ホーム > インタビュー&レポート > 古希を越えて三席に挑む桂塩鯛、 名人たちから学んだ芸と師匠・ざこばへの思い
――サンケイホールブリーゼでの独演会も毎年恒例になりました。
こんなに長く続けられるとは思っていなかったんですけど、本当に長きにわたって、皆さん方のおかげで続けさせていただいています。70歳を超えて、去年は古希の記念の会をさせていただきました。今年は古希を過ぎてからの第1回目ということで、三席を思い切りやらせていただきたいと思います。
――今回の演目は、どのような思いで選ばれましたか。
『船弁慶』は、一応、今回のメインになっているわけですけど、これは言うたら枝雀師匠との思い出の噺です。昔、一遍やっているようなんですけど、また再びやらせていただこうかなと思っております。
『ちりとてちん』は、2年ほど前に南光さんにご相談し、お許しをいただきました。「稽古をお願いします」と言ったら、「『ちりとてちん』やから三味線から稽古して」と言われましてね(笑)。もちろん冗談ですけど、何回か聴いていただきました。
『抜け雀』は、自分の独演会ではたまにやっていました。これは米朝師匠がお得意にされていた噺のひとつです。なので、枝雀、南光、米朝と、このお三方の噺をさせていただこうと思います。
――近年覚えた『ちりとてちん』を、今回の演目に選んだ理由は何でしょうか。
みんな、ぎょうさんやっている噺でしょう。だから、あんまりせんとこかなと思っていたんですけど、非常に使い勝手がいいんですよ。例えば老人ホームへ行った時に非常にウケたんです。こういう噺をひとつ持っておくとええなあと思って、南光さんにご相談させてもらいました。
南光さんには「好きなようにやって」と言われて。動楽亭で一緒の出番の時に、「こないだ覚えた『ちりとてちん』をやりますんで、聴いてもらえますか」と言うたら、袖で笑うてはりました。「ああ、それで結構です」と。
――三席は、それぞれ趣の異なる噺です。演じるうえで、どこにポイントを置いていますか。
『ちりとてちん』なら、最後に出てくる、嫌みを言うタケという人に焦点を当てるということでしょうか。『抜け雀』は、やっぱり貫禄がいるんですよね。若い絵の名人がおって、最後に、その父親であるもうひとりの名人が出てくるわけです。このふたりの使い分けが大事だと思います。そんなにわぁわぁ笑う噺でもございません。お客さんに非常にいい後味で帰っていただけるように、そこをポイントに置いてしゃべらせてもらおうと思っています。
――『船弁慶』はいかがでしょうか。
喜六をいかにアホらしく、恐妻家として見せるかが大事ですね。もうひとつ大事なのは、嫁さんの方です。ほんまに怖い嫁さんなんですけど、ちょっとかわいいところもある。アホの喜六も、そういうところは分かっているでしょうし、その関係を、物語の中でどうしゃべるかです。
まず、嫁さんが外から帰ってくるところが、ポイントになると思います。「ああ、えらい奴が帰ってきよったわ」となるんですけど、怒った時にも「こんなかわいいところもあるんでっせ」と感じさせる。嫁さんの強さとかわいさ、そして喜六のアホらしさを、きちんと出したいと思っています。
――ふたりの滑稽なやり取りから、終盤は芝居を演じる場面へと移ります。
船に乗って、急に芝居になるんですよね。今までアホな話をしていた奴が、いきなり芝居のパロディーをする。どう考えてもおかしいでしょ。それが落語の嘘といえば嘘なんです。こんなアホな奴がちゃんと芝居をできて、嫁さんの方も芝居の受け答えができるわけですから、違う噺といえば違う噺なんです。つじつまが合う、合わんということではなくてね。
僕も初めて聴いた時は、何のこっちゃ分からんかったんですよ。それで、「これは俄をやっているんやで」ということを、橋の上から見ている奴がきちんと説明せんといかんのやなと分かりました。落語をあまり聴いたことのない人が聴いたら、「何、今の噺?」「最後がよく分からなかった」となるかもしれません。だから、そこはちゃんと演じないといかんと思っています。
