ホーム > インタビュー&レポート > 七代目三遊亭円楽襲名披露興行が全国で開催中 まもなく大阪へ!
――七代目三遊亭円楽襲名、おめでとうございます。今年の2月20日に襲名し、現在は全国で披露興行真っ最中ですね。襲名は、どのように決まったのですか。
僕がそのお話をいただいたのは2023年の12月20日。先代(六代目)のおかみさんが「七代目は王楽にとうちの人が言っていたから、継いでくれないか」とおっしゃってくださって。実は僕は直接は伺っていないんです。兄弟子と、父の好楽がおかみさんに呼ばれて、僕は翌日に兄弟子から聞きました。
――なんとなく予想はされていました?
してないです! まったくの寝耳に水。僕、来年の春で入門からちょうど四半世紀なんです。23年間「王楽」としてやってきて愛着もあるし、大好きな師匠につけていただいた名前。......まぁ、前座の頃は、新人が「王」だなんて......と嫌でしたけど(笑)。でも先輩方にも「王ちゃん」と呼んでいただき、かわいがっていただいた大事な名前でしたから。円楽か......と。ただ、去年が先代の3回忌だったんです。ドラマチックに襲名するなら今か、と思って、荷は重いですが、受けさせていただきますと答えました(※七代目襲名の発表は、まさに六代目の3回忌である昨年9月にされた)。
――ドラマチックに......とは?
人間の記憶は風化するじゃないですか。7回忌に継ぐとなると話は違ってくるだろうなと思ったんです。今だったら、六代目はもちろんのこと、五代目の記憶も皆さんの中にあるでしょう。五代目、六代目と「円楽」は全国で知らない人はいないと言っていい。落語ファンじゃない人の間でも名前と顔が一致する噺家ってそうはいないんですよ。それはとても大切なことだなと思ったんです。
――円楽という名前は、どういう名前ですか。
継いでおいて自分が言うのも何ですが、ブランドネームです。落語界で今空席となっている大名跡は、志ん生や円生などいくつかありますが、通りを歩いている人に聞いてもほとんどの人は知らないと思う。今の世間での知名度で言えば「歌丸」の方が上でしょう。円楽も同じです。「円楽」は五代目が大きくしましたが、(楽太郎として知名度も充分あった)六代目が途切れさせずに残してくださったのが大きかったですね。
――そもそも、噺家さんにとって「襲名」とはどういうシステムなのですか? 歌舞伎の世界の襲名とは違う、とは聞いたことがありますが。
たいていは"遺族持ち"です。その名前が欲しかったら、先代のご遺族、あるいはそこに準じる方にお願いにあがり、仁義を切る。でも「円楽」だけちょっと普通じゃない。五代目はご存命の間に六代目に名前を譲っています。27人弟子がいる中で、五代目ご自身が「次の円楽は楽太郎(後の六代目円楽)だ」と宣言した。僕は楽太郎師匠から直接は言われなかったけれど、おかみさんに伝えていらした。非常に手前味噌ですが、この形は健全だなと思うんです。なんでみんなそうしないんだろう......。だって弟子たちはみんな師匠を愛していますから、師匠が亡くなったら「俺が一番かわいがられていた」「いや俺は師匠に直接言われた」とか、そういう話がどんどん出てきますよ(笑)。先代が指名するのが最も衝突がない。僕はまだまだ長生きするつもりですが、絶対に存命中に次を任命しようと心に決めています(笑)。
――ちなみに五代目のお弟子さんに円楽の名前を戻した形ですが、六代目のお弟子筋からは特に反発もなく......?
