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プロフィール

横山拓也(よこやまたくや)
1977年1月21日生まれ、大阪府出身。劇作家、演出家、iaku代表。鋭い観察眼と綿密な取材を元に、人間や題材を多面的に捉える作劇を心がけている。他人の口論をエンタテインメントに仕上げるセリフ劇や、ある社会問題を架空の土地の文化や因習に置き換えて人間ドラマとして立ち上げる作品を発表している。2009年『エダニク』で第15回日本劇作家協会新人戯曲賞、2017年『ハイツブリが飛ぶのを』の脚本で第72回文化庁芸術祭賞 新人賞受賞など、数々の賞を獲得している。

第21回「ANOTHER HISTORY①」 iaku 代表・横山拓也

MONOの30年をメンバーや関係者の話から紐解く連載の第21回。
今回お話を伺ったのは、大阪芸術大学時代に演劇活動を開始し、
大学4年の頃に初めてMONOの作品に触れた横山拓也さん。
以来、MONOとその作品に心を揺さぶられ続け、
作・演出家として土田英生さんの背中を追っています。
自身は、売込隊ビームでの活動を経て、2012年からは演劇ユニットiakuをスタート。
そんな横山さんから見たMONOの姿とは…?

 

――横山さんの“MONOとの出会い”についてお聞かせください。

1999年のアイホールでの『-初恋』の再演を観たのが最初だと思います。その後、2001年のOMSプロデュースの時(2001年『その鉄塔に男たちはいるという』)に、当時OMSにいらっしゃった今はヨーロッパ企画マネージャーの吉田(和睦)さんから「横山君、MONO好きなんでしょ。演出助手につかない?」と、お誘いいただきました。ただ僕はその時、社会人三年目で、演劇もやっていましたが会社員でもあったんです。だから、演出助手につくのが物理的に厳しくて、泣く泣くお断りした経緯があります。でも「一度稽古見学させてください」と、稽古見学に行った時に、土田さんと初めてお話しさせていただきました。

――その時の土田さんの印象はどうでしたか。

その人となりを知らなかったので、緊張しながらお会いさせていただいたんですけど、どうも土田さんの方が緊張というか警戒をしている感じがありました。「『売込隊ビーム』聞いたことあるよ!『トバスアタマ』(第1回大阪演劇祭CAMPUS CUP’99大賞受賞)だよね!もうタイトルだけで面白そう!」って。そういうときの土田さんってテンションが高いんですよね(笑)。でもそのあと京都芸術センターの稽古場の近くのパブに連れていってもらって、そこで話しているうちに、お互いに緊張感が解けて、いろいろ話してもらいましたね。土田さんともっと仲良くなりたいと思ったんですけど僕の引っ込み思案な性格もあって、その後、ずいぶん長い間連絡できなかったんです。結局、土田さんのほうから連絡をいただいて、改めてお会いすることになりました。初めて会ったときから4~5年くらい経っていたと思います。芝居はずっと観に行ってたんですけどね(笑)。

――MONOの舞台は横山さんにどういう影響を与えましたか。

大学時代はいろんなエンタテインメントに興味を持っていたんですけど、どれもどうもしっくりこなくて。大学を卒業して一年目の秋にMONOを観て初めて「これだ。前を走ってくれる人がいた!」と思ったんです。「僕がやるべきは、MONOと土田さんがやろうとしている世界の近くにある」と思ったことをすごく鮮烈に覚えています。演劇を観てそんな心の揺さぶられ方をしたのは初めてでした。

――どういった部分に心を揺さぶられたんでしょうか?

会話劇の中にある表層的な部分と、その奥に描かれる心理的な駆け引き、葛藤のバランス…。会話で芝居をこんなに深く作れるんだと、衝撃を受けました。そこからずっとMONOを追いかけてきて、それが今も続いています。

――横山さんたちの世代にとってのMONOはどんな存在ですか。また横山さんが感じるMONOの魅力をお聞かせください。

最初から「あこがれ」なんですけど、結局、そうはなれないっていう感覚もありましたね。あと「ずっとそこにいてほしい」と思っていました。僕にとっては、土田さんは劇作家としてのモデルケースでもありましたし。関西の先輩劇団として「レールの上を走っていてもらえれば、その後ろを走っていきます」という感じが僕個人としてはありました。ただ、同世代の劇団というと、デス電所やスクエアになるのですが、彼らがそう思っていたかどうかは分かりません。もしかしたらデス電所にはデス電所の、スクエアにはスクエアの「あこがれ」の先輩がいたかもしれません。

