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「ふたりとも、年齢とともに若くなってますよ」
笑福亭鶴瓶、先輩ふたりへの想いと
ますます熱気を帯びる落語愛

桂文珍、桂南光、笑福亭鶴瓶という、まさに円熟の時を迎えた人気落語家3人が顔を揃える「夢の三競演」。コロナ禍で1年のお休みはあったものの、今年で遂に20年目を迎え、待望の東京公演も復活を果たす。芸歴も年齢もまちまちながら、ウマの合う3人。その中で、末っ子的存在の鶴瓶師匠は、先輩ふたりへの感謝の気持ちと、ますます熱気を帯びる落語愛を語ってくれた。さらに、今年、永遠の別れをした身内の方々や、ゆかりの人たちへの思いを打ち明け、亡き桂米朝師匠の言葉に癒されたと明かす。

――「夢の三競演」は、今年で何と19回目を迎えることとなりました。コロナ禍を経て、今年から東京公演も復活!感慨深いものがあります。

笑福亭鶴瓶(以下・鶴瓶)「文珍兄さんと南光兄さんには感謝してますよ。こんな会に誘てもうて。僕が腰上げて『落語やらなあかん』ていうキッカケになりましたし。当時、『六人の会』もやってましたけど、東京でしょ。大阪でこれに誘っていただいたっていうのは、感謝しかないですね」。

――お三方の年齢を合わせると、とうに200歳を超えましたが、皆さん、実にお若い!

鶴瓶「若いですよ。芸は円熟やけど、枯れてないですよ。カッコいいんです、あのふたりは。ふたりに勝とうとか、比べるとか、当然無理なんですけど、あんな人らをそばで見られることが嬉しいですよね。文珍兄さんなんかはNGKに出てますからね。今一番来てる若手の後に出てでも、ドーンとひっくり返すんやから。そんなんアカンやん(笑)。素晴らしいですよ。ああいう寄席という形のところに出ていって、ドーンとウケさして"ここに文珍あり"というのがいつまでもありますからね。南光兄さんとは同い年なんですけど、あの兄さんもホンマに楽しそうにしてますからね。ふたりとも年齢と共に深まっていくというより、若くなっていってますよ。僕は、それを見ながらついていくという」。

――年齢がマイナスになっていない。

鶴瓶「そうですね。僕も"今"ですよ。今を生きてますから」。

――鶴瓶師匠も今年で入門52年目を迎えられました。

鶴瓶「昭和47年2月にこの世界に入ったから52年目。で、52歳から落語を始めましたからね、今年で20年。東京で言うたら、ちょうど二ツ目から真打になったぐらいですよね。その神経でやってますから、ベテランでも何でもない。フレッシュ、フレッシュ! フレッシュでないとやってられへん(笑)」。

――では、入門52年目を迎えた2023年を振り返っていただきましょう。

鶴瓶「5人兄弟なんですが、12歳上の兄と、10歳上の姉が亡くなったんですよ。だいぶ年が離れてますからね、悲しいというよりも、もう別れるのかと。自分の兄弟を褒めるのもおかしいですけど、ええ兄やし、ええ姉でした。ふたりともメチャクチャおもろいんで、落語を作ったんですよ。『天然姉貴 無法の兄貴』という。作っといてよかったなと思てね」。

――"私落語"ですね。

鶴瓶「マクラは姉の話、そこから兄貴の話になっていくんですけど、今年は独演会かどこかでしようと思ってます。供養ですからね。特に兄貴は僕が落語家になるキッカケをくれた人。というのも父親が落語家になるのを反対したんですよ。ほんなら『こんな勉強せえへんやつ、大学に行かしたらお金もったいないがな。落語家になりたいねんやったら、ならしたらええがな』って。きつい言い方ですけど優しいんですよ。父親も割と兄貴のいうこと聞くというか。で、こうなりました」。

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――今年は、『パペポTV』などで共演された上岡龍太郎さんも亡くなられました。

鶴瓶「上岡さんは、僕より9つ上なんですよ。亡くなった時に息子で映画監督の小林聖太郎さんから電話があって、上岡さんが僕に感謝してたと。『パペポ』を一緒にやったりとかしたからでしょうね。あんなん言うの珍しいって言うてはりましたわ」。

――そして、一番弟子の笑福亭笑瓶さんも旅立たれました。

鶴瓶「笑瓶は僕より下やのに、先に逝きよったからね。僕が落語を始めたから笑瓶もやり出したんですけど、あいつのCD出すんですよ。10月後半の追善公演でCDを発売しようと。落語家として生きてた証を形にして出してやりたいと思うから。『横山大観』と『ある日の六代目』の2席が入ってます。オモロイですよ。だいたい、僕の落語会は物販なんか一切やらないんですけど、弟子のはやります。でも、売れたら腹立ちますね。自分は出せへんのに、なんであいつのCDを出さなあかんねん(笑)」。