それがまったくなく、僕の人徳なんでしょうねぇ(笑)。......すみません、ちょっと笑いを挟みたくなりました(笑)。でも本当に皆さんが祝ってくださった。六代目の筆頭の兄弟子である楽生兄さんには「できることがあれば全部やるから、お前は神輿に乗るだけだ」と言っていただきました。六代目筋だけでなく、五代目の弟子の兄弟子たちもです。昨年の8月15日、両国寄席(五代目円楽一門会が毎月開催している寄席)の楽日に皆さんに集まっていただき、兄弟子から発表してもらったのですが、万雷の拍手で祝ってくださって。もちろん僕の後ろには好楽がいてくれているというのも大きいと思うのですが。
――円楽一門は結束が固いですね。
結束が固いというか、仲がものすごくいいんですよ。
――五代目、六代目は、円楽さんにとってどんな師匠方でしたか。
五代目円楽に僕が入門したのは23歳の時。その時師匠は68歳でしたから、おじいちゃんと孫のように可愛がってくださいました。幸か不幸か、僕は一度も怒鳴られたことがない。師匠も僕も映画が好きだったので、地方の独演会に行く車中でずっと映画の話をさせていただいたり、楽しかったな。で、現場に着いたら師匠の落語を数席聞けて......最高でしたね(笑)。その分、楽太郎師匠(六代目円楽)にはたくさん怒られました。褒められたことがない。ご自身がよく気が付く方だから、全部できちゃう。こちらが何か動こうと思っても遅いんです。前座の頃は立ち居振る舞い、お茶の出し方、居方、すべてにおいて厳しく言われました。落語のことを言っていただけるようになったのは二ツ目になってから。真打になっても耳の痛いことを言われました。ただ、真打になると怒る人がいなくなるんです。そこを注意してくださるというのはやっぱりありがたいことです。怒られる夢もたくさん見ました。カバンを忘れて怒鳴られて「ああ夢か......」と起きて、現場に行ってもっと怒られて「夢の方がマシだった......」とかね(笑)。晩年体調を悪くされてずいぶん小さなお体になられましたが、それでも「明日、師匠と一緒か」と思うと自分が前座の頃の心持ちになった。でもそういう方がいてくださるというのは幸せなことだった。目をかけてくださっていたんだなと、今なら思えます。
――ありがとうございます。師匠ご自身のこれまでのことも教えてください。お父様が好楽師匠。そのわりには23歳で入門というのは遅くないですか? 二世の噺家さんですともっと早く始めていらっしゃる印象があります。
僕、大学に入るまで落語を聞いたことがなかったんです。父も家で稽古をする人じゃないし。......と言ってもあの人は家の外でも稽古をしないのですが(笑)。たまたま大学に入って、聞く機会があった。初めて観た時はびっくりしました。一人で喋っているのに、右向いていたのが左を向いたら別の人になっている、ここは宇宙だと言えばそこが宇宙になる、「うわ、高ぇな」と言えば絶壁に立っている姿が目に浮かぶ。それがカルチャーショックで。つまり映画好きだった僕には、これは演出もできるし演者にもなれる、さらに脚本も書ける芸能だ、面白い!と思ったんです。可能性が無限にあるなと。そこから夢中になって。僕、オタクなんで、ハマると早い。寄席に通いまくり、家にあるテープを聞き、ビデオを見まくった。
――そうなんですね!? 子どもの頃からいろいろな師匠方にかわいがられていたというお話を聞いたことがあったので、てっきりいろいろな落語会に幼い頃から行って、楽屋などに入り浸っていたのかと......。
いや、好楽がああいう性格なので、夜中に仲間を家に連れてくるんです。兄弟弟子とか、それこそ一之輔の師匠の一朝師匠とか。だから落語を好きになって鈴本演芸場に行ったら「あ、この人知ってる! 家によく来ていた一朝さんだ」みたいな、そんな感じでした(笑)。
――ちなみに、その寄席通いをしていた頃に好きだった師匠はどなたかお聞きしても......?
