ホーム > インタビュー&レポート > 初回から遂に20周年を迎えた、実力派噺家3人による超人気落語会!
――落語界を牽引する大看板3人それぞれが主役となる本会は、第1回から大きな話題を呼びました。まずは、立ち上げの時の率直な気持ちからお聞かせください。
笑福亭鶴瓶(以下・鶴瓶) 絶対、この会は続くと思いました。この人たちはしつこいから。中途半端にはしたくないと思うし、僕もそうやからね。
桂文珍(以下・文珍) シャレ半分で『2回ぐらいで終わると思てました』とか言うけど、3人とも、これはしつこいぞと。最初から本気やなぁというのを感じましたね。だから20年経った感覚がないんですよ。つい3日ほど前に『一緒に始めよな』って言い出したような。それは、お互いのことが好きなんでしょうね。
桂南光(以下・南光) 文珍兄さんが『始めよか』って。だから、終わる時も文珍兄さんから『もうええか』と...そんな日が来るのかなと思いながら20年も経ってね。とにかく3人が不思議なくらい揉めないんですよ。
文珍 実業家の白洲次郎さんは、奥さんで随筆家の白洲正子さんとうまくいってたんですけど、『どうして仲良くいられるんですか?』と聞いたら『できるだけ会わないようにしてるんです』と。けだし名言でね。三競演も、いい距離感、スタンスを保ちながら年1回会って、で一緒に頑張る...みたいなことがオモシロいなぁと思ってね。
南光 だから、20年前と今の思いが全然変わってないんですよ。
――3人が50代の時に会は立ち上がり、今はともに70代に突入。落語家としての円熟期と会の歩みが重なります。スタート時期も良きタイミングだったのではないですか?
南光 そうですね。鶴瓶さんもちょうど落語をやる気になって、という時期で。
文珍 運が良かったんでしょうけど、それぞれの個性が光るようなタイミングは合ったかも分かりませんね。立ち上げの時に、我々3人が島之内教会の前で写真を撮っていて、それがとてもいい写真なんですよ。20歳若いんです(笑)。何か、ちょっと遅れた青春グラフィティのような雰囲気があってね。
鶴瓶 でも僕はいつまでも必死ですもん。けど、それが嬉しいんですよ。
文珍 こういうバケモンみたいな人がいるのがすごい。あらゆる方面で活躍しながら落語に軸足をちゃんと置いてくれてるっていうところが、僕は嬉しいし、負けんように頑張らないかんなぁと思いますな。
鶴瓶 お笑い番組の司会もやってますでしょ。するとね、若手の漫才の人たちが僕のことをただ単にバラエティー番組に出てるだけじゃなく、お兄さんらと落語をやってるっていう一面も、よう分かってくれてるんですよ。こないだ聞いて、そんな風に思ってるんやと。
南光 師匠の六代目(笑福亭)松鶴師匠は、それを一番喜んでくれてはると思いますよ。あなたに落語の稽古はしてないけども、六代目の落語に対する思いというか。そこは真剣に受け継いでるじゃないですか。
鶴瓶 うちのおやっさん(六代目笑福亭松鶴)が今生きてはったら、本当にこのふたりに託したらいい、大丈夫や、って言いはるでしょうね。
文珍 鶴瓶さんは、教えられないものを持ってはるねんね。そういうおかしさっていうのは、持って生まれたパワーですよ。花があって。だから、松鶴師匠はほったらかしにしはったんでしょうね。それの方が花が開くと。ものすごい判断ですよね。
南光 実際そうなってますしね。私はね、おふたりのファンなんですよ。文珍兄さんの舞台を見せてもうてもそうやし。鶴瓶さんの落語も好きやし、日本全国歩き回ってる番組も見てるし。でも、その時は仲間とは思てませんからね。私は落語に関しては、申し訳ないけど、そんなに気ぃ入れてやってないんですよ。だから、おふたりは『言うこときけへんかったら落語させへんぞ』って言われたとしたら、『言うことききます』って言いはるんでしょ。でも、私は『じゃ、やめます。ありがとうございました』って。
文珍 いいや、南光さんはやめへんと思うわ。
鶴瓶 (笑)。絶対、やめへん!
南光 正直に言いますわ。6月に10日ほどパリで暮らしたんですよ。その時に何を思ったかと言うたら、俺は何で噺家みたいなもんになったんやと。フランス語しゃべられへんし、落語もでけへんじゃないですか。別の仕事をやってたら、大好きなパリで暮らせたのにって。
文珍 誰と暮らすん?
南光 そこなんですよね。ひとりでパリに行きたかったのに、嫁はんがついてきますねん。パリやけど、会話は四条畷(笑)。
文珍 パリに移住しはったら、わしらも行こ!
