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プロフィール

奥村泰彦(おくむらやすひこ)
1968年2月6日生まれ。兵庫県出身。立命館大学でMONOのメンバーと知り合い1992年に参加。俳優と並行して舞台美術家としても活躍する。舞台美術家としての近年の作品にグループ る・ぱる『蜜柑とユウウツ~茨城のり子異聞』(演出:マキノノゾミ)、テアトル・エコー『青い鳥たち、カゴから』(演出:土田英生)ほか。第14・17回読売演劇大賞優秀スタッフ賞受賞、第6回関西現代演劇俳優賞男優賞受賞。

第14回「ACTOR’S HISTORY④」奥村泰彦 後編

MONOの30年をメンバーや関係者の話から紐解く連載の第14回。
俳優、舞台美術家としても活躍されている、奥村泰彦さんにお話を聞く後編は
劇団と出会ったその後の道のりをお届けします。

 

――『BROTHER』(1992年)の稽古時に土田さんに声をかけられた後、次の公演『ロマン再生』(1993年)で俳優として舞台に立たれます。

そうですね。『ロマン再生』で呼んでいただいてからは、毎年俳優としても参加するようになったんですが、僕は集団行動が苦手で(笑)。だから劇団の中に入るのは無理だなと思っていたふしもあって、その頃は出演するだけで劇団員ではありませんでした。

――劇団員になるきっかけは、土田さんの方から話があったのでしょうか。

実はその頃、劇団には毎月の月謝みたいな「団費」っていうのがあって、僕、客演だからずっと払ってなかったんです。でも、毎回出てるのに払っていないのはちょっとおかしいんじゃないのっていう話になって…。なので、劇団に入って、ちゃんと支払おうということが、きっかけのような感じでした(笑)。

――話は戻りますが『ロマン再生』に役者として出演されていかがでしたか。

その頃は、劇団パノラマ☆アワー(主宰・右来左往 1989年結成)でも役者をしていたんですけど、やはり最初、MONOに役者で参加することに少しアウェー感もあって、すごく緊張したんです。でも心地よくできたことは覚えています。

――次に出演された『Suger』(1994年)では、“一色正春”という名前で舞台に立たれていました。

舞台美術をやっていたので、舞台美術・奥村と役者・奥村って両方名前が出てるのは「なんか嫌だな」と思って。まあ舞台美術で芸名使っている人はいないだろうし、芸名つけるとしたら役者の方かなと思って勝手に名前をつけました(笑)。その後いろいろあって奥村に戻すことになりましたけど。

――このあたりで舞台美術家としてのお話を少しお聞かせください。前回、「美術に関しては得意な方だったくらいで、その道に進もうとは思っていなかった」と話しておられました。奥村さんにとって舞台美術はご自身の中でどういう位置を占められていますか。

舞台美術は客観的に作品の中で具象として存在するじゃないですか。だから余計そう思うのでしょうが、「いいものを作りたい。いい美術を作りたい」と純粋に思っていて、「下手な美術、ダメな美術は作りたくない」という思いだけですね。もちろん仕事としてやっていく上で、(ニーズには答えないといけないので)そればかりじゃダメな時もあるんですけど…。だから僕は、舞台美術家としては「アマチュア寄りなのかな」とは思いますね。仕事というより、いいものを作りたいという気持ちが大きかったりしますから。

――舞台美術家として印象に残っている作品はありますか?

時空劇場で舞台美術を担当した『紙屋悦子の青春』(1992年 作・演出 松田正隆  出演・内田淳子、金替康博 扇町ミュージアムスクエア)です。ベニヤを細切りにしてそれを編んでいくっていう手法をその時から使い出したんですけど、それが『月の岬』(1997年6月 青年団プロデュース 作:松田正隆、演出:平田オリザ)の舞台美術につながっていくことになりました。MONOの舞台の中では『-初恋』(1997年)が自分では好きですね。アパートを舞台にした作品でしたけど、その当時「こんなところに住めたらな」っていうのが具現化できたのもありましたし、役者が動く導線を計算して設計できたことが、自分の中でうまくいったなって思います。

――これから舞台美術家としての展望をお聞かせください。

「次に作るものを、今まで作ってきたものより一番いいものにしたい」っていう気持ちはあります。ただ、美術が特に好きなわけではなかったこともありますし、仕事がなければ、辞めていただろうなとは思っているので…。でも夢があるとしたら、いつかイギリスとかアメリカなどの海外で舞台作りをしてみたいなとは思いますね。そういう話があったらぜひやってみたいと思いますね。以前『その鉄塔に男たちはいるという』をニューヨークで現地の俳優たちが上演したことがあって、その時、企画のひとつとして、MONOのメンバーも同じニューヨークの劇場で、作品の一部を上演させていただいたんです(2007年・TBG劇場)。あの時、そこに立つだけで高揚して武者震いをするというのを初めて経験したんですよね。そういう空気感のあるところで美術も作ってみたいなっていう夢はあります。

