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渡辺啓太
1984年3月15日生まれ。神奈川県出身。10代の頃からテレビドラマやCMなど映像作品に出演。2004年から舞台を中心に活動、「東京サムライガンズ」の一員でもある。近年の舞台出演作に劇団シアターザロケッツ『シャンパンタワーが立てられない』他多数。MONO特別企画vol.6『怠惰なマネキン』、第45回公演『隣の芝生も。』出演を経て、2018年MONOに参加。
第5回「ROOKIE’S ①」 渡辺啓太
MONOの30年の道のりをメンバーや関係者の話から紐解く連載の第5回。
第1回~4回まで、劇団誕生前夜から1998年『きゅうりの花』までを劇団の代表であり作・演出の土田英生さんと振り返ってきましたが、今回からは4回にわたって、2018年に新しくメンバーに加わった4名の皆さんのインタビューをお届けします。
まずは、新メンバー唯一の男性、渡辺啓太さんからどうぞ。
――これはメンバーの皆さんにお聞きしていく質問です。渡辺さんが“演劇”というキーワードに出会ったのはいつ頃ですか?
実際、自分で演じたという記憶ではないんですけど、保育園でパンダに耳みたいなものをつけて演じている写真は残っています。それを見ると可愛いなと単純に思いますね(笑)。小さい頃は、割とわんぱくで、外で遊ぶのが好きな子でした。上に兄がいて、どちらかと言うと、同世代よりはその兄や兄の友達に交じって、一緒にサッカーしたり遊んだりしてました。実際の記憶がある演劇ってなると…、小学生の時、学芸会で劇をやろうってなった時のことになるかと思います。何年生の時かは忘れたんですけど。割とクラスの中では活発なほうで、決め事があるといつも発言していたんで「この役やりたい人〜?」「はーい!」みたいに配役をしたことを覚えています。自分の役は確か主役級の役だったと思います。
――その時、何の役をやられたんですか?
孫悟空です。西遊記をベースに、みんなでオリジナル要素を入れて作った舞台でした。全員が出演するためにいろんな役が必要だったんだと思うんですけど、西遊記なのに桃太郎が出てくるんです(笑)。今から考えてみるとすごい作品ですよね。
――渡辺さんの公式プロフィールには「10代の頃よりテレビドラマやCMなどの映像作品に出演」とあります。そのあたりの経緯をお聞かせください。
中学生の時は、スポーツ中心で、バスケ部に入っていました。スポーツはやるのも観るのも好きで。今でもスポーツはよく観ますね。「何で芝居始めたんですか?」ってよく聞かれるんですけど、きっかけは高校野球なんです。中学3年の時に、松坂(大輔)選手が高校3年で、彼らの世代の高校野球をずっと観てたんです。甲子園という大舞台に立って活躍している彼らを観て「なんてかっこいいんだろう」って、その華やかな世界に憧れました。それで「あんな舞台に立ちたい」って思ったんですが、中学3年の僕が今から本格的に野球を始めても、あそこには行けない(笑)。それで、その時は演劇っていう考えはあまりなくて、映画とかテレビの世界だったら、あの高校球児たちのように華やかな“役”をやれるかもしれないって(笑)。そんなイメージを持ったのがこの世界に携わるきっかけでした。それから高校1年生の時にプロダクションと提携している東京の養成所に応募して入ったんです。ドラマにエキストラで出演したり、オーディションを受けて、CMでメインの俳優さんの横にいる役とか、いろいろやらせていただくようになりました。
――演劇は観ていなかったんですか?
まったく観てなかったですね。テレビが大好きで。これは養成所に入る前の頃の話ですけど、よく観てた番組は、お笑い番組で言えば『とんねるずのみなさんのおかげです。』(1988~1997年)とか『ダウンタウンのごっつええ感じ』(1991~1997年)ですね。音楽バラエティの『THE夜もヒッパレ』(1995~2002年)も大好きでした。ドラマだと『ひとつ屋根の下』(1993年)とかも…。でも、一番好きなドラマは『若者のすべて』(1994年)です。友達ともよくテレビの話をしてましたね。その頃は本当にテレビっ子でした。
――プロダクションに所属されて、最初に仕事をされた頃のことは覚えてらっしゃいますか?