まったく詳しくなかった中、「この人はいつも面白いぞ」となったのは柳家権太楼師匠と入船亭扇遊師匠でしたね。ただ権太楼師匠は、自分がもしやるとしたらこういう方向ではなさそうだなと思って。好みがハマったのは扇遊師匠です。ほかにもそういう"好み"の師匠は大勢いらっしゃいました。でも「この人の真似はできないな、この人はどんなエネルギーでできているんだろう」と思ったのは、円楽(五代目)です。師匠はもちろん技はあるのですが、談志や志ん朝のように「流麗に語る」芸ではない。その分、爆発力がある。未だに師匠の「中村仲蔵」や「小間物屋政談」を聞くと、圧倒的に面白いです。やっぱり落語って"人間"を見るものだと思うんです。例えば売れている師匠より上手い方はいっぱいいる。でもなぜ"その師匠"が売れているのかというと、人間力だと思います。五代目はその最たるものでした。......で、円楽に弟子入りするとなると、父と兄弟弟子になるわけですが、それもあまり聞いたことがないので面白いかなと思い(笑)、円楽に弟子入りしました。
――好楽師匠に弟子入りするという選択肢はなかったのですか?
子どもの頃、実はあまり父親とは喋ったことがなくて。朝起きるともういないか、飲みすぎて寝ているかだし、夜は遅い。そのせいか、その選択肢はありませんでした。照れくささもあったのかもしれません。でも落語家というものを職業として考えるようになったら、さすがに言わないといけないなと思い、大学4年生の時に初めて正座をして好楽に「落語家になりたい」と言いました。父は遠慮も気遣いもいらないから、ほかの協会でも立川流でも、自分の愛した師匠のところに行きなさいと言ってくれました。でも円楽一門に入って、自由に動かせてもらったのは僕の強みだなと思っています。円楽も好楽も「あそこには稽古に行くな」というようなことは言わない人でしたから。また円楽一門はもともと落語協会でしたし、「兄さん(好楽)には若い頃にお世話になったから」「ご馳走になったから」と僕に稽古をつけてくれる師匠も多くて。円楽の弟子で、好楽の息子で、良かったなと思います。
――さて、現在真っ最中の襲名披露興行ですが、協会、一門超えて、豪華な出演者が勢揃いしていますね。
父と小遊三師匠を主軸に、自分が出てもらいたい方にお願いしました。もちろん主催者がブッキングしてくださったところもありますが。ありがたいことです。
――大阪は、小遊三師匠、花緑師匠、宮治師匠と、襲名披露興行の番頭を務めていらっしゃる好一郎師匠がご出演されます。大阪公演のアピールポイントは?
僕、一度も大阪で痛い目にあったことがないんですよ。以前は東京の芸人は大阪を怖がっていたんです。談志師匠も苦手にしてたぐらい。でも僕が入門した頃から東西交流が盛んになり、僕も年に2度ほど独演会をやっています。お客さんの感情表現がものすごいから、人情噺でも「そんなに泣いてくれる!?」というくらい反応してくださる。いい思い出しかないので、今回もそのつもりで行きます! また、人気者であり実力も兼ね備えた手練れが揃っています。最初に好一郎が上がり、宮治ちゃんに花緑師匠、小遊三師匠と、皆さん空気を読みながら次にバトンを回す方たちです。寄席もそうですが、落語の興行はリレー。噺家は自分の位置をみて「古典と古典の間だから新作を入れようかな」「ここは漫談で降りた方がいいのかな」と、自分の役割を決めるのですが、そのリレーが完璧にできる人たちです。具体的には当日の流れを見て決めますが、おそらく笑って笑って......が続くと思うので、僕はたぶん人情噺をやらせていただきます。極上の人情噺をやりますので「落語は初めて」という方にも来ていただきたいですね。
――上方の噺をやる可能性も?
