列が出来ていて、こんなに大勢の方が私の作品に興味を持ってくださったことに驚きました。また、今回の上映は当初、東京だけで行う予定でしたが、関西でも作品を上映する機会を作ってくださった西原多朱(同志社大学学生支援係)さんに本当に心から御礼を言いたいと思います。
 
――日本について
 
ゲーラ・ダ・マタ:私が最初に日本に来たのは14年前で、その時もジョアン・ペドロ・ロドリゲスさんと一緒に来て、観光客として1ヶ月ほど日本の各地を周りました。今回、14年の時を経て、ロドリゲス監督と一緒に作った作品を日本の方々に観てもらうために来日する機会を得たわけですが、本当に東京での上映は大勢の方が熱心に迎えてくださり歓迎されたので大変嬉しく思っています。
 
――14年前に日本に来て、その後の映画作りに与えた影響
 
ロドリゲス監督:具体的には説明し辛いのですが、日本を訪れたことで作品の作り方が大きく変わったと思います。もともと映画学校でパウロ・ローシャという日本のポルトガル大使館で文化アタッシェとして長く勤務しながら映画作りをされた監督に、溝口健二や小津安二郎、今村昌平の素晴らしさを教えていただき、そこから自分で成瀬巳喜男の素晴らしさなどを発見して日本映画というものに非常に大きな関心を持って来ました。なので、日本への訪問が私に与えた影響は大きいと思います。
 
――主人公が想像妊娠をする『オデット』について
 
ロドリゲス監督:想像妊娠というのは本当に不思議な現象だなと思いました。それまで、想像妊娠というものを詳しく知らなかったので、女性が精神を病んで、妊娠したと思い込む心理については、医者や精神心理の専門家、そして経験者にも話を聞き調査をしました。主人公の女性は子供が欲しいという思いが強く、そういった欲望にすごく執着している。心がそれを強く願うことで体が生理的に妊娠した状態になってしまい、不可能な愛を実現させようとしている。しかし妊娠した相手だと彼女が思い込んでいる男性は別の男性と恋愛関係にあり、実現不可能な愛情なんです。
 
――『オデット』の登場人物、ふたりの男とひとりの女性について
 
ロドリゲス監督:男性ふたりが恋愛関係にあって、その内のひとりが亡くなる。そこでオデットという女性がこの亡くなった男性を生き返らせる、その男性の生まれ変わりとなるような状況が示唆された作品です。愛は性別を超える。あるいは個別の肉体を超えていくことも出来る。別の人となることで愛を実現させることも出来るというのがテーマです。公開時のPRの言葉は「love is stronger than death(愛は死よりも強し)」でした。私の映画は現実から着想していることが多いですが、リアル(現実)から始まるが、あくまでアンリアルなフィクションの世界を描くというのに映画は理想的な媒体だと思っています。この女性も男性も言わばゴーストにとり憑かれている。そして、彼らがゴーストにとり憑かれているのと同じく、私たちも自分のゴーストにあたるものを持っていて、それにとり憑かれて毎日を生きているのではと私は思っています。そういった、いるかいないか分からない不確かなものを現実に見せてくれるのが映画だと思っています。
 
――生きている人と死んでいる人が同じ空間にいることについて
 
ロドリゲス監督:オデットの場合は、自分が欲しかったものを手に入れるためにその人になる。なった相手というのは死んだ人ですね。映画というのはリアリスティックに物事を捉えます。例えば私がカメラで撮影をすると物事をありのままに写し取るんです。しかし、その一方で非現実的なものでもあり、死んだ人と生きた人が同時に出て同じ空間にいることが出来る。そういった意味で映画は超越した力を持ったファンタジーの世界でもあると思っています。溝口健二監督の『雨月物語』も生きている人と死んだ人が同じ世界にいるような映画でしたね。『オデット』は現代(2005年)のメロドラマです。私たちはいろんな欲望を糧にして毎日を生きている。そういうことを描いた作品です。
 
――オデットというキャラクターについて
 
ロドリゲス監督:オデットの着ている服や彼女の部屋の様子が大きなヒントとなり彼女の人格、性格を表しています。アート・ディレクターとしてゲーラ・ダ・マタさんが貢献してくれた部分です。
 
ゲーラ・ダ・マタ:オデットは、執着心が強い女性でもありますが、ピンク色の服を着ていたり、ポップな色合いの部屋にスヌーピーのぬいぐるみを置いていたり、子供っぽく女の子らしいイキイキとした活発な女の子である様子が最初は見えます。そこから突然、黒っぽい服を着るようになり、何か変化の兆しのようなものが感じられ、それを経て男の子の服装へと変わっていく。女の子=ピンク色というありふれた考え方ではありますが、そこから青=男の子へと変身していく様子を表そうとしています。
 