養成所に所属して半年後ぐらいに、木村佳乃さん主演の映画『ISOLA 多重人格少女』(2000年)という作品のエキストラが最初の仕事でした。10人、20人エキストラが待機していて、遠くでメインの人たちが演技をしている風景を覚えています。そのあと、エキストラだけじゃなくて、役がつくような仕事をいただけるようになった頃、20歳くらいの時だったと思うのですが、養成所のレッスン中に、先生から「このメンバーで舞台を作って、公演もしようと思う」って言われたんです。その時に出演した舞台が初舞台でした。
――その初舞台はどんな作品だったのですか?
幕末ものです。坂本龍馬を主人公にして、幕末の有名な人たちがみんな出てきて、史実にオリジナルの要素が加わったものでした。演出家が幕末や戦国時代のことが大好きでしたから。レッスンの為の教材もそのあたりのものが中心でした。初舞台は知らないうちに始まって、知らないうちに終わっている感じだったんですけど、仕込みやバラシなんかを自分たちでやったこともあって、「ああ、舞台ってこうやって作っていくんだ」という感慨がありました。その流れで年に何本か舞台に関わるようになって、共演者の中でウマが合うメンバーと「ちょっと俺たちで何か新しいことやろう」っていうきっかけで始まったのが「東京サムライガンズ」ですね。
――渡辺さんがメンバーとして活動されている「東京サムライガンズ」のことも、少しお聞かせいただけますか。
男6人組でやっています。主宰はもともとバンドマンで、音楽をやりたくて東京に来て、それから演劇を始めた人なんです。だから、いわゆるストレートプレイというよりは、映像やロックな音楽を入れたエンタテインメントに近い作品を上演することが多いですね。
――その世界観と、MONOの世界観はまったく違いますね(笑)。どんな経緯でMONOの舞台と出会われたんでしょうか。
最初に観たのは『相対的浮世絵』(2004年)です。観るきっかけになったのは、先ほどとは別の演劇のレッスンで、土田さんの作品『その鉄塔に男たちはいるという』(1998年)が教材として採り挙げられたことでした。僕はそのときまでMONOとか土田さんのことを知らなくて、関西出身の先輩から「お前、土田英生、MONO、知らないの!?」って。「そんなのこの世界ではモグリだぞ!」ということを言われたんです(笑)。その時にちょうどMONOが『相対的浮世絵』を上演していたので、すぐ観に行きました。
――観てどう思われました?
今まで自分が観てきた芝居とまったく違っていて衝撃を受けました。僕が観てきた芝居は、小劇場だけど、役者が数多く出てきて、ダンスや殺陣があるようなエンタメ作品が多かったんです。周りにそういう芝居をしている人も多くて。それで『相対的浮世絵』を観たら、まったく違う。まず劇場内に入ったら立派な舞台セットが組んであって、「なんだろう、この世界観!?」って。客入れの時も、この時は音楽がなくて、ざわざわとお客さんの声だけが聞こえてくる状態。舞台が始まると、男の人5人しか出てこない。でも1時間半ずっと物語は動き続けている…。さっきまで笑っていたと思ったら、知らないうちにシリアスな話になっている…。役者のみなさんの演技も含めて僕にとってショッキングな舞台でした。今までレッスンで習ったり、観たりしていた中にはいない人たちが、そこには居る感じでした。そんな衝撃的な出会いがあったので、ずっとMONOを意識していたというか、MONOとか土田さんの作品に関わってみたいなとは思っていました。でもMONOにまさか入るとは思ってなかったです(笑)。どこかで「もし共演できる機会があったらいいのにな」ぐらいは思ってましたけど。そんな思いを持ちながら、年にサムライガンズで1本、その他いろいろお声がけしていただいて、4~5本舞台に出るようになりました。それぞれ劇団のカラーがあって面白いんですけど、MONOとは何かが違う。何かが違うけど「でもどう違うんだろう」って、自分でははっきりと分かっていないもどかしい状態がその頃は続いていましたね。