あるかもしれませんね! 僕、「一文笛」とか米朝師匠に習っていますから。そんなセレクトもあるかも(笑)。
――大阪なのに、上方落語協会の方がいないというのが面白いですね。
たしかに。お願いしようと思えば文枝師匠といった方にも出ていただけただろうに(※東京の披露目には出演されている)、でも主催者が「東の芸人だけの方が目新しい」と思ったのかもしれません。大阪のお客さまにも東の芸人を楽しんでいただけたら。
――襲名披露興行は口上があるというのも"特別感"があります。
そうそう。口上はやっぱり面白いですよね。みんなが「ウケよう」と思って盛り上げてくださいますから。僕自身が一番嬉しい、真ん中に控えて何も言わずとも、皆さんが僕のことを話してくれる(笑)。
――少し余談なのですが、今回の披露目、師匠は色紋付で出ていらっしゃいます。色紋付は格式の高いものだというのはわかってはいますが、披露目は黒紋付のイメージだったので少し意外で......。なぜ色紋付なんですか?
アハハ(笑)。あれは、目立つからです! 六代目が色紋付を着ることが多かったんですよ。僕の二ツ目昇進の時も楽太郎師匠は水色の紋付をお召しになっていました。それを見ていたので「これもアリなんだ」と。兼好兄さんの披露目で司会をやる時も、僕は色紋付着ていた。まだ二ツ目なのに、今考えると図々しい(笑)。その時は「家入家には黒紋付が一枚しかないのですが、あの人(好楽)が着ちゃっているので......」と言っていました(笑)。
――なるほど(笑)。改めて、大名跡を継いだ現在の心境を。
落語会は今までと変わらずありますが、同じトリを取るにしても、王楽で取るのとはちょっと違う。口慣れた噺も、やっている最中に「"円楽"という名前でやるレベルはこれでいいのか」と頭をよぎります。だからレベルを上げなければいけない。円楽という名前が、自分を一回り、二回り大きくしてくれるのだと思うし、それが円楽を背負う覚悟なんだなと思います。最近、ホームグラウンドの両国や梅屋敷でも"一見さん"っぽいお客さまが多いんです。おそらく「新しい円楽はどんなもんなんだろう」と観に来てくれているのでしょう。今まで以上に下手は打てません。また、一門としては、今は父親がテレビに出ていることで引っ張ってくれていますが、自分や兼好兄さん、萬橘といった下の世代がどんどん前に出ていかなければとも思っています。今、下の子たちも活気づいていて、とても良いんです。我々世代が彼らを引き上げて行かなければいけない。円楽という名前をもらい「道」を作ってもらったからには、もっともっと頑張らなければ、と思っています。
――最後に、この円楽という大名跡を継いだ次の目標を教えてください。
今は"お祭り"で僕を主役にしてくれていますが、このあとは自分の力次第。二の矢・三の矢が大事になってきます。師匠亡きあと、僕は小朝師匠が"ほぼ師匠"というくらい私淑しているのですが、小朝師匠も「次の次を考えてやっていかないとダメだよ、それは君が自分で考えるしかない」とアドバイスをくださいました。自身としては、五代目や六代目、その上の円生師匠がやっていた噺の勉強をし、落語の修行を続けるというのは当然のこと。その上で、演芸界自体を盛り上げていきたいと思っています。六人の会(小朝、鶴瓶、正蔵、昇太、志の輔、花緑)の師匠方がやっていた「大銀座落語祭」のようなものをやれたらいいですよね。伯山もXで「大銀座落語祭のようなものに、講談と浪曲を入れたバージョンでやってくれないかな」とつぶやいていましたが、そういうことができたら......と考えていますし、そういうことに向け、なるべく早く動いていきたいと思っています。
取材・文:平野祥恵
(2025年6月11日更新)
チケット発売中 Pコード:532-231
▼6月15日(日) 13:00
サンケイホールブリーゼ
全席指定-5000円
[出演]三遊亭円楽/三遊亭小遊三/柳家花緑/桂宮治/三遊亭好一郎
※未就学児童は入場不可。
[問]ページ・ワン■06-6362-8122