なりたいと思ってもなれない存在。なんでああいう風にできなんだろうっていう思いがずっとありました。俳優の演技の質の統制の取り方だとか、戯曲と演技体のマッチングとか。あと宣伝美術なんかもスマート。僕らはそのあたりがチグハグで。戯曲は「スタイリッシュに書けたかなと」と思っても、俳優がエンタテイメントに演じる、演出がそれを統制できない、宣伝美術はそれなりにオシャレに決まる、でも実際に足を運んで舞台を観るとちょっと泥臭い…。そんな僕の劇団が抱えていたアンバランスさにコンプレックスを感じていたとしたら、MONOはその全体の統制が取れていて、いつもかっこいいなと思って見ていました。

あとMONOが会話劇の中で作り出す笑いは「とびきり極上」です。作品の中で起きる状況のズレから生じる人間の滑稽さを描いていて、人の苦しんでいる姿さえ滑稽に見せることができる。すごいですよ。誰もが日常で抱える嫉妬や葛藤を舞台上できちんと立ち上げながら、それを一緒に笑いましょうっていう共犯関係にしてくれます。自分たちと地続きのところから、ズレていって笑いが起きて、観ている自分自身も楽になったりする。いわゆる、芸人さんが作る笑い―スカッとする笑い―ではなく、MONOは笑ったあとに「ありがとう」っていう喜びを持って帰れる笑いを会話劇の中で作り出すんですよね。MONOの作品が発表されるたびに、「ああ、またあの感覚になれる」という喜びがありました。文学性もありながらユーモアのある笑いがあるっていうのは、僕の中であこがれだったし、自分もそういう作品を書きたくて…。でも、芸人さんが「作る」笑いとは違うと言いましたが、実はものすごい技術で笑わされているんですよね。技術に気付かせない「技術」。今でこそ、稽古の現場を見せていただいているのでそういった部分が分かるようになりましけど、そこを気付かせない、表層の作り方も秀逸だと思いますね。

――横山さんが特に印象に残っている作品について教えてください。

『-初恋』『きゅうりの花』『相対的浮世絵』ですね。『-初恋』は先ほどお話した、初めて観たときの衝撃ですね。『きゅうりの花』は作品の構想、場所の設定、方言…。舞台上で演じられるイェイェ踊り(編注:連載第4回参照)なんかは、最初と最後に同じ踊りが出てくるのに、その見え方の変化=劇的な構成の見事さなど、もうその完成度はすごいと思いました。『相対性浮世絵』は土田さんがイギリス留学から帰ってきた時の作品で、MONOらしさといった普遍性と、これまでは近くにいる人たちを描いていた土田さんが、設定として“霊”という存在を出した。そんな突飛な設定をしているのに、今までのMONOと味わいが変わらないというか、むしろこういう手法を使って、まだ土田作品は進化するんだという部分で驚いた作品でした。

――MONOが30年続いた理由はなんだと思いますか。

あの人たち、美談だらけなんですよ(笑)。土田さんが創作しているんじゃないかと思うくらい(笑)。「圧倒的な友情」がそこにあるんだと思います。言葉にするとチープすぎて、あの5人からはこの言葉は絶対に出てこないと思うんですけど(笑)。外から見ていると確実にそうです。あと新しいメンバーも4人入って、形は変わったのかもしれないですけど、その弟分、妹分が入ることによって、また新たなファミリーになっていく感じもするんです。だからいつでも変化を拒まない集団でもありますね。変わらないことと、変化していくことのバランスが実にいいから30年続いたんじゃないでしょうか。

――少し、無茶な質問かもしれませんが、横山さんがMONOに戯曲提供できるとしたら、どんな話を書きたいですか?

めちゃくちゃ難しい質問ですね(笑)。ある種のテーマ性だとか主題とかを置かない、ただただ「会話だけ」をする作品を書いてみたいですね。でも、これは2000年前後に土田さんがやっていたことでもあると思います。なんでもない話をひたすら続けたり、ゲーム的な要素を入れ込んで会話を続けたりする中で関係性があらわになったり、人間性が出てきたりすることでドラマ全体を動かしていく…。最初にのめり込んだ頃の土田さんとMONOのメンバーが作っていた会話劇に対する「あこがれ」を今、自分の会話のリズムで皆さんに喋ってもらいたいという希望も含めて「ただの会話劇」を書いてみたいです。

――これはインタビューの最後に、メンバーの皆さんにもお聞きしている質問です。MONOのメンバーになれるとしたら誰になりたいと思いますか。

これも難しいですね(笑)。奥村さんです。あの自由さがいい。奥村さんは職人であり、ある意味天才肌だと思うんです。奥村さん自身、俳優としてMONOという現場をホームにして、舞台美術家としての強い芯もあるから、あの自由さが出るのかも…。でも、土田さんって言わなかったことが分かったら、土田さん悲しむかなぁ(笑)。

 

取材・文/安藤善隆
構成/黒石悦子