――オデットという名前と人物背景について
 
ロドリゲス監督:オデットという名前は、ポルトガルでは少し古風な名前です。今の女の子にはほとんどいなく、おばあさんに多い名前なんです。映画で直接的な説明はないですが、地下の小さな部屋に住んでますよね? 田舎から出てきて都会で慎ましく暮らしている女の子というようなイメージで描きました。
 
――では、ペドロとルイについて。名前が一緒ですがあなた方おふたりのことですか?
 
ロドリゲス監督:映画を作るということはある意味自分を語ることでもあって、必ずしも自伝という意味ではないですが、事実としてその通りかどうかは別として、映画を作る人の意識したところと無意識なところから出てきます。映画を作っている時に出てくる人生観が反映されるということは否定出来ません。ただ、名前については偶然で深い意味はありません。私たちふたりは、ジョアン・ペドロ、ジョアン・ルイという名前ですが、ルイもペドロもよくある名前で、因みにジョアンもよくある名前です。こういった親しみを持った遊び的なものを取り入れるのが私自身好きなのでそういった意味合いもあります。私にとっては映画の中の人物それぞれが自分の一部であると感じていて、オデットもルイもペドロも私であると思っています。
 
――他の作品も含めて監督が描くテーマについて
 
ロドリゲス監督:私の映画は、もちろん無意識なことがテーマになったりすることもありますが、きっちり計算して作っています。人間はみんな欲望を持ち、その欲望を実現するために何をどういう風にするかという共通した大きなテーマがあります。『オデット』の場合は、愛を実現させるために死んだ人間になり変わろうとする。『ファンタズマ』という映画では、清掃員として働いている人が自分の欲望を実現させるために最後には人間でなくなりそうになってしまう。そして、3本目の長編である『男として死ぬ』は、性転換をしたいと思っている主人公が、宗教的な信仰があり、性転換手術を受けることについて悩む話です。いずれも人間が自分を変えたい、メタモルフォーゼを遂げたいという現実に直面しながら、そこでどういう風にその思いを遂げようとするかを描いています。また、4本目の作品『追憶のマカオ』は、ゲーラ・ダ・マタさんと共同で監督した最初の作品ですが、この作品では人類全体が動物になっていく、これもまたメタモルフォーゼの話です。なぜ人間が動物にならなければいけないかというと、生き抜くためにはそれが必要だと、人間は動物に変わらないと生き抜いていけない。そういったテーマで描いています。
 
――自分の作風について
 
ロドリゲス監督:私の映画はどれも似通ってはいるけれど、それぞれ全然別のものです。自分の世界を作り上げたいと思っていますが、それを安易にはしたくないので自分なりの世界を苦労しながら作り上げています。これがこうなるとジョアン・ペドロ・ロドリゲスの映画になるというような形式を決めたくないと思っています。私は怠け者になりたくないのです。現在の映画界にはそうなっている人もいるように思えます。私はそれを避けたい。映画は物語であると思いますが、その物語の語り方については実験を重ねていきたいと思っています。
 
――観客にはどんな風に観てほしい?
 
ロドリゲス監督:もちろん映画を観て喜んでほしいし、その登場人物たちに共感してほしいという思いがあります。しかし、出てくる登場人物に対して嫌悪感を持ったり、驚いたり、不思議に思ったりする反応も是非持ってほしいとも思うんです。映画の中に出てくる人たちがすぐに理解できる単純な性格だったら面白くない。何らかの謎を登場人物が持っていて欲しいと思っています。私自身も、苦労しながら理解していくプロセスがある映画が好きです。観た後に自分に疑問を突きつけてくれる映画でもいいし、何かの形で心に引っかかりがあり印象に残る映画であってほしいと思っています。



(2013年4月17日更新)


Check
ジョアン・ペドロ・ロドリゲス監督

Movie Data


『オデット』

●4月19日(金)~26日(金)、シネ・ヌーヴォ、
 4月27日(土)より、シネ・ヌーヴォXにて続映
※4/21(日)は休映。
【料金】一般・学生1200円/シニア1000円
【お問合せ】シネ・ヌーヴォ 06-6582-1416

【主催】
http://dotdashfilm.com/

【シネ・ヌーヴォ】
http://www.cinenouveau.com/

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