MO'SOME TONEBENDERの
百々和宏(vo&g)による書籍『泥酔ジャーナル3』が
全国のタワーレコードにて発売中!
発売記念トークイベントも開催決定
MO'SOME TONEBENDERの百々和宏(vo&g)による、雑誌『音楽と人』の連載コラム『泥酔ジャーナル』をまとめた単行本第3弾が、8月5日に発売された。本人書き下ろしの全国酒場ガイド“酩酊ミシュラン”も収録されており、モーサムファンのみならず、ロックと酒が好きな方にはマストな1冊となっている。9月1日(火)には東京・下北沢 CLUB Queで発売記念トークイベントの開催も決定。まずは気になる本書のレビュー(下記)をチェックして!
【REVIEW】
どうして人は記憶をなくすほどに、呑んでしまうのか?
シリーズも三作目である。MO’SOME TONEBENDERの百々和宏による酒呑みエッセイ&全国の安酒場案内をまとめた「泥酔ジャーナル3」が上梓された。いよいよカバーデザインには「泥酔」という文字しかパッと目につかない。その潔さに誘われて本書を開くと、見返しの赤色がほとんど軒先の赤ちょうちんのように目の前で灯り出し、暖簾をくぐる勢いでページを繰ると、最初(開店)から最後(店じまい)までエンドレスで飲み倒し……それが本書である。
この本は、著者の飾らない文章で綴られる、お酒にまつわる面白くも味わい深いエッセイと、彼がツアーの先々などで巡り合った、その土地に根を張って生きている酒場を紹介する「酩酊ミシュラン」とで構成されている。あまたある酒場紹介本の中にあって、本書が決定的に違うのは、著者が何時いかなる時でも「泥酔」している、ということだ。正直、ここまで飲んで、文章になるようなものがどれほど残っているのだろう? と心配にもなったりするくらいなのだが、本書に好感が持てるのは、酒場での記憶のロスト具合も含めてそのまま文章になっている、というところだ。それはまるで、優れた音響設備が整った大ホールで鳴らされる音楽よりも、演奏する者同士のハートの軋みが聴こえるほどの狭いライブハウスで轟くロックンロールそのもののような響き方を、彼の文章はするのである。
泥酔、というだけあって、酒場での失敗も、枚挙にいとまがない。
それらをまとめたものが本書だ、と言い切ってもいいくらいだ。
呑みすぎて階段を踏み外し、二階から一階まで転げ落ちた、なんてエピソードは軽いジャブ、ある夜は千鳥足で渋谷のスクランブル交差点を機材引きずりながら歩き(それを見ていたスタッフは「はじめてのおつかい」のようだったと証言)、そのまま自宅の駐車場に機材を放置し、はち切れんばかりの膀胱を抱えて自宅の便所に駆け込み「永遠に続くんじゃないか」という放尿の開放感のまま布団にダイヴ、朝まで機材はそのまま野外だった、というミュージシャンとしてアウト寸前のゾッとする失敗をし、またある夜は、神戸でのステージ終わりで気持ち良く酒場をハシゴ、いつも通り記憶消滅のままベッドに潜り込み、翌日チェックアウトして一路東へ。高速道路のサービスエリアで、あることに気づく。財布からカード類が一枚残らず消えていたのだ。方々に問い合わせてみたが、当然見つからなかった…。四十を越えた社会人として…アウトだと思う。そうした失敗は、驚くことに酔っている時だけではない。シラフの彼は昼間の公園でふと思うのだ。足元に落ちているギンナンを拾い集めたらフリーでツマミ食べ放題じゃないか、と。もはや酔っ払いにしかない思考回路でひらめき、コンビニ袋いっぱいのギンナンを集めることに成功する。そして公園の公衆トイレの手洗い場でギンナンを洗いまくった……までは良かったが、相手はギンナンである。とても臭い。果敢に素手で挑んだ彼の指先は悲惨なことになり、その直後に予定されていたスタジオ・リハーサルでは当然のことながらその猛烈なウ◯コ臭により孤独を味わうはめに……。泥酔の翌日、つまり二日酔いの朝(世間で言う昼)もすごい。吐きそうになると「コーラのデカイのを買ってきてラッパ飲み」し、数回GERO。著者のあみ出した方法で、こうすると「胃液の苦みを中和し甘くて美味しい」GEROを吐き出すことができるので「オススメ」なのだそうである……。
どうして人は記憶をなくすほどに、呑んでしまうのだろう?
呑める人なら自らの体験からそう思うだろうし、呑めない人ならなおさら疑問だろう。
この永遠の謎とも思える問いに、著者は迷うことなく、こう応えるのだ。
「『嫌なら飲むなよ!』とツッコミ入れたくなるのは分かる。しかし、それは不可能なのである」
そこに酒があるからだ、と。明快だ。
ここで紹介したいのが、吉祥寺にある「スナックちづる」のママの言葉。
「『ちいちゃん私ね、人生で一番嬉しい時と悲しい時、どっちもココに来たよ』って言ってくださって。素晴らしい言葉を頂いたな、有難いなって」
ぶっといベース音のように臓腑に響く言葉だ。
人生で一番嬉しい時と悲しい時、スナックちづるを訪れた人は、きっと飲みすぎたことだろう。そして、嬉しいことも悲しいことも同じようにきれいさっぱり忘れてしまったのではないだろうか。
著者自身も本書の中で、嬉しいとばかりは言えない経験を多く綴っている。「地獄の泥酔ロッカー」こと、ブラッドサースティ・ブッチャーズ・吉村秀樹(「いいちこ」を愛した)の訃報に触れ、また、テキーラをショットガンで「2本ほど」飲んでは大先輩の池畑潤二に抱えられ、阿佐ヶ谷のBARの知り合いのオーナーが若くして病気で亡くなり、東日本大震災の揺れを木造家屋の自宅で体験……。そのすべてを彼は心に刻みつつ、余計な悲しみや同情といったようなものを酒場に忘れていくのである。
最後に、著者が自分より年若いバンドマンに、相談された時に必ず言うという言葉を本書より引用する。
「ワタシよりキミのほうがきっと才能あるから、幸福のハードルを少し下げてみたらどうか。あと喜びのハードルも。30過ぎたらちょっとマシに、35過ぎたらずっとマシに、40過ぎたらその悩みさえ忘れとるよ。バンド続けときゃね」
人生とはもしかしたら、歳を重ねるごとに「泥酔」することに似ていくのかもしれない……そう思うと、本書の中で曝け出しすぎるほどに曝け出される著者の姿態の数々が、自分とぼんやり重なって見える時があり、それはまるでいつか誰かの部屋で最高のロックンロールを聴きあったような、たまらない懐かしさをおぼえるのだ。
筆者は今夜もどこかの安酒場で泥酔ショーを繰り広げていることだろう。すべての酒場とそこに集う人々と、また、すべての人の人生に、本書を捧げる。
文:谷岡正浩
(2015年8月19日更新)
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