――お身内やゆかりの方々の訃報に際し、様々な想いが去来したと思います。

鶴瓶「でもね、すごく楽になる言葉があってね。桂米朝師匠が言うてはった言葉を南光兄さんから聞いたんですけど。米朝師匠が食事に行きはった先で、兄弟弟子の桂米之助師匠が亡くなったという知らせが入った。すると米朝師匠が『えっ!悦っちゃん(米之助師匠の愛称)死んだんかいな!...サイコロステーキ、ください』と。つまり『死ぬのも日常、生まれるのも日常』やと。『そんなん、一喜一憂せんでもいいねん』っていうことを言わはったみたいで。死んだことは悲しいといえば悲しいけど、その言葉を聞いてから、すごく楽になりました。でも、今年ほど"死ぬのも日常"な年はなかったなぁ」。

――そんな「死ぬも日常、生まれるのも日常」という日々を積み重ねてこられた鶴瓶師匠が一番、大事にされていることは?

鶴瓶「生きがいっていうんか、生きてる時に何をしたいかということ。何か一つあったら、すごいじゃないですか。それが僕は落語と鶴瓶噺ですよ。そのふたつをやらしてもらってる。そういう思いで舞台に立ったりできてるのは有難いこと。70歳を超えて、このネタやろうとか、あれやろうという思いを持って生きていけてますからね」。

――そのふたつの生きがいを見つけられたというのがすごいですよね。

鶴瓶「落語を教えてもらってないから、何かの手段として生きていこうと思ったのが鶴瓶噺ですよ。鶴瓶噺をやってたら、私落語が生まれたんですよね。それと並行して古典落語をと。で、文珍、南光というお二方と一緒にやってて、逆になるべく大阪の人が踏んでない東京の噺を持ってきて、自分流に変える。東京の古典をいかに大阪に置き換えて、大阪の人間でもやれるんだと」。

――では、今やってみたい、或いは焼き直しを模索中のネタはありますか?

鶴瓶「前座ネタというんか、軽いものをちょっとやれないかなと思ってね。昨日から『堪忍袋』を繰り直してるんですけども、どんなんか忘れてもうて(笑)。いやいや、分かりますよ。僕が自分で作ったもんですから。あとは『二人癖』『宮戸川』とかも、そうですよね。『悋気の火の玉』なんかは、出来てるんですよ。出来てるんで、高座にかけよかなと思たら、うちの妻が『私、そのネタ、嫌い』て言うて。『何が嫌いやねん?』って聞いたら、本妻さんと二号さんの火の玉が上がって、バババッとやり合いするんですよ。こんなオモロイ話ないけど、嫁はんが嫌いやいうのも分かるわ。でも、あの人は僕の着物を全部やってますからね。着物を揃えてくれる人が嫌うっていうネタは、でけへんやん(笑)」。

――逆に、奥様がお好きなネタや、ススメられている演目はありますか?

鶴瓶「師匠(六代目笑福亭松鶴)の『高津の富』ですね。やっぱり、おやっさんのはいいですからね。やろうと思うけど、力がいりますよ。おやっさんのエエのを知ってますから、なぞってまうんでよ。モノマネみたいになってしまう。『らくだ』にしてもそうですけど」。

――六代目松鶴師匠の十八番というか、笑福亭のお家芸は鶴瓶師匠に合っておられると思いますが。では、今年の三競演の演目は何をお考えですか?

鶴瓶「南光兄さんがね『鶴瓶ちゃん、絶対「芝浜」合うわ』って言わはったんですよ。あのお兄さん、いつも『「お直し」やりーや』とか言わはるでしょ。だから、今年の三競演の大阪はトリですから、『芝浜』をやろうと思ってます」。

――どんな演出を考えておられますか?

鶴瓶「舞台は江戸。大阪の若旦那が吉原の女とええ仲になって。夫婦の約束したら父親に反対されて、キレて出ていくわけですよ。で江戸で棒手振り(ぼてぶり)の魚屋になる。ただ、当時の時代背景を考えたら、大阪の人間を関東の人間がバカにする時期やったんですね。『贅六!贅六!』いうて。魚河岸の江戸っ子にバカにされるから、酒飲んでウダウダになるんですけど、奮起して酒もやめて一生懸命働いて、ちょっとした魚屋を出すという。腕は達者やからね。で、江戸で大晦日の晩になるわけですよね。その大晦日の晩の夫婦の情愛です」。

――終盤の大晦日の夜に重きが置かれている。

鶴瓶「僕ね、大晦日っていうのが何かワクワクするんですよ。もちろん、紅白歌合戦とかあったりするのも含めてのワクワクですけども。大晦日って母親はおせち作ってるわ、こっちでみんなは酒を飲んでるわ、とかいう、その風景ですよね。その風景を表したいという思いがあったから。で、賑やかな大晦日の最後は夫婦ふたりになって...。普通、『芝浜』いうたら50分近くあるでしょ。そんなにしないんです。後半の大晦日の晩に集中するというか。ただ『芝浜』というのは江戸の大事なネタですから、その雰囲気を壊さずにね」。

――去年は、ますますお稽古の量が増えているとおっしゃっていましたが?