――『船弁慶』は、枝雀師匠との思い出が詰まった噺でもあるそうですね。
枝雀師匠には非常によくしていただきました。稽古にもよく行きましたし、三つ、四つ噺をいただいています。若い時、ラジオやテレビでレポーターや中継の仕事をしていて、あちこち飛び回っていた時期があったんです。それを一番監視してはったというか、枝雀さんが「君は今、新しいネタは何をやってんねん?」と、ちょいちょい聞かれるんですよ。
ネタを増やしていかないといかん時期でしたから、「最近はどうですか。新しいネタをやってますか。今、何を勉強してるんですか」と。その時は『胴乱の幸助』を覚えていたので、「今、『胴乱の幸助』を覚えてるんですけど」と言ったら、「えっ、あ、そうか。やってんねや。テレビとかラジオとかばっかりやってるもんやと思ってたんやけど、ほ~、やってたんや」と。あの時、どれだけ怖かったか(笑)。いまだに思い出します。ほんまにやっていてよかったですよ。あの時に「何もやってません」と言ったら、どんな目に遭わされていたか(笑)。
――枝雀師匠から受け継いだものが、『船弁慶』にも入っているのでしょうか。
『船弁慶』は、もともと先代の文枝師匠から枝雀さんが教えてもらいはって、それを私が聴き、何回か枝雀さんにも聴いてもらいました。なので、枝雀師匠流のエッセンスがたくさん入っています。
ざこば一門会や自分の会でやると、枝雀師匠の奥さんが来はることがあるんですよ。奥様が一番よく分かってはるから、「塩鯛兄ちゃん、今日の『船弁慶』は、うちのお父さんのやつやね」と。「はい、そうです」と答えたら、「ものすごくよかったわ」と。非常に喜んでいただきました。
『くしゃみ講釈』などにも、枝雀師匠の流儀と言いましょうか、そういうものが入っています。ただ、丸々、枝雀さんのとおりにはできませんので、僕は自分なりに工夫をしながらやらせていただいています。
――枝雀師匠は、稽古の際にどのような助言をされたのでしょうか。
そんなに「あれをこうせい」と細かく言う人ではなかったです。「こうして覚えました」と言うと、「ああ、なるほど」と。ちょっと逸脱したような演出をすると、「それ、ちょっとおかしいんちゃうか」と言われるぐらいです。ちゃんと筋立てで話をして、エッセンスを入れて話している分には、特に細かいことはおっしゃらなかったです。
『船弁慶』は聴いてもらっただけですが、『くしゃみ講釈』は、ちゃんと稽古してもらいました。稽古の間も笑ってはりましたね。それは、枝雀師匠の噺をやっているわけですから、めちゃめちゃセンスが合う。それを聴いて、「ええがな、ええがな」と笑ってはりました。
――今年は師匠のざこばさんの三回忌にあたります。先日、サンケイホールブリーゼでの追善公演を終えて、師匠への思いに変化はありましたか。
この間の追善公演で、初めに映像で(ざこば師匠の)『桃太郎』をやってましたよね。改めて聴くと、やっぱり「おもろい落語やったな」と思いますね。お仕えしていた時より、そういうことをひしひしと強く感じるようにはなりました。ほかの落語を聴いても、「なるほど、なるほど」と思うことがあります。我々はこういうところを見習わなあかんのやろうなとか。亡くなってからも教えていただいているようなところもございます。
――2027年には芸歴50周年を迎えます。今後の目標を教えてください。
師匠は76歳でお亡くなりになっていますが、16歳で入門しているので、61年くらいやってはる。キャリアとしては、とても長いです。今の目標は、師匠よりも一日でも長生きしようじゃないかと。あまりにも早かったのでね。ちょっとでいいから長生きすることが師匠に対する恩返しのような気がするんです。
落語の方も、まだ勉強せないかんところがございますし、違うタイプの噺もしていかんといけないのかなと思っています。ですから、76歳まではサンケイさん、どうぞよろしくお願いいたします(笑)。
取材・文/岩本和子
(2026年9月24日更新)