――で、ついに土田さんと出会うことに…。
2014年に土田さんが俳優育成講座をされた時に参加させていただきました。実際に土田さんが演出されていることを中心に、その方法論をワークショップで学んだのですが、ワークショップは実技を交えてやるのでより分かりやすい。「ああ、舞台でこれをやってたんだ!」っていろんな発見がありました。1年に1回楽しみにしていた舞台の秘密を知れたような感覚ですね(笑)。それがきっかけで、『算段兄弟』(土田英生セレクションVol.3 2015年7月31〜8月9日 三鷹市芸術文化センター)に出させていただくことになって、その1年後くらいですかね。「ワークショップをやろうと思うんだけど」って土田さんに声をかけていただく機会があったです。もちろんふたつ返事で参加したんですが、1ヵ月間ワークショップをやって、その最後の日にひとりずつ土田さんと面談があったんです。その時に「MONOは新メンバーを募集しようと思っています。このワークショップのメンバーはその候補だと思っています。それを頭に入れておいてください」みたいなことを言われて。「僕だけじゃなく、他のメンバーの意見も聞くし、もしかすると一般募集もするかもしれません」とも言われました。今から考えると、その時に劇団員になる“流れ”みたいなものができた感じだったんだと思うのですが、最初は何を言われているのか理解できていない感じでした。「MONOに入るの?僕が!?」って。MONOは大好きで、もちろん一緒にやりたいって思っていましたけど、そこに“入る”ことなんてまったく頭にありませんでしたから。そもそも、MONOがメンバーを新しく入れるって発想が僕の中にはなかった。最初は「分かりました」って感じだったんですけど、「入ったら観られなくなるな」って(笑)。それくらい実感がなかったですね。
――そんな経緯で劇団員になられて、今回最初の公演に参加されたわけですが。
元々のメンバーの方々が“迎え入れてくれているな”と、すごく感じました。前回公演(『隣の芝生も。』(2018年))にも参加していましたが、正式に劇団員として発表され、今回は各自、意識を変えて公演に臨んだと思います。そんな中、先輩方が受け入れてくれている感じが稽古の最初からあって、本番を通しても日々、自分がMONOのメンバーなんだっていう自覚が出てくるようになりましたね。
――MONOが創り出す世界観の中で、今後自分はどんな役割を果たせると思いますか。
答えになるかは分からないんですけど、例えば尾方さんが年齢的にずっと弟分的な役割を担ってきていて、僕ら、若い人間が入ることによって、尾方さんが違う役割を担うようになっていく…。そんな新陳代謝が新しい何かを生み出すことに繋がればいいなと思っています。MONOの役者の方々って、可愛らしさを持ちながら、誰にもできない大人の芝居をしている。そういうところがすごいといつも思っています。その中に僕らが入ることによって、5人のメンバーの大人の可愛らしさがさらに増して、大人の芝居に磨きがかかるみたいな…。そういう意味でも、MONOの昔の作品に出てみたい気持ちがあります。僕が観てきた作品よりもずっと前の作品を、僕たち新メンバーも入ってやってみたい。そしてその作品を、当時観に来ていたお客さんにも観てもらいたいなって思います。
――最後の質問です。これも皆さんにお聞きしていきますが、なれるとしたらメンバーの中の誰になってみたいですか?
水沼さんかな。最初に観た『相対的浮世絵』のイメージが忘れられないんです。目標というか、漠然と自分の中での“いい役者”のイメージがあの芝居の中にはあって、そこでの水沼さんになりたいですね。水沼さんは割と野生的で、あんまり何にも染まっていない感じがするんです。役の作り上げ方とかだけじゃなくて、演劇に向き合う何か本質的な部分とかも。僕には絶対ないものを持っているということも含めて、なれるなら水沼さんになれたらと思います。
取材・文/安藤善隆
撮影/福家信哉
構成/黒石悦子