鶴瓶「ずっとそうですね。誰と競争するとかじゃないんです。自分自身がやらないと気がすまんというか。こんな人間じゃなかったんですけどね。三競演がこうしたのか。まさか『芝浜』なんてやると思てない。ここの三枚看板のスタートが『らくだ』ですからね。...でも、僕、落語に合ってるんですかね? このごろ、よう思うわ。合うてんのかなと。どうかなぁ(笑)。でもまぁ、やっぱり落語というものが好きなんでしょうね」。

取材・文/松尾美矢子
撮影/大西二士男




(2023年10月27日更新)


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笑福亭鶴瓶(しょうふくていつるべ)●1951年、大阪府出身。1972年、六代目笑福亭松鶴に入門。多数のレギュラー番組を抱えながら、落語会はもちろん、『鶴瓶噺』『スジナシ』などを精力的に開催。役者としてもドラマや映画、アニメの吹き替えなど多彩に活躍する。

夢の三競演2023~三枚看板・大看板・金看板~

【東京公演】

▼12月20日(水) 18:00
LINE CUBE SHIBUYA

【大阪公演】

10月28日(土)一般発売 Pコード:521-102
●12月25日(月)18:00
梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ
全席指定-7000円 
[出演]桂文珍/桂南光/笑福亭鶴瓶/桂天吾(「開口一番」)
※未就学児童は入場不可。発熱や体調不良時には来館や来場をお控えください。施設内でのマスク着用は個人の判断となります。必要に応じて着用してください。会場内での咳エチケットや手洗いの励行を推奨いたします。
[問]夢の三競演 公演事務局■06-6371-9193

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過去演目

※登場順

2004年
桂文珍『七度狐』
桂南光『はてなの茶碗』
笑福亭鶴瓶『らくだ』

2005年
笑福亭鶴瓶『愛宕山』
桂文珍『包丁間男』
桂南光『質屋蔵』

2006年
桂南光『素人浄瑠璃』
笑福亭鶴瓶『たち切れ線香』
桂文珍『二番煎じ』

2007年
桂文珍『不動坊』
桂南光『花筏』
笑福亭鶴瓶『死神』

2008年
笑福亭鶴瓶『なんで紅白でられへんねん! オールウェイズお母ちゃんの笑顔』
桂文珍『胴乱の幸助』
桂南光『高津の富』

2009年
桂南光『千両みかん』
笑福亭鶴瓶『宮戸川
~お花・半七馴れ初め~』
桂文珍『そこつ長屋』

2010年
桂文珍『あこがれの養老院』
桂南光『小言幸兵衛』
笑福亭鶴瓶『錦木検校』

2011年
笑福亭鶴瓶『癇癪』
桂文珍『池田の猪買い』
桂南光『佐野山』

2012年
桂南光『子は鎹』
笑福亭鶴瓶『鴻池の犬』
桂文珍『帯久』

2013年
桂文珍『けんげしゃ茶屋』
桂南光『火焔太鼓』
笑福亭鶴瓶『お直し』

2014年
笑福亭鶴瓶『青木先生』
桂文珍『御血脈』
桂南光『五貫裁き』

2015年
桂南光『抜け雀』
笑福亭鶴瓶『山名屋浦里』
桂文珍『セレモニーホール「旅立ち」』

2016年
桂文珍『くっしゃみ講釈』
桂南光『壷算』
笑福亭鶴瓶『山名屋浦里』

2017年
笑福亭鶴瓶『妾馬』
桂文珍『へっつい幽霊』
桂南光『蔵丁稚』

2018年
桂南光『胴斬り』
笑福亭鶴瓶『徂徠豆腐』
桂文珍『持参金』

2019年
桂文珍『スマホでイタコ』
桂南光『上州土産百両首』
笑福亭鶴瓶『オールウェイズお母ちゃんの笑顔』

2021年
笑福亭鶴瓶『お直し』
桂文珍『デジナン』
桂南光『はてなの茶碗』

2022年
桂南光『ちりとてちん』
笑福亭鶴瓶『死神』
桂文珍『携帯供養』

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