ホーム > インタビュー&レポート > 大阪で初の二人会を行う立川小春志 「女性にも古典落語はできることを今の時代だからはっきり感じる」
kosh――立川流では初の女性真打になられましたが、真打はどういうタイミングで?
入門して18年目に真打にならせていただいたのですが、真打というのは、普通は寄席の席亭と、落語協会理事の方々のお墨付きをいただいて、徐々に年期で決まって順番に上がっていくんですけれども、落語立川流の場合は大師匠である談志が亡くなった現在、それぞれの師匠が決めるという風に変わっていってます。決定するスタイルはバラバラですが、例えばトライアルを行い、師匠のみならず、お客さんにも見てもらって納得してもらうような決め方もあります。
私は17年目の時に言われました。もちろん、"なんで真打に?"とは口が裂けても弟子からは聞けないですから、師匠から「なれ」と言われたら、「はい、喜んでならせていただきます」と。基本、"なんで?"という疑問を師匠に持っちゃいけないと教えられてきましたからね(笑)。とはいえ、「来年から、真打昇進披露公演への花火の打ち方を考えなさい」とも言われたので、そこはアドバイスをいただきながら準備を進めました。
そして師匠から「お前、名前どうすんだ?」「変えたいと思います」「じゃ、考えとけ」って言われて、談春の〈春〉の字を入れようと色々名前を考えましたが、行き着くところはやっぱり姓名判断に頼るわけです。だけど、調べてて〈春なんとか〉は、ほぼ凶で、なんだか怖くなって止めに春を持ってきて〈なんとか春〉がいいかなと考えていた時に、師匠から電話がかかってきて「小春志はどうだ」って言われて、"あ!三文字か!なるほどなぁ"と。いい名前ですし、〈こしゅんじ〉と最後が濁るのも人の記憶に残りそうだなと。ただ、いまだに姓名判断はかけてないですね、怖いから(笑)。
――東西、女性の落語家が随分と増えました。それこそ、大師匠である立川談志さんは"女に古典落語は難しい"と生前おっしゃっていましたが、今改めて真打になって女性落語家の存在をどう考えてらっしゃいますか?
大師匠は2011年に亡くなりましたが、私が談春に入門した時は存命で、前座修行の時も大師匠の会にも手伝いで入っていました。だけど、実は1年ほど私が女だと気づいていなくて(笑)。たまたま大師匠がやっていたテレビで、寄席楽屋の前座が行う鳴り物を紹介するコーナーがあって、そこに出たんですね、そしたら見慣れないヤツがいるなということで、「あれ誰だ?」と。そこで談春の弟子で女の子ですよって聞かれたみたいで、すぐに楽屋に呼ばれまして、「お前女だったのか!」って(笑)。それ以降、随分と可愛がっていただきました。ですが、常々"女に古典落語は難しい"と話していましたから、それをどう乗り越えて、成長していこうかとはずっと模索していましたね。
ただ、今になって思うことがふたつありまして、ひとつはやはり、時代が変わったというのがあります。昔、女に落語は...と思っていたお客様は、私らが出るとまず聞こうとしなかった、受け入れなかった、だから席を立ってたんですね。でも徐々にドラマであったり、漫画や小説などで女性の落語家を描いたものが生まれたり、実際に女性落語家が増えてきたという周りを取り囲む状況の変化で、女もひとりの落語家なんだと聞くようになったお客さんが大半を占めるようになり、受け入れてくれる時代になっているなと。これでまず、女に落語はできないということは崩されたと思うんですね。
もうひとつは、私個人ですが、立川一門で男性目線での落語で育ててもらったということ。考え方、思考論理、クセ、性格みたいなのを、改めて女性として観察し続けてきたことで、落語の中の男性を描く時に、非常に役に立っているなと思ってます。例えば酔っ払いの噺を、本当の酒飲みがやるより、下戸の人がやった方が実は上手いと言われたりしますが、それはやはり飲めない分、観察しているからじゃないですか。自分にないものを演じる時、見聞を広めるために研究する...。私が男性を描く時に立川一門で育ってきて、いろんな男性のパターンを意識して見てこれたことで、自身の落語に随分反映され、今の自分の落語があると思います。
以前、先輩と話していた時に男性、女性で根本的に違うなって話をしていて、男性からすると、女の愚痴や不満は馬鹿馬鹿しい。でも女の愚痴がわかる私からすると、男性の愚痴や不満は幼稚だと思うんですよ。そのやりとりみたいなのも、男性目線、女性目線、男性思考、女性思考の両方をわかっていると、面白いんですね。落語をやっててどっちもできるようになってくる。で、そこまで考えて落語をしているのは、私の他に多分あまりいないんじゃないかなと。両方の目線、思考でやるとちょっとしたセリフの時に、女性のお客さんが共感するとか、男性のお客さんが違和感抱かないとか、だんだんできてくるんですよ。そういうのをもっともっとチャレンジしていけたらと思っています。
――小春志さんと関西との接点というのは?
私は入門してから割と早くに上方の落語家さんとの接点をいただきまして、例えば吉坊兄さんも、私の師匠の会に出てらっしゃって色々教わったり、昨年お亡くなりになった(桂)雀々師匠も東京で楽屋番をさせていただいたり、(桂)米團治師匠襲名の時や、(桂)南光師匠の会の楽屋にお手伝いに入らせていただいたこともあります。これはやっぱり師匠談春の繋がりがあったからだと思うんですけど。それにこれも時代だと思いますが、東西の交流が増えましたよね。江戸然り、上方然り師匠たちの横のつながりでとてもフラットになってきて若手も東西一緒に会をやったりして...。私も二つ目の時から自分で関西の会場を探して会をしたり、上方の兄さんの会に呼んでいただきました。昔は、東京の落語家が大阪でやると、お客さんはピクリも笑わなかった、それで大阪は怖いところだなんて言い伝えがありましたけれど、うちの師匠がフェスティバルホールで会を行った時、満員になって、やはり潜在的にお客様はいたんだと。その後も森ノ宮ピロティホールでも毎月やらせていただいた時もその実感を弟子としても感じました。私も実際にやらせていただいて面白ければ笑っていただけるし、面白くなかったら笑わない。大阪はちゃんと言葉にしないと伝わらないなというのを、経験してはっきり感じました。だけど、本当に時代は変わったんだなぁとは思います。
――そんな時代の変化をひしひしと感じてらっしゃる小春志さんの、満を持しての大阪での二人会です。
やっとできるという気持ちでいっぱいです。そして今回、これからの長い真打の人生を考えたら、大阪での最初の二人会はぜひ、吉坊兄さんとさせていただきたいという思いがあり、胸を借りる感じでお願いをさせていただきました。兄さんは上方の正統派の古典噺をされる方、そして私も江戸の古典を立川流でやらせていただくので古典の違いを堪能していただけたらと。ただ、お互いにまだ何をやるかは決めていなくて、探り合いをしています(笑)。
実は東京ではこの組み合わせに落語ファンがざわついていまして、このざわつきを大阪の落語ファンの方たちにも伝わってほしいですね。会場に関しては、大阪の落語ファンがざわついてらっしゃって、なんでもっと大阪市内やないんや! ちょっと場所、遠いやんって(笑)でもそれで断念される方がいれば、来なかったことを後悔するような、むしろ来た人は頑張って来た甲斐があった!ここでしか見れなかったいい会だった! って言われると思います。それと公演当日は奇しくもバレンタインデー、裏テーマとして、互いにチョコをどれくらいもらえるのかってのも競い合いたいなと思います(笑)。
取材・写真/仲谷暢之(アラスカ社)
(2025年2月 5日更新)