――劇団の話に戻りたいと思います。MONOが作り出している作風、MONOという集団に関してはどう思われていますか。

30周年ですけど、作風自体は基本的にはあまり変わってないとは思います。「マイノリティな集団が外部の圧力によって壊されていって、バラバラになって、そこからまた再生するのかなっていう希望を抱かせる」という作風は全然変わっていない。土田さんも年齢を重ねて、大人な視点が増えたなとは思いますが、それは僕だって50歳ですし、50代の役者が演じられる役というのも限られてくると思うんです。だから役者の年齢と共に、それに見合ったものになってきたんだと思います。そういう部分はありますが、でも根本は変わっていないと思います。でも新しいメンバーが入って、また新しい視点が生まれてくるとは思います。

――ご自身の中で役者として、転機になった作品はありますか。

転機というほどのものではないかもしれませんが、『きゅうりの花』(1998年)で僕は、結構性格の悪い役を演じたんですけど、その役は喋りまくる役でもありました。それまでそんなに多くのセリフを任されたことはなかったので、任された責任感がありましたね。舞台では誰よりも多いセリフ量があったと思います。「こういう役も俺、出来るんだ」って、やっててすごく楽しかったですね。でも稽古の最初は、この役がどう転がっていくのか全然わからなくて。土田さんの演出も役者のテンポを見ながら練り上げられていくので、稽古が進んでいくうちにセリフが多くなっていって、徐々にあの役ができ上がっていきました。だから、公演が終わってから改めて「ああいい役だったんだな」って思った感じですね。

――「いい人たち」が出てくるMONOの舞台で、奥村さんのキャラクターは集団の中での「嫌なヤツ」の役をやることも多いですよね。

そう言われればそうですね(笑)。演技派と言われる役者が好きだったので、例えば前回も言いましたが、映画で言えばダスティン・ホフマンとか。さまざまな役を本当にその人になりきって演じるというのは「素晴らしいな」と思っていたので、たとえ「嫌なヤツ」の役でも、その役を生きることができれば本当に楽しいですし、それがその作品を作るためのいいアクセントになるとしたら、それはうれしいですね。

――その「嫌なヤツ」は土田さんが生み出す世界の中では、結構「いいヤツ」に昇華されていく部分もあって、関西弁で言ったら“おいしい”役だったりもします。だから逆に演じるのは難しい役かとも思いますが、奥村さんにとって役者で大切なことって何だと思われますか。

先ほども言いましたが、「その演劇の世界の中でちゃんと生きられているか」っていうのが僕の中で大事なことかなと思っています。一人の人物を演じる時、登場人物としてではなくて、本当に“生きている”人間として演じられているか。その部分が大事かなと思っています。

――劇団が30周年を迎えましたが30年で何が変わって、何が変わらなかったと思われますか?

単純に、年齢が変わりました(笑)。でも気持ちは変わってないような気が僕はします。メンバーと会ったら、20代、30代の頃の気持ちのまま全然動かないんですよ。話していると、気分的にもそこに戻っちゃうというか、同窓会で急に子供の頃の心境に戻るとかと同じで、集まるとそうなる。でも肉体的には年老いている。気持ちは同じですけど体が変わっていっている感じですね。そういう意味ではMONOは特別な場所だと思います。尾方とか金替が外部で役者をする時は、今の年齢の心境に合わせてやっていると思うんですけど、MONOに帰ってくると、気持ちの年齢は低くなっていると感じます。それがいいことなのか悪いことなのかはわからないですけど(笑)。

――今後、作品を書いたり、演出したりする可能性はありますか?

僕には向かないと思います(笑)。多分、戯曲は書き上がらないだろうなと思います。演出は何となく、役者の立ち位置を決めたりする「ミザンスをつける」のは得意な方だと思うんです。音楽が入るところの指示を出したり…。こういう流れで人が動くみたいなのは多分できると思うんです。でも、僕はコミュニケーション能力がないですから(笑)。だからミザンス以上の深い話をし始めると僕の意思が役者に伝わらないんじゃないかなと思いますし、役者の不満に対してもうまく返せないと思います(笑)。だから、多分、どっちも無理かなと。もしそういう状況が訪れたら、何が何でも頑張りますが、多分そういう状況は訪れないと思います。

――最後の質問です。これも皆さんにお聞きしていますが、なれるとしたらメンバー中の誰になってみたいですか?

そうだな。金替かな。人間性が、人との接し方が非常にうまくって、聞き上手で、話を弾ませてくれるんですよね。土田さんはもちろんそうなんですけど。柔らかな返しというか、あれは憧れる部分ではありますね。あと正直、 MONOには向いてない役者です(笑)。そもそも時空劇場の金替はすごかったし、外部で平田(オリザ)さんが演出された作品とかに出ている彼には「こいつには敵わんな」と思ったし。MONOでは「あれ、こんな演技するんやったっけ」って思ったりします(笑)。やっぱり、本当はテンポが違うんだと思います。僕も頑張ってテンポを合わせていますが、あいつはもっと合わせてる。でもそこから表出される微妙な部分がMONOの舞台のアクセントになって、他の役者との相乗効果を生んで、作品に厚みが出てるんだと思います。

 

取材・文/安藤善隆
構成/黒石悦子