南光 すいません。たまにですよ。こんなん、しょっちゅうこられたら(笑)。
――ちなみに、毎年の三競演インタビューでは、「今年一番、印象に残った出来事」をお聞きしています。南光さんはパリ暮らし。では、文珍さん、鶴瓶さんにとってのNo.1は?
鶴瓶 マレーシアに行ったんですよ。テレビ番組でね。でも、ほんまに楽しかったんです。
南光 嫁さんついてけぇへんもんなぁ。
鶴瓶 いえ、ついて来ました。
※一同爆笑
鶴瓶 番組の収録には出ないんですけど、一緒に行こうよって。
南光 あんたが言うたん?
鶴瓶 うち、案外言うんですよ。ペナン島に行ってね。全然リゾート地じゃなく、普通の都会だったんですけど、それが逆にいいなぁと。だから、年に1回全然違う雰囲気のところに行けたらいいなと思いましたね。...嫁はんも一緒ですよ。
文珍 私はね、篠山の実家にひとりで帰ってるんですよ。週に2日ぐらいね。もう3~4年になりますかねぇ。自分で炊事洗濯して。
南光 それひとりで?
文珍 ひとりよ! 当たり前や。周りスパイだらけやもん(笑)。誰か来たらえらいこっちゃ。でも今日も稲刈りが終わった後のあぜ道を散歩しますやんか。なんかのんびりするんですね。だから、二拠点生活。今はそれが楽しいかな。
――20周年を迎える本会。記念のサプライズ企画なども期待してしまいますが...。
文珍 何も考えていません(笑)。
鶴瓶 ただ、ざこば兄さんが亡くなられたということもあって、今回『子は鎹』をするんです。あるところで『子は鎹』をやって下りてきたら、お兄さんが泣いてはったんですよ。『大阪にええ噺ができたな。俺もやるわ』言うて始めはったという。それも嬉しくて、亡くなられた時に思い出したんですよ。素敵な人やったなぁって。
南光 私も今年1番悲しかったことは、ざこば兄さんが亡くなったことですからね。だから、兄さんがやってはった『文七元結』という噺をしようかと。江戸の噺やねんけど、それをまたやってくださいって言うたら、『もう覚えてない。南光やん、やりいな』ってなって。江戸っ子が大事なお金を見ず知らずの他人にやるっていうけど、私は上方にもそんな人がおったって不思議はないなと。で、ざこばさんのを聞いてると、『これって、ざこば兄さんや!』。じゃ、主人公の左官屋をざこばさんをモデルにしてやったらできるだろうと思って、去年からやり出したんです。
文珍 そしたら私は『地蔵の散髪』でもやろうかな。鶴瓶さんのお弟子さんがようやりは
る。あほらし~い噺ですわ(笑)。
南光 今は『雁風呂』とちゃいますの?。
文珍 何か言わないかんかなと(笑)。『雁風呂』は一応こんなもんかなぁという感じかな。講釈ネタやから、ようできてるねんけどね。(桂)米朝師匠や、(三遊亭)圓生師匠が若い時に、ちょっとやってはって。元々は大阪の二代目桂三木助師匠がやってはったんですよ。
南光 文珍兄さんのは、すっごい明るいですよ。重くなくて。
文珍 アホっぽいけどなぁ(笑)。
――個々の落語はもちろんですが、「夢の三競演」でしか味わえない3人が醸し出す雰囲気は格別です。最後に、本会の聴きどころ、見どころをアピールしてください。
文珍 今回から、今年オープンしたばかりの「SkyシアターMBS」でやりますねや。ええホールでっせ。
鶴瓶 もう出はりましたん?
文珍 行ったことない。
※一同爆笑
南光 私は、こけら落としの時に呼んでもらって。キャパが1280人。ところが、2階がグッと前に出てるし、全然遠く感じない。グリーンを基調にした、ええホールですわ。
文珍 それはええわ。素晴らしい。行ったことないけど(笑)。
鶴瓶 3人の空気を今年も楽しんでもらいたいなと思いますね。他に出ない空気ですよ。桂文珍が出す不思議な空気(笑)。
文珍 鶴瓶ちゃんが言うように、他では味わえない落語会の空気というか、楽しさが何かあるねんね。色は違うねんけど、おかしな3人だなぁという。『何か言うてるけど、こいつらやったら許してやれ』とお客さまの方も歩みよっていただいてる感じがありますね。
南光 で、公演の最後には、お客さん全員でスタンディングオベーションが起こるという。まぁ、こっちから頼んで立ってもらうんですけどね(笑)。あれを、私のお客さんに『あんな楽しいことはなかった。落語はみな忘れたけど』と言われて(笑)。だから、あのスタンディングを楽しんでください。
取材・文/松尾美矢子
撮影/大西二士男
(2024年10月21日更新)